ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

カリビアン・ギター

2006-04-12 23:11:16 | 北アメリカ


 ”Caribbean Guitar”by Chet Atkins

 カントリー・ギターの帝王とでも言う肩書きでいいのか。あるいは若年層にはギャロッピング・ギターの開祖とでも紹介すればいいのか。ギターの名手として知られた、故・チェット・アトキンス、1961年度の作品である。

 バナナボート・ソング、イエローバード等々、当時の彼には珍しくラテン・ルーツの曲も多く収められ、チェット作品の中ではもっともワールドミュージックに視点が定められた作品といえるだろう。ラテンのリズムが頻出し、またジャケも、波間に浮かぶ何艘もの小船の上で、南国の産物の荷揚げを行なう黒人労務者たちの姿である。

 流れ出す豊饒で流麗なチェットの、グレッチのギター・サウンドが描き出す、暖かい日差しに照らされた世界の懐かしさに、なんだか胸が一杯になる。そうなんだよ、私が子供の頃、世界ってこんな手触りだったんだ。

 61年、まだ世界は明るい明日を信じていた。冷戦の陰は差し、ベトナムで戦火もすでに上がっていたが、チェットの国アメリカは、まだまだ繁栄を謳歌しており、その豊かさに保障された場所で、チェットの夢想は甘美な驚きに満ちた国境の南遥かを彷徨うのだった。
 海を挟んで遠く離れた島国に住む我々日本人も、おこぼれ頂戴のアメリカの夢の中にいた。先にも述べたように、その夢はすでにあちこちで綻びを見せていたのだが。

 私的に、たまらなく空想を刺激させられるのが、”モンテゴ湾”なる一曲である。
 幼少時に、どこかで聴いた憶えのある言葉であり、メロディである。が、それがどのようなものであったか、まるで記憶はよみがえらない。
 メキシコを想起させる、また、いかにも映画音楽っぽい曲想であり、おそらくはそのあたりを舞台とするウエスタン映画の主題歌か何かであったのではないか。そして私は子供の頃、その映画を見てなんらかの感銘を受けたのではないか。

 ネットお得意の検索をかければすぐに分かると言われる向きもあろうが、これは、そのような方法で取り戻したいタイプの記憶ではないのだ。

 おそらくこんなものではなかったかとおぼろげながらに空想するモンテゴ湾の姿。そこで繰り広げられたのであろう、一幕のドラマ。懐かしい、だが顔も思い出せず、名も知らぬ俳優たち、女優たち。記憶の向こうで失われたまま。

 このアルバムには、世界がさまざまな悲惨で満ち溢れている事など、まるで思いもかけなかった子供の頃、私が夢想した世界の姿がある。明るい日差しに満ちて、自然の豊かな恵みに人々は皆、幸せに満ちて。

 先に述べたこのアルバムのジャケだが、小船の上で黒人の労務者たちが運んでいるのは、よく見ると南国の珍奇な果実などではなく、産業廃棄物のようにも見える。そのようにも、見える。
 別にデザイナーの仕掛けたアイロニーなどではないだろう。ただ、彼の仕事が雑だっただけ。そして、そのようなルーズささえ暢気に生き延びる事の可能だった時代。過ぎてしまった時代。すべては元に還らない。




書評・「演歌に生きた男たち」

2006-04-12 04:12:50 | その他の評論


 演歌に生きた男たち 今西英造・著(中公文庫)
 
 著者は演歌の源を、明治末期に辻々に立ってバイオリンを鳴らし、蛮声を張り上げていた「演歌師」たちの歌声に置き、そこから視点をずらすことなく、この、ひたすら滅びに向かって転げ落ちていった音楽の運命を語る。

 ここでは、一般の歌謡史ならかなりのページを割いて論じられるであろう大作曲家古賀政雄も、明治~大正演歌に対するカウンター・カルチャーとして台頭してきた「若手」の一人でしかない。

 物語の中央に置かれるのは、あくまでも街角で生まれ、庶民の暮らしの中をつかの間流れ、そして忘れられていった片々たるメロディーの数々である。

 そこに浮かび上がるのは、常に時代の変化におびえ、メソメソと泣き言を並べ、目先の快楽を追い求める、なんとも救われぬ「大衆」の姿。

 が、それら砂の如き大衆に寄り添い、何の役にも立たない感傷の涙を流し続けた、この「低俗なる音楽」の滅亡記に訪れるいくたびかの聖なる瞬間には、確実に胸を突かれるのだ。


イタリア・ミーア!

2006-04-11 02:59:20 | ヨーロッパ

 ”Italia Mia”by Mantovani

 いまどき流行らないイージーリスニング・ミュージックの話で恐縮ですが、60年代の人気楽団、”マントバーニ”のアルバム、”イタリア・ミーア”がただいまの愛聴盤であります。

 これは、楽団リーダーのマントバーニが故郷のイタリアに思いを込めて製作したなかなかに切ない盤で、自作のイタリア賛歌をはじめとして、おなじみのイタリア民謡やオペラの曲を、マントバーニ流の流れるような弦の響きで聞かせてくれます。

  帰れソレントへ、サンタルチア、オー・ソレミオ、そして例の”イナバウアーの音楽”として名高い(笑)ことになってしまった、「誰も寝てはならぬ」などなど、ほとんどベタと入っていい選曲を、地中海の陽光こぼれんばかりの甘美なアレンジで惜しげもなく披露してくれる。
 これをこの季節、カーステレオで流しながら、わが町の周囲を巡る山道を走ると、これは気持ちがよいのですねえ。

 さすがに桜はもう葉桜となってしまっているのですが、山道を行くと、まだまださまざまな春の木々が花々が迎えてくれます。
 そんな春の草木の向こう、眼下に広がるのは日に照らされてノターッと昼寝する海の姿。マントバーニの弦の音と車窓から差し入る午後の日差しはいい塩梅のブレンドで車内を春色に満たしてくれるのでありました。

 おう、MDが一周してしまった。一曲目の”カタリ・カタリ”から、もう一度。こちらも山道をもう一巡りだ。


 Italia Mia (1963)

1.Catari, Catari
2.Theme From Capriccio Italien
3.Italia mia
4.Vissi d'Arte From Tosca
5.Mattinata
6.Variations on Carnival of Venice
7.I Bersaglieri
8.Come Back to Sorrento
9.Return to Me
10.Nessun Dorma
11.Italian Fantasia Medley: Tarantella/O Sole Mio/A Frangesa/Santa Lucia/




シンガポール、”昭和”の一夜

2006-04-10 02:46:12 | アジア

 なにしろいきなりアタマからむせび泣くテナーサキソフォンである。妖しくビブラフォンが夜を転がり、ズージャの乗りの夜の歌謡曲がけだるくはじまる。漂う、昭和30年代の”夜”の感触。

 こうなってくると、この店は当然、藤村有弘演ずる怪中国人の博打打ち、「上海、香港、マカオと渡ってきた」陳がマネージャーを務めるキャバレーであり、用心棒には宍戸錠演ずるところの”エースのジョー”がいなければならず、フラリと入ってくるのは当然、”ギターを持った渡り鳥”小林旭でなくてはならぬ。いずれ、白木マリのダンスのショーも始まるであろう。

 ならばここで歌を歌うのはフランク永井あたりか?と思われるのだが、実はシンガポールのベテラン女性歌手、”Sanisah huri”のアルバム、”Siri Murah”の話をしたいのであった。

 この”Siri Murah”は、マレーシアの歴史的レコーディングを紹介するシリーズらしいのだが、そう、このCDに含まれる曲がリリースされた頃、シンガポールは東南アジアに独特のポジションを有する一国ではなく、まだマレーシア連邦を構成する一地域であったのだ。
 ここに収められた音源は、60年代末から70年代初めにかけて、シンガポールの街で民衆の愛した音楽の最先鋭と思われるものであり、当然、興味深い。

 冒頭の、まるで日本の昭和30年代を思わせるような夜の都会のムード歌謡タッチの”Gelisah”にはともかく一発やられてしまったし、3曲目などは、イントロが完全にいしだあゆみの”ブルーライト横浜”である。その聞きなれたメロディに乗って始まるのは、まるで別の曲なのであるが。

