熊本熊的日常

日常生活についての雑記

自浄作用

2014年01月30日 | Weblog

通販の買い物の受取で職場近くのコンビニを訪れたとき、私の後から隣のレジに前の職場でご一緒させていただいた方がやってきた。先方は気付いているのかいないのか知らないが、特に声をかけられるようなこともなかったので、そのままやりすごした。私の方はその方のお名前が思い出せなかったので、こちらからも声をかけるというようなことはしなかった。たまたま、そのコンビニを出た直後、前の職場でご一緒させていただいた別の人を見かけた。先方はこちらに気付いていない様子だったので、やはりこちらからは声をかけなかった。この人の名前も思い出せなかった。この方々に個別具体的な思いは全くないのだが、前職関係の記憶だけが特に薄くなっていく気がする。先日、知り合いの職業斡旋業者の方からお電話を頂戴し、前職でご一緒させていただいた方のことをあれこれと尋ねられた。最初、彼が誰の話をしているのかわからなくて、噛み合ないやりとりになってしまった。電話を置いてから漸く思い出して、こちらから電話をかけ直してお話しをさせていただいた。その尋ねられた方とは在職中比較的良好な関係を維持していたにもかかわらず、咄嗟に思い出せなかった。私の加齢による記憶力の低下は当然あるにしても、前職の1年ほどのことだけが、なぜか記憶のなかから急速に失われているのである。その同時期の仕事以外のことは鮮明なので、おそらく自己防衛本能によって不快なものが除去されているのだろう。人の名前を思い出せない、というと、よく老化現象や病気と捉えられたりするのだが、こういう物忘れは身体が健康である証拠なのではないだろうか。


Good Service

2014年01月28日 | Weblog

ロンドンの地下鉄の駅には、地下鉄各線の運行状況を示した表のようなものがある。それぞれの線の欄にはたいがい「Good Service」と表示されている。概ねダイヤ通り運行されている、という意味らしい。皆無というわけではないのだろうが、彼の地では地下鉄駅に列車の時間表が掲示されているのを見たことがない。ホームの電光表示板には、次の列車がどこ行きで何分後に入線するかが表示されているが、何時何分に来るという表示はしていない。毎週末にどこかしらで列車を運休して保守作業が行われているのだが、そうやって作業をした線に限って翌日は遅れが発生したりする。とにかく定時運行ということに関しては全く信頼できないのである。しかし、ネットのナビサービスは当たり前に存在しているので、ダイヤが無いわけではないようだ。利用者のほうは勿論不満だろうが、そういうものだと諦めているようで、そうした信頼性の無さが取りざたされるのはあまり聞いたことがなかった。

今、通勤で京王線と中央線を利用している。中央線が曲者で、ほぼ毎日のように遅延している。終日ダイヤ通り走ることが無いのではないかと思われるほどだ。そして、車内や駅構内で「列車が遅れましたことをお詫びします」と、慣れた調子でアナウンスが流れる。この人たちは「詫びる」という言葉の意味を知らないのではないかと思うほどだ。そういう場面に遭遇する度に思うのだが、中央線も時間表を非開示にしてはどうだろうか。いつ来るか、ということを表示しなければ、利用する方もそれなりの心づもりをするだろうし、乗務員や駅職員も不毛なアナウンスなどしなくて済むから職場の精神衛生向上に役立つこと請け合いだ。とりあえず動いていれば「平常運行」などと表示しておいて、あきらかにそれとわかるダイヤの乱れがあるときは「ちょっと待ってね」とかなんとか愛嬌のある言葉を表示すると雰囲気がほのぼのとしてよいのではないだろうか。

中央線のダイヤが当てにならないのは今に始まったことではなく、国鉄の時代からだ。国鉄時代の職員というのは横柄な態度の奴が多かったが、民営化されても通り一遍の「詫び」がアナウンスされるだけで、運行実態は変わらない。何十年も同じ問題が一向に解決しないのは、解決する気が無いからなのか、そもそも解決不可能なのか、ということだろう。一応「詫び」ているということは、それが問題だという認識があるということなので、解決を図るのが知能ある者の当然の行動だろう。遅れを取り戻すために無茶な運転をして大惨事を起こしてもらっては困るのだが、オリンピックの頃までには、毎日詫びなくてもよい方策が欲しいものである。


