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絵本の話を中心に、好きなもの、想うことなど。

150年後

2020-08-11 16:04:14 | 好きな本

やっと順番がまわってきたマハさんの『風神雷神 上』を受け取りに
行った際、まかてさんの作品は何が今図書館にあるかなーと棚をのぞいたら、
この本1冊だけがあったので、なんとなく借りてしまいました。



まずは『風神雷神 上』を読みーこちらの舞台は安土桃山なので、
あたまの中は、信長の頃を思い浮かべたまま、明治時代のはなしを
読み始めました。

本当に、なんとなく借りてきたため、明治神宮を作るにあたって
尽力した人のはなし、くらいの認識しかなく、そういえば、
明治神宮」そのものも、私の中では漠然としているなあと
思っていました。

そんな情けない状態だったので、初めて知ることが多く、
安土桃山の南蛮寺や俵屋宗達の描いた絵のことを想像していた
あたまの中が、ぐるぐるしながらも、ご維新後の東京についていこうと
動き始めました。



題材そのものもとても興味深いものでしたが、それを、当事者
(明治神宮を東京の代々木に作ろうと言いだした人たち)を中心に
書くのでななくて、三流新聞社の記者を主人公にして、それを記事として
追わせる、といういう視点がとてもよかったと思いました。
(しかもそのネタを持ってきたのは、主人公亮一でななく、同僚の女性
記者だったところも)

さらに、この物語に深みを与えているのは、主人公の新聞記者が、
遷都の時に若干17歳だった明治天皇を、御簾の中の現人神ではなく、
一人の青年として、その心持ちを推察していることであり、そこから
明治という時代を生きた自分と、周りの人々にとっての「明治時代」を
わかろうとしている姿が等身大で描かれているところだと思いました。



新聞社というものも、時代が明治に変わった頃からたくさんでき始め、
初期の頃は、記者は記事にするネタを探してくるために「探索」と
呼ばれる人を(暗黙の公認?で)雇っていた、なんていうことも
初めて知りました。

中でも、市蔵という渋い「探索」が出てくるのですが、彼が、引退した
あとに、主人公の亮一が訪ねて行く場面があり、そこで市蔵がこう話すのです。

「何せ、公方様のことは身近に感じていても、帝についてはただ、
やんごとない、神のごときお方だという捉えようしか持ち合わせて
おりやせんでしたからね。学のある者は尊王を頭では理解して
いたでしょうが、それでも実感ってものがねぇんです。その尊いお方が
こうしてわざわざ下向してきてくだすったと思ったら、救われた心地に
なったじゃありませんかねえ」

当たり前のことですが、いつの時代も、その時その時を、まいにち毎日を
フツーに生きている私たちのような人たちがいるわけで、えーと、幕府が
なくなったら江戸はどうなの???と不安に思っていた人が大勢いたわけで、
市蔵の言葉は、いつの時でも、の「わたしたち」だなーと、すっと納得が
いったのでした。


タイトルの「150年後」は、神宮の森が本当に完成するのにはそれくらい
かかるということで‥創建が1920年なので、今でも森は途上にあると
いうことですね。


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