熊本熊的日常

日常生活についての雑記

静かに暮らす

2015年11月22日 | Weblog

Facebookのアカウントを閉鎖した。最近は専ら「友だち」の投稿を読むだけだったが、そういうものを読んでいる自分が嫌になってしまったので、アカウントを削除し、携帯からアプリを削除した。こうしてしょうもないブログを書いている身で他人様のことをとやかく申し上げるのもなんだが、つくづく人間というものはおめでたくできているものだと思う。これで身の回りの馬鹿馬鹿しいことが一つ片付いた。もう自分自身の始末を考えないといけない時期になっているので、清く貧しく楽しい生活を目指す。


ボジョレーの頃 3年目

2015年11月21日 | Weblog

昨年に引き続き、ボジョレーヌーボーの解禁を口実に御宿に住まう妻の友人宅を訪ねた。我々夫婦も訪問先の御夫婦もそれなりに齢を重ねているのでこの先いつまでこの集まりが続くのか頼りない気もするのだが、だからこそ限りある機会を大事にしようという気にもなる。今年は妻の故郷から二人合流した。ホスト役のご夫婦が美味しいご馳走とワインと地元産の無花果をたくさん用意してくれて、夜遅くまで楽しいおしゃべりに興じた。

この集まりは、妻の故郷で行われている私設図書館の活動が縁になっている。土地の人たちが手弁当で施設や労力を提供しあって主に子供向けの図書を集めて公開している。時に読み聞かせの会などの催しもあり、地元の子供たちやその親御さんたちに重宝されているそうだ。東京のような大都市ではちょっと考えにくいようなことが、そこそこの規模の社会だと機能するということが興味深い。もちろん、そこには関係者の努力があるのだが、やはり互いを認識するのに適正な社会の規模というものがあるということも組織の活動には重要な要素ではないかと思う。

自治体が発行している広報誌には毎月月初時点の住民基本台帳に基づく人口が記載されている。私たち夫婦が暮らしているところは、月次では多少の増減があるものの、基調としては微増傾向にある。東京とその周辺はどこも似たようなものだろう。しかし、妻の故郷の町は減少に歯止めがかからず、公共交通機関はダイヤ改正の度に減便されている。かつて賑わっていた地元の商店街はもはや「街」と呼ぶことのできるような状況ではなくなってしまった。

物事には適正な規模というものがある。例えば食卓を囲んでおしゃべりを楽しむのに4~6人というのはちょうど良いと思う。チームスポーツの人員もそれぞれの競技に適した人数であろうし、会社組織にしても事業内容や事業規模に応じた社員数であるはずだ。近年、景気変動や人口構成の変化、テクノロジーの変容などで物事の適正規模、殊にコストに関わる部分の変数が新たな着地を探るかのように変化を続けているように見える。世間一般の話としてよく耳にするのは人が減って仕事の負荷が大きくなったとか、公共施設や店舗で応対する人が少なくなって何か聞きたいことがあるときに適当な相手が見つからないというようなことだ。

何事かを成そうとする際、テクノロジーを駆使して生身の人間と接触することなく必要な情報を集めることができる社会になった。事の成否や巧拙は別にして、ネットで検索をすれば料理のレシピから人生相談まで、一応の道筋を得られるのが今の社会だ。人は「わかった」と思うとそこから先に思考を進めるということをしなくなる。社会は人間関係で構成されているにもかかわらず、生身の人間に接することなく社会を生きているつもりになることができる。生身の相手を知らないままに文字情報の遣り取りだけで相手をわかったつもりになることができる。経験したことがないようなことも、わかったような気になることができる。世の中は皮相な理屈だけではどうにも理解のしようのできないことが満ち溢れているにもかかわらず、見ず識らずの権威を信じて理解できたつもりになることもできる。経験の裏打ちがない言葉や理屈が我が物顔に飛び交うのが今の社会であるような気がする。

そうなると物事のサイズ感が麻痺してくるのではないだろうか。自分の身の回りの関係を律する価値観とそれを取り巻く社会のそれとは必ずしも相似形ではないという当たり前の現実があり、そこに妥協や対立の止揚といった知恵を働かせることが生きるということだと思うのだが、そういう知恵が欠如したままに自分だけの世界が全てであるとしか認識できない人たちが跋扈するようになっているのではないだろうか。そういう人たちは、自分の理屈が思うように通用しないことに苛立ちや不満や不安を覚えながら生きているのではないだろうか。要するに不幸な人たちなのではないだろうか。

自分自身も友人知人の家を訪ねるというような機会がすっかり少なくなっていることが気になっている。今日のようにそういう機会に恵まれてみて、改めて普段の生活のなかで接点のない人たちと食事を共にしながら語らう時間の厚みのようなものを感じるのである。


