まりっぺのお気楽読書

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デンマーク王クヌート1世妃 エンマ

2010-02-20 12:33:33 | デンマーク王妃
二度イングランド王妃になった
クヌート1世大王妃 エンマ・アフ・ノーマンディエ


985頃~1052/在位 (エセルレッド2世妃)1002~1016
           (クヌート妃)1017~1035

“ ノルマンの宝石 ” と謳われた美女エンマはノルマン公リシャール1世の娘でした。
ノルマンディーももともと北欧のヴァイキングがフランスに進出して築いた土地です。

        

エンマは1002年に、イングランド(サクソン)王エセルレッド2世と結婚しました。
エセルレッドはその年に前妃エルギフ・オブ・ヨークを出産で亡くしていて再婚でした。
イングランドではエルギフの方が尊敬を集めていたそうです。

エンマはこの時にアングロサクソン式の名前エルギフに変えたみたいで
これが後々、クヌートの最初の妃エルギフ・ノーサンプトン
一緒くたになってしまった原因じゃないかと…ややこしいのでエンマでいくね。

エセルレッド2世と王太子エドマンド・アイアンサイドが1016年に亡くなると
クヌートはエンマと結婚します。
エルギフ(ノーサンプトン)のところでも書いたけど、奥さんと離婚したわけではなくて
完全に重婚でございます。

これはイングランド王になったクヌートが、ノルマンディーからの攻撃をそらすための
政略結婚には違いないんですけど、なにしろ “ 宝石 ” だからね

エンマはエセルレッド2世との間に男の子がふたりいました。
これがエドワード(後の1世)とアルフレッド。
クヌート王との間にはハーディカニュート(後の王)が生まれました。
ハーディカニュートが急死しないで、イングランドとスカンジナビア一帯を治めていたら
歴史は大きく変わっただろう、というのが歴史家の見解みたいです。

エルギフ(ノーサンプトン)にもハロルド(後の1世)とスヴェンがいたし
エセルレッド王とエルギフ(ヨーク)の子エドワード・アジリングとエドレッドも
王位を主張していました。

王位継承ぐちゃぐちゃ
結局最後にはノルマン家に持ってかれてしまったじゃないの…

1035年にクヌート大王が亡くなった時、ハーディカニュートはデンマークにいて
ノルウェイのマグヌス1世とスウェーデンのアーヌンド・ヤーコブと戦っていました。
エドワードとアルフレッドは、クヌートに征服された時から
ノルマンディーへ避難していて、頼みの息子はみな不在。

そんなわけでエンマは敵陣にひとり残っていたようなものなのね。
1036年にエドワードとアルフレッドはエンマに会いにイングランドを訪ねました。
母親に会いに里帰り…あたりまえのことですよね?

でもこれは異母兄ハロルド1世に対する挑戦みたいに受け取られてしまって
アルフレッドは捕らえられ、中世的なむごい殺され方をします。
エドワードはノルマンディーへ、エンマはフランドルへ逃げて
再びイングランドの地を踏んだのは、ハロルド1世の死後でした。

しかし、エンマはこの時次の王に息子エドワードでなく
ノルウェー王マグヌス1世を推しています。
最初の結婚でできた息子は嫌いだったみたい… 幸せな結婚じゃなかったのかしら?

妻がいるところへしゃあしゃあと嫁いできたというだけであまり好感を持てないのだが
当時は悪いことじゃなかったんだし、女性が生き抜くのも大変だったでしょうから…
17歳で最初の結婚をして、次の結婚も政治絡みで
恋愛なんか望むべくもなかった人生って可哀相ね…

(参考文献 森譲氏『英国王室史話』 Wikipedia英語版)

英国王室史話〈上〉 中央公論新社


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