ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

トッカータとフーガとパイナップル

2009-08-18 03:28:19 | 太平洋地域
 ”Ukulele Bach”by Herb Ohta

 ハワイ在住の日系二世のウクレレ名人、オータサンことハーブ太田が2000年に発表したアルバムなのだけれど、あんまり聴いた事のある人が、というか、このアルバムの存在自体を知っている人があまりいないみたいだ。
 どんな事情かなかなか発売にならず、オータサン自身もハワイと東京を往復し、結構めんどくさい思いをして吹き込んだこのアルバムが結局陽の目をみないのでは?と心配になったようだし、発売後も、まあマイナーなレーベルのせいもあろうが、あまり話題になったとも言いがたい。

 私にしてからが、ある通販サイトのカタログの端のほうに、あんまり売る気もなさそうに置かれているこれを見て、「へえ、こんなアルバムが出ていたのか」とそこで初めて知って買い求めた次第で。で、その後、すぐにそのサイトは”発売中止”の表示に変わっている。アマゾンとかでははじめから扱いはなかったようだ。
 とはいえ、私がここで話題にしたのがきっかけで、このアルバムが幻の名盤扱いで”発掘”騒ぎとなり、さあ、紙ジャケデジリマボートラ付きで再発売しろ!との音楽ファンの声が燎原の火のように広がる、なんて事にも、まずならないだろう。
 なぜならこれは、ウクレレ一本で弾いたヨハン・セバスティアン・バッハ作品集などという素っ頓狂な、かつ誰が面白がるのだ?みたいな企画盤であるからだ。

 トッカータとフーガ、ブーレ、シシリアーノ、なんてのから”主よ、人の心の喜びよ”なんて曲まで、よく知られたバッハの曲が何の伴奏もなしに全16曲、ウクレレ一本で演奏されている。ギャグなし、ギミックなし、実直な性格のオータサンらしい、誠実にバッハの作品と向き合った達者な演奏が収められている。
 けど、使用楽器がウクレレだからね。これは、本来は”出オチの芸”でしょ?ウクレレ持ってステージに出てきたから何をやるのかと思ったらバッハを弾き始めた。無茶をしやがる、けど、結構上手く弾きこなすじゃないかと、初めは笑いが、そのうち賞賛の拍手が起こる、と。

 で、まあ、その一曲で終わっておくのが無事であろう。それがこのアルバム、全曲バッハですよ。しかも無伴奏。確かにこれ、話題にもならずに終わったのも無理はないかなあ・・・
 とか言ってますが。かねてよりオータサンのファンである私は、実はこのアルバム、気に入ってるんです。聴いているうちに、オータサンのウクレレの鄙びた響きによってポケットサイズに変容されたバッハの音楽の魂が、人の掌の上で風に吹かれてコロコロ転がっている、みたいな奇妙な幻想が生まれてくるのであって。なんだかすべての事象の輪郭が丸くなり、生の喜びを歌いだすような。まあ、私もいい加減、訳の分からない話をしているけど。

 と言うわけで。もちろん、You-Tubeに試聴用の画像はありませんでした。かわりに、似たような事をやっているジョン・キングと言う人のウクレレによるバッハ演奏を下に貼っておきます。というのも、どうかと思うが。




オイルシティ・メッシン・アラウンド

2009-08-17 01:36:12 | イスラム世界


 ”Timenna”by Abdullah Al Rowaishid

 ここのところ気になっている”アラブの白装束野郎”シリーズ(?)である。いや、そういうジャンルがあるのかどうか知らないが、独特の白い民族衣装に身を固めた男性歌手の盤は各種目につくしね。
 そして、クウェートの大歌手の本年作というこの白装束盤などは聴いていると、「ダブつくオイルマネーを持て余してろくでもない罪を重ねてしまった男たちのダルい午後のブルース」とか、勝手に副題を振ってやりたくなったのである。
 もちろんこちとらアラビア語はまるで出来ないんで、「どんな歌詞なのか?」の実際はなにも分らず、完全に言いがかりなのではあるが。

