熊本熊的日常

日常生活についての雑記

多様性の意義

2012年09月27日 | Weblog

平和な一日。といっても、これを平和と言えるのかどうかは受け取り方によるような気もする。というのは、ほぼ終日、宿のオーナーの熱い語りに付き合うので、時に独断と偏見に飛んでしまう論理を追うのもけっこう難儀なことではある。ただ、誰しもそうしたバイアスはあるものなので、そういうことを受け流すことができるなら、殊に農や自然に関する話は、様々な分野に敷衍することのできる深さのあることが多く、愉快この上ない。

田畑という世界において、「豊かさ」というのは何が豊富に在ることなのか、というのは立場によって答えが違うはずだが、意外と見過ごされているのではないか。例えば、米の作り手にとっては、米の収量の多寡が「豊かさ」の尺度ということに異論はないだろう。しかし、それが、今年の収量なのか、向こう10年間の総収量なのか、となると話は単純ではなくなる。目先の収量を追うなら農薬や化学肥料をふんだんに投入してターゲットとなる米の収穫が極大になるようにすればよい。しかし、化学的に合成したものに依存すれば、田の生態系は破壊されて地力が衰え、翌年はより大量の化学品の投入が必要になる。田の本来の生産力を維持増強しようとすれば、米だけでなく、田の中に暮らす生物全体のバランスの取れた生態系を確立することが必要になる。そうなれば、米にとっては競合相手となるような植物や動物の生存圏を許容しなければならず、その田から収穫可能な米の量を自ずと制限することになりかねない。それを両立させるのが科学技術だろう、と言われればそうかもしれない。しかし、それができるほど現在の科学技術は進歩しているだろうか。

敢えて単純化した言い方をすれば、部分最適は全体最適には必ずしも結びつかない、ということだ。あるいは、所謂「多体問題」の一種とも言える。しかし、目先の収量を増やす、ということよりも、多様性を確保して持続可能性を目指すということに、生命体としての自然を感じる。 こじつけになるが、自分の生活において、目先の収量に相当することと、持続可能性に相当することに相当するのはどのようなことがあるだろうかと考えた。生活圏の多様化というのは、例えば、自分以外の人と生活を共にするということではないかと思うのである。当然、ある程度の時間や手間隙をかけて、その生活圏を構成する参加者間の考え方や置かれた状況の調整といったことは必要になるだろう。しかし、そうした手間隙や煩わしさというようなものは人としての生活のなかに存在する当然の負荷でしかないと思う。もちろん、負荷が個人の負担能力を超えてしまっては生活圏そのものが成り立たない。だから農業において地力の維持向上のために輪作の組み合わせを考えるように、ふさわしい共存相手を選ぶことが必要になる。多様性というのは秩序ある共存共栄であって、単なる混合混乱とは違う。

他にも、今日はいろいろ示唆に富んだ話を聴いたのだが、とりあえず、今日はこれくらいにして、また別の機会に譲ることにする。


大阪から長崎へ

2012年09月25日 | Weblog

午前8時に宿を出る。まずは空港へ行って、荷物をコインロッカーに預ける。似たようなことを考える人は少なくないようで、昨日、下見に来たときには殆ど空だった中サイズのロッカーが、ターミナルビルの1階にあるものは全て塞がっていた。2階の保安検査場入口に近いところのロッカーは穴場らしく、全サイズとも全て空いていた。

モノレールから御堂筋線に乗り換えるついでに千里中央駅近くの喫茶店でモーニングセットをいただく。関西地区でチェーン展開をしている店だが、コーヒーもパンも美味しかった。

腹が落ち着いたところで、御堂筋線に乗って淀屋橋まで行く。そこで下車して、大阪市立東洋陶磁美術館へ向かう。この美術館には中国と朝鮮半島の作品を中心に約1,000点が収蔵され、そこから約400点ほどが展示に供されている。陶磁器専門の美術館としては、おそらく世界最大規模。とはいえ、その収蔵品はけっこうあちこちの企画展に出張しているので、「こんなの初めて見た」というようなものは殆ど無かった。ただ、さすがにこれほどの質と量の朝鮮半島の陶磁器を一度に観る機会はなかったので、作品そのものよりもコレクションに感心する。また、建物も陶磁器の展示のために建設されたものなので、採光などに工夫があり、その独自性にも感心する。

単純に、同じ淀屋橋の近くだから、というだけの理由で、その後、国立国際美術館へ向かう。国立美術館で現代美術に焦点を当てているのはここだけ、か? 日本の美術館なのだから、日本人作家のコレクションを充実させるとか、何か独自なことを考えてもよさそうなものだと思うのは私だけか?パリのポンピドーセンターと、ロンドンのテート・モダンと、ニューヨークの近代美術館を合わせて、その予告編ようなコレクションを大阪に作ったところで一体いかなる意味があるというのだろうか。

