あちらこちらで、槿の花が咲き始めた。
「真夏の太陽に照らされて咲く槿」との、強い先入観が有るゆえであろうか、槿が咲き始めると夏が来たとの感慨がある。ここ二・三日は未だ梅雨も明けないのに、夏並みの天候が続き、吹き出る汗がそう思わせても無理はないが・・・。
強烈な陽ざしのなかで、槿もまた一日限りの花の命を咲き切って、潔く散っていく。
芙蓉の開花には今しばらく間があるが、槿と言わず芙蓉といわず、彼女等の儚い花の命には、長いようで短い「人間の花時」をも考えさせられる。
人間の寿命は、我国ではいまや八十歳を越えているが、生命体の寿命は長くとも、その人間が花を咲かせ得るのは、人によってはホンのひと時だ。他人様はともかく虚庵居士は、果たして自分の花を咲かせられたのであろうか。他人が見て、花と観るか否かではなく、「これが自分の花だ」と言えるものがあるかどうかだ。そんな花を口にくわえて死ねたら、どんなにか
カッコいいのだが・・・。
花むくげ真夏を連れ来て咲きにけり
きみ待ちにしと散り敷く足もと
たれ恋ふやむくげの花のときめきを
朝日は透かしぬ滾る血潮を
いち日の命と知るらむ槿花に
花時短きおのれを想ひぬ
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