 ともかくなんか歌手自身にゴージャス感漂っているのである。ジャケ写真、袖口に覗くでかい(高価そうな、と言うより”でかい”とまず思える)腕時計やら、民族衣装に身を包んで豪華な革張りの椅子にそっくり返った際の決まり具合はどうだ。そしてこれはあのヴィン・ラディンなんかも同じものを感じるのだが、先祖代々スケールの違う金持ちであるがゆえにであろう、なんの屈託もなく伸びきった身長は、そして顔の長さはどうだ。

 まあこんな事、書けば書くほどこちらの品が下ると言うものだが、何しろ相手は地面を掘れば石油が出てくる国のヒト。どこを掘ったってなにも金目のものは出てこないから地味に働くしかない貧乏国国民の我々には当然の事としてさまざま僻む権利がある。なにしろ、このCDの演奏時間が77分越えているのも、お大尽からの施し、みたいに思えてしまうのだ、私など。

 独特の、粘着質の歌声の持ち主である。ムチのようにしなう独特のコブシの廻しが、妖しげな陰影を振り撒く。
 スローめの曲も多く、湾岸諸国風の華麗にして壮大なる、民族色濃いアラブポップ・サウンドをバックに、時にじっくりと囁くように迫る。ひっそりとウードがかき鳴らされ・・・ひときわヤバい雰囲気があたりに漂う。
 分厚いストリングスと女性コーラスをバックにするシャウトも、たとえばライの歌い手が行なう叫びとはまったく違う意味がありそうに響く。

 ウード一本をバックにじっくりと絡み合い、切々と語りつくす5曲目が勝負どころだろうか。彼ら一族の内なる、砂漠の遊牧民の魂と正面から向き合ったみたいな気分になるこの唄あたりからロワイシッド大尽の歌声は、グッと深みを増すように感じられるのだ。
 この盤で聴かれるウードは高名な奏者によるものなのだろうか。ここぞ!という瞬間に現われては忘れがたいフレーズ一閃を決めて行く。
 これまで接してきたアラブの歌謡世界には、まだまだ未知の広大な領域があるのだなと思わせる一枚と言えるだろう。

 民俗打楽器群がドクドクと脈打ちストリングスが波打ち、アラブの夜を独特のリッチ感と、それと裏腹な不思議な寂寥感に染め上げながら、ロワイシッドお大尽の粘着質の歌声がベッタリと渡って行く。冒頭にわざと書いてみたゼニカネ妄想はどこかに吹っ飛び、お大尽のボーカルはなんだか路上のブルース歌手のような切実さを持ってこちらの心に忍び入っている。こいつはクセになるかも知れない。



カリプソ2009の戸惑い

2009-08-14 03:40:58 | 南アメリカ


 ”University of Calypso ”by Andy Narell & Relator

 まずカリプソの新譜である、と言う事実が嬉しい。実力派のベテラン二人が、カリプソの伝統曲をサカナに和やかに円熟の芸って奴を披露してくれる、なんとも楽しく、不思議に懐かしく、そしてたまらなくあったかい音楽の泉。これは絶対お勧めだ。誰が聞いても楽しめる、素晴らしい音楽だもの。

 渋いギターと軽妙な唄を聴かせるリレイターの方はカリプソ界のベテラン歌手で、いかにもそんな感じのコミカルな歌い口でカリブ海の喜怒哀楽を伝える。
 一方、達者な、ちょっと上手過ぎる感じのスティール・パン、つまりドラム缶の蓋の部分に凹凸を打ち込み木琴のように音階を打ち出せるようにしたトリニダッド諸島特有の民俗楽器を聴かせるナレルの方は、実はアメリカ人で、スティールパンの演奏の可能性をさまざまな分野に広げつつある人のようだ。どうもこっちはもともと、別の楽器のプレイヤーだった形跡がある。このアルバムのプロデューサーも兼ねているようだ。

 この二人にシンプルなリズムセクションが加わるだけの小編制のバンド演奏で、非常に端正な、室内楽的と言っても良い、きれいにまとまってスイングする演奏を聴かせる。
 他のメンバーもとても達者なプレイヤーたちで、クラリネット奏者を中心にフレンチ・カリビアン・ジャズとでも言うべきものの演奏が始まったりするあたり、非常に広々とした気分にさせてくれ、音の展開につれ、眼下にカリブ海文化圏の音楽地図が広げられて行くみたいで、その知的興奮てえんですか、たまりませんわ。

