まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
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デンマーク王ゴーム妃 チューラ

2010-02-17 01:23:39 | デンマーク王妃
砦を築いた(といわれる)王妃
ゴーム老王妃 チューラ・ダネボー


870頃~935/在位 934~935

北欧です…
デンマーク・スウェーデン・ノルウェーが入り乱れ、さらにドイツ・イギリスも加わって
家系図がたまらなく素敵な北欧に、なぜ踏み出せなかったか?といいますと
とにかく人名と地名が読めないんですぅ

できるだけ調べましたが、分からないものは英語読み・ドイツ語読み・ローマ字読み
果てはそのまま横文字表記で書いてますので、おわかりの方教えて下さい。
随時訂正します。 よろしくお願いします。

北欧と言えばヴァイキングですが、もとはノルマンの人々が自分たちのことを
ヴァーキングと呼んでいたのが由来で、人口が増えすぎた彼らが8世紀頃から
新天地を求めて海へ乗り出し各地で狼藉を働いちゃったわけなのね。

デンマーク・ヴァイキングはドイツ方面を目指しましたが東フランク王国に敗れて方向転換、
9世紀にはすでにブリテン島に一大植民地をつくっています。
そこで当時から政治的な婚姻がおこなわれていたわけですね。

で、ゴーム老王から始めるのは、チューラ以前の王妃が分からないからでございます。
一応初代デンマーク王ということになっているし…

チューラの素性が分かったのもそんなに昔ではなく、矛盾や疑わしい点があります。
ブリテン島のウェセックス王エセルレッドの王女ということになっていますが
ユトランドの王かホルシュタインの伯爵ハーラル・クラックの娘という説もあります。

           
ドイツとの戦いでは指揮をとったと言われていますし
南方の防壁ダーネビアケを築く上で重要な役割を果たしたと記されています。
ただ考古学的には、防壁はもっと古い時代のものでした。

         
                防壁建設を指揮する…の図

ゴーム王はチューラの功績を讃えてイェリングに石碑をつくりました。
ふたりは一番大きな碑の下に埋葬され
後にデンマーク初のカトリック教会に移葬されました。
(教会の方は1978年に発掘された時に確認されています)

日本同様、昔の王様には伝説があります。
チューラはゴームとの結婚を承諾する前に、新しい家を建てて冬の最初の三晩眠り
どんな夢を見たか知らせてほしいと言いました。
夢はめでたかったらしく、結婚式で披露されました。
海を行く牛(豊穣の証)と鳥(王の栄光)だったそうなんですけど
実はこれ、創世記のファラオの夢を手本にしたものだったんだって

もっと伝説っぽいところを披露すると、チューラの娘は巨人にさらわれて
北のハロガランドとビャルマランドに連れ去られちゃったっていう…
お嫁に行ったってことかしら?

しかし、ほとんどの女性の歴史が記録されていないこの時代に
これだけのエピソードがあるというのはすごいですね!
よほどの女性だったとお見受けします。

(参考文献 武田龍夫氏『物語北欧の歴史』 Wikipedia英語版)

物語 北欧の歴史 中央公論社


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2 コメント

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北欧編ですね! (みんと)
2010-02-17 16:49:49
ヨーロッパ一ふるいデンマーク王家や、
現存する唯一のナポレオン起源王朝のスウェーデン王家!
待望の北欧編スタートですね。
まりっぺさん、がんばってください♪
楽しみにしています。
北欧や東欧は日本にはなじみが薄い(読みにくいってのも大いにあると思います)けど、
いろいろ面白い話の宝庫ですよね~。



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北欧 (まりっぺ)
2010-02-18 02:28:27
こんばんわ、みんとさん。

北欧の人名…読めないんですよねぇ…
家系図は三国入り組んでいて面白いのですが、なかなか思うようにはかどりません。

オリンピックで登場する北欧の選手のつづりと読み方をメモっとこうと思っている今日この頃です。

ロシアの愛妾は、エリザヴェータ・ボロンツォーヴァの名前は知っていたのですが、あとのふたりは知りませんでした。
プーシキンの奥さんもなんですか?

また愛人情報 があったら教えて下さいね。
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