笑う門には

2014年01月25日 | Weblog

年明け最初の落語会である。まだ1月なので一応は新春興業で、演目のほうもそれらしい楽しい噺が並んだ。滑稽噺でありながらも、ただの馬鹿話ではないところが落語の良いところで、今回の演目でも考えさせられるところもあった。例えば「雛鍔」では金銭を「不浄なもの」としている感覚にはっとさせられた。金銭が何故「不浄」なのか、噺のなかでは触れられていないのだが、こうした噺が成り立つ背景にそういう共通感覚のようなものがあったということだろう。そして、その噺が今に生きているということは、そうした共通感覚もまた依然として残っているということだ。金銭と物事の価値との違いということについては、以前に「千両みかん」という題でこのブログのなかで書いた。古典落語と呼ばれる噺には、底流に共通の価値観があると思う。

金銭が何故「不浄」なのか。不浄な金銭というのは価値と切り離された金銭のことであって、金銭が一律に不浄というわけではあるまい。噺のなかで登場する幼い若君は、価値云々ということを理解するには人生経験も薄弱で知識も不十分なので、学習段階としては金銭の存在すら教えられていないということなのだろう。庭に落ちていた銭を見つけて「これはなんじゃ?」と教育指南番に尋ねたとき、それで物品や用役を購入することができるという表面的なことだけを教えてしまっては、将来の為政者としてまともに育たないということを周囲の大人達が理解している、という設定が重要だ。金銭は拾うものではなく、価値を産み出した対価として得るものであり、その価値は社会からそれと認知されたものでなくてはならない、ということは当然のことなのだが、「千両みかん」の番頭のような人のほうが多いのが現実だろう。

価値とはなにか、自分が産み出すことのできる価値はどれほどのものなのか、というようなことを考えもせずに待遇の善し悪しを云々するのは盗人と同じだ。他人様のものを盗んで猛々しく自己主張をするというのは卑賎な行為であり、そういうところから出た金銭を手にするのは不浄なことだ。しかし、価値というものは容易に把握できるものではない。考えあぐねている間に金銭は天下を回っていく。とりあえず目先の金銭に飛びつくしかないのが現実というものではないだろうか。士農工商とはいいながら、ものを言うのは商のほうであったりする。結局、士農工商の社会は滅びてしまうのが歴史の現実で、共産主義を謳った社会が実質的には消滅するのも同様だ。要するに我々は皆卑しいのである。もう笑うしかない。

本日の演目
入船亭ゆう京 「道具屋」
柳亭市馬 「雛鍔」 
三遊亭兼好 「一分茶番(権助芝居)」
(仲入り)
春風亭一之輔 「普段の袴」
柳家三三 「橋場の雪」
開演 18:00
終演 20:30
会場 よみうりホール 


知事の顔

2014年01月24日 | Weblog

昨日、地元の選挙管理委員会から都知事選挙の投票所入場整理券が届いた。今日、出勤で駅へ向かう途中の交差点には選挙ポスターが並ぶ大きな板が立てられていた。まだ空いている区画のほうが多いのだが、ニュースなどに登場する候補者のポスターは全て出揃っている。こういうものには一定の形式のようなものがあるようで、あまり奇抜なものは見たことがない。ところが、今回は目を引いたポスターがあった。顔写真と名前だけで構成されているのである。嘘を承知でキャッチコピーのひとつやふたつを並べるのが一般的だと思うのだが、そのポスターにある文字は名前だけ。まるで総理大臣の名刺のようだ。

都知事選に限らず、選挙というものが何を目的にしているのか、正直なところわからない。例えば、今回の都知事選の場合、何を基準に知事を選ぶべきなのだろうか。そもそも有権者は知事の仕事を知っているだろうか。候補者がどのような人物であるか知っているだろうか。知りもしない仕事を知りもしない人物に託す。それが民主主義というものだのだろうか。それが選挙というものなのだろうか。わからないけれど誰かを選ぶ、となると物を言うのは外見とか声とか話し方とか立ち居振る舞いという五感で認知できることだ。話の内容など聞いてもわからない人のほうが圧倒的に多いだろうし、わかったところでそれがどのように生活とかかわるのか即時に検証はできないだろう。わからないままにわからない意思決定をして、その結果として、わからない政治が行われ、わからないままに世情に翻弄されるのである。恐ろしい世の中だ。

そう考えると、選挙ポスターの顔はどれも仏とは対極にある人相ばかりに見えてくる。


仏の顔

2014年01月22日 | Weblog

普段より少し早く家を出て、出勤前に上野の国立博物館に立ち寄る。先日、人間国宝展を妻とふたりで観に行ったのだが、帰ってきてから「やっぱり図録を買えばよかった」などと言い出したので、館内のショップで買い求めた。その展覧会を観たときは図録を買うつもりが全くなかったので、見もしなかった。改めて手にするとそのボリュームに驚かされる。今回の人間国宝展には団体指定と和紙漉き以外の全員の作品が出品されている。会場構成は平成館の2階がもう亡くなっている人の作品で1階に現役の人たちの作品となっている。単に作品の写真を並べただけの図録では日本伝統工芸展のそれと似たようなものになるが、さすがにそれでは芸が無いと思ったのか思わなかったのか、特に現役コーナーは人となりを描写しようとするかのような文章が綴られていて、読んでいて楽しい。

図録はともかく、今日は東洋館を観た。何年か前に改装工事があったが、工事の後に眺めて回るのは初めてだ。建物に入ってすぐの展示は中国の仏像。南北朝時代から唐代にかけての石仏や仏頭が並ぶ。展示室に入るとすぐに見上げるような菩薩立像と向かい合う。照明の当て方や仏像の配置といった工夫の所為もあるのだろうが、仏像の顔というのはいいものだなと思う。単に顔ではなく「お顔」である。人間というのはこういう人相になるように生きなければいけないのではないか。どんな悪人も死ねば仏になるという。そうであってもなくてもけっこうなことだが、肝心なのは生きている今をどうするかということだ。生計を立てるのは容易なことではない。かといって、目先の損得にばかりこだわっていると視野は狭窄し思考は矮小になる。そういうときの顔は畜生と変わらないのではないか。類は友を呼ぶというが、畜生は畜生と交わるようになり、畜生の世界から抜けられなくなる、ということになるのだろう。厳しい時こそ遠くを見て位置や方角をしっかりと把握しておかないと人間としての矜持を保つことはできまい。無常の世界に位置も方角もあるものかと思わないこともないのだが、死んで仏になるよりも仏のようになって死んだほうが形が良い。目の前にある仏像のような顔になるにはどうしたらよいのか、目の前に立つ人に安心感を与えるような佇まいになるにはどのような心持ちになればよいのか、というようなことを考えながら生きていけば、少しはましな人生になるのだろうか。

 


保険

2014年01月20日 | Weblog

JAFから新しい会員証が送られてきた。自動車を持っていないのにJAFに入っているというのは妙なのだが、昔、自動車を持っていた時代の名残である。入会して満20年になるが、いままでJAFの厄介になったことがない。それでも入会しているのは、万が一のときへの備えとしか言いようがない。謂わば保険である。保険というのはそういうものだろう。たいていの場合、掛け金よりも保険金のほうが少ない。そうでなければ、保険会社というものの経営が成り立たない。それでも保険に入るのは、万が一への備えなのである。

JAFに入ったのは自動車を買ったからだ。自動車を買ったのは子供が生まれたからだ。小さな子を連れて公共交通機関を利用するのは厄介だし、なによりも他の客に迷惑だ。そう考えるのは自分だけでなく、周囲の人たちはそういう人が多かった。それがいつのまにかベビーカーが大型化し、その大型ベビーカーを押して当たり前のように混んだ電車に乗り込んでくる人が多くなった。そうやって育てられた子供がどんな人間に育つものなのか興味のあるところだ。