 でも、気持ちよくなる一方で、カリプソなんてものは本来、カリブ海の黒人のブラックなジョークが脈打つもっとアクの強い音楽で、こんな風に異文化圏の人間がニコニコと寛いで聴いていられるのは一種の退廃、あるいは衰退の証しなのかも知れない、なんてある種落ち着かない気持ちがよぎる一瞬もあるのも事実だ。
 気持ちよく聴けてしまうから逆に、なんか後ろめたい気がするってのも性格暗過ぎる話なんだろうけどねえ。

 でも、いかにも人の良いオジサン然としたリレイターだって、若い頃はもっと尖がった性格だったかも知れないし、カリブ海の黒人たちの中には、「白人の演奏するカリプソなんて」と内心、忸怩たる思いの者もいないとも限らない。
 まあワールドミュージックというもの、いつも文化や人種の垣根の向こうを覗き見ているみたいなものだから、この問題はいつもついて来るんでね。考えたってしょうがないと言えばしょうがないものなんだけど。
 それでも今夜も遭いたくて、エンャコラと船を出す、と歌ったのは野坂昭如だったねえ。




雨上がり、タガログの唄

2009-08-13 01:55:09 | アジア

 ”OPM”by Sarah Geronimo

 これを夏バテと言うのでしょうか、このところのクソ暑さが耐えられませんで、なにをする気にもなれない状態であります。ただもうエアコンの前にへたり込むだけの日々が続いているわけで、もうすっかり”廃人”の呼び名がふさわしい私なのです。
 が、せめてここの文章でも書いておかねば、おりから当地を襲った地震で私が被災したかと考える方もおられるやも知れない。実際、もったいなくも私を気遣うメッセージを下さる方もおられた訳で。たとえば部屋の隅に積み上げたアイドル写真集の山に押し潰。あ、この話は洒落にならないのでやめるにしても。とにかく無事をアピールしておかねばと、パソコン起動させた私であります。

 で、先日の例の地震ですが、確かに大きな揺れではあったんですが、私、マヌケな事にそれを地震とは気が付かないまま終わってしまった。
 と言うのも、ちょうどその時刻は台風も当地に接近しておりまして、大変な降雨と雷がわが町を襲っていたんですね。そんな次第で私はその時間、玄関から川と化しつつある道路を見つめ、休みなく鳴り響く落雷を聞きながら、こりゃ大変な事になったものだなあと呆れていたのであります。
 そんな時に最初の揺れがやって来たもので私は、「やあ、これは大変な風台風じゃないか。暴風で家が揺れてるよ」なんて見当違いな事を考えながら玄関の柱に掴まった事を覚えております。 と、次にもっと大きな決定的な揺れが来た。遠くで何か大きなものが倒れるような音もしました。が、それでも私は「ありゃりゃ、どこかにでかい雷が落ちたぞ。明日、雨がやんだら見物に行ってみよう」とか、ますますマヌケな事を呟き、玄関を締め、風呂に入って寝てしまったのでした。

 で、翌日、遅くに目を覚ましてニュースを見てはじめて、それが地震であった事を知ったと言うわけで。とぼけた話ですがねえ、私の家にも周囲にも別に何の被害もなく、誰も地震なんか話題にもせず、盆休みの観光客相手に銭もうけに邁進している。高速道路の崩落のテレビニュースなんかをどこか遠くであった事件のような顔して横目で見ながら。
 まあ、そんなもんなんですわ、現地の状況としては。

 と言うわけで最近、なんとなくいい加減な気持ちで聴き始めているタガログ語ポップス、なおかつバラードものであります。歌うは、有望新人のサラ・ジェロニモ嬢。
 何がいい加減かって。まず、この音楽が現地フィリピンでどのような存在であるのか、当方、さっぱり分かっていない。
 なんでタガログ語でなければならないかと言えば、もともとがアメリカのポップス等と表面上はあんまり変わらないサウンドであるフィリピンのポップスであり、これで英語で歌われるとアメリカのポップスを聴いていればいいのであって、わざわざ面倒くさい思いをしてフィリピンの盤を求める理由がなくなる。

