スピリチャルTIMES 「とにかく生きてみる!」

スピリチャルTIMESの編集長北村洋一が、この不確定な社会に生きている人々の喜怒哀楽をレポートする。

とにかく生きてみるvs飯いこか?vsランチしましょう

2019年11月14日 | 自分的エッセー

「この気分では無いのだが!」

風強しの南港フェリーターミナル。
下船終了後の早めのお昼を取る事ー11:00。
それはどの店に行っても結構ゆっくりと食事ができると言う事で、少々遠目でも車に相乗りしていきます。

「飯行こうー」と言う号令で、お昼のメンツが集まるのですが、今日の僕は彼等が向かおうとしているお店での昼の気分じゃないのです。
今日は「ランチをしたい!」気分なのです。
お店に入る前には想像も出来しなかった会話が飛び交う様なランチ場を立ち上げ、そこに身を置きたいのです〜〜
が、港の男に「ランチをする」なんぞのイメージがある訳はありません。
ひと飯ひと仕事ですから、夜までのパワーを補充するのが先決ですから、ガツリと食って、昼寝して、仕事をする事が僕らの平常なんで、それはアーミー仕様として逞しさも憧れもあるのですが、今日の僕には「ランチをする!」が思考を占めていました。
まぁそう言う訳で、昭和感満載の飯屋へ直行となりました。
イカのフリットにピクルス。
それに今日のパスタが選べてパンがつき、食後のコーヒー付なら「ランチする!」になりますが、
イカの天ぷらに沢庵、そして肉多めのカレーうろんに中飯で番茶飲み放題は、「昼飯いこか?」に決まってます。
だから、oh!男飯-これがパワーの源!とは今日の僕は吠える事ができませんでした。
北浜辺りのビストロで、食うたか?どうかわからん位のセットを食べながら、プレゼンの企画意図をノリのいいデザイナーに笑いを交えて話し、ナイスな返しをいただくのを「ランチをする!」と言う事なんですけどね〜









コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とにかく生きてみるvs港まち演歌vs鳥羽一郎に歌って貰おう

2019年11月09日 | 自分的エッセー

鳥羽一郎に歌って貰いたいと思う!

     「肥えたカモメのいる港まち」

本日は22:00出航の東予行きオレンジフェリーがドッグ入りの為に午前中で上がりました。
ニュートラムへの連絡通路から見えるトラックの荷台のキャッチに僕はビビットと来て、このフレーズを使った漁港演歌を帰りの地下鉄の中で思い巡らしています。
鳥羽一郎さんか、島津あやさんに歌って貰いましょうか?

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

    「肥えたカモメのいる港まち」
   
               作詞 洋キタナ

 かぁーちゃんが仕立ててくれた お日様大漁旗
 今日も網投げる俺の応援団
 旨い魚をとって来てねと!ぬくまま炊いて
 待っている 嫁に来てから待っている
 気張ったしょ 気張ったしょ 
 網引くふと腕 意地と度胸の力こぶ

 熱燗つけてる後ろから かーちゃん抱きしめ
 手が廻らない それでも気張ったしょ
ふっくら笑顔の 肥えたカモメのいる港まち




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とにかく生きてみるvs木屋町の名店「もち料理きた村」vs暖簾を下ろす

2019年11月01日 | 自分的エッセー

お店の名前は きた村なのに
「どうしておらんのじゃ〜〜」

木屋町仏光寺の名店もち料理 きた村が幕を降しました。
学校は違うのですが、若い頃からのお付き合いの同級生であります。
その感謝を兼ねての宴会が今日開かれたのです〜〜
そこで暖簾を下ろすと言う事で超個人的にここに寄稿をいたします。

なんせここの大将と僕とは苗字が同じであるのです。
これがある時はやっかいに、またある時は幸せのアシストとなったのです。
先ず、お店に予約の電話を入れる時には、「同級生の北村ですけど,キタムラ君お願いします」と言わないといけません。これがぎこちないのです〜〜 照れるのです。
その反面、木屋町いや京都では有名店ですから、「知ってるよ」と言うと、「勝手に親戚ですか?」と尋ねられるもんですから、その関係を話しするのも面倒なので、今までに2〜3回位は「そうです〜〜」と嘘を言った事がありました。
又「きた村」で飲む時は何時も「お前も北村やんけー」のツッコミに、ボケを用意しておかないといけないという、常にお尻が浮く状況もありました。
この機会にお詫びもうしあげるしだいです〜〜
そしてありがとうございましたと伝えます。

