熊本熊的日常

日常生活についての雑記

読書月記 2016年3月

2016年03月31日 | Weblog

今月読了した本は以下の通り。

1      丸谷才一 『笹まくら』 新潮文庫

先月読んだ関容子の『日本の鶯』の解説を丸谷才一が描いていた。丸谷の名前はもちろん知っていたのだが、丸谷の作品は読んだことがなかったので、とりあえずアマゾンで検索してみた。すると米原万里が「打ちのめされるようなすごい本」だと紹介したものがあり、それがこの作品だった。兵役忌避をした人を主人公にしながら、人間の社会というものを描いたものだ。兵役忌避がどういうことなのか、徴兵制が絶えて何十年も経た社会で暮らす自分には実感としてはわからないのだが、誰もが当然と思っていることを拒否するとどうなるのか、ということについては十分に伝わってきた。

 

2      米原万里 『打ちのめされるようなすごい本』 文春文庫

罪作りな本である。米原の作品はすでに「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」とか「不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か」を読んで、なんというか、すごい人だと思っていた。その米原が書いた書評を集めた本なのである。書評というのは宣伝なので、つまらない本でもそれなりに持ち上げて書くものだ。そういう所為もあって、ここに登場する本はどれも読んでみたくなって、最初のうちはアマゾンで検索しては発注していた。ほどなくして、そんなことをしていたら自分が破産するのではないかとの不安に苛まれるようになり、発注先をブックオフに切り替えた。ちなみにこの本の解説も丸谷才一だ。

 

3      田中克彦 『ことばと国家』 岩波新書

米原が「名著」だと書いていた本。日本に生まれ育っているので、日本という国は日本語を話す日本人の国、という感覚を当然のこととしているが、そんな国は他に無いのではなかろうか、というところまでは認識できる。大陸のように国と国とが地続きのところは、たとえ国境があって、しかもそこを越えることが厳しく制限されているようなところであっても、人の往来はあって当然だろう。ましてや時代とともに国境線がいたりきたりするとなると、「国」「国民」「民族」というものの区別は何のためだろうかと当人たちは思っているのではないか。身も蓋もない言い方だが、「自分」が何者か、などと考えることはそもそも意味がないと思う。生きているのは高々70年とか80年、あっというまのことでしかない。お互い儚い命なのだから、譲るところは譲って安穏と過ごせばよさそうなものだが、どういうわけかそういうことにはならないのが現実のようだ。

それでこの本の備忘録だが、以下のようなところを記しておく。

あることばが独立の言語であるのか、それともある言語に従属し、その下位単位をなす方言であるのかという議論は、そのことばの話し手の置かれた政治状況と願望とによって決定されるのであって、決して動植物の分類のように自然科学的客観主義によって一義的に決められるわけではない。(9頁)

文法の知識は、それが母語であるばあい、いい文章を書くための助けになるどころか、実際の使用をだめにする。なぜか。母語にあっては、文法は話し手の外にあるのではなくて、話し手が内から作っていくものであるからだ。知らない言語や古語の文法は、我々にとって一方的に受けとるものであり、ただひたすらにその支配に服するためにそれを学ぶ。しかし母語の文法は、話し手みずからがその主人であり、かれはそれを絶え間なく創造し発展させているのである。だから、古い規範からみて破格だの誤りだのと呼んでいるものは、じつはかれの文法の内的進化にほかならないのである。(68頁)

教養ある人たちだけが誤りなく用いることのできる言語とは死語でしかない。それは決して、すべてのユダヤ人に用いられ、解放闘争に役立つことばとはなり得ないのである。ことばは、だれもが誤りをおそれず、権威におびえず、自由に使うからこそ、さまざまな表現がうまれて発展していくのである。(182頁)

 

4      モフセン・マフマルバフ(著)武井みゆき/渡部良子(訳)『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』 現代企画室

これも米原の本に紹介されていたもの。著者はアフガニスタンの隣国イランの人。イランといえば、ペルシャ王国の流れを汲む大国というイメージだが、アフガニスタンというのは自分のなかでイメージできない。

