"暮らしのリズム"的できごと

先人が培った暮らしの知恵を通じて今を楽しむ【暮らしのリズム】のブログ。旧暦、落語、音楽、工芸品、食、民俗芸能などをご紹介

“文化ナントカ”が気になります

2008年03月09日 22時47分55秒 | 季節のおはなし

<<3/20『手前味噌仕込みの会』たくさんのご応募ありがとうございました。
 当日の様子を後日レポートします。お楽しみに>>


 旧二月二日。3/5(水)の二十四節気【啓蟄(けいちつ)】を過ぎた頃から、春の彩りがぐんぐん濃くなってきました。
0309ume今年は冬が寒く、春の花もここ数年の暖冬傾向からすれば遅めだということです。  そのおかげもあって、梅の花がとても長続きしていますね。陽気に誘われて散歩がてら浜離宮庭園に出掛けてみると、いろいろな種類の梅の花が咲き誇り、芳香を放っていました。足元にはオオイヌフグリの青い小花やタンポポも咲き、色彩に乏しかった冬枯れの野原がだいぶ色彩豊かになってきました。(都会の青空に映える八重の梅→)

 昭和30年代が何かと話題になるこの頃ですが、高度経済成長の波に乗って生活様式が近代化し、少しずつ便利さが浸透してゆく時代だったと思います。その過程で登場したモノに“文化ナントカ”というネーミングがされていたのですが、これが最近どうも気になります。いよいよ時代の波に押しやられ、とても微妙な立場になってきているからでしょうか。パッと思いつくのが「文化住宅」「文化包丁」「鯖の文化干し」「文化鍋」・・・。なんだかロマンを感じませんか。
0309bunka1_2そんな中、最も気になっていた魅力的なアイテム「文化鍋」を今年になって買いました。(←どことなくノスタルジックで質実剛健とした形が魅力的な「文化鍋」)

 かまどや七輪に羽釜でご飯を炊いていたのが昭和20年代半ばまでのこと。底が丸い羽釜は、直火だと熱が回りやすくご飯がふっくら炊ける道具でした。やがて各家庭にプロパンガスが供給され、ガスコンロが台所の熱源になると、底が平らで噴きこぼれにくい構造の鍋が必要になりました。そこで登場したのが「文化鍋」。昭和26年のことだそうです。しかし昭和30年代半ば頃、電気炊飯器が普及し始めると、徐々にその短かい役割を終え、なんとなく忘れられてしまいました。
 どっこいそれでも「文化鍋」は現役なのです。作り続けられています。荒川区の町工場、株式会社トオヤマで製造・販売されている、往年のスタイルそのままの『亀印文化鍋』がそれ。調理器具屋さんや金物屋さん、ネット通販で入手できるのです。直径14cmから2cm刻みで26cmまで7サイズ、と用途に合わせてヴァリエーション豊富。鍋底の厚さが3mm、側面は2mmと厚手なので、ムラ無く加熱され、沸騰すれば保温性に優れているそうです。蓋も分厚く密閉性に優れ、適度な圧力が掛かるため、素材を軟らかく仕上げてくれる。と、ここまで書き並べるれば実に優れた台所の道具なのですね。
0309bunka2  こんな優れ物、ご飯を炊くだけでは勿体ない、といろいろ検討を重ね直径20cm(約5合炊き)を購入しました。早速ご飯を炊いてみると、狙った“お焦げ”は出来ませんでしたが、ムラ無く
ふっくら艶やかに炊けます。なによりご飯の香りがとても良いのです。子供の頃、朝の台所の風景がスーっと蘇ってくるような感覚です。まだご飯以外の料理には使っていないのですが、末永く大事してゆきたい道具だなぁ、と実感しています。目指せ!良い塩梅のお焦げ”が目下の課題でしょうか。(いろいろ雑穀を入れて3合半を炊いてみました↑)

 その他の“文化ナントカ”シリーズはまた別の機会に。