それにしても「現代美術」で生きている人々というのは大変だと思う。「美術」の意味するところは、時代と共に変容するもので、そこに常に創造が要求されている。創造性だの想像力だのという言葉をよく耳にするけれど、それまでに存在しなかったものを創り出すというのは容易なことではない。たとえどこかで見覚えのあるようなものであったとしても、それが「創造」につながるものなら、そうした類似品を含めて創造の過程を見守るという姿勢が、同じ時代を生きる市井の者として求められているのかもしれない。ただ、それがあまりに作家の身勝手な「自己」表現で、観る者に問いかける普遍的なものを持たなければ、創作活動を生業にする資格など無いのではないかとも思う。

まだ飛行機の時間には少し早かったが、御堂筋線とモノレールを乗り継いで空港へ行く。ターミナルのなかにあるカフェで抹茶パフェをいただく。店内には何人かの客がいて、そのうち3人がパソコンを開いていて、そのうち2人がマックだった。以前に比べると街中でパソコンを開いている人のなかでマックの割合が増えたような印象がある。これもiPhone効果のひとつなのだろうか。

飛行機は定刻通り出発し、定刻より若干早く長崎空港に着いた。ちょうど長崎市内へ向かうバスが出発するところで、滞りなく大阪空港から長崎市内にまで到達できた。既に陽は落ちて暗くなっていたが、新地というバス停で下りて、すぐに宿泊予定の宿のネオンサインが目に入った。チェックインを済ませ、新地の中華街にある小さな店で皿うどんと餃子をいただく。都内にある似たような店と然したる違いはなかったが、美味しいことには違いない。宿が入る建物の1階にあるコンビニでアイスを買って部屋へ戻る。

明日は朝早くに宿を出て船で福江島へ渡る。


先が思いやられる

2012年09月18日 | Weblog

始めて挽いた徳利の一部が本焼きから上がってきた。とても「徳利」とは思えないような姿で、ある程度予想はしていたが、それでも苦笑を禁じ得ない代物だ。隙間の時間に作った碗やぐいのみも焼き上がった。茶碗には最近教室で使い始めたトルコブルーという釉薬を掛けてみた。扱いが難しいが、悪くはない。


ある穏やかな休日

2012年09月16日 | Weblog

鎌倉へ落語を聴きに出かける。鎌倉、と言っても最寄り駅は大船。かつて松竹の撮影所があった場所にある鎌倉芸術館が会場だ。初めて訪れる場所なので、時間に余裕を見ておいた。会場近くのカフェでランチをいただく。食事のメニューはカレーライスとピザくらいだが、ひとりで切り盛りしている店なので、こんな感じなのだろう。カレーライスを頂いたが、純カレーをベースにしたいかにも手作りというもので、たいへん心温まる味わいだ。コーヒーのほうは業務用のコーヒーメーカーで淹れたもので、こちらはいまひとつ。店内の隅に設置されている大型ディスプレイでは古い映画が音声抜きで流れている。夜はライブもあるらしく、そういう設置にできそうな作りになっている。この店が、ということではなく、この店を含めた全体の雰囲気がどことなく上品で、やはり鎌倉というのはそういう土地なのかと感じる。

落語の会場にはギャラリースペースもあり、3つが使用中だった。どれも地元の美術系サークルの作品展だ。気のせいかもしれないが、どれも作者が楽しみながら取り組んでいる様子が伝わってくるものばかりで、観ていて心地よかった。なにかと厳しい時代だからこそ、こんなふうに余暇や余業を楽しむ心の余裕をもっと多くの人が持つようになれば、時代のほうが温和になるのではないだろうか。少なくとも、問題が起こる度に野獣のような輩が暴れ回るような国に、自分の生まれた国はなって欲しくないものだ。

落語のほうは特段何がどうということはない。安心して聴いていられる噺家だ。ただ、やはりどこか決定的なものが欠けているような気もする。それはこれからの人生経験を経るなかで徐々に克服されるものなのか、そういう類のものではないのか、私にはわからない。

本日の演目
柳亭市楽 「子ほめ」
柳家三三 「浮世床」
柳家三三 「五目講釈」
(仲入り)
柳家三三 「真景累ヶ淵 豊志賀の死」

開演 14時00分
終演 16時05分

会場 鎌倉芸術館 小ホール


来年の手帳

2012年09月13日 | Weblog

昼間、息抜きのつもりで職場近くの文具店にでかけたら、来年の手帳が並んでいた。来年まで生きているのかどうか知らないが、生きていれば手帳は必要なので、現在使っているほぼ日手帳の2013年版を購入した。

年齢とともに時間の経過が早く感じられるようになる、とはよく言われることなのだが、今年は特に早い気がする。いろいろなことがあったし、いろいろなことが進行中でもある所為かもしれない。


休暇届

2012年09月07日 | Weblog

今月は休暇で長崎方面へ出かけるのだが、おおよその日程を今日決めた。

9月24日月曜日
 巣鴨を出て大阪へ行く。
 国立民族学博物館には絶対行く。
 (大阪泊)

