”When a Banana Was Just a Banana”by Josh Wink
相変らず、何がなにやら分からぬままに、気が向くとつまみ食い的に聴いているエレクトリック音楽関係でありますが。これはもう、ネットでジャケを見て、「これは馬鹿な事をやっていそうな物件だな」と面白半分買ってみた一枚であります。演奏者のキャリアどころか人種国籍に至るまで、何の予備知識もなし。
どこかに”アシッドハウスの傑作”なんて書き込みがありましたが、その種のジャンル訳の台詞はファンの仲間内の符丁みたいなものと考えてるんで、私はまるで気にしません。まあ、打ち込みのリズムが突き進む電子音楽ですよ、ようするに。
まずリズムの提示がある。打ち込みの音がコンガっぽいせいもあり、どこか南の香りを感じてしまうのは、ジャケやタイトルのバナナからの連想でしょうか。そのうち、他のサウンドエフェクトが入り込み、メインのリズムに絡み始める。裏に廻り、はぐらかし、リズムのじゃれあいは進行する。短く無機的なメロディがミニマルに繰り返され、リズムの渦を幻惑で彩ります。
このような無機的な電子音の連続を”音楽”として普通に楽しむようになったのはやはり、テクノという概念がセットされてからなんだろうか?
このような音楽を希求してしまう自分の心を顧みると。むしろ、さまざまな文化のシガラミを離れて鉛菅とか叩く音に血が騒いでいる自分が痛快に思えていたりするわけですよね。
なんかどっかで我慢ならなくなっている部分もあるかもしれないですね。文化の連鎖の内で生きていることが。で、すべてのシガラミを断ち切って一個のネジかなんかになって、ステンレスの夢の中に言ってしまいたくなる。
そういえば、石は傷つかない、岩は決して泣き叫ぶことはない」って、サイモンとガーファンクルの歌もありましたねえ。