 それならタガログ語で歌われていても音楽性という意味ではやっぱり同じ事ではないか?と問われると、これがまた、どう答えて良いのか分らなくなる。確かにその通り。いやいや。言葉が違えば音楽は相当変わりますよ。その”違い”を要領よく説明する言葉を私は現在、まだ持ちえていないんだが。まあ、あと20年ほど待って欲しい。
 それにしてもタガログ語で歌われる盤、というのは現地フィリピンの人々にどのような意味を持っているのですかね?フィリピンの大統領の演説、なんてのは普通、英語で行なわれますよね。ああいうことが行なわれる国ってのはおおかた、国がいくつかの部族語圏に分かれていて、そのどれを”標準語”に採用しても別勢力から苦情が出る。だからとりあえず”旧宗主国”の言語をもって共通語にしとこうって事情があるわけでしょ?

 で、音楽の場合も部族の垣根を超えてCDをたくさん買ってもらうには英語で歌っておこう、と。海外市場も計算に入っているのかな。そこへ行くとタガログ語で歌われている場合は、よりドメスティックな、もうタガログ語の分る人だけ聴いてくれればいいや、民族の懐の奥深くで商売しちゃおう、とかそういう覚悟の元に製作された盤と、まあ私は考えているんですがね。その辺に匂うものを感じて、追いかけているのです。

 で、この盤。微妙に彩色は施されているんだけど、ほぼ白黒のジャケ写真が、内容と良い具合に響きあっている気がします。盤を廻せば抑制が効いた洗練されたサウンド、繊細なメロディ・ラインが湧き上がる。歳に似合わぬ歌唱力で美しいバラードを歌い上げるサラ嬢の姿がシンと静まり返った空間の中に浮かび上がる。
 その、ある種ストイックな感触は、遠くの夜空に浮かび上がる音の聞こえない花火みたいな楚々とした美を演出しています。まあ、サラ嬢の素顔が、私がここで予想しているような深窓の令嬢かどうかは怪しいものですが、そのような演出が一応成功していると。

 日本人だったら過剰とも感じるであろう、濃厚な感情移入のほどこされた歌唱も、そこはかとなく静的なモノクロームな手触りのストリングス・アレンジの底にスッと吸い込まれて消えて行き、濃い後味は残さない。
 あとに残るのは、独特の、これはブラジル人だったらサウダージとか言いそうな、すっと以前に喪われ、遠くに行ってしまったものへの感傷。のように響く想い。
 これは私がインドネシアや、このフィリピンのバラードものを聴く際に気になっている、かってヨーロッパ人がアジアの大衆唄の中に置き忘れていった情熱の残り火の気配なんかとも通ずるものなんですが。

 などと、訳の分からない事を言いながら退場。暑いっスね、それにしても。




ニライカナイ・レイジーブルース

2009-08-11 04:10:24 | 沖縄の音楽


 ”桃源楽”by 吉育

 ハーモニカ、と言うよりはこのアルバムに関しては、その演奏スタイルからブルースハープと呼ぶべきなんだろうけど・・・
 これはブルース系のハーモニカ演奏による沖縄名曲集。妙な事を思いついたもので、なかなか不思議な切り口から沖縄音楽の楽しみを広げている。2007年作。
 プレイヤーは京都で活躍中のブルースマンとのこと。そもそも沖縄の音階なんか吹けない筈の構造の楽器を見事に操り、とても素直な手触りで、かの地のメロディを紡いでくれている。

 というか、私は無謀にも確信持って言うけど、これ、ふと”PW哀りなむん”をハーモニカで吹いてみたら結構決まっていたんで、そこからアイディアが膨らんでアルバムが出来てしまった、なんてことはないかなあ?
 いやなに、あの第2次大戦直後、アメリカ軍の捕虜になった沖縄島民の悲哀を描いた曲のメロディをはじめて聴いた時、「あれれ、これは沖縄音楽であると同時にブルースでもある、みたいなメロディだなあ」なんて感じたことがあるものだから。