子供が生まれたときに買った車は、離婚のときまで乗っていた。離婚してロンドンへ移り住み、1年ちょいで帰国して巣鴨で一人暮らしをしていた。それこそ万が一のことを考えると外国で車を運転する度胸はなく、巣鴨で自動車を保有する必要もないままに、昨年再婚して調布に移り住んだ。今住んでいる団地も最寄り駅から徒歩10分なので、やはり車はいらない。この間、車を運転したのは年に数えるほどのことでしかない。車が無いと行きにくい場所を訪れるとき、車で行ってみるという経験が必要なとき、くらいのことだ。

今は必要なくとも、車が必需品となることもあるだろう。尤も、自分の年齢を考えれば、そういうことになったとしても、それが長いこと続くわけでもあるまい。しかし、そういうときのことを考えておくのは、やはり必要なことだと思う。自動車周りのことはそうなってから考えればよいことだとはわかっていても、運転に関する知識や意識は持っておかないといけないのではないかと漠然と思っている。それでJAFを退会できないでいる。

 


すきまの時間

2014年01月18日 | Weblog

午後5時に友人と会う約束があり、午前中から昼過ぎにかけて陶芸があり、その間が空いていた。陶芸というのはけっこうな肉体労働なので、終ってすぐには食事が喉を通らない。それで、たいていは教室の近くにある釜揚げうどん屋でうどんをいただく。うどんを食べるのに要する時間は知れている。その後、巣鴨に回って顔見知りの店でコーヒー豆を買う。ただ買うのではなく立ち話の一言二言もあるので20分程度はかかる。今日は三田線で大手町に出て、皇居の端っこを少し散策した。

「江戸城」と呼ばれていた時代から今までの間にどれほどの手が入れられたのか知らないが、東京の真中に在って、そこだけ時間が止まっているかのような異空間だ。大手門で入園券をもらって中に入る。門や石垣や植栽が醸し出す雰囲気は都会の日常的なそれとは異質だ。それでも足元はきれいに固められているし、敷地内には鉄筋コンクリートの建物も見え隠れしており、パーツ毎に見れば「異空間」というのは大袈裟かもしれない。しかし、空気は明らかに違うと感じられるのである。空間の在り様は確かに大きな要素だろう。構築物の立地密度とか横の空間的広がりと植栽や構築物の立方向の広がりとのバランスといったものは人間の感覚に大きく作用するであろうし、植栽から発せられているであろうフィトンチッドのようなものもそこにいる人の五感に刺激を与えているはずだ。それより大きいのは私が日本人で、日本という文化のなかで存在し、今自分が立っている場所がどのような場所なのかという暗黙の知識を持ってそこに在ることに起因する諸々ではないだろうか。

皇居を後にして待ち合わせ場所に近い東京駅構内にある美術館で英国の現代美術を観る。テート・モダンの一室を切り取って持ってきたような展示だった。イギリスの人がこういう作品を観て何を感じ何を考えるのか知らないが、私にとっては眺めているだけで素朴に楽しい、というわけにはいかないものばかりだった。コンテンポラリーは作家の国籍を超えてどの国のものも似たような印象があるのは、我々の生活が国という枠を超えて存在していることの証左だろう。イギリスであろうが日本であろうがコンテンポラリーは、自分と同じ空気を呼吸している人の存在を作品の背後に感じさせるものが多い気がする。そういう意味では楽しいが、例えば雪松図を前にしたときに感じる空気の振動のようなものを体感するというような楽しさはない。作品を眺めるだけでキャプションはいらない、というような見方ができるコンテンポラリーには滅多に出会わない。

地球の裏側にいる人と当たり前のように会話ができる時代になり、データとしていつでもどこでも誰とでも遣り取りができるものがふんだんにある社会に暮らしている。しかし、データになるようなものは所詮その程度のものでしかないような気がする。

 