昔ある5月の終わりに
ここの床の席で、思いっきり振られた事があります!
「北村」アドバンテージは効くはずでしたが、全く効果はありませんでした。
これが僕だけの「もち料理きた村」の誰にも話さなかった思い出なのです。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とにかく生きてみるvs私版「秋桜」と言う歌のような話し

2019年10月27日 | 自分的エッセー

私版「秋桜」と言う歌みたいな話し。

薄紅の秋桜が何気無いひだまりに揺れている
この頃既に認知がひどくなった母が、車椅子に乗りボーッとしている。
施設のテーブルでアルバムを開いては、何度も繰り返す、愛犬チビの事!
こんな小春日和のおだやかな日は貴方の優しさがしみてくる〜〜
こんな小春日和の穏やかな日はもう少し貴方の子供でいさせてください!

母のアルバムに貼ってあった一枚の写真に僕は目が止まった。
それには語るには多すぎる小さな物語が散りばめられているのです。
孫が拾ってきた犬を大事にしてくれた事。
「チビ」と仔犬の時につけたのはいいが、暫くして大きくなって、チビと言う名前が笑けてきた事。
「チビが死んだよ」って連絡をしてきて、5000円で市の係の人が取りにきてくれた事〜〜などなど

そして誰かにシャッターを切って貰ったと言うより、偶然カメラを持った誰かに写真を撮って貰ったのだろう?この写真。
雪が降った後の早朝の公園です。
「チビ」が正面にむかって立つ姿に、素朴で清貧で何処にもある普通を感じてしまうのです〜〜
母の前で真正面に立つ犬に、流行も贅沢も知らない田舎侍の可憐さが込み上げ切迫してくるのです。
そしてただじっと見つめるしか出来ない私がいるのです。
いい写真なのでこれを来たる時の、あの写真にしようかと?フッと思いましたが、世間及びその筋では、この選択はありなんでしょうか?など思慮してしまいます。

真正面が凛々しく見えるポーズって身体に響くくらいの伝達力があります。
横向きピースサインなどでは伝えきれない深みがあるのでしょう。
60歳を過ぎてなんとかここに映る答のわからないメッセージの宛先が「この私」である事だけは解るようになりました。

こんな小春日和の穏やかな日に
ありがとうの言葉を噛みしめながら
生きてみます私なりにー〜〜





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とにかく生きてみるvs洗い物は静かにするな

2019年10月12日 | 自分的エッセー

本日欠航となり、自宅待機からの休みとなる。
何の予定も無いし、食料のストックも無い。
買いに行く気がしないのは、「台風」が僕の中のサバイバルスピリットを引っ張り出して来たからでしょう。

空いた時間は、それも通り過ぎるのを待つだけの時間は、僕の空想力を普段以上に高めますー
台所を見れば昨日の食器が洗われずに残っていて、
明かりも、音もつけない状況で食器を洗っているうちに、水道の水が茶碗にあたる、チョロチョロ音だけが聞こえるのですが、これが孤独な一人男の中に入ってきたのです〜〜
これを阿久悠ならどう表現するのか?喜多條忠ならどう作詞するのかなど考えながら、あの洋キタナが出現しました。

 ➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖
      「静かにするな!」
               
              詞洋 キタナ

雨が強くなるのか?風が激しくなるのか?

これからを測ってみても変わらない
 
僕は作業着で灯りもつけず音もない午後を過ごす

台所に残る使いぱなしの食器を洗うけど

水道の音が侘しく茶碗にあたる

「洗い物は静かにするな!」
 
「孤独を楽しむならこれはいい演出だ!」って

ストーンズの歌には無いけれど

僕は満足していないから、毎日をためしているんだ

鼻歌でもいいんだよ

「洗い物は静かにするな!」
 

「洗い物はロックを流して!」

 
 
 








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする