だいぶ間が空いちゃったんで(なかなか更新できなくてスミマセン...)もうほとんど忘れられてることとは思いますが、「実際の文章は(主に動詞が)どうなってるか」って話の続き...
以前(←このシリーズの20回目)、動詞の《過去》が過去のことを表すのに使われるとは限らない、と書きましたが、覚えておいででしょうか?
実は日常会話などの『普通のドイツ語』では、過去のことを表すのに《過去》形を使うことはあんまりない
らしいんですよね。《過去》形を使うのは、"sein"(~がある、~である)、"haben"(持っている)の2大基本動詞と、助動詞だけ。たいていは《現在完了》を使うようです。
①Sie hat mich veraendert. 《ae=aウムラウト》
ジー ハ(ッ)ト ミ(ッ)ヒ フェルエンデルト
(veraendert=veraendern;変化させる の過去分詞)
「あいつ(彼女)が俺を変えた」
②Er ist schon laengst gestorben. 《ae=aウムラウト》
エァ イスト ショーン レングスト ゲシュトルベン
(schon=もう laengst=とっくに gestorben=sterben;死ぬ の過去分詞)
「(彼は)もうとっくの昔に死んでるよ」
①はhabenの現在+過去分詞という形の現在完了、
②はseinの現在+過去分詞という形の現在完了 ですね。
(一応念のため書いときますと、haben/seinは頭から2番目の文節にあって、人称変化し、過去分詞の方は文末に行くわけです。過去分詞は2番目の文節にくることは絶対無いので、人称変化しません)
①の方は英語の現在完了(have+過去分詞)と似てるんで、まぁそんなもんか(?)って感じですが、②は?(←英語で言うとbe動詞+過去分詞。でも受動態じゃなくて完了形 笑)
何で2種類あって、どう使い分けるのか?
ええと、↑の例からもなんとなく想像つくと思いますが、おおざっぱに言って完了形にsein(~がある、~である)を使うのは、gehen(行く)とかfallen(落ちる)とかsterben(死ぬ)とか、『場所の移動』や『状態の変化』を表す自動詞の場合...ということになってます。(辞書をひけば、自動詞(i)のとこには、h(habenを使う)とかs(seinを使う)とか載ってます)
「ということになってる」というのは、どっちにするか微妙な自動詞(笑)の場合、地方によって違ってたり、例えば「走ってどこかへ行った」という文章では
Sie ist zur Schule gelaufen.
ジー イスト ツーァ シューレ ゲラオフェン
(zur=zu ~へ+der 女性名詞の冠詞3格 Schule=学校 gelaufen=laufen;走る の過去分詞)
「彼女は学園に走って行った」
ていうふうにseinを使うけど、ただ「走ってた」というだけなら
Sie hat immer gelaufen, so schnell sie konnte.
ジー ハ(ッ)ト イマー ゲラオフェン、ゾー シュネル ジー コンテ
(immer=いつも schnell=速い konnte=koennen《oe=oウムラウト》;できる の過去・三人称単数)
「彼女はいつも全速力で走っていた」
て具合にhabenを使う、というような使い分けをしてたりするからです。(辞書に"i (s,h)"と書いてあったら、普通はseinを使うけど場合によってhabenを使う自動詞、という意味です)
まあ、seinとhabenを使い間違ったとしても、「あ、間違ってる」と思われる(あるいは指摘される 笑)だけで意味が通じなくなることはあんまりない?と思われるので、そんなに神経質になる必要は無いんじゃないでしょうか(たぶん 笑)。
じゃあ、なんで使わないのに《過去》形があるのか?
実は、このシリーズでこれまでに出てきた《過去》形を御覧になってお気づきかもしれませんが、物語や日記なんかの『書き言葉』では、どの動詞も《過去》形を使うんですね。
Prinzessin Tutu lief, um den letzten Splitter des Herzens dem Prinzen zurueckzugeben.