 その他、これも日本のポップスからの影響なのか、それともシンガポール独自の事情でその域に至ったのか、グループサウンズ調のマイナー・キーでエイト・ビート、エレキギター主導のリズム歌謡あり、の昭和フリークぶりである。いやもちろん、そんな風にこちら日本人リスナーには聞こえてしまうということであるが。

 それでも聞き進むにつれ、各曲の裏側に濃厚に漂い出すのは、やはりマレー歌謡の伝統的な響きである。気がつくといつの間にか、一夜の興奮を求めて熱帯アジアのジットリと蒸し暑い空気の中をさすらうシンガポールの”遊び人”の胸のときめき、そんなものをこちらも共有している。それが楽しい盤なのである。

 そう、フランク永井であったらこう歌っているところだろう、”今夜も刺激が欲しくって メトロを降りて 階段のぼりゃ♪”と。まあ、当時のシンガポールの西銀座駅前、一番お洒落な目抜き通りといったら、どの辺になるのか想像も付かないのだが。
 



夜明けに糞バンドを見た

2006-04-08 02:44:41 | アジア

 意味ない時間に起きていると、意味ないものを見てしまうって事でしょうかね。

 ほぼ、夜昼逆転した時間を生きている私でありますが、午前2時とか3時とかになりますと、テレビで天気予報のついでに、あんまり売れてない歌手やらバンドやらのプロモーション・ビデオを流す番組なんかが、まるで時間稼ぎみたいに流されるのを見ます。
 そんなことでもなければ聞けない音楽といいますか、たまに”ダブル・ユー(元モーニング娘)のものなんかが流れると、場違いなほどメジャーなものを見ちゃった気がしたりする。そんな場で私は昨日、それを見ちゃったのであります。

 それは、明らかにアイルランドのポーグス・・・ってのがありましたね、かの国のトラッドを、パンクの手法で料理して見せたバンド?あれの日本製の物まねバンドでありました。

 アコーディオンやらティン・ホイッスルがケルト風味を醸し出し、ボーカリストがだみ声で怒鳴り倒す、と。そのまんまいただき、みたいなバンドですわね。ボーカリストのいかにもな嗄れ声やら、妙にそつのない音を出す楽器組のその手馴れようが、連中がそんな自分たちに何の反省も持っていないことをあからさまにしておりました。
 ともかく、あまりにも物真似だけの連中なんで、見ているこっちが恥ずかしくなってしまった次第。

 ご本家のポーグスには、自国の伝統音楽をネタにパンクな、ニューウェーブなサウンドを奏でる、それなりの理由ってものがあるわけだけれども、今回の彼らには何がある?そんな音を出す根拠、どこにあるってぇの?ただ、小器用に物真似して見せてるだけでしょ?ひねりも何にもありません。アマチュアならそんなものでも”あり”なんだろうけど、CDデビューまでしておいてそれはないでしょ。

 でも、おそらくはそんな自分たちを「いいとこ狙ってる、通好みな俺たち!」とか自己評価してるんでしょうねえ、彼ら。演奏場面の彼らには、そんなプライド高そうな気配が濃厚に漂う。私なんかには胡散臭いだけなんですがねえ。
 こうなってくると、まともに海外のロックの音もコピー出来なかった60年代のグループサウンズが、いっそ、爽やかにさえ思い出されてくるのでありました。

 で、その連中、どんな曲をやっていたかというと、「桜吹雪の中を君は去って行く」なんて、今ウケ歌謡界で定番の、もうどこの犬も猫も歌うような”桜ネタ”の歌詞なんか歌うんですな、これが。
 カッコつけてる分、恥ずかしくならないのかね?ならないんだろうね、きっと。だから、そのへんの感性に問題が。まあ、今日の日本のロック界なんてこんなものって事なんだろうけど。ああ、情けないものを見ちゃったなあ。





