ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

それはチクタクと近付き・・・

2007-05-03 03:53:27 | 音楽論など


 尾崎豊のパロディをやる芸人てのがいますね?破れたジーンズはいて出てきて、なにやら思い入れたっぷりの絶叫調のギャグをかます。「コンビニで温められてしまった、弁当の隅の漬物が叫んだ。”俺が欲しかったのはこんな生暖かさじゃねえ!”と」なんて調子の。
 たまに見ると結構笑わされるのだが、まあ、たまにしか見たことないな。

 その尾崎(本物の方)であるが、こちらはすでにオトナになってから彼の音楽に接したので、その思い入れたっぷりな音楽はむしろ滑稽に感じられて、「これはパロディにしたらおかしいだろうな」というのがまあ、最初の感想だったのだが、あれにリアルタイムの青少年当時に接していたらどうなんだろう?

 意外に夢中になっていたんだろうか?それともやっぱり、というか今に倍加して「ケッ!」だったんだろうか。
 なんとも分からないよな、ロックに夢中の高校生だった自分など思いだすに。どちらの反応だったとしても不思議はない。

 昨夜遅くにNHK総合で、チューリップってバンドのリーダーの特集番組みたいなものをやっていて、こちらはまるで彼のファンだったことなんかないのだが、チャンネルを変えるのも面倒なレイジーな性格ゆえ、ネットをやりながらつい横目で、最初から最後まで見てしまった。

 まあ特に感ずるところもなかったのだが、彼なんかを見るといつも思うことがある。
 当時。というのは彼のバンドなどが世に出た70年代初頭の話なのだが、彼らを含む”売れ線のフォークとロックの関係者”たちは”ヒット曲を出す”事に関して、決まってこんな”言い訳”をしていた。

 「ボクらには叶えたい夢がある。その夢の実現のために、今はこのような歌が必要なんです」と。

 まだ、”売れる音楽”をやってしまうことが”商業主義に身を売る”罪を意味する、なんて解釈がまかり通っていた時代ゆえ、そんな事を言ったりもしなければならなかったんだろうか。で、当時の私のその件に対する感想としては、「別にお前らがどんな音楽をやろうと俺は興味ないから、勝手にやれよ。つまんない言い訳はいいからさ」だったのだが。

 で、今にして思うのだが。彼らの”叶えたい夢”ってのは、どうなったのだろう?その夢なるものが叶ったのが、今のこの世の中なんだろうか。まあ、問うてみる事自体、「あんた、なに言ってんの?」と聞き返されるような形勢になってしまっているが、いや、教えて欲しいものだと思うよ、時々。


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
尾崎・同世代です。 (NAKA)
2007-05-03 18:33:55
マリーナ号さん,ご無沙汰してます。
尾崎豊は,1983~1992年に活動していたとして,私の当時の歳が,13~22歳ですから,今の三十代くらいがその世代なのですね。
と書いてきましたが,私自身,彼のアルバムを聴いたのは,1995年頃です。亡くなってから三年後ですね。
いや19歳の頃,学校の近くの喫茶店で流れてました。束縛から脱け出して,自由を掴め,みたいな内容だったと思います。
そん時の反応は「自由になって何をする?束縛がなけりゃ自由もない。」なんて,しょーもない学生でした。今もあまり変わりませんが。で,25歳の頃は,営業仕事が辛くて,現実逃避のため,尾崎豊を聴いていたような感じです。感傷にふけり,自尊を保つ,と。
幸か不幸か,連帯感というものは希薄になってしまった世代です。今はその無連帯感が更に進行しているのでしょうが。
返信する
... (マリーナ号)
2007-05-04 02:37:27
やあ、どうもご無沙汰してしまいまして、NAKAさん。
なんてんですかねえ・・・ともかく私はすっかりオトナといいますかオジサンとなってから尾崎と出会いましたんで、ともかく”ネタ”としか解釈できず、笑いものにしてきたんですが、実はこういうのって自分自身の青春を笑っていたりするんですねえ。むむ・・・
返信する