熊本熊的日常

日常生活についての雑記

「へたも絵のうち」

2006年04月30日 | Weblog
熊谷守一の「へたも絵のうち」を読んでいたら、聞いたことのある台詞がいくつか出て来た。昨年の手帳をぱらぱらとめくってみたら日経の「半歩遅れの読書術」のなかで堀江俊幸が熊谷を取り上げていた。

「へたも絵のうち」も日経の連載「私の履歴書」をまとめたものである。昭和46年に掲載されたものなので、リアルタイムで読むことはできなかったが、それでもリアルタイムで読みたかった。それくらい面白かった。

生まれた時代は、その人の人格形成に大きな影響を与えるという。明治生まれの人は、自分というものを大切にする傾向が強いように思う。日本の価値観が大きく転換するなかで、自分自身の生き方の指針のようなものが否応無く求められたからなのだろう。

本書のなかで熊谷がこう語っている。「自分に無いものを無理になんとかしようとしても、ロクなことにはなりません」身も蓋もないように聞こえるが、深い言葉だと思う。

最澄と天台の国宝

2006年04月27日 | Weblog
国立博物館で仏像を拝んで来た。仏像の表現は、地域や時代によって異なるが、個人的には平安期の日本のものが好きである。完成当時はきらびやかだったのだろうが、年月を経てそうした上辺の虚飾が剥がれ、仏像本来の姿が露になっているような気がする。そこには彫った人の息づかいが感じられるのである。それぞれの仏像が彫られた時の事情など知る由もないが、この時代のものには純粋な信仰心が込められているように思える。それが武士の時代になると、仏像を彫らせる人の虚栄心や邪気が見え隠れしているように感じられるのである。お経にしても、美しいけれど無機質的な文字と、多少の乱れはあっても心を打つ文字があるように思う。

自分も齢を重ねてみて、本物への憧れのような気持ちが強くなったような気がする。

万年筆を買う

2006年04月12日 | Weblog
丸善で万年筆を買った。社会人になった頃、文房具に凝ったことがあり、ラミーの万年筆を買ったり、伊東屋でレターヘッドを作ったりした。しかし、その後、紆余曲折を経てモノに対するこだわりを失っていた。それが再び自分の持ち物に関心を払うようになった。値段やブランドではなく、売り手の話をよく聞いたり、自分なりに調べたりして、納得したものに金を払うようになったのである。

今日、たまたま丸善の文具売り場で、ペリカンの人に万年筆の話を聞いた。値段の違いの要因、ペン先の加工が手作業なので同じ書き味のペンが二本とないこと、ボディの素材について、インクのこと、などなど興味深い話ばかりだった。私も自分が認識している書き癖を話して、自分に合いそうなものを見繕ってもらった。そのなかから選んだものを買ったのである。

やはり万年筆の文字は良いと思った。悪筆でも味わいがある。そう思うのは、ひょっとしたら、自分だけかもしれないが。

びっくりしたなぁ、もう。

2006年04月10日 | Weblog
コーヒー教室に参加した。参加理由はともかく、今日は抽出がテーマだった。ペーパードリップを使い、美味しいコーヒーの抽出方法を勉強した。

驚いたのは、抽出器によって味が違い、同じ抽出器でも淹れる人によって味に大きな差があることだ。今日の教室ではカリタ式、メリタ式、コーノ式の3種類の抽出器を使った。カリタが3つ穴でメリタとコーノは1つ穴。カリタとメリタは真横から見ると台形のフィルターを使うのに対し、コーノは三角。形状と穴の数によって、湯がコーヒーのなかを通過するプロセスが異なる。従って、味に違いが出るのである。また、同じ抽出器でも湯の投入量、投入位置によって、やはり湯がコーヒーのなかを通過するプロセスが異なる。私の観察によると、味を決めるのは、一投目の湯の入り具合であるように思う。これはつまり蒸らしである。十分に蒸らすとコクの深い風味豊かな味になるようだ。

先日観た「かもめ食堂」という映画のなかで、コーヒーの淹れ方を微妙に変えたら味がよくなったというシーンがあった。本当にそういうこともあるのだと今になって納得した。

DVDを観て美術館に行って

2006年04月07日 | Weblog
DVDで「モジリアーニ」を観て、それから東京都美術館へ行って「プラド美術館展」を観て、そして出勤した。

「モジリアーニ」は作品として力不足。彼が抱えていた問題がよくわからないし、ピカソとの対比で描くことの意味もよくわからない。彼等を魅了したパリという場所の雰囲気はよく描かれているが、それがモジリアーニという人物の描写に活きていない。救いが無い。

プラド美術館展は2002年の国立西洋美術館でのもののほうが見応えがあった。エル・グレコやゴヤが好きなら楽しめるのだろうが、そうでないと物足りない。

自宅近くの商店街に蕎麦屋ができたので、早速行ってみた。味も価格も平均的で、特にこれという特徴がない。流行る店とそうでない店の格差が激しい地域なので、この店がこの先もやっていくことができるのか、他人事ながら心配になってしまった。

よのなかのしくみ

2006年04月05日 | Weblog
「ホテル・ルワンダ」を観た。世の中の仕組みについて再認識させられた。「シンドラーズ・リスト」との対比で語る評を目にするが、自分としては「ノーマンズ・ランド」を連想した。ジャーナリズムの欺瞞と無力、”humanism”というものの偽善、欲望の悲劇的な強さ、そんなものが人間社会の原動力であるような気がする。いつ崩れ落ちても不思議ではない世界が、草の根に息づく僅かばかりの良心と知性でかろうじて支えられている。そんな構図が頭に浮かんだ。

空回り

2006年04月04日 | Weblog
せっかくヨガマットを買ったのだから、家でも練習をしようと思うのだが、あっという間に一週間が過ぎてしまい、何もせぬままに教室に出かけることになってしまう。

古いブログを丸ごと削除した。切り捨てるときは潔く。

ある発見

2006年04月03日 | Weblog
丸善でポープの詩集を探したら、一冊も無かった。シェイクスピアに次いで引用されることが多いのだそうだが、18世紀の詩人ともなると、さすがに読者は少ないのだろう。

丸善のコーヒーはおいしいと思った。

年度替わりのころ

2006年04月01日 | Weblog
毎年この時期は眠い。今日もほぼ半日寝床にいた。

「エターナルサンシャイン」はおもしろかった。誰もが安穏を欲しているが、それは容易に手に入るものではない。心を乱す思い出したくもない記憶を消すことができたとしても、思考のパターンが変わらなければ人は同じような歴史を繰り返す。良いことも悪いこともすべてひっくるめて自分の人生として受け容れる度量がなければ、心が安らぐことなどあり得ない。

このところ映画の選択にはずれがない。「エターナルサンシャイン」というタイトルはポープの詩からの引用であると知り、早速、ポープの詩集を買いに紀伊國屋へ走った。

夜、長い付き合いの友人から電話。今度こそ本気でマンションを買おうと思うんだけど、との相談。そんな必要は全く無いのだが、一人暮らしというものがしてみたいのだという。人生の折り返しを過ぎると、生活の大転換を図ってみたくなるものなのだろうか。

いつも行くプールは今日から民営化。といっても何が変わったということもない。監視員のシャツが、少し立派になった。