熊本熊的日常

日常生活についての雑記

PAX JAPONICA

2005年02月26日 | Weblog
「押井守 戦争を語る」というイベントに参加した。約4時間にわたって押井守が日頃考えていることを語るというもので、録音録画一切厳禁というものである。そのような会なので、私もここに彼が語った内容を書くことは差し控える。しかし、氏の語ったことは至極真っ当なことであり、特に問題となるような内容ではなかった。最後の1時間は樋口真嗣氏が加わり3月公開の「ローレライ」についての話となった。会費は3000円だが、それだけの内容は十分にあったと思う。

戦争とか兵器のディーテイルにはそれを開発した国の世界観が凝縮されているという。本当に戦える武器なのか、という点から兵器を見れば、その国が世界のなかでどのような地位を占めているのか、あるいは占めようとしているのか自ずと明らかになる。日本の自衛隊はどうなのか。米国はどうなのか。技術論の背後にある国家観や世界観という視点は非常に興味深かった。

ちなみに「ローレライ」のモチーフになっているのは「がんばれ!ベアーズ」なのだそうだ。

トレッキング 第三回 仏果山

2005年02月11日 | Weblog
 今日は丹沢へ出かけた。厚木インターに午前7時半集合である。前回は私が50分遅刻したので、今回は前日にいつもより早く就寝し、万全を期した。午前6時過ぎに自宅を出発し、環七を南下する。連休初日の所為か交通量が多く、渋滞の気配を感じたので青梅街道に抜けて山手通りを経て池尻から首都高3号線に乗る。そのまま東名に入り、集合時間に間に合う確信が持てたので、午前6時50分頃、港北パーキングで朝食を食べる。午前7時10分に港北を出て間もなく、渋滞が始まる。道路の掲示板には厚木を先頭に8kmとある。それでも時速40kmほどで流れていたので、そのまま東名を走り、7時35分に厚木インターに到着した。車を停めて携帯を見ると相方からメールがあり、渋滞の為、東名を降りて一般道で厚木に向かっているという。物事はなかなか思うようにならないものである。
 電話で相方から指示をもらい、厚木インターから毛利台というところへ移動し、そこのコンビニで彼を待つことになった。ついでにそのコンビニで今日の食料とタオルを調達する。無事に、そこで相方と落ち合い、目的地へ向かう。ちなみに、ルートは彼に任せきりなので、目的地がどこで、どのようなルートを歩くのか、この時点では認識していないのである。
 車は宮ヶ瀬湖に臨む駐車場で一旦停止する。釣り人が多く、駐車場は満車である。それでも空いているスペースに私の車を駐車し、私は相方の車に乗る。この駐車場が今日の山歩きの終点となる。すぐ近くに仏果山の登山口の標識が立っていた。相方の車で宮ヶ瀬湖を後にし、国道412号線を平山へ向かう。平山坂下の信号を過ぎてすぐのヘアピンカーブのところに山道の入口があり、そこに車を駐車し、いよいよ山歩きの始まりである。
 9時15分出発。まずは標高633mの経ヶ岳を目指す。冬場なので高い山は避けて今回のコースとなった、そうだ。前回と違って時間に余裕があるため、ゆっくり歩いていこうということになった。私が前だとサッサと登ってしまい、自然を楽しむ余裕が無いので、今日は相方が前を歩くことになった。ちなみに、今回のコースも前回同様「関東ふれあいの道」の一部である。
 途中2回ほど軽い休憩を入れ、10時30分に経ヶ岳山頂に到着。天気は晴れ、というほど良くはないのだが、それでも新宿や丸の内の高層ビル群がかなりはっきりと眺望できる。ここから仏果山まで1時間半ほどかかるので、仏果山で昼食を食べることにして、5分ほどの休憩で歩き出す。今回は前回までと比べると楽なコースのはずだが、これまでのなかで最も汗をかいたような気がする。たいした標高ではないのに妙にしんどかった。
 経ヶ岳と仏果山の間には林道が走っており、登山道とその林道とが交わる場所を「半原越」という。半原越から登山道は登りに転じる。このあたりに来て初めて林道の路肩に雪が固まっているのを見つけた。経ヶ岳から半原越へ下り、その下った分を登ったところが革籠石山(かわごいしやま)である。地図には名前が出ていなくて、点が打ってあるだけの山だ。標高640m、時刻は11時25分である。山頂のテーブルでは50歳前後の男性がポータブルの無線装置を設置してアマチュア無線を楽しんでいた。交信を聞いていると単に自分がいる場所をいろいろな人に伝えているだけのようである。アマチュア無線とはそのようなものだったのかと改めて思う。世の中にはいろいろな趣味があるものだ。