大学を卒業する頃、卒業直前の春休みにインドに遊びにでかけ、1ヶ月ほどインド国内のあちこちに滞在した。今はどうなのか知らないが、当時は「卒業旅行」と称して若造が海外旅行をするのが流行っていた。私は東京からソウル経由でスリランカに飛び、そこから空路マドラスに入った。本当はジャフナからフェリーでインドに渡りたかったのだが、当時のスリランカは内戦中で、旅行者が北部に行くことができるような状況ではなかった。仕方なくコロンボから最も頻繁な航空路線のあるマドラスへ渡り、そこを振り出しに主に夜行列車を利用してバンガロール、ハイデラバード、デリー、ヴァラナーシー、カルカッタと移動して、カルカッタからダッカとバンコクを経由して帰国した。カルカッタには自分と同じような日本人の若造が旅行者として大勢いたのだが、そのなかにはロンドンからバスを乗り継いでインドまで来たという人もいた。当時はイランとイラクも戦火を交えていたのだが、彼はパキスタンまでは陸路でたどり着くことができたのだそうだ。どうしても陸路で越えることができなかったのがパキスタンとインドとの国境で、そこは空路で越えてきたと言っていた。日本人旅行者の多くは『地球の歩きかた』を手にしていたので、広大なインドといえども日本人旅行者の集まる場所というのが自然に形成され、そういう場所に足を運べば旅行者どうしの情報交換ができた。もう30年以上も前のことなので、当時の記憶などわずかな断片しか残っていないのだが、多少なりともアフガニスタンに近い情報というのは彼の話くらいだった気がする。

 

5      青山敦夫 『活版印刷人ドラードの生涯 天正遣欧使節の活版印刷』 印刷学会出版部

これは昨年、「ほぼ日」の特集記事でライフネット生命の出口社長が取り上げられたときに氏が若桑みどりの『クアトロ・ラガッツィ』について言及していた。それで興味を覚えて『クアトロ』を読んだら、その参考文献のなかにこの本があった。どういうわけか印刷のことをあれこれ知るのが好きなので、とりあえず購入してそのままになっていたのである。著者の青山氏は今でこそ肩書きに「ライター」などと書いているが、もともとは大日本印刷に勤めていたサラリーマンだ。関係会社の社長まで勤めて、その後、「ライター」なのである。つまり本職の物書きではない。しかし、下手な物書きよりもよっぽど読みやすい文章を書いている。内容よりもそのことに感心した。

 

6      井上章一 『霊柩車の誕生』 朝日文庫

米原の本に紹介されていたものに戻る。かなり以前、『納棺夫日記』という本を読んだ。そこで筆者が語っていたのは、葬送儀礼というものがいかに根拠の薄いものかということだった。霊柩車の話を読んでいて、ふとそのことが思い出された。いわゆる宮型霊柩車が日本独特のものであるということはしばしば耳にする。諸外国の葬送がどれほど理屈の通ったものなのか、あるいは宮型霊柩車に象徴される別のものが各地にあって、何処もこちらと同様のものなのか、全く知らないのだが、おそらく根拠薄弱というのは共通ではないだろうか。なぜなら、生きている人は死んだことがないからだ。死後の世界は空想上のことでしかないのだから、死者を送るといったところで、どのようなところへ送るのかわからないし、それがわからなければどのように送るのかもわかりようがないはずだ。それをもっともらしくどうこう断言できるのは、よほどの馬鹿か悪人にちがいない。

ところで霊柩車だが、葬列の簡略化と関係があるらしい。その昔、葬送というのは家にとっても、地域にとっても、それなりに大きな行事であったのだそうで、ちょっとした家の葬儀ともなれば、立派な葬列が組織されたらしい。それが都市化で交通の往来が頻繁になり、葬列が公共交通の障害とみなされるようになって、棺桶の運搬を自動車が担うようになったが、もともとの葬列の名残をとどめる工夫として宮型の霊柩車が考案されたということらしいのである。本書で述べられている葬儀の在り方の変遷が興味深い。本書が発行されてから30年以上が経ち、状況はさらに変化しているだろう。その方向性を調べて見ると、人と人との関係の在り方の変化が見えてくるのだろう。なんとなく結論は想像がつくのだが、世間がどうこうということよりも、自分がどうしたいのかということをはっきりさせて生きていたいものである。

 

7  藤森照信 『人類と建築の歴史』 ちくまプリマー新書

米原の本のなかで「読まずにいるのは人生の大損と言いたくなる名著」とされていた一冊。なるほど名著だと思った。いわゆる都市の風景が洋の東西を問わず同じような外見になっていると言われるようになって久しい。建築というテクノロジーに注目すれば、それを突き詰めたところにあるのは幾何学である。幾何学に国籍はない、と言われれば、なるほどその通りだ。建築に限らず自動車などの工業製品全般についても同じことが言える。

ただ、この本の要はそういうことではないと思う。備忘録としては以下を挙げておく。

昨日まで打製石器を手に獲物を追って森に分け入っていた人類は、今日から磨製石器に持ち替えて森に入り、巨木を倒し、太古の森を田畑や牧草地へと開発しはじめる。現在、森林の保護が叫ばれているが、人類の歴史で見ると、森を本当に大量に殺したのは、十九世紀以降の近代工業ではなく、自然破壊の原罪は農業にある。(30-31頁)

家は人の作る物のなかでは最大の物であり、ちゃんとした家を作るにはどうしても社会の安定と協力が欠かせない。(32頁)

人間は自分というものの時間的な連続性を、建物や集落の光景で無意識のうちに確認しているのではないか。新石器時代の安定した家の出現は、人間の自己確認作業を強化する働きをした。このことが家というものの一番大事な役割なのかもしれない。(44頁)

新石器時代において、人の住まいが生まれ、つづいて神の家が生まれたわけだが、建物としては大きくちがうことを知ってほしい。人の住まいは、雨風を防ぎ、快適に日々を送れればそれで十分であった。飾りも必要なければ、人々の心を高揚させるための内部のしつらいも、外部ならではの表現もいらない。実用的であればいい。神の家はそれでは役に立たない。母なる大地の神のために作られた室内は、人をやさしく包み、溶け入ってしまうような気持ちにさせなければならないし、父なる天上の神に献じられた外観は、人の背筋を伸ばし、大いなるものを感じ取らせなければならない。内部も外観も、神の存在を知らしめす表現として意識的に作り出された。(63-64頁)

物質は、一番大きいのは星々の散らばる宇宙で、小さいのは原子だが、両方とも同じことをやっていて、宇宙では、たとえば太陽の周りを地球などの惑星がグルグル回り、原子では原子核の周りを中性子がグルグル回る。(中略)でも、極大と極小の間の中間スケールに目をそそぐと、景色は一変する。たとえば地球の大地はどうか。(中略)その多様で変化に満ちた、私たちが日々を過ごす大地も、物質の本質というところまで掘り下げて眺めれば、極大スケールも極小スケールも同じで、粒の回転運動に行きつく。極大と極小の両端は同じ単調さを見せ、中間は多様にふくらんでいるーーーこれが物質の世界の姿にほかならない。(171-172頁)

 

8   斎藤美奈子 『読者は踊る』 文春文庫

この本も米原の本のなかに登場するが、本書について云々ではなく、書名がさらりと触れられているだけだ。そもそも本というものをあまり読まないのだが、齋藤のこの本に取り上げられているのは売れた本ばかりなので、なおさらのこと知らない本ばかりだ。その時々の話題の本を取り上げて、その時々の社会を評論している、つもりなのだろう。とても愉快な内容なのだが、それだけという感じがした。結局、それが評論というものなのだろう。

 

9  吉岡忍 『M/世界の、憂鬱な先端』 文春文庫

この本も米原の「すごい本」のひとつ。ちょっとグロテスクな事件が起こると、まるでこの世界が終焉を迎えたかのような大仰な言説を弄する人たちがわんさかと出てくるのだが、この本で取り上げられている宮崎勤の事件と酒鬼薔薇聖斗の事件はそうした事件の典型のようなものだろう。本書の48ページから484ページまでが宮崎の事件についての記述で、485ページから622ページが酒鬼薔薇についてのものだ。ふたつの事件に直接的な関連はないが、当たり前のように見える日常のなかから、その日常を崩壊させる因子が当たり前のように生まれた事件という点では同じ系列の事件ということなのだろう。

常々感じていることなのだが、我々は連続性のなかを浮遊している。自分がそうと決めなければ物事に白黒はつかないし、どこからどこまでがどうこうという境も無い。異常と正常の違いなどかなり恣意的なものでその場の状況によってどうにでもなるものだということは、なによりも宮事件の精神「鑑定」が雄弁に語っている。宮崎も酒鬼薔薇も、たぶん自分が感じているほど自分と遠い人たちではない。同じ時代の同じ空気のなかで、なにか微妙なところの差異を微妙な方向に積み重ね、それが閾値を超えてしまったときに「事件」となり、超えなければ「ちょっと極端な日常」のままやりすごされてしまう。よくみれば誰もがどこかしかが狂っている。事件を起こした当人も、その家族親戚友人知人を無闇に責め立てる大衆も、狂気の度合いは似たようなものだ。

以下、備忘録。

何度読んでも、宮崎本人の姿はぼんやりとしか浮かんでこない。内気で勝手、要領をえない、ときに奇妙に張り切ったりする子ども。教師言葉で言えば、扱いにくい生徒だったにちがいない。そのくらいのことしかわからない。だが、それはよい。子どもであれ大人であれ、その人物像をひとことやふたことで言い表すのは簡単でないのだから。ところが、かわりに浮かび上がってくるものがある。かなり強烈にある。教師たちに言わせればー大勢の友だちと遊ばないのはいけないことなのだ。一人とか、二人三人で、室内で遊ぶのは好ましくないし、グループ内で協調しないのはおおいに問題なのだ。みんなの前ではきはきしないのもいけないし、みんなのやることとちがうことをするなんて、とんでもないことだ。おとなしいこと、明るくないこと、みんなと積極的に仲よくしないこと、集団にそっぽを向くことは欠点なのだ。(140-141頁)

