”3”by Deleyaman
トルコ育ちのアルメニア系アメリカ人によりフランスはパリで結成された、フランス系アルメニア人やスエーデン人などもメンバーに含む国際色豊かな、というかなんだかややこしいバンドの3rdアルバム、2006年作。
メンバーは、ヴォーカル担当、アルメニアの民俗木管楽器デュデュック担当、そして、ギターやキーボードやパーカッションなど、やたらいろいろな楽器を手がける人、の3人編成。とはいえ、この三人目の人が他楽器多重録音を行なっているので、サウンドにはプログレっぽい厚みがある。
一聴、当方がそれなりに聴いてきたアルメニアの現地ポップスとは、ほぼ関係のない世界だ。分厚いコーラスとオルガンの響きが醸し出すのは、厳粛な教会音楽っぽい雰囲気。粛々と奏でられるそれは、すべてを分厚い霧が包み隠した深い森を物憂げに流れ下る。
それにしても、なんと物悲しい音楽なのだろう。分厚い霧は森の木々を覆い、ゆったりと渦巻きながら音楽は、遠い遠い時の向こうで忘れ去られていた人々の悲劇を語り始める。デュデュックのくぐもった音が殷々と渡って行く。
その悲しみの響きの深さは、まるですでにアルメニアという国自体がこの世から滅び去ったかのようなイメージを抱かせるのだった。
それは、北にロシア、南にイスラム諸国を控え、いかにも難しそうな場所に存在するアルメニアだもの、その歴史は気楽なものである訳はないが、すくなくとも滅亡はしていないはずだ。アルメニアという国は。
それはもしかしたら、その生まれゆえ、当たり前のように国境線を跨ぎ越しつつ生きて来たこのバンドのリーダーがふと溜息のように漏らした、浮き草暮らしの感傷のエコーなのかも知れず。と思いつけば、いかにもそのようにも見え。
いやいやそれとも。小国アルメニアというカナリアが、弱いもの特有の鋭い嗅覚で感知してみせた、来るべき運命の中の人類に寄せた慟哭なのかも知れず。
ともあれ。悲しみ色に染め上げられたアルメニアの幻想は、淡い光芒を放ちつつ、人の意識の底へ、いつの間にか忍び入り消えて行く。