ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

恥ずかしい歌

2006-04-25 04:29:30 | 音楽論など

 今、テレビから「会いたい」って昔のヒット曲が流れてきているんだけど、これもバカな曲ですなあ。いっぱい映画を見ようとか、あれをしようこれをしようとか言っていた恋人が死んでしまってもう一度会いたい、なんて、ありきたりな物語をベタベタの感傷で歌い上げた、いやまあそれだけの曲なんだが。

 これはまったく「私は安手の恋愛妄想に嵌り込んでいます」と満天下に臆面もなく公言している、なんかものすごく恥ずかしい歌ではありませんか。
 こんなの、昔の人は平気で聴いていたんでしょうか。いやなに、昔の人はも何もない、こんなの好きな人は世の中に山ほどいるでしょうけど。とか言ってますがねえ・・・

 私が日ごろ愛聴している外国の裏町ポップスなんか、この種の歌詞がゴロゴロしていて不思議はない世界ですわね。もう、知らぬが仏って奴であります。言葉が分かったら恥ずかしくて聴いていられないような歌を、それがあるいはミャンマー語で歌われていて意味が分からないゆえに、あるいはヘブライ語ゆえに、あるいはハウサ=フラニ語ゆえに抵抗なく聴けているだけってこと、普通にあるんだろうなあ。

 あるいはまた。いわゆる”メッセージ色の強い歌”ってのもありますな。あれがあれでまた、私は気に食わないんだなあ。正義の味方ズラしやがって!とか、頭でっかちの歌を歌いやがって。オノレの下半身からの本音を語ってみろ!とか言いたくなってしまう。

 その種の恥ずかしい歌詞も腹立たしい歌詞もまた、民衆の文化の一つであり、理解を示し受け止めるのが正しいワールドミュージック野朗の姿勢であるって人もおられるでしょうけどね、まあ、そういわれても耐えられないものは耐えられない。

 というか、そんな建前に従って理解を示すより、苦痛なものは苦痛であると顔をしかめるのが誠意ではないでしょうか、むしろ。
 相手の歌を否定するつもりはない。それはそういうものであると納得する。が、うんざりするのもこちらなりの立場である、と。

 それにしても、相当なものを聞いているんだろうなあ、普段。などと、目の前に並んだ土俗ポップスの、考えられないようなえげつないデザインのジャケを見つつ、ふと思う。知らぬが仏。