熊本熊的日常

日常生活についての雑記

親子

2016年01月31日 | Weblog

上野の山では寒桜が咲いていた。娘と上野にボッティチェリ展を観に行く。明治のお雇い外人たちが、日本の子供たちの幸せそうな笑顔に感心させられたそうだ。大人が子供と一緒になって遊ぶ姿にも驚いたという。親が子を思う、大人と子供が一緒になにかをする、というのは我々にとっては当たり前のことのように思うのだが、「大人」「子供」の区別というのは文化によって様々なのだろう。やはりお雇い外人のなかには、日本の「大人」と「子供」の関係をだらしがないと感じた人もいたらしい。親子というのは生物学医学上の定義もあるだろうし、それとは別に社会的な位置づけもある。大人と子供にしても一人の人間について言えば、時間は連続しているのだから切れ目など入れようがないのである。文化の問題と言ってしまえばそれまでなのだが、実は多分に幻想にすぎないことが多いのだろう。

今回のボッティチェリ展に限らず、西洋の絵画には聖母子を描いたものがたくさんある。その時代や文化によって表現の決まりごとがあって、今の感覚とは必ずしも合っていないのは承知しているつもりだが、少なくとも今日観た母子像に親子の情は感じない。「聖」なので下々とは違うのだ、と言われればそうなのかもしれないが、それにしても、母が子に対して抱くであろう慈愛であるとか素朴な喜びのようなものは微塵もない。子の方も、それがやんごとなき人であることを承知している所為もあるだろうが、子供に当然に観られる依存心が見えず、唯我独尊といった風情のものが多い。つまり、親子というのは役回りであって、親という個人と子という個人が描かれているように見えるのである。

家に帰ってからも気になって、書棚にある図録類をぱらぱらと捲ってみたが、ボッティチェリと同時代に活動した作家の作品としてはダ・ヴィンチの「聖母子と聖アンナと洗礼者聖ヨハネ」とかミケランジェロの「聖母子と聖ヨハネと天使たち」は今風な感じを受けた。尤も、ブロンツィーノの「ヴィーナスとキューピットのいるアレゴリー」は極端だが、ラファエロの「聖家族」もかなり微妙な「家族」だ。

今日は娘が饂飩を食べたいというので六本木の黒澤に行って、その後、国立新美術館で開催中の大原美術館展を観た。こんなに主要作品を出してしまって、倉敷のほうは大丈夫なのかと心配になってしまうような大展覧会だ。そのなかに小出楢重の「Nの家族」があった。見る人の視線によるだろうが、私はボッティチェリ展に並んでいた母子像よりも家族らしい雰囲気を感じた。だからどうというわけでもないのだが、聖と俗であるとか親と子といった座標軸の置き方には興味を覚えた。


芝居

2016年01月30日 | Weblog

落語には芝居噺というものがある。芝居というものが当たり前に人々の日常のなかにあったからこそ、それを題材にした噺ができたはずだ。娯楽が少ない時代だからとはいいながら、芝居が人気を集めたのは何故だろう。そもそも娯楽は何だろう。素朴に楽しいとか面白いとか思えるものを娯楽というのであって、理屈を考えなければならないようなものではないのだろうが、「そもそも」などと思うこと自体が野暮である。

それで芝居だが、かつては芝居というものが国民常識であった時代があったらしい。今は芝居というものがどれほど人気のあるものなのか知らないが、このブログの毎年の大晦日の頁にあるように、私自身が芝居を観るのは年に数えるほどだけだ。「忠臣蔵」のあらすじはなんとなく知っているが、歌舞伎の「忠臣蔵」の何段目がどういう話かということは知らない。それで毎日の生活に不自由があるわけもないのだが、芝居噺を聴くときには、芝居を知って聴いたほうが一層面白く聴けるのかなとも思うのである。殊に連れ合いが芝居好きで、そういう主張をことあるごとに私に対してするので、尚更である。しかし、歌舞伎と落語では木戸銭の水準がずいぶん違う。落語を聴きに出かける調子で歌舞伎には行けない。もとは誰もが出かけるようなものだったのが、いったいどうしてこんなことになってしまったのだろう。

ところで、敷居が高くなった分、芝居は面白くなったのだろうか。国民常識時代の芝居というものを知らないので比較のしようがない。妙に有り難がられるようになったがために世間から遠い存在になり、鑑賞者も演者もいなくなって消えてしまったというようなものがいくらでもあるのではないか。世間での位置というものは調整しようとおもってできるものではないだろうが、要は何を表現したいのか、何を訴えたいのか、という演者の側の世界観と、そこに何を期待するのかという鑑賞者の側の世界観とが重なってこその「芸」なのだと思う。

なんだか誰もが自分の思いを容易に露出できるかのように見える世の中になったが、そのことでかえって共有しているものが薄っぺらであることがはっきりしてきたようにも感じられる。そういうなかにあって、特定の約束事の上に成り立つようなものが成り立ちにくくなってはいないだろうか。約束事というのは誰にでも通じるものではないのである。約束できない人とは約束できないのだから。