Nude

2014年01月16日 | Weblog

小野田寛郎さんが亡くなった。直接面識があるわけではないが、私の世代なら誰でも知っているだろう。小野田さんがフィリピンのルバング島でフィリピン軍に投降したのは1974年3月10日のことだ。小野田さんは逃亡していたわけではなく、帝国陸軍の情報将校として、帝国陸軍消滅後も与えられた任務を継続していたのである。投降したときの様子を伝える報道写真では、背筋を伸ばして敬礼している。身につけている服はボロではるけれどきちんと繕われているようで、その姿はいかにも何事かの義務を遂行しているかのようだ。つまり、現役という印象なのである。時に小野田さんは51歳。見た目には健康そうだった。

戦争とか戦闘とか戦場というものは、それこそ相手のあることなので、一様ではないはずだ。戦争を描いた映画や文学作品やノンフィクションは数多くあるが、どれも結局は作り物になってしまって、本当のところは伝わってこない。「本当」というのは経験のなかで自分の認識や観念として定着するものなので、経験のない自分にはそもそも「本当」はわからないはずだ。しかし、そうした断片の集積から自分なりに想像するところによれば、大陸でも太平洋でも日本軍の兵站は機能せず、戦死の過半は戦病死や餓死だった、という印象を持っている。具体的には大岡昇平の『野火』に描かれているような世界のイメージが強い。

ところが、小野田さんが投降したときの様子は健康そうなのである。当時、私は小学生だったので、戦争云々より、背筋のピンと延びた小野田さんの姿が妙に強く印象に残っていた。たぶん、30年近くジャングルに潜伏して「任務」を遂行し続け、自分なりに総括をして潔く投降した人の姿に何か強いものを感じたのは日本人だけではなかったのだろう。イギリスのプログレッシブ・ロック・バンドであるCAMELは1981年に"NUDE"というコンセプト・アルバムを発表している。小野田さんが投降したことにインスパイアされて制作したものだそうだ。叙情的な音楽で、そう思って聴くせいか、南の島の風や空を想わせるものだ。自分は命懸けで何かをしたことはないけれど、そういう過酷な状況のなかにあっても、ひょっとしたら空の青さとか夜空の星に心癒される瞬間というものがあるのではないかと、思った。


自信作

2014年01月15日 | Weblog

妻が「今日のお弁当は写真にとっておきたいくらい」というので、写真に撮っておいた。普段と然したる違いは無いと思うのだが、本人としては違うらしい。弁当を持って職場に行くようになって2ヶ月くらいになるだろうか。弁当を入れる袋と通勤で使っているカバンと荷物が2つになるので、何かの弾みでどちらかを忘れてはいけないと、カバンのほうは電車の棚に乗せることがあっても弁当の袋は手放さないように心がけている。弁当を持つようになって出費が減り、「一人口は食えぬが二人口は食える」という言葉を実感している。しかし、本当の違いはそういう表面的なことではない。"Le plus important est invisible"と星の王子さまも語っていた。


初天神

2014年01月13日 | Weblog

初天神の日に父親と息子が連れ立ってお参りにいく珍道中を描いた噺が落語の「初天神」で、今時分の寄席ではよく取り上げられているはずだ。行事としての初天神は1月25日で、菅原道真が生まれた日でもあり亡くなった日でもあるとの言われによる縁日だ。

「天神」と言えば「天満宮」、菅原道真を祭神とする神社を思い浮かべる。世間では必ずしもそればかりが「天神」というわけでもないようで、神様一般というか信仰対象総称というような意味で使われることも多い気がする。正月に妻の実家に帰省した折、家のなかに仏壇とは別に祭壇が設けられていて、そこに「天神様」がお祀りしてあった。拝礼の順序として、まず「天神様」に二礼二拍手一礼をしてから仏壇に向かってご先祖様に手を合わせる、となっていた。この「天神様」はあの「天神様」なのかと妻に尋ねてみたところ「知らない」とのこと。昔からこの辺りではどの家でも天神様をお祀りしているのだそうだ。

