"暮らしのリズム"的できごと

先人が培った暮らしの知恵を通じて今を楽しむ【暮らしのリズム】のブログ。旧暦、落語、音楽、工芸品、食、民俗芸能などをご紹介

立川文都師匠逝く

2009年10月30日 21時35分16秒 | ご挨拶とお知らせ

 旧暦九月十三日。“後の月”十三夜です。中秋の名月(旧暦八月十五日)と後の月(旧暦九月十三日)の両方を見られると縁起がいい。などと昔から言われています。小雨という予報の上海でも空は晴れ、十三夜の月がくっきり見えています。ですが、とても晴れ晴れとした気分にはなれません。今夜は悲しいお知らせをしなければなりません。

 “暮らしのリズム”のイベント。居酒屋寄席でスタートから十回ご出演頂き、“暮らしのリズム”を一緒にやって行こうと、
1030bunto1立ち上げから一緒に歩み始めた落語家、立川文都師匠が昨日(10/29)23時頃に亡くなりました。その功績を偲び、心からご冥福をお祈りしたいと思います。

 文都師匠とは共通の知り合いを介して、2003年に出会いました。“暮らしのリズム”を形にして行こうという頃です。日本の伝統芸能や生活、暮らしを見つめ直して、もっと日々を楽しんでゆける企画はないものか、と語り合い、意気投合しました。そして実験的な落語会のスタイルとして居酒屋寄席を考え、第一回目はその年の11月に開催しました。1030bunto2 以降年に一度か二度、お互いと会場を提供してくれる居酒屋ニュー信州にとって無理の無いペースでゆっくり歩んできました。その間にはいろいろなことがありました。ゆっくり時間を掛けてやっていると、お互いが求めるものに温度差が生まれてくるものです。回を重ねること十回の節目。2007年12月の会を最後に文都師匠との居酒屋寄席は終わりました。その後、徐々に連絡も途絶え、疎遠になって行ってしまいました。
 体調が悪いことは、一緒に活動させて頂いている時から感じておりましたが、今年7月に自らのblogで癌と戦っていることを公表され、その文章を読み愕然としました。blogや人づてに「9月の談志一門会には何としてでも出演したい」という強い意志が伝わってきて、芸に向き合うことで病気が後ずさりしてくれるであろう、と期待感を高めました。1030bunto3 談志師匠はその直前に「体調不良を理由に年内の高座をすべてキャンセルする」と発表しておりましたが、その夜は「病気を押して文都が大阪から来るのであれば」と落語こそなかったものの舞台に上がったそうです。
 そして11月5日には文都師匠の思い入れが強い習志野寄席で、志の輔師匠、三遊亭全楽さん、立川生志さん、立川志の八さんといった気のおけないメンバーとの会を楽しみにされていたそうです。その出演が10日以上も前にキャンセルとなり、心配はつのるばかりでした。なんとか奇跡が起きて欲しい。と願うばかりでしたが・・・。最悪の知らせは思いもよらぬ早さで届いてしまいました。
 折しも三遊亭円楽師匠も同じ日、10月29日の朝、あの世へと旅立たれました。
1030bunto4今から11年前。文都師匠の真打昇進の会。国立演芸場の舞台には、文都師匠を談志師匠と円楽師匠がはさみ、口上を述べました。その写真がふっと頭の中に浮かび、ただならぬ縁を感じてしまいます。一人で逝くのが寂しい円楽師匠が、文都師匠をお伴に指名したのだろうか、などと考えてしまいました。

 もう辛い思いをしたり、痛んだり、眠れなかったりすることはありません。文都師匠。ゆっくり休んで下さい。もし人に来世というものがあるのだとしたら、また落語家になってください。文都師匠の落語を聞いて生の落語の楽しさを知った人がたくさんいたことを忘れないで下さい。合掌。
(写真上から2005年9月10日第五回・2005年12月10日第六回・2006年6月17日第七回・2007年4月14日第9回の居酒屋寄席での文都師匠です。一番下を除いて写真提供:minoru-mさん。)


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