本日の演目

柳亭市丸「たらちね」
三遊亭兼好「紙入れ」
      まくら:ベッキー、金目鯛、オオサンショウウオ、一夫多妻多夫一妻よいのでは?
          結婚できない人がたくさんいるのだから、余裕のある人は持てるだけの妻なり夫なりを持って全体のバランスを取るべきなのでは? 
          売れない芸人の正妻になるか、売れっ子の二号になるか
          ユニクロの柳井さんなら、10-20人同じ服の色違い
          LINE バレることの怖さ
          噂話 人に言うなと言われた人が 人に言うなと人に言う
柳家三三「二十四孝」
      まくら:岐阜 善光寺 その近くの曹洞宗の寺で落語会 一か八か「蒟蒻問答」 
桃月庵白酒「四段目」
      まくら:47歳 固有名詞が出てこない 感動しないから記憶されない
          新鮮な感動が大事では いろいろなことに挑戦する
          現金主義からクレジットカードへ ポイントは麻薬のよう
          エンタメ 落語 みてはいけないと言われるとみたくなる
柳亭市馬「淀五郎」
      まくら:白酒の汗が飛び散っている
          初芝居 vs 初席
          家庭に諍い vs 家庭は円満

開演 18:00  終演 20:15
よみうりホール
           


まくら

2016年01月23日 | Weblog

落語というのは限定された空間において演者が噺を口演するものである。上方のほうは大道芸由来らしいのだが、今は寄席やホールで演じられるものだ。なかにはカメラが入って記録されたり放送されたりするものもあるが、基本は限られた空間を演者と聴衆だけで共有するものだろう。だから、公開されたものではあるけれど半ば私的な場でのやりとりでもある。つまり、そこにはその場だけで通じるような毒があってもよい、あったほうがよいと思うのである。

昨今、人の生活が本人の知らないところで露出していることが当然になっていて、世の中を治めるほうからすれば誠に便利のよい社会になった。人を雇って誰かを尾行したり、大がかりな装置を用いて電話を盗聴したりしなくとも、その気になれば街角のあちこちにある「防犯」カメラの映像を見たり、ネット上のやったりとったりを覗いたり、こういうウエッブサイトの主を特定したり、というようなことは簡単にできるのだろう。自分が間違ったことをしていないと堂々としていられるなら、誰に見聞きされようが平気でいられるはずだが、何か後ろ暗いことがあると「個人情報」だの「肖像権」だのと騒ぎ立てないといけないことになる。ほんとうは後ろ暗いことがあろうがなかろうが個人的なことを赤の他人にとやかく言われていい気持ちはしないものだろうが、その嫌な感じというのはうまく説明できる類のものではないから、結局、治める側の論理に呑み込まれることになる。なんとなく閉塞感や窮屈な感じを覚えながら生活しているのは、不景気の所為ばかりではないような気がする。

落語のまくらは噺の世界と現実の世界との橋渡しをするものだと思う。まくらに毒のあるものが多いのは、噺というものが本来的に権力に対する批評批判の役割を担っているからだろう。まくらで大笑いができる、噺で大笑いができる、というのは社会の健康のバロメーターのようなものだと思うのである。噺家が何を思い考えて口演しているのか知らないが、高座に上がって口にすることにひとつの無駄もない。生身の人間の立ち居振る舞いや喋り、そのすべてが自分の生活している世界そのものだと思って聴いている。

本日の演目

はまぐり「真田小僧」
白酒「徳ちゃん」小千谷 どうりで縮み上がった
   まくら:寄席の楽屋のこと、文楽、血栓、たまねぎと味噌
       寄席の割 今でも銭単位 噺家の格 
白酒「風呂敷」
   まくら:楽屋のこと、芝居、映画それぞれ
(中入り)
遠峰あこ アコーディオン
     「崎陽軒シューマイ旅情」「茶碗蒸の唄」
     「プッチーニ「私のお父さん」より、私の中央線」「ベルギー民謡から 二人の歌」
白酒「うどんや」
   まくら:クルーズ 小笠原クルーズでアルゼンチンのバンドのルイス・サルトールと同室
       ゲントでのこと 「サービス」のなかみ
       安倍さん 興奮すると滑舌悪くなる 安倍の犬NHK
       竹下さんの周囲 死人続出
       早稲田雄弁会
       呑み屋で落語 声で押さえつける 300人くらいのホールなら噺家は地声で通らなければならない
       出商人 声でなくテープ やる気ない