 革籠石山から少しだけ下った後、少しきつい上りになる。途中、足元の悪い尾根を通り、再び上りになる。これを登りきれば仏果山の山頂だ。少しゆっくりとしたペースで歩いているように感じられたが、山頂には12時5分過ぎに着いた。ここまではすれ違うハイカーも殆どいなかったのだが、山頂は比較的高齢の人々の団体がいくつか見られた。我々はここで昼食である。私は来る途中のコンビニで買ったおにぎり3個。相方は持参したパスタとビールとさんまの缶詰に鳥の唐揚である。相方がコンロを出して乾燥パスタを調理する間に私はおにぎりを食べ終えてしまう。手持ち無沙汰である。それで、彼の唐揚をいくつか分けてもらい、ついでに彼が持参していた乾燥プルーンもいくつか頂戴する。パスタが出来上がり、コンロが空いたところで、私が持参したエスプレッソ・メーカーでエスプレッソを点てる。10月に友人からもらったのだが、使うのは今回が初めてである。ちゃんと出来上がるのか不安もあったが、こういうものはコーヒー粉を多目に使うとおいしくできるものである。ケチってはいけない。果たして、なかなかのエスプレッソが出来上がった。
 山頂に着いた頃、それまでうっすらと曇っていた空が晴れ、陽が差してきた。と、同時に雪も降り始めた。天気雨のときには狐の嫁入りがあるというが、天気雪なら狸の嫁入りなのだろうか?この山頂には鉄骨でできた高さ10mほどの展望台がある。東京方面には高層ビル群が、海のほうには江ノ島が見える。いつも山からの眺望で関心するのは東京が思いの外豊かな緑に囲まれていることである。もう何十年もの間、環境問題が取り沙汰されているのだが、こうして鳥瞰するとけっこう余裕があるような気にもなる。おそらく、単に世界経済の核のひとつであるということだけではなく、エコ的にも余裕があるからこそ、これだけたくさんの人々をひきつけるのではないか、とも思う。そんなことを考えている間に雪はひどくなってきた。展望台の上からは、雪が文字通り舞って見える。美しいと思った。
 仏果山山頂から今日の我々の終点まで、休まずに歩けば45分ほどの距離である。ちょっと時間が早いのだが、午後1時35分、下山を始める。雪はおさまっていた。先ほどの雪のように、下界なら雨のような場合でもここでは雪になるのだろう。北側斜面は20cmほどの雪に覆われている。山頂に近いところは足元の悪い部分もあるので、少しゆっくりと歩き、途中何度か休憩もして、午後2時40分に私の車を停めた駐車場に到着した。
 ここから私の車で今日の始点へ行き、そこからそれぞれの車で七沢温泉へ向かう。3時20分頃、温泉宿が立ち並ぶ地域に着き、福松という旅館の風呂を使わせてもらう。勿論、無料ではなく、入浴料はひとり900円である。ここの風呂は露天風呂で、脱衣場も屋根があるというだけの建物である。入浴前はとても寒い。必然的に湯船に浸かる時間が長くなるが、まさに頭寒足熱なので健康的で気分も良い。4時5分に福松を出て、この近くにある有名なラーメン屋へ向かう。
 「ZUND-BAR」という名前のそのラーメン屋は著名なラーメン屋プロデューサーが手がけた店だそうだ。水にこだわった結果、このような不便な立地になったそうなのだが、美味いものを出せば立地が悪くても人が集まるという幻想も感じられないわけではない。ラーメン屋とは思えない、洒落た店の構えである。確かに、開店当初は多くの客を集め、連日長蛇の列ができたそうだ。一時のブームが去ったとは言え、午後4時過ぎという中途半端な時間にもかかわらず、店内はほぼ満席に近いという状態は、この店がタダモノではないということを示唆している。インテリアもバーのようだが、店内の匂いは間違いなくラーメン屋だ。メニューはA5版のパウチされた一枚物で、品数は絞られている。ラーメン全体のバランスを崩すので、大盛りは受けないとも書いてある。メニューの上部中央に写真が出ている「鶏油(ちーゆ)ラーメン 750円」を注文した。麺は昔ながらの中華麺で、スープは昆布や魚出汁の気配がする透明の醤油系である。能書きが多いだけあって、かなり美味しいラーメンである。ちなみに、相方はここでビールを一杯飲んだ。これから車で東京へ帰るというのに。
 ZUND-BARを4時50分に出て、家路についた。東名上りは順調だったが、環八はいつものように渋滞しており、甲州街道を使って環七へ抜け、そこからは普通に走って午後6時に自宅に着いた。