 その”PW・・・”はチューバなども入ったオールドジャズ風というかボードヴィル調のアレンジで、コミカルな中にも悲哀が滲む感じの演奏を聴かせるが、その他の曲も多彩なアレンジがほどこされている。
 チンドンっぽいバックが付いたりシロホンやウクレレが鳴り響いたり、おもちゃの国の行進曲風になったりアイリッシュ・トラッドっぽくなったりと変幻自在に、この世のどこかにありそうでいてありえない楽園のファンタジィを描いてみせている。夏の暑さに倦んだ体と心にとても気持ちの良い出来上がり。そして時に聴く者の心を、気ままな旅への欲求で一杯にしたりもする。

 もっとも私の好みで言えば、もっとシンプルな音も良かった。たとえば三線、あるいは生ギター一本だけをバックにのんびりと聴かせてくれたら、なんて考える。ふらりと沖縄に立ち寄った旅人が気が向くままに、その地で出会ったメロディをポケットに忍ばせてきたハーモニカで吹いてみた、なんて図が出来上がるんじゃないか。その時、スカスカの音の隙間から吹いてくる風の感触はちょっとしたものじゃないか、なんて思うんだが。

 第2集の計画があるなら、その方向で検討してみて欲しい。まあ、あんまりありそうな気もしないのだが。そこをなんとか。

 試聴も貼りたかったんだけど、さすがにネットのどこを探しても音がなかった。

あの日、コンゴのディスコでは

2009-08-10 01:35:51 | アフリカ
 ”THE WORLD IS SHAKING”
 (Cubanismo From The Congo,1954-55)

 独立前の”両コンゴ”における都市型大衆音楽の記録という事で。つまりは、コンゴが独自のルンバ世界を確立してブラック・アフリカを席巻、”アフリカン・ポップスの総本山”とまで言われる以前、まだアフリカに里帰りをしたアフロ・キューバン音楽のコピーなどにコンゴの人々が夢中になんっていた頃の記録なのだろう。
 リンガラ・ポップスの夜明け前、神話時代のレコーディング。こういうのってワクワクしてしまうよなあ。失われた歴史のページを開けるって感じかな。

 当時のコンゴの社交界、いやいや盛り場の雰囲気を伝える中ジャケの写真群が興味深い。これもズート・スーツの流れを汲むものといってしまっていいのか、独特の幅のパンツを履いた伊達男どもと、アフリカの伝統衣装で着飾った女たちが踊りを楽しむダンスホールが泣ける。
 ステージの上のバンドの足元に置かれた優雅なほど古臭いスピーカーが嬉しい。当時は、「そんなものはジャンゴ・ラインハルトしか弾きたがらないだろう」と突っ込みたくなるようなF穴のギターが愛用されていたようだ。バンドのメンバーには革靴を履いている者も、サンダル履きもいる。

 そして聴こえ来るは、物悲しくも懐かしい、アフリカ式キューバン音楽の鄙びた響き・・・・と言ってしまうのは簡単だが、なんか聴いているうちに「今も昔も変わらないんじゃないのか」なんて気がしてきてしまったのだった。
 だって、このギター群の響き。こいつはそのまま今のキンシャサに直結するものとして聴こえるんだもの。この”ギター・愛好会”ぶりが、さあ。「ほら、あのフレーズが出たじゃないか、あ、これは」と、入り込んで聴いているとそんなに昔の音楽を聴いている気分でもなくなってくるのだった。

 さすがに途中でブレイクしてリズムが変わりダンス・パートに突入、なんて事にはならないし、パーカッションの大々的な参加もなく、カチカチとクラーベを打つのんびりとした拍子木の音が響くのみではあるのだが。それでもともかく複数のギターが技巧を凝らして絡み合いつつバンドをガシガシと引っ張って行くのだ、リンガラ・ポップスに向って。

 親指ピアノが前面に出た曲もカッコいいし、あちこちで濃厚に漂うアフリカ臭(あって当たり前なんだが)には、やっぱりドキドキさせられる。
 この頃からすでにコンゴは一歩前に出ていたと思わせる前のめりの創造性が刺激的だ。カッコ良いっス。
 
 (さすがに試聴は、You-tubeにはありませんでした)