粋なマドロスの航跡を追って

2006-04-07 03:59:25 | その他の日本の音楽


 いかにも昔風のドでかいマイクに向かい、船員帽を斜めにかぶり、豪快な笑顔を見せている、そんな岡晴夫のイメージはもちろん、どこかで見たステージ写真からの後付けの記憶であり、彼のそんな颯爽たる舞台姿など私はリアルタイムで見てはいない。あるいは、彼のヒット曲、「東京の花売り娘」が子供の頃の街角に流れていた風景を思い起こす事も可能なのだが、それもまた、その歌を挿入歌とした戦後すぐを舞台とした映画などが記憶に残っているだけである可能性が強い。

 岡晴夫は戦前戦後をまたいで活躍した人気歌手である。戦前は、大日本帝国の中国大陸侵略の尻馬に乗ったかのような(?)「上海の花売り娘」「南京の花売り娘」「広東の花売り娘」などといった”中国の花売り娘シリーズ”でエキゾティックな異郷への憧れを誘い、また、日本の信託統治領だった南太平洋の島々に日本の潜水夫が真珠取りに出かけていた当時の様子をしのばせる「パラオ恋しや」など、世界に雄飛するテーマを掲げた歌謡曲を歌って好評を博した。また、船員帽のステージ写真が表す如く「マドロスもの」も得意とし、船乗りをテーマの、ある種”股旅物”の変種としての”粋な旅愁”を幾たびも歌い上げている。

 リアルタイムでは相当に格好いい存在だったのだろう。時代の最先端のテーマである”大陸への雄飛”が、異国でのロマンスという、親しみやすい姿に擬せられて提示され、また、片々たる日常に縛り付けられて日を送る庶民には願えども叶わぬ気ままなマドロス暮らしを、粋にかぶった船員帽で豪快に歌い上げるのだから。

 そのような歌手であるなら戦前で使命を終え、戦後はナツメロ歌手として後ろ向きの営業をしているのが通例のようだが、彼の場合、戦後に至っても「憧れのハワイ航路」という大ヒットを飛ばしているのが不思議にも思える。まあ、彼の歌手としてのキャリアのど真ん中を第二次大戦が勝手に横断して行ったと見るべきか。歌のテーマも、戦争を挟めども、まるで変っていない。”雄飛すべき海外”が、戦前は中国であったものが、戦後はハワイ、つまりはアメリカに変っているだけである。
 この辺りにも徹底して庶民の願望に忠実な歌謡曲歌手の面目躍如、と皮肉なしで思う。戦さに破れ、異境への憧れは大陸ではなく、”東京の花売り娘”と、自国の都市に仮託するしかなくなってしまったが。それでも何ものかへの憧れを抱いて生きて行くしか仕方のない、しがない庶民たる我々ではないか。

 ”動く岡晴夫”をはっきり記憶しているのは、いわゆる”懐かしのメロディ”を特集した番組に出演した際の、とっくに盛りを過ぎた姿である。もう、完全に老人であった岡晴夫には、かっての粋なマドロスの面影はなく、大きく口を開けて出ない声を振り絞る様子が、痛々しく感ぜられた。歌っていたのは”逢いたかったぜ”なる、地味な演歌である。久しぶりに会った男同士の旧友が場末の飲み屋で思い出話をサカナに飲み交わす、そんな歌詞だ。

 ”今度あの娘に出逢ったならば 無事でいるよと言ってくれ”

 その”あの娘”も、もう”娘”なんて歳ではなく、いやそもそも、生死さえ知れたものではなく、逢うあてそのものがなさそうに聞える。そう、いろいろな事があって、とんでもなく長い時が流れたのだから。



ロックンロールの埋葬

2006-04-05 03:34:59 | 音楽論など

 さっき書店に寄ったら雑誌のコーナーに、”アエラ増刊”なんてムックが置いてあって、”あれはロックな春だった”なんて副題が付されていた。で、特集が”よしだたくろう”だった。

 だからグッバイ・ロックンロール。

 三船敏郎のムスメとそのダンナが、よく夫婦揃ってテレビに出てきますな。で、ガキのおしめを代える話とか退屈な家庭の話をさも自慢げに延々として行く。
 あれって、どういう需要があって話してるんだか知らないが、テレビ局があれだけ頻繁に出演させるんだから、ああいう話が聞きたくて仕方がない人間って言うのもいるんだろう。
 そして番組の終わりには、ダンナの歌うコテコテの演歌フォークを、司会者は「ロックの曲」扱いをするのである。ダンナをロック・ミュージシャンと呼んだりするのである。