9月25日火曜日
 東洋陶磁美術館には絶対行く。
 長崎へ移動
 (長崎泊)

9月26日水曜日
 福江へ移動
 絶対に予定を入れない。普段にも増してぼぉーと過ごす。
 (半泊泊)

9月27日木曜日
 絶対に予定を入れない。一段とぼんやり過ごす。
 (半泊泊)

9月28日金曜日
 長崎へ移動
 (長崎泊)

9月29日土曜日
 カステラを買う。
 東京へ帰る。

以上。

2月に広島を訪れたので、長崎に行かないわけにはいかないだろうと思い、長崎に行くことにしたのだが、近所にある「ここ長崎」で五島の話を聞いているうちに、長崎に行くならそっちにもまわらないわけにはいかないだろうと思うようになった。今日、勤めからの帰りに「ここ長崎」に寄ったら、五島出身だという先客がいて、店長がその人に私を紹介するとき

「こちらも今月、五島に行かれるの。ね?」

と言われ、こりゃ行かないわけには行くまい、ということになって、住処に戻ってから宿やフェリーの手配をして、上記のようなことになった。やっぱり、縁を大事にしないといけないと思うのである。1人でビジネスホテルに泊まって街歩きをするよりは、行きつけの店で宿を紹介してもらい、そこを訪れて、新たな人間関係の種を播く。そうやって生活をするのが本来の人間の在り様なのではないかと思うのである。


デジャヴ

2012年09月02日 | Weblog

柏崎といえば、今は原発だが、その昔は物流の中継拠点として栄えたそうだ。そういう歴史的背景があって、近代まではさまざまな蒐集家がおられたのだという。そんな物持ちが自分のコレクションを公にしたものとして、木村茶道美術館がある。敷地は起伏に富み、高台の上に美術館の建物がある。展示規模は小さいが、ここの特徴は所蔵の茶器でお茶を頂きながら、茶器や茶室のしつらえについて説明を聴くことができるようになっている。所蔵品をこうした形で公開することは、限定された期間に限定されたものだけを使って行っているところは他にもあるが、ここのように常設イベントのようにしているところは珍しいのではないだろうか。これは、道具は使ってこその道具、というこの館の創設者の考えで開館当初から行われているのだそうだ。この国には至る所に、主義主張を持ったギャラリーや個人美術館がある。以前にも書いたが、こういうものの層の厚さがその土地の文化について何事かを雄弁に語っているように思う。

ところで今日、初めてこの地でお目にかかった人がいるのだが、会ったときに不思議な感覚に襲われた。どこかで以前に会ったことがあるような気がしたのである。初対面の挨拶をした瞬間からずっと自分の記憶を手繰り寄せているのだが、どうにも思い出せない。それが隔靴掻痒の感がしてどうにも落ち着かない。相手の経歴のようなものを伺う限り、接点など全く無いのである。不思議なこともあるものだと思う。


されど、どら焼き

2012年09月01日 | Weblog

明日、所用で新潟へ出かけるのに手土産を用意しようと思い、浅草へ出かけた。お目当ては、どら焼きだ。お茶を習っていた頃は、毎回美味しいお茶菓子を頂くので、どこそこのナントカという美味しいリストのようなものが自分の舌の記憶として蓄積されてきたものだ。また、そこから会話で周辺情報も加わり、茶菓子に限らず、日常生活のなかのちょっとしたことへの知恵のようなものもついてくる。それが、そういうルーチンが失われてしまうと、そのリスト自体が消えてしまう。寂しいことだが、かといって今はお茶の稽古を再開する気持ちはあまり強くはない。

どら焼きに関しては、上野のうさぎやのものが好きだ。よほどそのうさぎやのどら焼きを持って行こうかと思ったのだが、念のため職場で隣の席の物知りに尋ねてみた。彼の答えは、「うさぎやもいいですけど、まだ召し上がったことが無いなら浅草の亀十のものも試されたらどうですか」というので、こうして浅草を訪れたのである。店の場所はすぐにわかった。雷門の向かいで、大きな看板が出ていて、一見するとごく普通の土産菓子屋のようだ。昼過ぎに店に着いたのだが、行列こそできていないが、ひっきりなしに客が訪れ、それにテキパキと対応する店員がいて、いかにも人気店らしい風情だ。とりあえず、味見用に白あんと黒あんをひとつづつ頂く。

見た目のインパクトは大きい。まず、でかい。皮はふわふわ。自分のなかにあった「どら焼き」のイメージを大きく変える食体験だ。自分の「どら焼き」というイメージのなかの最高を選べと言われれば、うさぎやかもしれない。しかし、何事にも創意工夫や革新というものが無ければ続くものではない。きっとこのどら焼きの創始者は熱い思いで、これまでにないどら焼きを作ろうと、このどら焼きにたどり着いたのではあるまいか。かなり大きなどら焼きだが、そんなことを考えながら食べていると2つくらいはぺろっといける。