大島豊さん、公開質問です

2009-08-09 02:45:42 | 時事


 拝啓・大島豊様
 2002年暮れに行いました最初の質問以来、再々質問差し上げましたが回答がいただけないままなので、改めて公開質問させていただきます。

 ラテン音楽誌、「ラティーナ」の2002年11月号における、「アルタン」のメンバーへのインタビューを読ませていただきました。その際の大島さんの発言の一部に納得できないものを感じました。広島への原爆投下を「我々にとっての9・11なのです」などと”説明”しておられる部分です。我々日本人の被爆体験を、そこまで矮小化して語ってしまって良いものか。
 「ある意味で」なる注釈は付いていたものの、その理不尽さへのフォローにはとてもなっていないと感じました。さっそく、それに関する疑問文を、ラティーナ誌の読者投稿スペースである”オピニオン”のページに送りました。そして後日発売された12月号。同ページにそれに対する回答とおぼしきものが掲載されましたが、編集部の不手際が原因であるとの、なんとも因果関係の釈然としない内容でした。そこで、まことにぶしつけなお願いで恐縮ですが、大島さんご自身から、この件に関する説明をいただけたらと思い、ここに公開質問させていただく次第です。よろしくお願いいたします。

 皆さまへ・下が、ラティーナ誌に送付したメールの全文です。文中、”インタビュアーのかた”とあるのは、大島氏を指します。念の為。

    #       #       #

 ラティーナ11月号の、「アルタンまつり2002とマレード・ニ・ウィニー・インタビュー」においてインタビュアーのかたが、広島への原爆投下を「8月6日はある意味でわれわれにとっての9・11なのです」などと表現しておられるのには唖然としました。
 「世界のあちこちにおいて”テロ”を繰り返してきた”テロ国家”であるアメリカが、もう一つのテロ勢力によって攻撃を受けた」すべての民族、国家を公平に考えればそのようにしか要約できない、あの”9・11”の事件と、人類史上初めて行われた、同じ人類に対する核爆弾の投下という重すぎる出来事が、果たしてイコールで結べるものなのでしょうか。(「ある意味で」の一言は、それに対する補足には、まったくなっていないでしょう)
 インタビュアーの方の、あまりにも欧米に対して隷属的過ぎる価値観には、唖然とするよりありません。まるで、「崇高な欧米の皆さんの世界の出来事に比べたら、卑しい我々の世界に起こった事など、持ち出すことさえはばかられる小さな出来事なのですが」とでも言わんばかり。
 平和記念館を訪れ、広島への原爆投下について学ぶべきは、アルタンのメンバーよりもまず、あのインタビュアーのかたではないでしょうか。

マンダレィ行きの駅馬車は

2009-08-07 03:44:58 | アジア


 ”Mandalay Yauk Shan Ta Yauk”by poe Ei San

 資料がみつからないんで良く分からないんだが、我らがミャンマー・ポップスのアイドル、ポーイーセンが昨年に出したらしい、まあ新作と言っていいでしょ、アルバムであります。どうやら今回はカントリー・ミュージックの特集のようです。

 冒頭、こちらのマシンがぶっ壊れたのかと思いました。なにやら面妖なサウンドが飛び出してきたんで。いやまあ、ミャンマーの音楽は多くの場合、異郷に暮らす我々には面妖ですが、今回はそういう意味ではなく、なんだかひどくモコモコとした音像だったんでね。
 その、こもったような音の壁の中にスチールギターもホーンスもピアノもドラムも一緒くたに、団子状になってしまっている。その中で一人自由に跳ね回る、アメリカ西海岸風(!)の、明るい音色のギター。
 なんだ、こりゃ?ミャンマー風のフィル・スペクター・サウンドへのオマージュですかね?・・・まさかね。

 でも、その狭間から飛び出してきた歌声は、いつもと変わらぬ愛嬌のあるポーイーセンの明るい歌声。訳の分からんままに聴いてきたミャンマーの天然プログレポップスだけど、彼女に関してはもうオッケー、ポーイーセンに外れなし、でいいんじゃないでしょうかね。
 このアルバムにおいては、いつものミャンマー・ポップスの迷宮構造はありません。分り易いポップス調で、ミャンマー風のカントリー・ソング集を楽しげに歌うポーイーセンがそこにいるだけ。好きなんですかね、ミャンマーの人たちはカントリーっぽいポップスが。

