”Caribbean Guitar”by Chet Atkins
カントリー・ギターの帝王とでも言う肩書きでいいのか。あるいは若年層にはギャロッピング・ギターの開祖とでも紹介すればいいのか。ギターの名手として知られた、故・チェット・アトキンス、1961年度の作品である。
バナナボート・ソング、イエローバード等々、当時の彼には珍しくラテン・ルーツの曲も多く収められ、チェット作品の中ではもっともワールドミュージックに視点が定められた作品といえるだろう。ラテンのリズムが頻出し、またジャケも、波間に浮かぶ何艘もの小船の上で、南国の産物の荷揚げを行なう黒人労務者たちの姿である。
流れ出す豊饒で流麗なチェットの、グレッチのギター・サウンドが描き出す、暖かい日差しに照らされた世界の懐かしさに、なんだか胸が一杯になる。そうなんだよ、私が子供の頃、世界ってこんな手触りだったんだ。
61年、まだ世界は明るい明日を信じていた。冷戦の陰は差し、ベトナムで戦火もすでに上がっていたが、チェットの国アメリカは、まだまだ繁栄を謳歌しており、その豊かさに保障された場所で、チェットの夢想は甘美な驚きに満ちた国境の南遥かを彷徨うのだった。
海を挟んで遠く離れた島国に住む我々日本人も、おこぼれ頂戴のアメリカの夢の中にいた。先にも述べたように、その夢はすでにあちこちで綻びを見せていたのだが。
私的に、たまらなく空想を刺激させられるのが、”モンテゴ湾”なる一曲である。
幼少時に、どこかで聴いた憶えのある言葉であり、メロディである。が、それがどのようなものであったか、まるで記憶はよみがえらない。
メキシコを想起させる、また、いかにも映画音楽っぽい曲想であり、おそらくはそのあたりを舞台とするウエスタン映画の主題歌か何かであったのではないか。そして私は子供の頃、その映画を見てなんらかの感銘を受けたのではないか。
ネットお得意の検索をかければすぐに分かると言われる向きもあろうが、これは、そのような方法で取り戻したいタイプの記憶ではないのだ。
おそらくこんなものではなかったかとおぼろげながらに空想するモンテゴ湾の姿。そこで繰り広げられたのであろう、一幕のドラマ。懐かしい、だが顔も思い出せず、名も知らぬ俳優たち、女優たち。記憶の向こうで失われたまま。
このアルバムには、世界がさまざまな悲惨で満ち溢れている事など、まるで思いもかけなかった子供の頃、私が夢想した世界の姿がある。明るい日差しに満ちて、自然の豊かな恵みに人々は皆、幸せに満ちて。
先に述べたこのアルバムのジャケだが、小船の上で黒人の労務者たちが運んでいるのは、よく見ると南国の珍奇な果実などではなく、産業廃棄物のようにも見える。そのようにも、見える。
別にデザイナーの仕掛けたアイロニーなどではないだろう。ただ、彼の仕事が雑だっただけ。そして、そのようなルーズささえ暢気に生き延びる事の可能だった時代。過ぎてしまった時代。すべては元に還らない。