ところで、今日は亀戸天神へ参拝してきた。特に理由はなかったのだが、近所に布多天神という大きな神社があり、そこに行こうと思ったのだが、天気も良かったので亀戸あたりまで足を伸ばしてみようか、という理由にもならない理由で出かけたのである。亀戸天神に参るのは高校受験の頃以来なので30数年ぶりになる。亀戸駅から天神社へ至る通りに並ぶ商店はおそらく当時とは違うだろう。今となってはどのような店が並んでいたのか記憶にないが、今は大手飲食チェーンの店舗が目立つ。天神様への参拝客がこの商店街の需要としてどれほどの位置付けなのか知らないが、思いの外リピーターが少ないのか、リピートしても途中は素通りなのか、いずれにしても見かけほど商売は楽ではなさそうだ。

かつて神社仏閣は集客施設でもあった。特定の祭神に対する信仰というよりも素朴に天然自然を敬う気持が人々の間に強く在ったのではないだろうか。落語のネタにも神仏を扱ったものは多いし、広重の「名所江戸百景」をみても殆どの絵に神社仏閣が登場する。亀戸天神は「亀戸天神境内」として藤の季節のものがあるほか、亀戸天神の近くにあったとされる「亀戸梅屋舗」が取り上げられている。昔の人が何を想って神社仏閣を訪れたのか知らないが、素朴に何事かを願い祈るという行為が快感であったのではないだろうか。以前、このブログに掃除をした直後の部屋の落ち着きが心地よいというようなことを書いた記憶があるのだが、たとえ一瞬でも心をきれいさっぱり虚しくするということが素朴に気持よかったのではないかと思うのである。

今は空ということを忌避する時代なのではないだろうか。空白を不安に感じる文化になってしまったのではないだろうか。確かに初詣は賑わう。しかし、それは神仏を拝むための行為ではなく、世間と同じことがしたいというだけのこと、己の欲望を再確認するだけのことでしかなく、また、そういうことが精神を安定させる時代なのではなかろうか。なにがどうということではないのだが、どことなく落ち着いた風情の境内を歩いていて、ふと、そんなことを考えた。

 


本人確認

2014年01月07日 | Weblog

郵便局から本人確認が必要な郵便を預かっているとの通知が届いた。不在通知ではなく、最初からその郵便局の窓口か、こちらが指定した時間帯での配達による対面受け渡しをするという知らせなのである。いままでこういう郵便を受け取ったことがなかったので驚いた。個人の通信というものは、おそらく過半が当事者以外には価値のないものだろう。だからこそ現行の仕組みで機能しているのだろうが、対面でのやりとりというものが減って、郵便や宅配も含めて通信だけのやりとりで完結してしまうものが増えてくると、その当事者は本当の当事者なのかという確認作業が必要とされるのは当然だろう。それにしても、郵便を受け取るためにどこかに出向いたり、改めて連絡を取ったりというようなことをしなければならないということには釈然としない。

それにしても、本人確認というのはどれほど意味があることなのだろうか。勿論、形式上は運転免許証とかパスポートとか本人でなければ持っていないはずのものを持っているということが証明になる。しかし、それはあくまで決め事であって、その証明書類は偽造しようと思えば偽造できるものだろう。現にそういう犯罪は起きている。疑問なのは自分はなにをもって自分であると言えるのか、ということだ。たとえば誰かと喧嘩をしたときに、「オマエがそんな奴だとは思わなかった」という台詞が吐かれる場合、「オマエ」とは「そんな奴」とは何者なのだろうか。自分が認識している「ワタシ」と相手が認識している「オマエ」との間に乖離があるのは日常生活のなかでは暗黙の当たり前だと思うのだが、その「ワタシ」や「オマエ」について考えるというようなことはあまりないのではないか。社会、つまり人と人との関係において主体というのはそれぞれの人の世界観の軸となるものであるはずだ。それが定まらないままに関係が増殖したり消滅したりということを繰り返しているのが現実社会というものだろう。だから社会は本来的に安定しないのである。それでどうということもないのだが、確認しようのないことを確認しようというのは厄介なことだと思いながら通知を通勤に使っているカバンに仕舞った。

自宅まで配達してもらっても、出勤途上で指定された郵便局に立ち寄っても、どちらでもかまわないのだが、まだその郵便局に行ったことがないので、これを機に場所の確認をかねて出かけることにした。明日、少し早めに家を出て出勤前に立ち寄ることにする。


