![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/3e/006edc5725b85ade0436e67f869b28fc.jpg)
なにもかも男まさり
ジグモンド1世妃 ボルバーラ・ツィレイ
1390~1405/在位 (ハンガリー王妃)1405~1437 (神聖ローマ皇后)1411~1437
(ボヘミア王妃)1419、1436~1437
共治王としてハンガリー王になったジグモンド1世でしたが
マリア女王亡き後もハンガリー王として君臨していました。
前妃の死から10年後、ジグモンド1世がこっそり再婚したのは
マリア女王の親戚筋にあたる、ツェリェ伯へルマン2世の娘ボルバーラです。
父方の祖母カトリーヌ・コトロマニッチが、ラヨシュ1世妃エルジェーベトの
姉妹ではないか、と考えられています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/e6/7d71ed1257286b6bc38df56991fb2834.jpg)
ふたりは1401年に婚約していますが、正式な結婚の許可が待ちきれなかったのか
1405年のクリスマスの日にこっそり結婚したらしいですよ。
ボルバーラは14歳、結婚が許される年になってすぐということですね。
ちなみにジグモンドは37歳でございます。
ボルバーラの父ツェリェ伯は
養女アンナをポーランド王ヴワディスワフ2世に嫁がせていています。
なにかと仲が悪いハンガリー王とポーランド王の、両方の義父ということですね。
上手く立ち回れば中・東欧のフィクサー的存在になれるってもんです。
さて、ふたりは1405年に結婚はしたものの、正式に認められたのは1408年です。
1409年に王女エルジェーベトが誕生しましたが、子供は彼女だけでした。
ボルバーラは、ボヘミア王座や神聖ローマ皇帝の座を手にするために奔走する夫が
ハンガリーを留守にする間、摂政を務めていました。
ボルバーラは知性と美しさで人を信服させたと言われています。
ただ、口うるさいお方で、侍女たちは息つく暇がなかったそうです。
一方、夫ジグモンド同様愛人がいたようで、ハーレムを持っていた、なんて説もあります。
それでかどうかはわかりませんが、ボルバーラは1419年から2年間
ナジヴァーラドに追放されてしまいました。
王子のいないジグモンドは、自分の後継者に娘婿アルブレヒトを指名しますが
ボルバーラはボヘミア王は自分の兄弟か甥にしようと画策していました。
この件をポーランドに納得させるため、自分は夫の死後ヴワディスワフ3世と
再婚するという密約まで結んでいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/68/2dbfaaebdc4da0d3378de327063e9e72.jpg)
躍動的なボルバーラ王妃像
ジグモンドはボルバーラの計略に気付き、1437年、彼女を投獄します。
今度ばかりは許されなかったようで、ジグモンドが亡くなると
全ての財産を没収されてハンガリーから追放されました。
ポーランドに渡ったボルバーラは収入源としてサンドミェシの領地を与えられると
ボヘミアに移り余生を送っておりましたが…おとなしくしてりゃあいいものを
政府を倒そうと企てたとして告発されたりします。
さすがに懲りたのか、政治には口を出さなくなったみたいですが
晩年は錬金術やオカルトに凝っていたそうでございます。
誰か呪い殺したい人でもいたんでしょうか? くわばらくわばら…![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp16.gif)
ペストで亡くなっております。
内助の功を発揮するより、先頭に立ちたい…というタイプの王妃って、けっこういますわね。
王である夫が愚鈍で気が弱かったりすると上手くいくと思うんだが…
(参考文献 Wikipedia英語版)
ジグモンド1世妃 ボルバーラ・ツィレイ
1390~1405/在位 (ハンガリー王妃)1405~1437 (神聖ローマ皇后)1411~1437
(ボヘミア王妃)1419、1436~1437
共治王としてハンガリー王になったジグモンド1世でしたが
マリア女王亡き後もハンガリー王として君臨していました。
前妃の死から10年後、ジグモンド1世がこっそり再婚したのは
マリア女王の親戚筋にあたる、ツェリェ伯へルマン2世の娘ボルバーラです。
父方の祖母カトリーヌ・コトロマニッチが、ラヨシュ1世妃エルジェーベトの
姉妹ではないか、と考えられています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/e6/7d71ed1257286b6bc38df56991fb2834.jpg)
ふたりは1401年に婚約していますが、正式な結婚の許可が待ちきれなかったのか
1405年のクリスマスの日にこっそり結婚したらしいですよ。
ボルバーラは14歳、結婚が許される年になってすぐということですね。
ちなみにジグモンドは37歳でございます。
ボルバーラの父ツェリェ伯は
養女アンナをポーランド王ヴワディスワフ2世に嫁がせていています。
なにかと仲が悪いハンガリー王とポーランド王の、両方の義父ということですね。
上手く立ち回れば中・東欧のフィクサー的存在になれるってもんです。
さて、ふたりは1405年に結婚はしたものの、正式に認められたのは1408年です。
1409年に王女エルジェーベトが誕生しましたが、子供は彼女だけでした。
ボルバーラは、ボヘミア王座や神聖ローマ皇帝の座を手にするために奔走する夫が
ハンガリーを留守にする間、摂政を務めていました。
ボルバーラは知性と美しさで人を信服させたと言われています。
ただ、口うるさいお方で、侍女たちは息つく暇がなかったそうです。
一方、夫ジグモンド同様愛人がいたようで、ハーレムを持っていた、なんて説もあります。
それでかどうかはわかりませんが、ボルバーラは1419年から2年間
ナジヴァーラドに追放されてしまいました。
王子のいないジグモンドは、自分の後継者に娘婿アルブレヒトを指名しますが
ボルバーラはボヘミア王は自分の兄弟か甥にしようと画策していました。
この件をポーランドに納得させるため、自分は夫の死後ヴワディスワフ3世と
再婚するという密約まで結んでいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/68/2dbfaaebdc4da0d3378de327063e9e72.jpg)
躍動的なボルバーラ王妃像
ジグモンドはボルバーラの計略に気付き、1437年、彼女を投獄します。
今度ばかりは許されなかったようで、ジグモンドが亡くなると
全ての財産を没収されてハンガリーから追放されました。
ポーランドに渡ったボルバーラは収入源としてサンドミェシの領地を与えられると
ボヘミアに移り余生を送っておりましたが…おとなしくしてりゃあいいものを
政府を倒そうと企てたとして告発されたりします。
さすがに懲りたのか、政治には口を出さなくなったみたいですが
晩年は錬金術やオカルトに凝っていたそうでございます。
誰か呪い殺したい人でもいたんでしょうか? くわばらくわばら…
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp16.gif)
ペストで亡くなっております。
内助の功を発揮するより、先頭に立ちたい…というタイプの王妃って、けっこういますわね。
王である夫が愚鈍で気が弱かったりすると上手くいくと思うんだが…
(参考文献 Wikipedia英語版)