「鰍沢」

2015年11月15日 | Weblog

三題噺というものがある。三つの題を出し、それらを盛り込んで噺を作るのだそうだ。余興なのだが、それでも三題噺から生まれた古典落語もある。「鰍沢」は三遊亭円朝が篠野採菊、瀬川如皐、仮名垣魯文、河竹黙阿弥ら酔狂連の三題噺の会で作ったものだそうだ。お題は「小室山の御封、玉子酒、熊の膏薬」。その続編の「鰍沢」は「花火、後家、峠茶屋」で黙阿弥が作ったといわれている。「鰍沢」のほうは、その後、円朝の弟子である4代目橘屋円喬が磨きをかけ、古典として定着。さらに6代目円生、彦六、10代目馬生、9代目扇橋なども演者として知られている。2006年のドキュメンタリー映画「小三治」では小三治が「鰍沢」を口演するところでエンディングになっている。

「鰍沢」は、怖いといえば怖いが、怪談というわけではない。愉快な噺でもない。それなのに何故か聴き入ってしまう不思議な噺である。おそらく、噺家の力量が問われる噺なのだろう。尤も、殆どの落語は噺自体が面白いわけではない。或る物語があって、それを構成する要素の個性を操作することで笑いや涙を誘うのが噺であり噺家というものである。人は経験を超えて発想することはできないので、物語の構成要素の脚色は噺家の人生経験とそこから導き出された世界観に裏打ちされることになる。当たり前に物事を眺めていては人を惹きつけるような噺を語ることはできないし、世情や人情にそぐわない噺では聴く人を不愉快にしてしまう。世間の常識をわきまえた上で、微妙にその常識を飛び越えて見せなければ「おもしろい」とは思われないのである。つまり、噺家の仕事とは、そういう万人を惹きつける世界観を身につけることであって、噺をすることは積み上げてきた仕事を披露することだと思う。噺それ自体はなんでもよいのである。だから、落語を文字で起こしたものを読んでも、おもしろくもなんともないのは当然かもしれない。

ということは、噺を聴くということは噺家が披露する世界観を理解し楽しむということになる。もちろん、理解というのは人それぞれのことだ。その人なりの人生経験によって培われた教養と知性と感性に応じて噺が咀嚼されることになる。口演する側とそれを聴く側の世界観、教養、知性、感性が重なり合うところに芸が成り立つのである。落語に限らず芸事を鑑賞する楽しみというのは、自分の世界観と折り合う世界観を持った他人を発見する安心であり、自分が決して孤立した存在ではないことを確認する安堵でもある。笑いも涙も安心や安堵のないところには生まれない。なんていうようなことを考えるのもまた楽しいことである。

本日の演目

入船亭辰のこ「子ほめ」
柳家喬太郎「鰍沢(前段) 祭囃子・猫・吾妻橋」
入船亭扇辰「鰍沢」
柳家小満ん「鰍沢2」
余談会 鰍沢あれこれ

開演 14:00     終演 16:45

会場 イイノホール

観客全員に小満ん師匠から小室山妙法寺の消毒符を頂戴した。
小満ん師匠、ありがとうございます。 


文化の日

2015年11月03日 | Weblog

ハロウィーンで世間は精力を消耗してしまったのか、今日はなんとなく普段よりも穏やかな街の様子だった気がする。午後3時近くに家を出て、サントリー美術館で「久隅守景展」を観てから永田町の黒澤で早めの夕食をいただく。午後5時頃に店にお邪魔したら、蕎麦席のほうは我々のほかに客がいなかった。だし巻き玉子、湯葉刺し、葱てんぷら、牛蒡てんぷら、せいろをいただく。酒は店の人が勧めてくれた長野のものをいただく。おいしいものをいただくと、それだけで幸せな気分になる。食べ終えて、急ぎ足で国会議事堂の裏、自民党本部の脇を通りすぎ、午後6時開演の談笑の独演会にぎりぎり間に合う。幕が開く直前で、客席の照明が落ちたところだった。

席について間もなく、出囃が鳴り出す。「Lovers of the world」だ。11月3日はチャールズ・ブロンソンの誕生日なのだそうだ。だからどうだということもないのだろうが、演者の側からすれば、これも客席の反応を観るための道具のひとつなのだろう。マクラは志の輔が紫綬褒章を受章したところから始まった。

たまたま数日前に家にあるDVDで米朝の「除夜の雪」を聴いたばかりだったので、「俳句入門」はそこから繋がっている感がして面白いと思った。さすがに
 冬の癌 ひきとる息の 鼻提灯
は、もう少し練ったほうがよいのではないかと思うのだが、噺の中の俳句教室の雰囲気づくりとしてはこれが良いのかもしれない。