プリンツェシン トゥートゥ リーフ、ウム デン レ(ッ)ツテン シュプリ(ッ)ター デス ヘルツェンス デム プリンツェン ツリュ(ッ)クツーゲーベン
(lief=laufen;走る の過去・三人称単数 um=~のために letzt=最後の Splitter=かけら Herzens=心臓(2格) zurueckzugeben=zurueckgeben;返す のzu不定詞)
「プリンセスチュチュは、王子に最後の心のかけらを返すために走った」
なんでそんなややこしい(?)ことになってるのか本当のところは知りませんが、私の想像では、たぶん昔はすべての動詞において《過去》形を使ってたんじゃないかなぁ、と。それが時代とともに言葉が変化して(たいていの場合、婉曲的な言い回しになる 笑)、次第に使われなくなったけど、書き言葉にだけはその名残がある...ってところじゃないでしょうか。
ちなみに動詞の《過去》形は、実は、過去でない別の構文(「~だったらなぁ」みたいなの)で使うんですが、まあ、それについては説明するかどうか分からないので、とりあえず、そんなのでも使うよ、てことでスルーして下さい(笑)
ついでに、《過去完了》の作り方は基本的には《現在完了》と同じ。ただhaben/seinが《過去》形になるだけです。
Er war aus der Erzaehlung hinausgekommen, dann hat er sein Herz zerbrochen, um den grossen Rabe zu siegeln. 《ss=エスツェット》
エァ ヴァール アオス デァ エァツェールング ヒナウスゲコメン、ダン ハット エァ ザイン ヘルツ ツェルブローヒェン、ウム デン グローセン ラーベ ツー ジーゲルン
(aus=~から外へ Erzaehlung=物語 hinausgekommen=hinauskommen;出て来る の過去分詞 dann=それから sein Herz=彼の心臓(4格) zerbrochen=zerbrechen;砕く の過去分詞 den grossen Rabe=大烏(4格) siegeln=封じる)
「彼はお話から出て、大烏を封じるために心臓を砕いた」
《過去完了》は、過去のある時点に対して更に過去のことを表すので、たいていは、過去のある時点を示す副詞句(gestern=昨日、[am] letzten Sonntag=先週の日曜日、等々)や文節(過去形または現在完了の文章)などと一緒に使われるようです。
軽くまとめると(笑)、ドイツ語の《完了形》は、『ある時点までに終わっていたこと(ちょうど終わっちゃったトコ、っていうのも含みます)』ですね。意味としては『≒過去』だと思っていただいてほぼ間違いないです。
『過去に始まって、現在も継続していること』は、英語だと《現在完了》だったりしますが、ドイツ語では《現在》形。ついでに付け加えとくと、『現在進行中のこと』も《現在》形で、さらには(次回?また書きますが)『未来のこと』も《現在》形だったりします。でも、いつのことかってのは話の流れでだいたい分かりますし、たいていは『いつ』っていう副詞句やなんかが付いてて、考えなくても分かるようになってます(笑)
つまりドイツ語では、『時』は動詞の時制よりも、一緒に使う副詞などで表す傾向があるってことですね。このやり方は、時制が構文でガッチリ決まってる英語よりも、日本語の方に近いかな?
よけい混乱しちゃいました?(笑)
以前(←このシリーズの20回目)、動詞の《過去》が過去のことを表すのに使われるとは限らない、と書きましたが、覚えておいででしょうか?
実は日常会話などの『普通のドイツ語』では、過去のことを表すのに《過去》形を使うことはあんまりない
らしいんですよね。《過去》形を使うのは、"sein"(~がある、~である)、"haben"(持っている)の2大基本動詞と、助動詞だけ。たいていは《現在完了》を使うようです。
①Sie hat mich veraendert. 《ae=aウムラウト》
ジー ハ(ッ)ト ミ(ッ)ヒ フェルエンデルト
(veraendert=veraendern;変化させる の過去分詞)
「あいつ(彼女)が俺を変えた」
②Er ist schon laengst gestorben. 《ae=aウムラウト》
エァ イスト ショーン レングスト ゲシュトルベン
(schon=もう laengst=とっくに gestorben=sterben;死ぬ の過去分詞)
「(彼は)もうとっくの昔に死んでるよ」
①はhabenの現在+過去分詞という形の現在完了、
②はseinの現在+過去分詞という形の現在完了 ですね。
(一応念のため書いときますと、haben/seinは頭から2番目の文節にあって、人称変化し、過去分詞の方は文末に行くわけです。過去分詞は2番目の文節にくることは絶対無いので、人称変化しません)
①の方は英語の現在完了(have+過去分詞)と似てるんで、まぁそんなもんか(?)って感じですが、②は?(←英語で言うとbe動詞+過去分詞。でも受動態じゃなくて完了形 笑)
何で2種類あって、どう使い分けるのか?
ええと、↑の例からもなんとなく想像つくと思いますが、おおざっぱに言って完了形にsein(~がある、~である)を使うのは、gehen(行く)とかfallen(落ちる)とかsterben(死ぬ)とか、『場所の移動』や『状態の変化』を表す自動詞の場合...ということになってます。(辞書をひけば、自動詞(i)のとこには、h(habenを使う)とかs(seinを使う)とか載ってます)
「ということになってる」というのは、どっちにするか微妙な自動詞(笑)の場合、地方によって違ってたり、例えば「走ってどこかへ行った」という文章では
Sie ist zur Schule gelaufen.