開演13:00 終演15:10
なかのZERO小ホール 


仕事

2016年01月17日 | Weblog

『四世 桂米團治 寄席随筆』を読了。弟子の米朝らが米團治の書き残したものを編纂した本で、岩波書店から本体価格10,000円で販売されている。ここで岩波のブランドであるとか価格といったものについてどうこう語るつもりはないが、私は10,000円でも安いくらいだと思った。年明け早々からよいものに巡り合った縁を喜んでいる。公私様々なところに書かれた文章が集められているが、やはり私的な文章が面白い。「凡想録」と自ら題した手帳の文章が、記された日付とあわせて読むと、「時代」という言葉でしばしば表現される時の潮流というものが上辺だけのものであって、人の思想や哲学といったものに普遍性を感じる。また、普遍性のある思考というものができるようにならなければ生きている甲斐がないとも思う。

米朝が師の忘れられない言葉として以下のような引用をしている。
「芸人は、米一粒、釘一本もよう作らんくせに、酒が良えの悪いのと言うて、好きな芸をやって一生を送るもんやさかい、むさぼってはいかん。値打は世間が決めてくれる。ただ一生懸命に芸を磨く以外に世間へのお返しの途はない。また、芸人になった以上、末路哀れは覚悟の前やで」
この言葉の「芸人」のところを「人間」に置き換えても意味は通じると思う。米を作るのが農民ではないし、釘を作るのは工員や職人ではない。人間が作るものは自然の摂理のなかで生み出されるものであって、様々な仕事はその摂理のなかにおける介助役の間での役割分担にすぎないと思うのである。生まれてしまった以上、一生懸命に生きるよりほかにどうしようもないのである。一生懸命だからといって、そのことを無闇に誇ったり驕り高ぶったりすると他人と衝突することになる。人は社会のなかでしか生きることができないのだから、貪ることなくただただ世間が決める値打のなかで生きて行くよりほかにどうしようもないのである。時にそれが満足の行くものであるかもしれないが、たいていは自分が思っているほどに他人は評価しないものである。だから、他人の評価に振り回されていると不平不満だけが募って哀れな状況に陥ってしまう。米團治の言葉はそういうことを意図しているのではないのだろうが、そういうふうに読むこともできるだろう。

ところで、今日は年明け後最初の落語会だ。 席が前のほうで舞台が近かった所為もあるのだろうが、三増紋之助の曲独楽が一番愉しかった。

本日の演目

柳家あおば「道灌」
柳家権太楼「火焔太鼓」
柳家さん喬「ちりとてちん」
鼎談:小さん、さん喬、権太楼
三増紋之助 曲独楽
柳家小さん「幇間腹」

開演 13:00 終演 15:30
小金井 宮地楽器ホール 


初詣 2016

2016年01月11日 | Weblog

今年は高尾山薬王院有喜寺へお参りした。電車で高尾山口駅まで行って、リフトで462m地点まで登る。高尾山には小学生の頃の遠足をはじめとして何度か来ているが、リフトに乗るのは初めてだ。加齢で身体がヤワになっているので無理はしないのである。高尾山を訪れたのは子供が小学3年生の頃以来なので、10年ぶりくらいになるのだろうか。細かな記憶は勿論飛んでしまっているが、山道を歩いていて大きく変化したという印象は無い。尤も、単に自分がぼんやりしてこの10年を過ごしてきたというだけのことなのかもしれない。

薬王院は改めて眺めると立派な寺院である。これまでは、登山の途中で通過するだけだったが、今回は初詣なので、境内のお堂やお社をひとつひとつ参拝する。薬王院の開山は天平16年だそうで、当初は薬師如来がご本尊だったことが寺の名前の由来でもあるという。今は山伏とか天狗がここのブランドイメージという印象がある。天狗のほうは高尾山に古来住むと伝えられており、天狗社が境内にあり、お札やお守りではそれらが同じ窓口で授与されている。天狗社以外にも、境内には天狗の像がある。

日本の古い寺院はそもそも仏も神も渾然一体となって祀られていて賑やかだ。そもそもあの世のことなど誰もわからないのだから、妙に堅苦しく形式に走るよりは大らかにそれぞれの信心を尊重し合えばよいのである。わかりもしないことをさもわかったかのように決めつけると物事に角が立つ。信心に限らず、人と人との諍いは世界観の対立でもある。絶対の無いところに絶対を想定するからややこしいことになる。わからないことは素直にわからないと認め合うだけで、世の中はどれほど暮らしやすくなるだろうか。

今回は本社裏手にある弁天洞にもお参りした。これは洞窟で、その中に弁財天が祀られている。長いこと荒廃していたらしいが、1926年に再興されたそうだ。しかし、2004年に洞窟が崩落し、現在は本来の洞窟よりかなり短くなっている。それでも、十分に洞窟感がある。

薬王院の奥の院まで詣でれば、高尾山山頂はあと一息である。せっかくなので山頂まで足を延ばす。山頂にはお掃除小僧の像があった。これも初対面のような気がする。自分も毎日家の掃除をしてから勤めに出ているので、お掃除小僧には妙に親しみを感じた。

下山してから蕎麦屋で昼食を頂き、家路に就いた。何をしたわけでもないのだが、寺社に詣でると妙に気持ちが良い。