 だからグッバイ・ロックンロール。

 テレビといえば昨日、ハウンドドックのリーダーが、ガイジンのギター弾きが山口百恵の持ち歌をヘビメタ風に弾いて見せたりする深夜番組に出て来て、”ショッキング・ブルーのビーナス”をロックのエッセンスとか話していたから。ついでに、ロッド・スチュアートも最高のロックシンガーとかも話していたから。

 だからグッバイ・ロックンロール。

 奴がいつまでも生き恥をさらしているのなら、いっそこの手で埋葬をと願う。
 ブライアン、あの時代にあんたがいっちまったのは、あれで正解だったのかもしれない。あれからこっちはこんな具合でさ。



スコット・ジョプリン

2006-04-03 04:32:03 | 北アメリカ

 (Scott Joplin, 1868-1917)

 スコット・ジョプリンなる作曲家の存在をはじめて知ったのは、普通のロックファンをやっていた高校生の頃だったと記憶している。
 音楽雑誌に、「はじめて作曲家として白人世界に認知された黒人ミュージシャン」として、アルバム紹介がされていた。どのような音楽をやっているのだろうと興味を惹かれたものの、小遣いを工面しつつストーンズやアニマルズのシングル盤を買い集める身としては、そんなアルバムに手を出す余裕はもちろんなかった。
 アルバムのジャケには、クラシックの音楽家、ベートーベンやらモーツアルトやらの作品集に使われるような荘重な”肖像画”調で描かれた黒人の顔があるのが、なんだか異様なものに見えた。

 その後数年経ってから、当時のレトロ・ブームのきっかけとなった映画「スティング」でスコット・ジョプリンの曲、”エンターティナー”はテーマ曲に使われ、さらにその曲は我が国のCMにも流用され、といった具合に、彼の音楽は、あっけないほど易々と日常のものとなるのだが。

 そんな具合にして接する事となったジョプリンの音楽、ジャンル名で言えば”ラグタイム”である。聞いてみると、古典ジャズの兄弟分、といった趣のもので、とはいえ、作られた曲を素直に演奏するのを旨とし、アドリブの妙などを楽しむスペースは設けられていない。
 同時期の黒人ミュージシャン、例えばジャズマンやブルースマンたちと同じように、ヨーロッパ音楽のフォームの中に、恐る恐る黒人らしさを紛れ込ませる、といった意匠の覗える音楽である。行進する兵士たちの隊列を乱さぬようにシンコペートする行進曲。
 そう、子供たちにはもはや、「ディズニーランドでパレードの際に流れている音楽」としての方がおなじみだろう。

 私が聞いた事のあるのはピアノ曲とアンサンブルのために書かれた曲のみだが、例えばキイが”C”の曲だったら”ここぞ!”という泣かせどころにE7のコードへ行く、といった仕掛けの結構見えているものが多い。聞いたことはないのだが、いくつか作っているオペラでは、どのような作風の展開をしているのだろう。それはそれ別の引き出しを持っていたのか?

 いずれにせよ、面白うてやがて哀しき愚かな道化者という、当時白人支配層から黒人が与えられていた役割を忠実にこなしている音楽だ。
 そんな営業用音楽のうちに、当時としての出来る範囲のギリギリで黒人の魂を忍ばせたジョプリンの孤独な戦い、などと思い入れで解釈してしまうのは面白くはあるが事実は見誤るだろう。お金や地位のためにやっていました、というのがむしろ、大衆音楽家としての誠意というものだ。
 
 今、私の目の前にあるジョシュア・リフキンのピアノ・ソロによるジョプリン曲集は、安価盤のCDとして入手したものだが、普通、人がジョプリンの曲に接しようとする際に、最も一般的なものだろう。私が高校生の頃に雑誌で見たのも、この盤に関する記事だったのではあるまいか。
 残念ながら、基本的にクラシック奏者のリフキンの演奏は、やはりキレイ事過ぎてジョプリンの作品の底に脈打つ黒人音楽の醍醐味を楽しむまでは行かない。