 でも、気まぐれな長雨に翻弄されたかと思えば不意に居座る酷暑と、なにやらうっとうしい今年の日本の夏に飽いた我々には、この、何にもややこしい事をやっていないアルバムは、なんだか爽やかな風を一陣、送ってくれるんですね。ともかく私は、なんの予備知識もないまま聴いて、ひととき癒されましたもん。肩凝りが軽くなりましたもん。

 中盤に収められたディズニー映画のナンバー、”ハイホー”をうまく味付けに使ったアップテンポのナンバーなんか、オシャレなものです。
 ポーイーセンはカントリーっぽいコブシも上手く使って快調に歌いこなして行くけど、これ、お馴染みのミャンマー歌謡独特の節回しにも通じるように聞こえてくるのが面白いところ。この辺で、カントリーがミャンマーの人たち好まれているのかな?

 それから、このような西洋音楽の音階のシンプルなメロディが続くと、ポーイーセンとアグネス・チャンとの歌声がかなり似ているのに気がつき、これには苦笑い。そうか、ポーイーセンの歌声からアクを除くとアグネス・チャンになるのか。
 これはちょっと・・・昨今の”社会運動家”としてのアグネスの動きには腹に据えかねているところがあるんで、あんまり楽しい発見じゃないけどね。まあ、アイドルやっていた頃のアグネスだけ思い出しておくことにしましょ。

 さて今回も試聴は見つけられませんでした。You-tubeにポーイーセンの歌はたくさんあるのですが、何しろミャンマー語の読めない悲しさ、どれがこのアルバム収録曲か分らず。という事で、ご勘弁を。

ラオスから来た男

2009-08-06 01:24:30 | アジア


 ”カナ・シンラピン”by ボー・ペン・ヤンドーク

 というわけで、この間のダーオ・バンドーンに続きましてタイの怪人盤・その2であります。何もこんなにクソ暑い時期に、こんなくそ暑い音を聴かなくても良さそうな気がしますが、まあ、ヤケクソ気分のマゾヒスチック・ハリケーンですがな。

 なんでも今回のこのヤンドークなるオッサンはラオスの出身で、70年代、タイに暴れこんで、かの国のディープなシーンで活躍、これはその時代のヒット集だそうです。
 タイの民謡の宝庫といわれる東北のイサーン地域、さらにその東北に位置するラオス国といえば、それは根の国のそのまた根、みたいなポジションであります。
 ヤンドークのおっさんは、どのような事情でタイに繰り出して来たのか知りませんが、おそらく貧しいタイ東北部から大都会バンコックに出稼ぎにやって来たイナカモノの青少年諸君相手に、彼らの「故郷恋しや」なんて心情に訴えかける田舎臭い音楽をゴリゴリに演じ、小銭を稼いでいたんじゃないでしょうか。

 ヤンドークの演じる音楽の実態は、もう民俗音楽といっていいような素朴なものなんだけど、その音楽魂のど真ん中には、すれっからしの都会人相手でも平気で渡り合える根性の座りっぷりがある。なんというか、田舎者の無神経に都会人の凶悪が加味されちゃった、みたいな感じでしょうか。素朴な民俗調の調べにファンクと呼んで良いような重たいリズムが打ち込まれ、ぶっといロバの嘶きみたいなヤンドークのボーカルが吠えまくる。

 我々日本人に一番気になるのはやはり、中盤に置かれている”恋の季節”のカヴァーでしょう。そうです、30年前にはやったピンキーとキラーズのあれを、なぜか彼ら風に演奏しているわけです。
 ヤンドークによるオッサン声編と、バンドのメンバーによる女性ボーカル編、そしてタイ語によるものと、3ヴァージョンも収められている年の入りよう。こうして、よく知っている曲がかの地のミュージシャンの解釈により様々に変形して行くのを楽しめるのは、ワールドミュージック・ファンの秘密の楽しみの一つでしょうな。

