「美の求道者・安宅栄一の眼 安宅コレクション」を鑑賞しに行きました
安宅コレクションとは、昔日本の十大商社の一つであった安宅産業㈱が、事業の一環として収集した約1,000点にも及ぶ東洋陶磁器のコレクションです。
今回、私は初めて拝見したのですが、素晴らしいものが多く、眼の保養になりました。
安宅さんの言葉に、「本当によいモノは、人でもモノでも品がある」とあり、とても印象的でした。たしかに、本当だもの。
いわゆる「本物」と呼ばれるもの、時代を経て現代に残るものに共通しているのは、目には見えない存在感・パワーがある気がする。
そして、本物と呼ばれるモノを見ると、余計に、現代モノの「薄っぺらさ」のようなモノに敏感になってしまう。
同じだけの「時」を重ねれば、溝は埋まるものなのだろうか?
陶磁器を見ていて楽しいのは、「実際に使うとしたら、どう使う?」と想像しながら見ることができる、ということ。
こういうお料理を盛ったらキレイだろうな、とか、こういう空間に置いたら映えるだろうな、とか、こんなお花が似合うだろうな、とか、色々イメージしながら楽しめること。
とても充実した時間を過ごせました
安宅コレクションとは、昔日本の十大商社の一つであった安宅産業㈱が、事業の一環として収集した約1,000点にも及ぶ東洋陶磁器のコレクションです。
今回、私は初めて拝見したのですが、素晴らしいものが多く、眼の保養になりました。
安宅さんの言葉に、「本当によいモノは、人でもモノでも品がある」とあり、とても印象的でした。たしかに、本当だもの。
いわゆる「本物」と呼ばれるもの、時代を経て現代に残るものに共通しているのは、目には見えない存在感・パワーがある気がする。
そして、本物と呼ばれるモノを見ると、余計に、現代モノの「薄っぺらさ」のようなモノに敏感になってしまう。
同じだけの「時」を重ねれば、溝は埋まるものなのだろうか?
陶磁器を見ていて楽しいのは、「実際に使うとしたら、どう使う?」と想像しながら見ることができる、ということ。
こういうお料理を盛ったらキレイだろうな、とか、こういう空間に置いたら映えるだろうな、とか、こんなお花が似合うだろうな、とか、色々イメージしながら楽しめること。
とても充実した時間を過ごせました