始めがあって、終わりもある

2014年01月06日 | Weblog

ドコモのwifiを解約した。契約からちょうど2年を経て更新月に入ったので、解約したのである。初めてドコモの携帯を契約したのはP207だったと記憶している。この当時は最新型だったが、最後に使ったドコモの携帯電話は当時の勤務先近くの量販店でほぼ無料で入手した型落ちのNECのスマホだった。P207のほうはかなり長く使ったが、最後のスマホは昨年の夏にSBのiPhoneに乗り換えるまで1年足らずしか使わなかった。P207のときは便利なものができたなと感心していたが、NECのスマホは使い勝手に不満があってスマホというのは厄介なものだとの印象しかなかった。使い勝手という点ではiPhoneが快適なので、機種によってずいぶん違うものだと、別の意味で感心している。今日解約したのはモバイルwifiルーターで、iPadを買ったときに契約したものだ。iPhoneになってからはiPadの出番が無くなっていたので、毎月の料金がもったいないと感じていた。これでドコモとの直接の縁がとりあえず切れた。

かつて、電話といえば電電公社、その後のNTTより他にサービスプロバイダーは無かった。通信網というものは当然に社会インフラであり、電気や水道や都市ガスと同じように安定した品質の信頼できるサービスが提供されるのが当然のものだった。だからこそ、そうした事業を担うのは「公社」であり、「水道局」であり、あるいはそうしたものに準じる組織だった。インフラというものはひとたび設置されてしまうと、後は維持管理が事業の主体となる。そうした流れのなかで、インフラ事業も民間企業が担うようになった、ということなのだろう。それで利用者の側が幸せになるなら結構なことだと思う。

さて、これで自分の通信インフラはSBとNTT東の2社体制になった。電気は東電で、ガスは東ガス、水道は水道局で、通勤は京王とJR。生活が当たり前に維持できれば何の不足もないのだが、当たり前の状況ではないときにも生活を維持できるようにするのが社会インフラというものだろう。先の震災のとき、私が暮らしていた都内某地域では電気もガスも水道も止まらなかったが、携帯電話はつながらなくなった。公衆電話は機能していたので久しぶりに手帳のポケットに挟まっていたテレホンカードが活躍した。こういう時でも携帯が当たり前につながっていれば、キャリアを変えなかったかもしれない。どのキャリアも同じように機能しないのなら、通話料が安くて使い勝手が良いものが選好されるのが理屈というものだろう。

震災といえば、あの震災で電気の供給が脅かされる事態が発生したことは周知の事実だ。自分が暮らしている場所が停電にならなくてよかったと安堵している背後で、電力供給源の地域のなかに暮らしが立たなくなってしまったところが発生したということに衝撃を受けた。それは電源の種類の問題というより、その電源を選択するに至った事情にまで遡らないと解決できない問題であるような気がする。あれからもうすぐ3年が経とうとしているが、問題の根の深さが時間の経過とともに深くなっているのではないか。電源選択の問題は単に技術や安全性やコストの問題ではなく、この国がどのような国家戦略の下に運営されているかを知る一端であるように思う。それなのに、震災でも停電にならずによかったと安堵している自分が怖い。


毛の生えたような

2014年01月05日 | Weblog

今暮らしている団地は京王線沿線にある。最寄り駅には急行は停まるが特急や準特急は停まらない。京王線というのはやたらに特急の多いダイヤなので、あまり「特別な急行」という意味での「特急」とは言えない、と思う。線路の容量は限られているので、特急が多いということは、それ以外のものが少ないということになる。各駅停車ともなると、特急や急行の合間を申し訳程度に走っているかのような感がある。京王線の場合は、各駅停車と急行の間に位置するものとして快速がある。表記としては「快適な速さ」だが、実態としては各駅停車に毛の生えたようなものだ。