 で、聴いていてちょっと感心したのが、おそらく意味なんて分っていないであろう日本語の歌詞が結構正確に発音されているところ。意外に神経の細かい奴なのかも知れない、とか想像してみる次第。
 ともあれ、音の底に蠢くパワフルな生命力を、夏バテ気味の身としてはせめて見習いたいところでありました。暑いっスね、しかし。
 あ、試聴は今回も見つかりませんでした。聴かせたいものに限って、こんなものですね。

ノッポーンの輝く夜に

2009-08-04 03:29:21 | アジア


 ”Ber Toe Ber Hong Mai Tong Mar Khor”by Orn Orradee

 毎度言っておりますが、いかにワールドミュージック野郎と言えども、常にすべての地域の音楽の大ファンでいるわけにはいかない。一日が24時間しかない以上、そんなに音楽を聴ききれないし、そもそも資金が続かないよ。
 というわけで、なんとなく聴きそびれてしまう音楽というのは出てくるのであって。たとえば私にとってタイの音楽などもそれの一つであった。面白そうなんで気にはなっていたけど、聴く余裕がないんで見て見ぬふりをして来たのであった。

 が、ネットで知り合った人たちのブログの記述など読むにつけても気になるところはあり、ついに我慢できずに、かの国の演歌たるルークトゥンなどから聴き始めてしまった昨今である。CDを買う費用をどう捻出しているのか、私自身も分らない。

 遅まきながら、という具合に聴き進んでみると、どうもノッポーンなる現地のレーベルの音が心地良く感じられると気が付いた。もっとも、このレーベルに対するタイ音楽愛好家諸氏の評判といえば、保守的で型にはまったド演歌専門レーベル、と言ったところで、あまりよろしいとはいえないようだ。
 が、私が快感と感じているのはまさにその部分、ノッポーンの下世話でベタな、余計な小細工などやらない大衆路線の音作りなのである。まあ、この先聴き続けて行けば私にも別の感想が出てくるのかも知れないが、今のところは。

 音ばかりでなく、そのジャケ写真など、繁華街のネオンの輝きを連想させるような、いかにも派手でどぎつい色使いで、タイ語の読めない当方でも一目見れば「あ、ノッポーンだ」と分る辺り、なかなか楽しいし、そもそも便利だ。
 そのノッポーン・レーベルの若手の大看板の一人が、以前ここでも取り上げたメンポー・チョンティチャーのようなのだが、彼女と双璧をなすといったら良いのか、もしかしたらライバル関係であるのかも知れないのが、このオーン・オラディ嬢である。

 この盤の冒頭の曲、最初の一節が流れ出した時、私は、「おお、これはタイの蔡秋鳳じゃないか」とぶっ飛んだものだった。あんな台湾演歌の大物を比較の対象に引っ張り出したらオラディ嬢自身が迷惑するだろうが、いや、そのくらいの大衆音楽の歌い手としての品格を彼女の歌に感じ取ってしまったんだから仕方がない。

 その、コブシともビブラートとでも、あるいはヨーデルと呼ぶ事さえ可能だろうが、声をレロレロと翻しつつメロディを織りなして行く歌唱法は、民謡調とか演歌調とか言う以前に、彼女特有の表現として、すでに完成されつつあると言えよう。
 クラシックなどの歌唱法を唯一正しいとする人たちにすれば、実に愚劣で悪趣味な発声法なんだろうが、お生憎様、大衆音楽の真実ってのは、あなたがたの理解の及ばぬこの辺りに存在しているものなんだ。

 またその下品なる歌唱を、あくまでも気品のある姿勢を崩さずに披露するオラディ嬢の芸風が良いですな。私が蔡秋鳳を引き合いに出したくなったのはつまり、この辺りで。蔡秋鳳にも、そんなところがあります。下劣な庶民の娯楽との烙印を押された大衆歌謡を彼女は、女王の威厳を持って歌い上げる。下品なる歌唱法はそのままに。
 路地裏の庶民の快感原則が、ここで聖女たる歌い手により昇華され、片々たる人々の喜怒哀楽を掬い上げて、下町の空にキラキラと輝くのでございます。いいなあ、オーン・オラディ。