ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

帰ってきた70年代のマキ

2011-01-27 04:30:34 | その他の日本の音楽
 ”MAKI Ⅱ”by 浅川マキ

 これでめでたく、なんていう状況ではまるでないにせよ、長らく入手が不可能だった浅川マキのかってのアルバム諸作がこの19日、彼女の一周忌に捧げるが如く再発され、入手が可能になった。
 手に入らなかった理由は、マキ自身が「CDの音が納得できない。それに録音自体、ジャズの音ではない」などと主張し、過去のアナログ盤のCD再発を強行に拒んでいたからと聞く。 とはいえ、「CD文庫」とかいう安価版シリーズなどで一時期、マキのアルバムの一部が再発されていたのではあるが。いや、それを聴いて嫌気が差し、絶版を主張するようになっていたのか。

 その辺の事情は良く分からないが、そもそも浅川マキ、そんなことが気になって自らの過去作品を封印してしまうほど、オーディオマニア的志向があったのかどうか。その辺がちょっと不思議だ。
 70年代初期、事情があってその辺のステージの裏方の如きものをやっていた当方、「あ、私の歌は、どこで歌いだしてもかまわないようにアレンジが出来てるの」とか笑いながらリハに臨む浅川マキを、1メートル足らずの距離から見ていたものだが、その辺の細かいことに囚われずにしなやかにリズムに乗って歌っていたマキの姿と、CDの音質云々を神経質に語る彼女と、どうもしっくり重なり合わないのだが。

 それを80年代以後、妙に生硬な”芸術”志向の実験的なレコーディングを連発するようになる彼女の姿勢と考え合わせると、なにか妙なこだわりに囚われてしまう何かが、浅川マキの人生に起こっていたのかなあ、などとも思ったりする。もちろんその頃には私は彼女と”何の関係もない人”となってしまっていたので、何の確証もなく、ただそう想像するだけなのである。結局、彼女が一人で墓場に持って行ってしまった謎と受け止めるしかないのだが。

 けどまあ。こうして手軽に70年代の浅川マキ作品に接する事が出来るようになったのは、ありがたいことなんだよな。それが、CD再発を拒否していた歌手本人の死去によって、やっと実現されるなんて、皮肉な話で、彼女の遺志を思えば、何となく腰が落ち着かない気分にならないでもないのだが。
 まあ、言いたいこともあろうけど、安らかにお眠りください、マキよ。街は今日も変わらず、あなたがよく歌った、あの夕暮れの匂いと共に暮れて行く。あたりは何も変わらぬのに、ただ人だけは。ある日、ふと姿を消して、そしてもう二度と戻ってはこない。

 もう、本当に久しぶりで”港の彼岸花”を聴き返したんだけど、アレンジが結構勇壮に聴こえるんで、ちょっと驚いた。リアルタイムではなんとも思わなかったのに。これが時の流れという奴、”70年代の人”の持っていたエネルギーなんだろうね。




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