”Le Sacre Des Lemmings”by Tete
なんかフランスの音楽を紹介する人たちに共通するおかしな雰囲気、というものを私は感じてならないのだが、あなた、どうですか?
ともかくそれらの人々の文章においては、手放しのフランス賛歌が延々と展開され、音楽を紹介したいのかフランスなる国のコマーシャルをしたいのか、ついにはわからなくなってくる。宗教の勧誘なのかこれは?フランス真理教とか、そういうものの?うさんくさい。どうにも臭う。
私が最近のフランス発の音楽に興味が持てないのも、そのあたりに原因の一つが確実にある。
ここでラテン音楽の雑誌である”ラティーナ誌”の07年3月号、「スラム」なるフランスで起こっているムーブメントについて述べた昼間賢氏の文章を例にとる。(ちなみに「スラム」とは、昼間氏の解説によれば”ラップから音楽を取り除いたポエトリー・リーディングの一種”なのだそうだが)
まず、スラムなるムーブメントへの賞賛が続くのだが、それはそういった類の記事であるのだから良いとして。文章が佳境に入ると、”長らく「自由・平等・友愛」の理想を掲げてきたフランスでスラムが好まれるのは自然なこと”なんてフレーズが飛び出し、「一体今はいつなのだ?」と唖然とさせられてしまうのだ。
やがて”黒人でイスラム教徒のスラマー”なる人物の「フランス人であることとは、宗教を問わない民主主義的な哲学と常に連帯しているということだ」なんて発言が引用され、ああまた始まったのだなと頭を抱えさせられる。いつの間にか論の主題は音楽ではなく、”フランス”になってしまっている。
そんな具合に記事は音楽に関する話のようでいて、その裏面に、”異なる宗教や人種を飲み込む度量のある、偉大なるフランス文化”賞賛のメロディを盛大に奏でながら進行して行く。
他の人々の文章も大体がそんな具合。いちいち引用しているときりがないのでやめておくが、ともかく論の決着するところは常に”フランスは偉い。フランスは偉大だ”であり、この人たちはほんとに日本人か?と、以前、南太平洋で世界中からの非難を横目に行なわれたフランスの核実験など、ふと思い出したりするのである。
そんなに異なる世界からの流入者に寛容なフランス社会であるならば、なぜいつぞやのように移民たちが暴動など起こすのだと突っ込みたくなるが、それを見越して、すでに”フランス信奉者”の人々からの答えが用意されている。
いわく、”それこそフランスが時代の最先鋭である証拠である。他の国々は、暴動を内包するレベルにさえ達していない”と。なんだかここまで来ると汚職がばれちゃった政治家の言い訳みたいになってくるが、ご当人は大真面目のようだ。
これに関しては私が突っ込まずとも、同じ”ラティーナ”07年2月号誌上にインタビューが掲載されている、西アフリカ生まれフランス育ちの黒人ミュージシャン、”テテ”がフランスにおける人種差別に関して重要な発言を行なっていてくれている。やや長めであるが引用する。記事は、各務美紀氏による。
「今、フランスでは、誰もそういう問題について指摘してはいけない、とっても気味の悪い雰囲気があるんだ。ストレートな表現の歌をラジオでかけてももらえない、というように。(中略)アメリカでの人種差別とフランスでの人種差別はまったく違うものなんだ。アメリカでは誰もが人種差別があると意識していて、コミュニティも混在している。フランスでは共和制の秩序として、個人と民族的コミュニティとの関係を断ち切らなければいけない。(中略)この国でマイノリティが人種差別について何か体験を発言するということは、差別された分の責任を負うということなんだ。”問題を抱えているのはあなただけではありません。それは、あなたの努力不足が原因です。あなたこそ社会に溶け込もうとしていないのでは?あなたの責任です”と。」
何が”自由・平等・博愛”だろうかと。こいつは巧妙に仕組まれた偽善の煉獄ではないか。
”フランス文化に敬意を払い、それを学べば、土人のお前も人間扱いしてやろう”というのがフランス文化の異人種への基本姿勢と当方は認識しているのだが、ここで話題にしている”日本人にしてフランス真理教信徒”の人々というのも、その”フランス文化の関門”の蟻地獄に真っ正直にはまり込み、”フランス文明を称揚すること、すなわち自分の存在証明”くらいに思い込まされてしまっている、ある意味、被害者ではあるまいか。
などと考察している私なのですが、冒頭にジャケ画像を掲げたテテの最新アルバムを買おうかどうしようか迷っております。興味は惹かれるものの、フランス語の歌が苦手でしてね。いや、もはやフランス語そのものさえうさんくさく聴こえてしまうこの頃なのでありまして。
”黒人でイスラム教徒のスラマー”氏の発言の背後にどのような社会現象があるのか、もちろん私は知りません。ただ、今回、昼間さんがなされたような形の紹介を行なうと偏った形のフランス賛美になりかねない、私がそれへの危惧としてあのような文章を書いたのは、前回申し上げたとおりです。
また、そのような過度のフランス美化と感じられる表現がフランス文化の紹介をする人々の文章にたびたび見受けられる事により、私がその人々の発言の意図するところに、まず疑いの目を持って接する習慣がついてしまっているのも事実です。
オクシタンの音楽ですが、実は私にはまったくの不案内のものでもありません。トラッド・ファンとして私は、Rosina de Peiraなどのオクシタンのトラッドは20年以上前から聞いておりますし、オクシタンの何たるかについても、それなりの知識は持っています。そして今日のオクシタンの音楽の動きにも興味がないではないのですが・・・