優等列車の呼称は鉄道会社によってまちまちなので、特急や急行はともかく、「快速」とか「準急」の位置付けは初めて利用する者にとってはわかりにくい。例えば京王線なら、各駅停車と快速では停車駅がそれほど変わらないので、現在の「快速」を「毛生え各停」(各駅停車に毛の生えたようなもの)とするなどしたらどうだろうか。昨今は薄毛に悩む人も少なくないので、京王線の「毛各」あるいは「毛生」に乗車する度に、頭髪が生えてくる、というような都市伝説でも生まれれば、旅客収入の増加にもつながるだろう。人口全体が減少に転じようとしているなかで、鉄道会社の沿線人口を増加させるのは旧来型の開発事業だけでは無理だろう。どこの鉄道駅もショッピングセンター化しているが、それで増加させることのできる事業収入はどれほどのものなのか、また、いつまでも増加させ続けることができるものなのか。ここは発想を変えて、伝説創造事業というようなものを考えてみる必要があるのではないか。尤も「伝説」を宣伝したら「伝説」にはならないので、マーケティング手法も従来とは違ったものにしないといけない。いろいろ課題はあるだろうが、悪い話ではないと思う。

京王線の快速(毛生各停)に乗ると毛が生える、なんていう話が広がったら楽しいではないか。私が語ると説得力がないのだが。

 


知らないけど知っている 知っているけど知らない

2014年01月04日 | Weblog

午前中、陶芸に出かけて飯椀を挽いてきた。その後、馴染みの珈琲豆店でブルンジとコロンビアを200gずつ買い、渋谷に出てBunkamuraでシャヴァンヌ展を観てきた。

「シャヴァンヌ」と言ってもすぐに思い浮かばない人が多いのではないだろうか。東京では上野の西洋美術館に「貧しき漁夫」が展示されている。私にとっては、なにがどうというのではないのだが、印象に残る作品で、にもかかわらず他の作品を観たことがなかった。2011年の夏期民芸学校で倉敷を訪れた際に立ち寄った大原美術館にも「幻想」があったはずなのだが、印象に残っていない。この「幻想」は今回のBunkamura展にも出ているのだが、初対面のような気がする。それはさておき、今日の展覧会を観て自分が知らない理由がわかった。シャヴァンヌは壁画作家で、油彩画などで残されているのは習作や下絵なのである。

昨年はブリヂストン美術館でカイユボット展があり、今年はこれから三菱一号館美術館ヴァロットン展が予定されている。調べたわけではなく単なる印象なのだが、絵画史上重要でありながらあまり日本では大きく取り上げられていなかった作家が近年になって注目されるようになっている気がする。シャヴァンヌは1824年12月14日に生まれ1898年10月24日に亡くなっているので、印象派やマネ、クールベなどと同世代と言ってよいだろう。壁画を中心とした仕事をしてきた人とはいいながら、日本での知名度はその仕事の内容に比してこれまでは低すぎたように思う。カイユボットはそもそも作品数が少ないとはいいながら、印象派に属する画家でもあり印象派のパトロンでもあり、その割には日本では知名度が低すぎたのではないか。日本に西洋絵画を受け容れる土壌があるのだから、順繰りにさまざまな作家が紹介されるのは当然なのだが、そういうことがここ数年に集中しているような気がするのである。もしそうだとしたら、それは何故なのだろうか?


帰省

2014年01月02日 | Weblog

新幹線に乗って妻の実家を訪れる。日本海に面した冬の厳しい土地である。おそらく東京の人にとっては雪国という印象があるかもしれないが、風の強いところなので雪はそれほど積もらない。尤も、近年近隣の自治体と合併して現在の市内には雪深い地域も含まれている。新幹線はよほどのことがないかぎり運休や遅延はしないのだが、在来線は脆弱だ。今日は強風のため30分ほど遅延した。

自分の実家が首都圏内で前妻は都内出身だったので、いわゆる「帰省」というものに無縁のまま50年以上過ごして来た。今年は人生初の「帰省」である。新幹線の指定席はネットで事前申し込みをして往復ともに確保済みであり、ニュース映像に流れるような帰省風景は個人的にはやはり無縁のままである。不思議なことに、毎年同じように正月に移動していたかのような、通い慣れた感覚がある。ただ、やはり寒い。