”7'n Eitirdin”by Nazanoncel
最初、トルコ版の”小倉ゆうこりん”みたいなものかな?とか思っちゃったのでした。
不思議な衣装を着けてマンドリンを抱えた歌手ご本人のジャケ写真は、我が国のギャル諸嬢がそうするようにクチャクチャといたずら書きで縁取られていて、ピンクのジャケを開けると、これまた奇妙な感覚のカラーイラストが描き込まれた歌詞カードが絵葉書感覚で封入されている。このディープな不思議ちゃん世界。
もっとも、詳しく見て行くと、収められている曲はすべて自身の作詞作曲で、編曲もプロデュースもご本人の手になり、ジャケのマンドリンも撮影用に持っているだけじゃなくて中で実際に腕前を披露しているし、カラーイラストも自分で描いているし、と言う具合でして。
この、自身のメルヘン世界を自力で仕切れちゃうあたり、結構ベテランなんじゃないの?って気配あり、不思議少女で通る年齢ではない可能性も大なり。ゆうこりんじゃなく、谷山浩子あたりを想起すべきかもしれないですな、これは。
飛び出してきた音は、その念の入ったビジュアルに負けない、なかなかに鋭い感性をうかがわせる幻想世界の響きでした。必要最小限の電気楽器とリズムに、トルコの伝統的な打楽器やら、彼女自身の奏でる民族楽器などが絡み、アラブ音楽の伝統にのっとるような、どこかそっぽを向いたような、ともかく非常に私的な響きのする音楽世界。
こいつはなかなか興味深いポジションにいる人で、だってトルコというか中東の音楽と言うもの、いくらワールドもののファンとしてそれなりに聴き慣れているとは言うものの、やはり現地の者ではない我々には風変わりな異郷の音楽に違いないですから。
そしてこのアルバムでは、そんな異邦の人たるnazan嬢が、自ら夢想した虚数の世界を音楽を利用して構築にかかっているわけで。異世界の二乗だ。
はたしてどんな世界が展開されているのやら、好奇心がうずきますな。
と言うわけでアルバムを腰を据えて聞いて見ますと。
実は、ジャケのイメージほどブッ飛んだキャラはないですな、彼女。むしろ、しっとりと沈んだ口調で、ほとんどモノクロに近い内省の世界を歌い上げています。もちろん、歌詞はトルコ語なんで、何をテーマに歌っているのかはわかりゃしないんですが。
アラブの音楽が基礎にはなっているのですが、彼女はそれが本来持っているネットリとした官能性を、ここでは拭い去りました。その代りに音楽の正面に置いたのは、独特の内向きの哀愁と、あちこちに漂う、どこか寄る辺ない放浪の面影。旋律が、ときにロシア民謡っぽく響く瞬間もないではない。
いつか、本来、故郷であるはずのイスタンブールの街角を、非常な疎外感を持って彷徨する年季の入った文学少女の、長い独白に付き合っている気分になってくる。
イスタンブールの町の上空には重苦しく灰色の雲が垂れていて。いつもは海の輝きに満ちているはずの、アジアとヨーロッパを隔て向かい合うポスプラス海峡は霧に閉ざされていて。
そうそう、青少年の頃に私も、そんな気分で街をさすらった日々があったっけ。
なんて次第で。相変らず正体分からぬものの、その音楽とひとしきり付き合ったら、なんだか私も彼女と心の交流が成立したような。気分になったってのは、それもまた幻想だろうなあ。
中身の方がジャケほどぶっ飛んでいないとのことですが、それはそれでオツなものでしょう。バカのフリして実は計算高いゆうこりんと一緒で(?)、外見と中身が一致してないのもよろしいかと。
このCDのジャケはなんだか昔の子供雑誌を思い出させます。付録のオモチャがゴチャゴチャ詰め込まれていて。こういうのを買うのはジャケ買いなんだかななんだか?
それにしても彼女、何を歌っているのか歌詞の意味を知りたくてなりません。
トルコ・ポップスの大御所ですよ。セゼン・アクスと2つしか歳が変わらないとは、びっくりです。
http://en.wikipedia.org/wiki/Nazan_%C3%96ncel
なるほど、実はベテラン、ですかやっぱり。検索かけたら大量の資料が出てきたんで、そうじゃないかなとは思っていました。
でも、このビジュアルの作りは、20代の不思議ちゃん系の女の子としか思えないです、やっぱり。まあ、トルコ音楽界も結構な伏魔殿ですからね。