ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

粋なマドロスの航跡を追って

2006-04-07 03:59:25 | その他の日本の音楽


 いかにも昔風のドでかいマイクに向かい、船員帽を斜めにかぶり、豪快な笑顔を見せている、そんな岡晴夫のイメージはもちろん、どこかで見たステージ写真からの後付けの記憶であり、彼のそんな颯爽たる舞台姿など私はリアルタイムで見てはいない。あるいは、彼のヒット曲、「東京の花売り娘」が子供の頃の街角に流れていた風景を思い起こす事も可能なのだが、それもまた、その歌を挿入歌とした戦後すぐを舞台とした映画などが記憶に残っているだけである可能性が強い。

 岡晴夫は戦前戦後をまたいで活躍した人気歌手である。戦前は、大日本帝国の中国大陸侵略の尻馬に乗ったかのような(?)「上海の花売り娘」「南京の花売り娘」「広東の花売り娘」などといった”中国の花売り娘シリーズ”でエキゾティックな異郷への憧れを誘い、また、日本の信託統治領だった南太平洋の島々に日本の潜水夫が真珠取りに出かけていた当時の様子をしのばせる「パラオ恋しや」など、世界に雄飛するテーマを掲げた歌謡曲を歌って好評を博した。また、船員帽のステージ写真が表す如く「マドロスもの」も得意とし、船乗りをテーマの、ある種”股旅物”の変種としての”粋な旅愁”を幾たびも歌い上げている。

 リアルタイムでは相当に格好いい存在だったのだろう。時代の最先端のテーマである”大陸への雄飛”が、異国でのロマンスという、親しみやすい姿に擬せられて提示され、また、片々たる日常に縛り付けられて日を送る庶民には願えども叶わぬ気ままなマドロス暮らしを、粋にかぶった船員帽で豪快に歌い上げるのだから。

 そのような歌手であるなら戦前で使命を終え、戦後はナツメロ歌手として後ろ向きの営業をしているのが通例のようだが、彼の場合、戦後に至っても「憧れのハワイ航路」という大ヒットを飛ばしているのが不思議にも思える。まあ、彼の歌手としてのキャリアのど真ん中を第二次大戦が勝手に横断して行ったと見るべきか。歌のテーマも、戦争を挟めども、まるで変っていない。”雄飛すべき海外”が、戦前は中国であったものが、戦後はハワイ、つまりはアメリカに変っているだけである。
 この辺りにも徹底して庶民の願望に忠実な歌謡曲歌手の面目躍如、と皮肉なしで思う。戦さに破れ、異境への憧れは大陸ではなく、”東京の花売り娘”と、自国の都市に仮託するしかなくなってしまったが。それでも何ものかへの憧れを抱いて生きて行くしか仕方のない、しがない庶民たる我々ではないか。

 ”動く岡晴夫”をはっきり記憶しているのは、いわゆる”懐かしのメロディ”を特集した番組に出演した際の、とっくに盛りを過ぎた姿である。もう、完全に老人であった岡晴夫には、かっての粋なマドロスの面影はなく、大きく口を開けて出ない声を振り絞る様子が、痛々しく感ぜられた。歌っていたのは”逢いたかったぜ”なる、地味な演歌である。久しぶりに会った男同士の旧友が場末の飲み屋で思い出話をサカナに飲み交わす、そんな歌詞だ。

 ”今度あの娘に出逢ったならば 無事でいるよと言ってくれ”

 その”あの娘”も、もう”娘”なんて歳ではなく、いやそもそも、生死さえ知れたものではなく、逢うあてそのものがなさそうに聞える。そう、いろいろな事があって、とんでもなく長い時が流れたのだから。