熊本熊的日常

日常生活についての雑記

寿命の意味

2011年06月18日 | Weblog
スクーリングで上野動物園を訪れた。上野動物園を題材に生涯学習プログラムを考えるというのが今回のスクーリングの課題だ。昨日は生涯学習や動物園についての講義があり、今日は9時半の開園から17時の閉園まで7人一組のグループに分かれて動物園のなかを観察した。途中、動物園ホールに全員集合して動物解説員による説明を1時間ほど受けた。

動物園を訪れるのは子供が小さい頃のこと以来なので10年ぶりくらいだろうか。上野に限ってみれば自分が子供の頃以来なので40年ぶりくらいかもしれない。自分があまり動物に関心が無いということもあるが、今日のように行かなくてはならない理由が無い限り、この先も自ら動物園に足を向けることは無いと思う。

さて、動物園で気になるのは、動物のことだ。檻のなかで一生を過ごすということを、動物はどのように捉えているのだろうか。このことに関しては現実に様々な議論があるらしい。そうした議論はさておき、今日の動物解説員による説明で面白いと思ったのは、寿命に注目した点だ。動物園の動物は野生にある同種の動物より倍以上長命であることが多いのだそうだ。天敵もなく、餌の心配もないのだから、寿命を中断する要素が殆ど無い。人間の場合は、運動不足が生活習慣病の誘因になったりするのだが、それも動物にとっては大きな問題とはならないのだそうだ。なぜなら、野生の動物も殆どの種は積極的に運動をすることはないというのである。餌を探すため、敵から逃れるために、やむを得ず走ったりすることはあり、そうした場面がしばしばメディアに登場するので、人間の側が勝手に颯爽と走る動物の姿をイメージしているだけということらしい。狭い檻に閉じ込められているのはストレスになるのではないかとの見方もあるが、ストレスが寿命短縮化要因とするなら、動物園の動物が野生よりも長命であるということは、檻の中のほうがストレスが少ないということを意味することになる。

だからといって、動物園で飼育されることが動物にとって良いことなのか、相手のある話でもあるので、軽々しく論じることはできまい。人間だけの話にしても、100歳まで生きることは50歳で死ぬことよりも当人にとってよいことだ、と無条件に断言することはできないだろう。生きるとはどういうことなのか。長く生きることは良いことなのか。そういう問いを棚上げにして、「生涯学習」というものを考えることができるのだろうか。スクーリングの個人課題のひとつに「動物園で学ぶことの意義」を問うものがあったが、それ以前に「動物園とは何か」、「動物とは何か」、「命とは何か」というような諸々に思い悩んでしまった。