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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

夜のほころび

2009-09-28 04:05:32 | 書評、映画等の批評
 ”日本夜景めぐり”by NHK at深夜

 尊敬するM女史に言わせれば「夏が終われば一年は終わったも同じ」なんだそうで、なぜそうなるのやら知らないが、まあ、言われてみればその気でいるほうが納得できることが多いのかもしれない。

 私などにしてみれば、8月が終わり、海岸に押し寄せていた観光客の姿が急に少なくなる季節。それは夏の終わりなのではない、もう年末なのである。あとには、9、10,11,12月と続くやたらに長い年末があるだけ。
 そう思えば、毎年各企業が繰り広げる過酷なクリスマス商戦なども、「とんでもなく早い時期にテレビのコマーシャルでクリスマスソングを流しやがって。まだ残暑厳しかろうよ」などと腹を立てる必要もなくなる。たとえ季節は秋だろうと時は年末なのである。仕方のないことなのである。

 気が付いたが、こいつはなかなか便利な時のやり過ごし方で、気に染まない仕事や虫が好かない隣人との付き合いなど、不満ではあるが生活を考えれば納得して受け入れねばならない、生きて行くうえで飲まねばならない不条理も、「まあ、年末だから仕方がないや」などと呟き、かっての荒木一郎のヒット唄の一節を「それは誰にもきっとあるよな、ただの季節の変わり目の頃~♪」などと口ずさめば、なんとか明日も。来るかも知れないではないか。

 そんな、明けない年末を行く者の心にいかにもふさわしいテレビ番組、それこそが”日本夜景めぐり”だろう。とはいっても、まともな時間割りで生きている方々はあまり見る機会もないかと思う。夜中の三時とかに煮詰まった気分で見るともなくテレビの画面を眺めていると不意に始まったりする、それは番組なのであるからだ。

 何しろこれが放送される時間帯の名称はなんと言うのかと思って新聞のテレビ欄を検めてみれば、”映像”としか書かれていないのだ。かっては”映像散歩”なんて題された番組だったのではないか。内外の名所やら名もない土地を訪ね、その風景をフィルムに収めて、それらしいもの静かなBGMを流す。まあ、正直言って埋め草番組なのである。その証拠に、同じフィルムが何度も何度も日を追いて使いまわしで放映される。

 まあ、製作側のNHKも、夜中の番組と早朝の番組の間の時間潰しのためとしか考えてはいまい。そんな映像なのだろうが、そんなものにも支持者、愛好家はいるのであって、mixiなんかにはファンのコミュニティまである。そして、そこで”NHK深夜埋め草番組会の近年の大傑作”と賞賛されているのが”日本夜景めぐり”なのである。これはその名の通り、東京や横浜を振り出しに日本全国の大都市の夜景をめぐり、フィルムに収めたもの。

 高空から捉えた夜景。光の海である。車のライトが連なり、光る血管のように貫き流れる幹線道路。空を突き刺す東京タワーの偉容。どれも、非現実的なほどの美しさを夜の中に繰り広げている。
 そしてまさに年末、クリスマスのモニュメントで飾られた街と、そこを行く人々の影絵の如き姿が紹介される。年末が過ぎれば取り壊されてしまうのだろう、そのあまりにも儚い運命であるがゆえに、ますますいとしいものと映る街角のモニュメントの輝き。

 そのバックに流れる音楽は、それはもちろん、都市の上を漂い過酷な時の流れを優しく包む、静かな夜を寿ぐものでなければならない。ストリングスや大編成のコーラスをメインとした賛美歌調のムード・ミュージック。あるいは思慮深げなバイオリンのソロ。
 これらの音楽のCDなりと手に入れてみたく思う瞬間もなくはないのだが、それはあまり意味のない行為とも思われる。あの音楽はあの夜の深みの最も奥で、あの優しすぎる映像とともに奏でられるから美しいのであって、音楽だけ取り出して別の時間に聴いてみても、おそらく空疎な響きでしかないのではないか。

 ともあれ。
 讃えよ、この儚い幸福の時、深夜を。闇を衝いて光の腕を伸ばす夜の灯火と、終わらない”年末”の日々を。




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