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☆村の鍛冶屋(かじや)
作詞・作曲不詳/文部省唱歌
しばしもやまずに 槌うつ響き
飛び散る火の花 はしる湯玉
鞴(ふいご)の風さえ 息をも継がず
仕事に精出す 村の鍛冶屋
あるじは名高き いっこく老爺(おやじ)
早起き早寝の 病い知らず
鉄より堅しと ほこれる腕に
勝りて堅きは 彼がこころ
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知人がブログで、童謡の”村の鍛冶屋”の歌詞に関する話をしていた。一番の歌詞は聴き慣れていたが、二番の歌詞は改めて聴くととんでもない精神論に突入する、そこがうさんくさくて面白い、と。
いわれてみればその通りで、いや、”信念は岩をも通す”ってうんざりするような精神世界。
子供の頃の記憶にうっすらとある”昔の人”ってこんなノリをしていたような気もします。早朝から飛び起きて屋外で上半身裸で乾布摩擦するとか、そういう感性ね。
それを読んで、それならその先はもっと凄いはずだ!と「村の鍛冶屋」の歌詞に興味を持って検索をかけたのですが、ほんとに3番の歌詞は、さらに妙な具合になっている。ちょっと引用しますが。
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刀はうたねど、大鎌・小鎌
馬鍬(まぐわ)に作鍬(さくぐわ) 鋤よ、鉈よ
平和のうち物 休まずうちて
日毎に戦う 懶惰(らんだ)の敵と
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”平和のうち物 休まずうちて日毎に戦う 懶惰(らんだ)の敵と”って何だろう?
”平和のうち物”ってフレーズ、末尾の”敵と日毎に戦う”って一語を無害化するために取ってつけた感じが大いにする。
冒頭の”刀はうたねど”ってのも、訊かれてもいないのに”非武装”を宣言しているみたいで不自然だ。逆に物騒な気がしてくる。
この歌詞、明らかにあとから一部が書き換えられた気配を感じます。これ、おそらくもともとはバリバリの戦意高揚歌として世に出たものではないですかね。
それを戦後、世情に合わせて一部を書き換えた・・・んだけど、逆に変な感触が倍増されてしまったって次第かと。
なにもねえ・・・そんなつぎはぎせずとも、新しい歌を作ってしまえば良かろうものを。昔の人はものを大事にしたってことなんですかねえ。
検索をかけてあちこちのサイトを覗いてみても、大方は2番の歌詞までで、3番以降は紹介されていないが、これ、意図してそうなってるんですかね。
ちょっと私なりに”原詞”を創作してみますと。
軍艦うたねど 鉄兜
小銃・地雷に 迫撃砲
正義のうち物 休まずうちて
日毎に戦う 東亜の敵と
なんてのはどうですかね?
そういえば阿佐田哲也こと色川武大氏が、コドモの頃にこの歌を聴いた際の印象をエッセイに書いていた。「大人になったらこんなに辛い人生が待っているのだろうか、と非常に嫌な印象を受けた」そんな趣旨の文章だったと記憶している。こちらは先に書いた精神論への嫌悪だったんでしょうが。
最後に、歌詞のフルコーラスを御紹介。
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☆村の鍛冶屋(かじや)
作詞・作曲不詳/文部省唱歌(四年)
しばしもやまずに 槌うつ響き
飛び散る火の花 はしる湯玉
鞴(ふいご)の風さえ 息をも継がず
仕事に精出す 村の鍛冶屋
あるじは名高き いっこく老爺(おやじ)
早起き早寝の 病い知らず
鉄より堅しと ほこれる腕に
勝りて堅きは 彼がこころ
刀はうたねど、大鎌・小鎌
馬鍬(まぐわ)に作鍬(さくぐわ) 鋤よ、鉈よ
平和のうち物 休まずうちて
日毎に戦う 懶惰(らんだ)の敵と
かせぐにおいつく 貧乏なくて
名物鍛冶屋は 日日に繁昌
あたりに類なき 仕事のほまれ
槌うつ響きに まして高し
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