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イタリア月間で、『ヴェル・レク』来たか...

2011-01-20 01:20:44 | その他
今週のN○K「名曲探偵アマデウス」はヴェルディの「レクイエム」だったんですが、もしかして、番組を御覧になって誤解された方もいらっしゃったんじゃないかという気がするので、一言フォロー。(「だからなんで僕が...」 笑)

まず予めお断りしておきますと、ヴェルディの「レクイエム」は、音楽的にはあまりフツーのレクイエムというワケではないです(オペラ的というか、ヴェルディ的というか...)。
ただ、そうは言っても一応、レクイエムの歌詞(カトリックのミサで詠唱される祈祷文)を使い、レクイエムの形式に則って書かれてますので、本人は間違いなく、キリスト教(カトリック)の「レクイエム」のつもりで書いたと思われます。

で、先日PBBSで書いたことの繰り返しになりますが(でもまあ、そっちを御覧になってる方は多分あんまりいらっしゃらないとは思いますが 笑)、キリスト教のレクイエムというのは、「アマデウス」で言ってたように『死』を重大視して悲しむものでもなければ、日本で一般的に考えられているように「死者の魂を鎮める」というような目的のものでもありません。
そもそもキリスト教の教義上では、『肉体の死』というのは一時的な安息であり、悲しむような筋合いのものではない(ということになっている)んですよね。

「レクイエム」の歌詞をちゃんと読んでいただけば分かりますが、内容はほぼ全て神への呼びかけで、死者本人に呼びかけるようなところは無く(ミサ外にあたる"In Paradisum"(イン・パラディスム;楽園に)の部分にのみ、死者への語りかけが有りますが、ヴェルディのレクイエムでは割愛されてます)、自分(や死者?)の悲しみを表すようなところもありません。
呼びかけの主な内容は、『肉体の死』によって保留状態になっている『永遠の魂』(というものをキリスト教徒は持っていることになっている)を『最後の審判』の日に神様が天国行きと地獄行きに振り分ける時(これは永久的な決定)、どうか私の(あるいは死者の)魂は天国の方に振り分けて下さいね、というもの。
かの有名な"Dies irae(aeは一文字)"(ディエス・イレ;怒りの日=最後の審判の日)も、そのつながりで出てくるわけです。

(つづく...たぶん 笑)