熊本熊的日常

日常生活についての雑記

やっぱりそうだったのか

2005年12月21日 | Weblog
恵比寿のとある喫茶店で、スコーンと紅茶のセットをいただいていた。そこへ50代後半から60代とおぼしき御婦人3人連れがやって来た。場所柄ということもあろうが、立派な身なりである。とはいえ、女三人寄れば姦しい。いやでも会話が耳に入ってしまう。

3人のなかのひとりの母親は彼女の弟の家族と同居しているという。多少、痴呆の気があり、百貨店などへ出かけては必要があるとも思われない高額商品を買い込んできて困るのだそうだ。そこで、クレジットカードを取り上げてしまったという。これで一安心、と思ったのも束の間。今度は、キャッシュカードで現金をおろして買い物をするようになったという。

以前にも書いた記憶があるのだが、平日の東京メトロ銀座線は、沿線の百貨店の包装紙を抱えた老婦人たちで賑わっている。それを見るたびに、優雅な老後で結構なことだと感心していた。しかし、そうした華やかな消費の陰で右往左往している人々がいたのである。

恋の歌

2005年12月18日 | Weblog
最近、「あなたと読む恋の歌百首」という文庫本を頂いた。俵万智が選んだ101の短歌に彼女が解説を付けたものである。わずか31文字で、これほど多くのことを語ることができるのか、と解説を読みながら感心した。短歌だけを読んでも、私には、せいぜい倍の61文字分の情報しか拾うことができないのである。情けない程に教養が無いということだ。解説によると、その歌だけで独立して何事かを表現しているものもあまたあるのだが、詩集のなかで前後の歌との併せ技で世界観を描いているものも少なくない。歌詠みの間では常識となっているような歌に掛けて詠んだものもある。こういうものは、さすがに解説がないとわからない。文法を知らないことによる理解の欠如もある。例えば、過去を表現する助動詞には「き」と「けり」があって、「き」は直接経験を、「けり」は伝聞を表すのだそうだ。また、「き」は回想、「けり」は詠嘆の要素が強いとも書いてある。こういうことを知らないと、歌から広がるイメージの奥行きが得られない。それにしても、言葉というのは無限の可能性に満ちている。

以前、映像翻訳の教室に通っていた時、宿題はたいてい3分間ほどの字幕や吹き替え原稿の作成だった。この時、3分間で伝えることのできる情報量の大きさに驚愕したことがある。1分間という時間はこれほど長いのに、一生があっという間に感じられるのは何故だろう、と不思議になる。

さて、その101首のなかで、気に入って書き留めたものが10首あった。

赦せよと請うことなかれ赦すとはひまわりの花の枯れるさびしさ 松実啓子
春芽ふく樹林の枝々くぐりゆきわれは愛する言ひ訳をせず 中城ふみ子
いつかふたりになるためのひとりやがてひとりになるためのふたり 浅井和代
ゆるされてやや寂しきはしのび逢ふ深きあはれを失いしこと 岡本かの子
うら恋しさやかに恋とならぬまに別れて遠きさまざまの人 若山牧水
一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております 山崎方代
体温計くわえて窓に額つけ「ゆひら」とさわぐ雪のことかよ 種村弘
暖かき春の河原の石しきて背中あはせに君と語りぬ 馬場あき子
愛うすくなりつつ旅をつづけ来て支線別るる駅に別れき 高嶋健一
あやまてる愛などありや冬の夜に白く濁れるオリーブの油 黒田淑子

松濤美術館

2005年12月16日 | Weblog
美術館にとってコレクションは大事であるが、数が多ければ良いというものでもない。ふと、思い立って、一時間程過ごすのにちょうどよい美術館が、あちこちにあって、本格的なものがひとつふたつあるというのが望ましい環境なのではなかろうか。この点で、東京は良い街だ。

松濤美術館に行ってみたら「芝川照吉 劉生、達吉、柏亭らを支えたもう一つの美術史」という企画展をやっていた。岸田劉生や藤井達吉、青木繁らの作品を核に、当時の画家とそのパトロンとの関係を表現するというものだ。当時の富豪のありよう、社会経済の状況などが限られたが数の作品や手紙などによって雄弁に語られている。展示の仕方によって、一枚の絵が多くの情報を発することに驚かされてしまった。

松濤美術館は入館料300円。これほど価値のある300円は珍しい。

ベトナム絵画

2005年12月05日 | Weblog
東京ステーションギャラリーで「ベトナム近代絵画展」を観た。時間つぶしのつもりで入ったのだが、思いがけず素晴らしい作品群に巡り会うことができた。

ベトナム戦争を舞台にした映画や報道映像を観ると、兵士たちが戦闘をしている傍らで悠然と農作業をしている農民の姿を目にすることがある。第二次大戦、インドシナ戦争、ベトナム戦争、中越戦争と、絶え間ない戦火のなかで暮らす人々にとっては戦闘も日常風景の一部と化しているのかもしれない。それにしても、心安らぐ時のないなかで創作活動が営まれ、しかも、それらに陰惨な影が感じられないのが不思議だった。

どの作品も力強く、優雅ですらある。漆絵や絹絵という手法の所為かもしれないが、描かれている人々は優しそうで、お茶を飲みながら静かに話をしたいような相手に見える。なかには従軍している最中に、新聞紙に描いた作品や、戦争のプロパガンダらしい作品もある。それすらも、ほのぼのと感じられるのは何故だろう。

恐らく、戦争のなかで生まれ育ち、戦闘が特別なことではないという所為もあろう。しかし、いつか自分たちで理想の国をつくろう、というような希望が人々の意識の根底に流れていたのではないだろうか。明るい未来を信じる意志の力が、物質的に不自由な生活のなかで絵筆を手にしたり、描かれた作品を眺めたりする余裕を生んだのではないだろうか。

もちろん、希望だけで生きることはできない。ベトナム戦争後、ボートピープルと呼ばれる大量の難民を生んだことは事実である。ベトナムがかかわった戦争の全てが正義の戦いというわけでもないだろう。

それでも、その作品に力強さ、明るさを与えているのは、自らの正義と希望を信じる心だと思うのである。