ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

ウズベキスタン憧憬

2009-08-27 02:50:42 | アジア

 ”Armon Yig'lar”by Hulkar Abdullaeva

 ウズベキスタンといえば、少年時代の憧れの場所であったのだった。きっかけは、当時の大愛読書であった光瀬龍のSF小説「たそがれに還る」の中に描かれていた、タクラマカン砂漠灌漑事業の場面にあった。そこで働く、日本人のようなモンゴル人のような名前を持つ男たちの孤独な肖像と、風吹きすさぶ地の果ての砂漠の描写に心奪われた。それから中央アジアの歴史を機会あるごとに触れるようになっていった。

 中央アジアのそのまたど真ん中にあって、古くから歴史の局面の大舞台となって来た場所。さまざまな民族が、エキゾティックな砂漠の自然を背景に興隆と衰亡を繰り返した、そのカラフルな歴史のロマンに心奪われた。
 時は流れ。つい最近、そんな少年時代の夢想の地の大衆音楽に、やっと触れる機会を得た。これはその内の一枚。

 その音楽世界は、歴然とイスラム文化の影響下にあるのだけれど、西アジアの国々のように濃密な文化の宮殿に腰落ち着けているわけではなく、広大な中央アジアの草原に向けて開かれている。その感性は、茫漠たる砂漠を渡る風の中で噛み締める旅人たちの孤独の響きがする。
 妖しげなハチロクっぽい打ち込みリズムと、中央アジア系民俗楽器群によるアラブ風装飾音も煌びやかな、織物のようなサウンド。それに乗って素朴な民謡調のメロディが歌い上げられて行く。

 可憐で素朴な乙女の歌声と濃密な官能を秘めた歌声とが、曲調によってさまざまに揺れ動くHulkar Abdullaeva嬢の歌声は、そのままウズベクの土地を流れ去っていった多様な文化の傷痕でもあるようだ。その彼女の面差しにも華麗な衣装にも、かってウズベクの地に生を印した人々の面影が息付いている。
 旅愁は遥か、カスピ海から黒海までも飛んで行く。あちらがトルコ、こちらがイラン、モンゴルがありロシアがあり、空行く雲があり、溢れる音楽がある。