この家の食卓には椅子が四脚しかないーそのことに最初に気づいたのは、一審のときの弁護士たちである。祖父母、両親、子どもが三人。七人家族なのに、四つの椅子。家族で食卓を囲むなごやかさが、この家庭にはなかったのではないか。四脚の椅子は、凝集力を失った家族の象徴として目を引いたのだった。(150頁)

写真を撮る、という日常的な行為のすべてとは言えないが、少なくともある側面は、じつは相手をモノとして扱い、奪い、攻撃し、支配し、勝ち誇る一連の過程であることに、たぶん私たちは長いあいだ気がつかないできた。いまも十分に気づいているとは言えないだろう。明るく、きらびやかにこの社会を彩り、豊かさと快適さを演出する無数の映像のすぐ裏側に、すーっと浮かび上がってくる攻撃性がある。簡便で、高機能のカメラによって、ますますあっさりと解放される暴力性や支配欲がひそんでいる。(208頁)

「解離」がテーマになる。受け身であることが一人ひとりの生きる姿勢になったときに問題になるのは、解離なのだと私は考える。解離は、ある人間が恥辱的体験をはじめとするいやな体験の記憶をどう扱っていいかわからないままに、心のどこかに押し込めている状態を言う。そのせいで精神はどこかでバランスを失し、統合を失っている。(562頁)


自粛の年

2016年03月23日 | Weblog

勤め先ではちょいちょいコンプライアンス関係の研修が行われている。大概は自分の席で指定されたウエッブサイトにアクセスしてそこにある文字を読んだり動画を見たりした後、最後にテストがあって一定の正解数があると完了ということになる。ベルギーのテロと関係あるのかないのか知らないが、今回のお題はGun Violence Awarenessというものだった。いろいろ書いてあったが、要するにとっとと逃げろということだ。

昨年まで3年連続で休暇に欧州を訪れていたが、今年はやめておくことにした。確かに物騒ということもあるのだが、今年は妻の勤めが契約満了を迎え次の勤め先を探さないといけないので、就職活動に柔軟な対応ができるように遠出は控えておこうということになった。そもそも懐が怪しいという、より根源的な事情もある。昨年のブログに「限界」というタイトルで続けられる限り毎年遠出をするというようなことを書いたが、早くも限界を迎えることとなった。


粋でもなければ野暮でもなく

2016年03月09日 | Weblog

先月、鰍沢で落語「鰍沢」を聴くツアーに参加したことをこのブログにも書いた。そこにNHK取材班が同行していたということも書いた。しかしその後、そのツアーがNHKで紹介されたとかされる予定であるというようなことは聞いていないのだが、今日の産経新聞のウエッブサイトにそのツアーを紹介した記事が掲載されていた。「ファンも驚愕?!の超マニアックツアー 師匠と歩く古典落語「鰍沢」の舞台」という見出しだ。記事を読むと「いい話だなぁ」と思う。そういうツアーに参加できて良かったと今更ながらに思う。次回もぜひ参加しようという気持ちになる。


ポイントだらけ

2016年03月01日 | Weblog

世にポイントだらけだ。大型資本の小売チェーンから街の個人商店に至るまで、日常の購買行動にポイントが伴わないものがどれほどあるだろうか。ポイント、マイル、呼び方はいろいろあるようだが、利用頻度や売上の多寡に応じて販売価格を調整する仕組みだと理解している。そういう仕組みがなくとも、得意先やご贔屓には多少の優遇をするというのは、たぶん昔からあったことだろうし、一物一価でなければならない法などないのだから、そういう仕組み自体についてとやかく言うつもりはない。ただ、ああいうものをちらつかされると少しでも多く点を稼ごうと思ってしまう。点数に反応するというのは万物がデジタル化された近代社会に生きる人間の条件反射のようなものだろうか。その反射的行動が酷くなると中毒のような症状を呈し、必要でもないものをポイント欲しさに買い込んでみたりするようになる。

何を買うかにもよるだろうが、たぶん、自分の生活動線上にある顔見知りの店で買い物をしたとしても、世辞にのせられて余計なものを買ってしまったりすることはあるだろう。それでも、お互いに相手がどのような人なのかを見知っていれば、ポイントカードのような仕掛けを作らなくとも、繰り返し利用することになるのではないか。何事かをデータとして記録してしまうと自分のなかには記憶されないものである。ポイントという制度を作ることによって、買い物で商店の側の人間と客の側とが顔見知るという行為が外部化するのである。日常の生活のあらゆるものが、無機的なものになって背後にあるはずの関係性が乾いたものになっていく。その乾きがなんとはなしに不快なものに感じられるようになってきた。

昨年はSNSのアカウントを殆ど削除したら、気持ちがよかった。そこで、今年はポイントを一切気にしないことにしようと思う。いまのところは、やはり清々とした気分だ。