自己満足日記

クラキンのささやかな道楽三昧  2009年3月14日開設

25年後の出戻り

2012年02月26日 06時07分29秒 | プラモデルのお話

中学卒業と共に姿を消したプラモデル少年は、それから四半世紀後の1995年の阪神淡路大震災をきっかけにオヤジに姿を変えて帰ってきます。

私の実家(今は既に引き払ってしまって、ありません)は阪神淡路大震災で被災しましたが、幸い自宅は持ち堪えて、両親も無事でした。

私は既に40歳で東京で家族を持っていましたが、震災の数日後に実家の復旧、後片付けのために帰郷しました。(この時に目の当たりにした故郷の惨状はいまでも忘れられません。)

あの震災の僅か数日後に、被災地のほぼ中心に位置する実家までどうやってたどり着けたかは、ここでは割愛します。

家の中は家財が散乱し、あちこち壊れていて大変な状態でしたので、ひとつひとつ片付けたり、修理したりしていくうちに例の物置に行きつきました。

ここで、見覚えのある木箱を発見。 当然25年前のことなんか忘れていますが、木箱には見覚えがり、尚且つ、自分に関係のあるものだという意識があったので、早速開けてみてビックリ!

25年振りの再会です。

レベルのノンスケールのSST、1/72ファイターシリーズが数個、ニチモやフジミのキットなどなど・・・全部で20個程。

「お帰り! 25年間待っていたよ」と言われているような錯覚を憶えながら、ひとつひとつ中身を見てみると、手付かずの物、作り掛けの物・・・レベル1/72のP-47なんかはもの凄いディテールアップの真っ最中でした。

実家の後片付けを終えて、東京の自宅へ帰る時に、その木箱も宅急便で自宅へ発送しました。(あのような状況でしたから、暫くしてからの発送です。)

自宅へ帰った後、再度中身を確認しながら、「よし、もう一度作ろう」と決心をした訳です。

こうして25年前に姿を消したプラモデル少年は40歳のオヤジになって、めでたく「出戻り」を果たしました。

さすがに25年の歳月はどうしようも無く、デカールは殆どが使い物にならなくなっていましたので、そういうキットはエアレーサーや現代の自家用機を参考に適当な色に塗って完成させることにしました。

最低限必要な道具を揃えて、完成させた25年前のストックの中の一部をご紹介します。

ボーイングのSST、ノンスケール、デカールは何とか使えましたが黄ばんでいます。

Img_4906

レベル1/72フォッカーEⅢ これも何とかデカール生きていました。

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フジミ?だったと思います、1/48のFW190です。

Photo

ニチモの隼、1/48です。

Photo_2

この時のストックのうち一部は放棄しましたが一応すべて消化し、何となく作り方を思い出すことが出来、ちょうど良いリハビリになりました。

出戻り後、初めて新たに購入して作った第一号が、下の写真のメッサーです。

Img_5420

出戻ってから早くも15年経過し、その間に完成させたのがちょうど50個になりました。

子供の頃には手が届かなかったモノグラムのキットやエアブラシも今では手が届くようになり、サークルにも入り、家族の理解も得られ、すっかり楽しませてもらっています。

今は老眼との戦いです。 あと何年続けられますことやら・・・。

コメント (5)
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