"暮らしのリズム"的できごと

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「二十四節気」見直しに異議あり

2012年05月04日 17時11分43秒 | 季節のおはなし

 旧閏三月十四日。寒く遅れていた春も四月に入って歩調が早まり、明日には二十四節気の【立夏(りっか)】に入ります。

  夏の立つがゆえなり。
          『暦便覧』(天明八年/1788年出版)

 桜が終わり、花水木から藤の花が見ごになる頃です。新緑の淡い色彩が眩しく、夏と言われるより春爛漫を感じさせます。それでも陽射しの強さや、ふと吹き抜ける暖かい風に夏の気配を感じるのも確か。実際の季節感より少しだけ早い、二十四節気の四立、立春・立夏・立秋・立冬は、季節を先取りする先人の粋な感覚の象徴であるかの様に感じます。

 その二十四節気に関して、ちょっと前の新聞に興味深い記事がありましたのでご紹介します。日本経済新聞の2012年4月9日夕刊の文化欄です。一部抜粋しましょう。

【「二十四節気」見直し論議 季節感や言葉現代風に
 まだ寒いのに「立春」が来るなど、実感と一致しないとの声がある。また「清明」「小満」「寒露」など現代人にはなじみの薄い言葉も多い。このため日本気象協会は昨年2月に二十四節気を見直すと発表、その作業に着手した。実感に合った、親しみの持てる季節の言葉を新たに作って普及させるのが同協会の狙いだ。(中略)協会は今夏、二十四節気とは別の新しい「季節の言葉」を一般から募集する。それを外部の有識者で構成する専門委員会が選考し、遅くとも今年度中に「日本版二十四節気」として発表する予定だ。

 率直にこの動きには違和感があります。日本人と二十四節気とのお付き合いは1400年。長年培って来た感覚をなぜ今、なじみが薄いから、という理由で変えようとするのでしょうか。ここは「異議あり」と言いたいです。

 そもそも二十四節気は、月の運行に頼る太陰暦を用いていた古代中国で、暦と季節のズレによる不便解消を狙って、太陽の動きを基に
紀元前1000年頃作られたものです。日本で導入されたのは7世紀のこと。すでに1400年のお付き合いです。作られた場所が中国の黄河中流・下流域であることから、日本に置き換えると東北地方。関東以西・以南では季節感のズレを感じてしまいます。ただ北海道から沖縄まで南北に長い日本列島であれば、すべての地域の季節感をひとつの言葉はで表すのは不可能です。
 それでも季節感のズレを先取りとして受け入れ、難解な表現に対しては言葉を読み解き、季節を感じて来ました。冒頭に在るようにblog『“暮らしのリズム”的できごと』では、二十四節気に近い書き込みの際に1788年(天明八年)出版の『暦便覧』に記載された説明をご紹介していますが、これを知れば違和感も生まれないと思います。
 要するに、二十四節気は、その違和感そのものが日本人の感性として長年定着していたのです。今は太陰太陽暦の時代ではないため、二十四節気は暮らす上で必要ありません。「なじみが薄い」というのであれば、馴染まなくても生きてゆけます。でも知識として持っていれば感性豊かに暮らすこともできます。新しい日本版二十四節気を作るのであれば、1400年共に暮らした二十四節気を浸透させるための啓発に努めるべきではないでしょうか。
 民間の気象予報士ではなく、協会職員が解説する天気予報で「今日は二十四節気の立夏。暦の上では夏ですが・・・」という文句が聞かれなくなるのは寂しいと思うのですが、皆さんはいかがでしょうか。


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