CHANEL

2005年02月10日 | Weblog
シャネル株式会社社長のリシャール・コラス氏の講演を聴いた。世界中で認められるブランドというのは愚直なまでに厳格な規律によって支えられているというのが講演の主旨であった。事実、シャネルの中核となるデザイナーや調香師は20年以上勤務しており、コラス氏も約20年在籍している。創業者であるココ・シャネルが1971年まで存命だったこともあり、社内には創業者の薫陶を受けた人々がまだ残っているという事情もあろうが、「一貫性、継続、統合、調和」というのが同社、あるいは同社の製品を語る上でのキーワードであるようだ。

私はブランド物に興味も縁もないのだが、世界中で支持を受けブランドというある種の幻想に価値を創造させるビジネスには大いに興味がある。今日の講演を聴いていて感じたのは、シンプルでわかり易いものが、時代を超えて人々の価値観に訴える力を持つということだ。結局、多くの人に受け入れられるということは、その商品やサービスを消費する人が納得できる何かがあるということなのである。それは、単に機能だけの問題ではなく、物やサービスに込められた情念とか愛情のようなものである。人間が生活のなかで使う道具類には、求められる機能があり、それを満足するなら一応の評価を得て商品となる。機能を超えたフィット感のようなものが、その道具を作った人の愛情なのだろう。言葉で説明できない機能を超えた価値というのは誰もが創造できるものではない。しかも、継続的にそうした価値を産み出し続けることは至難である。だからこそ、その価値がブランドとして結実したものには金銭では計ることができない価値がある、ということなのだろう。

私はCHANELの何たるかを知らない。しかし、コラス氏の話を聴いて、「価値」というものについて考えるヒントを得た。

人の声だけで

2005年02月02日 | Weblog
TAKE6のライブを聴いた。人間の声というのは、こうも美しいものなのかと思った。ア・カペラを生で聴くのは初めてだったが、コンビネーションの素晴らしさと変幻自在の音の世界にただただ酔ってしまった。声という誰もが持っているものを使って、声本来の用途を超えたパフォーマンスを創り出すというのは、結局のところは遊びである。たとえ遊びから始まったものであっても、それが誰にも真似のできない域に達してしまうと職業になる。しかも、遊びであったはずの技を磨けば磨くほど職業としての価値が高まる。遊びから進化した仕事で稼ぐ生活というのは理想である。"no fun, no gain"という標語を掲げる成長企業がある。楽しければ自然と熱心に物事に取り組むものである。熱心に取り組めばそれなりの成果があがる。このような循環を自分の周りに作り上げることが当面の目標である。