ジー イスト ツーァ シューレ ゲラオフェン
(zur=zu ~へ+der 女性名詞の冠詞3格 Schule=学校 gelaufen=laufen;走る の過去分詞)
「彼女は学園に走って行った」
ていうふうにseinを使うけど、ただ「走ってた」というだけなら
Sie hat immer gelaufen, so schnell sie konnte.
ジー ハ(ッ)ト イマー ゲラオフェン、ゾー シュネル ジー コンテ
(immer=いつも schnell=速い konnte=koennen《oe=oウムラウト》;できる の過去・三人称単数)
「彼女はいつも全速力で走っていた」
て具合にhabenを使う、というような使い分けをしてたりするからです。(辞書に"i (s,h)"と書いてあったら、普通はseinを使うけど場合によってhabenを使う自動詞、という意味です)
まあ、seinとhabenを使い間違ったとしても、「あ、間違ってる」と思われる(あるいは指摘される 笑)だけで意味が通じなくなることはあんまりない?と思われるので、そんなに神経質になる必要は無いんじゃないでしょうか(たぶん 笑)。
じゃあ、なんで使わないのに《過去》形があるのか?
実は、このシリーズでこれまでに出てきた《過去》形を御覧になってお気づきかもしれませんが、物語や日記なんかの『書き言葉』では、どの動詞も《過去》形を使うんですね。
Prinzessin Tutu lief, um den letzten Splitter des Herzens dem Prinzen zurueckzugeben.
プリンツェシン トゥートゥ リーフ、ウム デン レ(ッ)ツテン シュプリ(ッ)ター デス ヘルツェンス デム プリンツェン ツリュ(ッ)クツーゲーベン
(lief=laufen;走る の過去・三人称単数 um=~のために letzt=最後の Splitter=かけら Herzens=心臓(2格) zurueckzugeben=zurueckgeben;返す のzu不定詞)
「プリンセスチュチュは、王子に最後の心のかけらを返すために走った」
なんでそんなややこしい(?)ことになってるのか本当のところは知りませんが、私の想像では、たぶん昔はすべての動詞において《過去》形を使ってたんじゃないかなぁ、と。それが時代とともに言葉が変化して(たいていの場合、婉曲的な言い回しになる 笑)、次第に使われなくなったけど、書き言葉にだけはその名残がある...ってところじゃないでしょうか。
ちなみに動詞の《過去》形は、実は、過去でない別の構文(「~だったらなぁ」みたいなの)で使うんですが、まあ、それについては説明するかどうか分からないので、とりあえず、そんなのでも使うよ、てことでスルーして下さい(笑)
ついでに、《過去完了》の作り方は基本的には《現在完了》と同じ。ただhaben/seinが《過去》形になるだけです。
Er war aus der Erzaehlung hinausgekommen, dann hat er sein Herz zerbrochen, um den grossen Rabe zu siegeln. 《ss=エスツェット》
エァ ヴァール アオス デァ エァツェールング ヒナウスゲコメン、ダン ハット エァ ザイン ヘルツ ツェルブローヒェン、ウム デン グローセン ラーベ ツー ジーゲルン
(aus=~から外へ Erzaehlung=物語 hinausgekommen=hinauskommen;出て来る の過去分詞 dann=それから sein Herz=彼の心臓(4格) zerbrochen=zerbrechen;砕く の過去分詞 den grossen Rabe=大烏(4格) siegeln=封じる)
「彼はお話から出て、大烏を封じるために心臓を砕いた」
《過去完了》は、過去のある時点に対して更に過去のことを表すので、たいていは、過去のある時点を示す副詞句(gestern=昨日、[am] letzten Sonntag=先週の日曜日、等々)や文節(過去形または現在完了の文章)などと一緒に使われるようです。
軽くまとめると(笑)、ドイツ語の《完了形》は、『ある時点までに終わっていたこと(ちょうど終わっちゃったトコ、っていうのも含みます)』ですね。意味としては『≒過去』だと思っていただいてほぼ間違いないです。
『過去に始まって、現在も継続していること』は、英語だと《現在完了》だったりしますが、ドイツ語では《現在》形。ついでに付け加えとくと、『現在進行中のこと』も《現在》形で、さらには(次回?また書きますが)『未来のこと』も《現在》形だったりします。でも、いつのことかってのは話の流れでだいたい分かりますし、たいていは『いつ』っていう副詞句やなんかが付いてて、考えなくても分かるようになってます(笑)
つまりドイツ語では、『時』は動詞の時制よりも、一緒に使う副詞などで表す傾向があるってことですね。このやり方は、時制が構文でガッチリ決まってる英語よりも、日本語の方に近いかな?
よけい混乱しちゃいました?(笑)