たとえば私は知人に、MAGYD CHERFIという人のCITE DES ETOILES なるアルバムを勧められました。が、あるサイトの、そのアルバムの紹介文に接し、”(彼の音楽が表現しているのは)フランスの懐の深さへの信頼であり”などという文章に出会ったりすると、「なんだ、またフランス美化運動が始まったか」などと感じてしまい、音楽を聞く気が萎えてしまうのもまた、正直なところなのです。
早速のお返事ありがとうございます。とても参考になるお言葉です。
フランス文化を論じる人たちの姿勢は、なるほど偏っているかもしれません。しかし、書き方はまずかったかもしれませんが、従来のフランス文化とは異なったマイナー文化である「スラム」を紹介すること自体は、そういった傾向への批判になるだろうと考えています。
次に、黒人でイスラム教徒のスラマーの発言についてですが、この点は、ご指摘いただいて大いに考えさせられました。結論から言うと、やはり、そういう事実があることを少しでもきちんと明かした上で、それでこのようなムーヴメントがあるのだ、という書き方にしなければならなかったと反省しました。
実は、しばらく前から「フランス学」なるものはかつての権威を失っていて、「自由・平等・友愛」の国でも人種差別があることも、わりとよく知られるようになっています。それで、その部分をはしょってしまったのかもしれません。
ただ、黒人でイスラム教徒のスラマーの発言は、それほどナイーヴなものではないことをご説明させてください。ここ1~2年のことなのですが、フランスでは黒人系市民の政治意識が急激に高まっています。なぜいまなのか、には、いろいろな事情が絡むのですが、とにかく、彼らの戦略は、差別されたことをただ訴えるのではなく、「自由・平等・友愛」をわざと持ち出して、理念と現実のズレによって、一般市民(ここにはアラブ系など他のマイノリティーも含まれます)の理解を得ようというわけです。
オクシタン音楽についてですが、これも、長らく差別されてきた人たちの音楽といって差し支えありません。中央の産業音楽に対する地方の活発な異議申し立てです。日本でもフランスでも、従来の高飛車なフランス文化は急速に衰えつつあるのです。
テテについては、どうなのでしょう、歌詞は率直で複雑(?)ですけども、音楽は優しいですよね。で、結局は彼の訴えたいこともあまり理解されずに、フランスの新しいポップ・スター的な聞かれ方にとどまっているのではないでしょうか。下手に大きな話はしない彼のスタンスは、フランスではともかく、日本では好都合なのでしょう。
はじめまして。ご本人に書き込みいただけるとは思いもせず、大いに焦っている次第です。いろいろ失礼な事を書きまして、まことに申し訳ありません。
私は、文中にも書きましたが、フランス文化紹介をしておられる方々の姿勢に以前より大いに疑問を持っておりまして、すでに何度もそれについて述べているのですが、今回はたまたま昼間さんのお書きになった記事内容に気になる部分があったもので、あのような文章を公にした次第です。
気になる部分とはたとえば、テテがインタビューで言っているように、フランスには人種差別があきらかに存在しながら、その現実を語ることさえ困難な情況があるのにもかかわらず、”黒人でイスラム教徒のスラマー”なる人物の”フランス人であることとは、宗教を問わない民主主義的な哲学と常に連帯しているということだ”なんて発言を紹介してしまうのはいかがなものかと思うのです。
”黒人でイスラム教徒のスラマー”氏の発言も現実のものであるのでしょうが、その引用と同時に、テテの語るような軋轢もフランス社会にある事を明らかにせねば、それは、臭いものにフタをしてフランスを美化するだけの行為となってしまうのではないかなと、首をかしげずにいられなかったのです。
南フランスのローカル音楽というのは、例のオクシタンとか、その方面でしょうか?その方面の扱いも私には、「まず”悪いフランス”と”良いフランス”を設定して、フランスの矛盾点を前者に押し込め、後者にそれを正義の名の下に攻撃せしめ、”正義は勝利した。勝ったのは・・・フランスだ!”なんて結論に導く出来レースなのでは?」なんて疑えてしまうのです。どうも偏見だらけですみませんが、南フランスものに関しては、これから若干、聞いてみる用意はあります。
失礼の上塗りのようなレスになっているかも知れません。申し訳ありません。
『中洲通信』という小さな雑誌に、高知在住の弾き語りの歌手、矢野絢子さんについて書いたことがあります。実はそこでも、比較の対象としてフランスの音楽が出てくるのですが、それは南フランスのローカルな音楽で、その音楽家たちもまた、パリに代表されるフランスと闘っています。ご要望があれば、記事のコピーをお送りいたします。
はじめまして。昼間賢と申します。
拙稿に対するご批判は真摯に受けとめました。
反応なしより嬉しいです。
拙稿の主な目的は、厳密には音楽ではない「スラム」という言語表現を、文化運動の一種として提示することにありました。そのような記事は音楽雑誌に載るべきではないのかもしれませんが、音楽は、特にポピュラー音楽は、音の集合体ではないというのが僕の立場です。
それから、自由・平等・友愛に固執しているように読まれたとのこと。大変残念です。ご批判を受けるまでもなく、この理想が昨今のフランスではほとんど見捨てられていることは百も承知ですし、その部分を引用されなかったのが残念ですが、文中で明らかにもしています。それで、だからこそ、古ぼけた理想を自覚的に掲げて闘っている人たちがいることを、僕としては貴重に思うのです。フランスが偉いのではなく、お望みなら、フランスは全然ダメだけど、そのような腐りきった現実に対して何とかしたいという人たちがいることを伝えたかったのです。