 ジョプリン自身の演奏が刻まれたピアノ・ロール紙が残されていて、作曲者の解釈による演奏を楽しむことも可能なのであるが、今、容易に入手して聴くことの出来る状態にはない。それらがCD等にまとめられてリリースされる日を待っている。
 1~2曲、断片的に聴いたそれらの曲の、ジョプリンの血の熱さに直結するような生々しい響きが忘れられない。やはり、本気で聞いたらディズニーランドで流しておける音楽じゃないのだ、本物は。

 ジョプリンは、一世を風靡した彼のラグタイム・ミュージックがすっかり下火になった20世紀の初頭、亡くなっている。失意のままの狂死とも、以前より罹患していた性病が末期に入っていた、とも聞いているが。いずれにせよ、どちらがマシとも言えるものではないから、ここは曖昧のまま彼を送りたい。



恥ずかしいシュビドゥビ

2006-04-01 02:54:25 | 音楽論など

 今、ユーミンこと松任谷由美の”また会える~わ シュビドゥビドゥワ♪”って歌が使われたCMが盛んに放映されていますが、あの歌の、”シュビドゥビドゥワ”の部分を聞くたびに、なんだか恥ずかしくていたたまれなくなってしまうのは私だけでしょうか?

 あの”シュビドゥビ・・・”は、まあ要するにスキャットである、という設定ですよね。
 で、そのスキャットって奴は、ジャズのトランペット吹き兼歌手だったルイ・アームストロングが始めたといわれています。レコーディングの最中に歌詞を忘れてしまったので、急場しのぎにデタラメな言葉で「シュビドゥビ・・・」と歌ったら、それが面白かったので、以後、ジャズ・ボーカルの世界では、この歌詞のないボーカリゼーションの遊びが常道となった、と。

 まあ、伝説の部分も当然、入って来ているんでしょうが、とりあえずそんな歴史解釈でいいでしょう。ともかくスキャットというのはそのようなものである訳ですね。基本的には、その場しのぎのアドリブである。それが”粋”である。そんなものでしょう。

 だけど、ユーミンのあれは、どう聞いてもアドリブじゃないですね。譜面に”シュ・ビ・ドゥ・ビ・・・”と音符を割り振っていった、それを律儀に歌ってみせたものである。バックのアレンジもそのようになっているし、いかにも”歌詞の一部として設定された”シュビドゥビ・・・”を、定められた旋律で歌っています”って姿勢があからさまである。
 なんかねえ。それって、聞く者をして、ものすごく気恥ずかしくさせるものがあるんです。

 その気恥ずかしさをどう説明したらいいのかな・・・昔々、伊丹十三がエッセイの中で”使い捨てライターに給油が出来るようにしてしまう恥ずかしさ”って話をしてましたね。本来、使い捨てるところに”粋”があるものを、ガスの補充が出来るような”立派な製品”にしてしまうせせこましい感性の恥ずかしさ。

 あの歌におけるユーミンの”シュビドゥビ・・・”にも、それに通ずる恥ずかしさがある。ほんの遊びって設定のスキャットなんだから、まさに使い捨て感覚で雑にやったらいいじゃないか。
 いや、音楽の中にはいかにもアドリブ風でいて、その実、きっちりアレンジされたものも普通にある。それは分かっています。それならそれでいい、が、ただもうちょっと粋に、スマートにやって欲しかったって話です。
 その”いかにもアレンジ”を隠さず、生真面目に”シュビドゥビ・・・”とやってしまうあたりが、いかにも貧乏臭くてねえ。恥ずかしくてたまらないんだが。
 
 ”シュビドゥビドゥワ”も次節に至ると、2回目が”シュビドゥビドゥビイドゥワ”と、”ドゥビ”が2度目には1コ増えている。これもきちんと譜面に書かれているんだろうなあ。いかにもそんな感じですね。
 なんというか、そんなちまちまとした”工夫”が施されていて、それがいかにも律儀に演奏され、歌われている。むしろ、「こんな風にきちんと出来る私って偉いでしょ」みたいな得意げな様子で。このあたりも、上で述べました恥ずかしさを倍増させています。

 う~ん、この話が通じる人の一人でも多いことを願います。シュビドゥビ。