「代書」は枝雀のハシモト先生の枕とセットになった噺が大好きで、ちょいちょい家でDVDを観ている。今日の「代書」は談笑らしくて嫌いではないが、枝雀を聴き込んでしまうと、こちらは消化不良というか残尿感のようなものがある。

「原発息子」はよかった。今日はこれを聴いただけでもこの落語会に出かけてきた甲斐がある。噺のなかでは「国際大学」という冴えない大学の学生が就職活動で苦戦するなか、唯一採用にこぎつけた東京電力に入社して、原発勤務になる。本物の国際大学は大学院大学で、誰でも入学できるというような学校ではないので、噺のなかの「国際大学」はこれとは別の架空の学校か、ナントカ国際大学の類を想定しているのだろう。そんなことより、就職活動の件は大学の偏差値ヒエラルキーを示唆していて噺に現実味を与えている。原発勤務の描写も実際にはタブーのようになっていることで、我々は空想するよりほかにどうしようもできないことなので、こうしたグロい物語がもっと大ぴらに語られるようになったほうがよいと思う。そして、原発の安全性について嘘偽りのない議論がきちんとなされるような空気が醸成されたほうが、結局は世の中全体の為になるのではないだろうか。

近頃は万事につけ妙に清潔を装う風潮が強く、やたらに抗菌加工だの除菌だのといった表示が目につく。公の場での言葉や表現についても「差別」とか「弱者」に対して過敏な反応が目立つ。表現や表示を取り繕ったところで、物事の中身が変わらなければ何の問題も解決しないのだが、機械的に表層を整えることが「配慮」だと信じている単純な思考の人が世の大多数を占めているからそういうことになるのだろう。表層を取り繕ってそれで良し、としてしまうと、その先に思考も議論も生まれない。思考や議論は誰にとっても厄介なので、そういうことを避ける方便としては機械的に思考の種を排除するのは管理者側からすれば大変都合がよい。

そういえば、傾斜マンションの販社側の対応は巧みだと思った。傾斜している棟もそうでない棟も一括して建て替えるというのである。住民の側にすれば、傾斜した棟に暮らす人とそうでない人とは問題の捉え方が違うだろうし、傾斜しながら暮らしている人の間でもそれぞれの事情というのは千差万別だ。それを建て替えという一見すると模範的な案を提示して問題を収束させようというのである。傍目には、さすがに大手業者は懐の大きさが違うと感心するかもしれない。本気で建て替えるつもりなのか否かはともかくとして、「だから建て替えると申し上げているでしょう」と住民側に意志の統一を求めれば、そこから先に話が進まなくなることは容易に想像ができる。ただでさえドアひとつで公私を分断できると思われがちな集合住宅を購入する人々は住民同士の関係は疎遠であるに越したことはないと考える傾向が強いだろう。十数年同じマンションに暮らした人々の間でも、大規模修繕や建て替えを実施するために必要な合意を形成することは並大抵ではないのである。比較的築浅で大規模なマンションともなれば、住民側に取りまとめ役として率先して活躍するような人物がいない限り、販社側の提案に対してまともに対応できるはずがないのである。おそらく実際に事が動くまでには長い時間がかかるだろうし、ひょっとしたら少しばかりの「見舞金」でお茶を濁されてうやむやにならないとも限らない。きちんと考えるという習慣がないと、我々は無為に時間に押し流されてしまう。尤も、流れに逆らわないのが大衆というものの生き方なのだが。

「原発息子」の後、中入りとなった。「俳句」や「原発」で気分を害したのか、中入りの間にいなくなってしまった客がちらほらといた。私の斜め前の席も中入り後に戻ってこなかった。誰もが聴きたいというような噺はろくなものではない。何人か途中で帰ってしまうくらいのほうが、聴く甲斐があるというものだ。中入り後は「富久」でお開きとなった。

「富久」は、私は少しくどいと感じたのだが、妻はこれくらいじゃないと噺が面白くないという。ただ、久蔵の真摯さが空回りする様子はよく伝わってきて、その風車が虚しく回転しているかのような感じは、滑稽なような哀れなような、落語ならではの重層感というか強調された多面性のようなものがあって面白かった。

本日の落語会:立川談笑 月例独演会 其の165回
 長めのマクラ:志の輔紫綬褒章、談志が亡くなったとき
 小噺(嫌な奴に会ったとき、少年野球、夫が亡くなったとき、プレゼント)
 「俳句入門」
 「代書」
 「原発息子」
 「富久」
 開演 18:00    終演 20:15
 会場 国立演芸場