"暮らしのリズム"的できごと

先人が培った暮らしの知恵を通じて今を楽しむ【暮らしのリズム】のブログ。旧暦、落語、音楽、工芸品、食、民俗芸能などをご紹介

狂言と法要儀式で“念仏”を噛みしめる

2006年06月17日 11時47分26秒 | 芸能の催しごと

 旧五月二十二日。今日は『居酒屋寄席~五月雨 五月晴れの会』です。雲も薄めで時折日差しもこぼれるまずまずの空模様。五月晴れとまではいきませんが、梅雨の小休止です。たくさんのお客様にご予約を頂いて感謝しております。後日この場でイベントのご報告を致します。お楽しみに。

 「南無阿弥陀仏」。それほど信仰の厚くない人でも
617nenbutu、日本人であればふと口にしたことがあると思います。この『念仏』と「南無妙法連華経」の『題目』は、「唱え続けることで救われる」という仏教の教えです。こうした私たちの生活や意識に自然と受け継がれている『念仏と題目』を、ちょっと違う角度からフォーカスしてみよう、というテーマの公演が国立劇場であり、『念仏 -南無阿弥陀仏-』を観てきました。きっかけとなったのは、桜の季節に訪れた鎌倉・材木座の光明寺。ここで毎年秋に繰り広げられる【十夜法要】が舞台で繰り広げられることに惹かれたのです。

 第一部は茂山狂言による【悪太郎】。酒飲みで悪事をはたらく悪太郎は酔って寝ている間に伯父によって「南無阿弥陀仏」という名の僧の姿に変えられてしまう。目を覚まし自分の姿に驚いていると出家僧が通りかかり・・・。という滑稽なはなし。
617koumyouji改心し出家僧と修行に向かい歩き出す悪太郎。能舞台は回り舞台となり、第二部の【双盤念仏】へとクロスフェードさせる演出がお見事です。ここからは【光明寺の十夜法要】です。十二人の式衆によるモノフォニーは荘厳で末梢神経の隅々まで染み渡ってゆくようです。独特の旋律、節回しなどは各地に伝承される郷土芸能の源流を担っているのでしょう。念仏踊りとして知られる佃島の盆踊りにも何か共通点を感じさせられました(桜の頃の鎌倉・材木座の光明寺↑)


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