熊本熊的日常

日常生活についての雑記

徹夜のはずだった

2009年02月28日 | Weblog
昨日、ロンドンから送った船便の荷物が届いた。出勤ぎりぎりまで荷解きの作業に追われ、仕事が終わって帰宅してから、荷解きの続きに悪戦苦闘する。今日は子供が遊びに来ることになっていたので、徹夜してでもなんとか片付けてしまいたかった。作業の目処がなんとなく見えてきたとき、既に朝の5時を回っていた。そのまま作業を進めてしまうという選択肢もあったのだが、荷解きごときに無理をして体調を崩すのも間抜けなことである。特に眠いというわけでもなかったが、とりあえず横になることにした。

目が覚めると朝の9時をまわっていた。慌ててPCを開くと子供からメールが入っている。朝10時に最寄駅改札で待ち合わせたいとのこと。既に9時20分。子供に電話を入れたら、もう電車の中だという。急いで身支度をして、駅へと急いだ。

結局、荷解きとその後の片付けは子供に手伝ってもらうことにした。おかげで午前中のうちに一応片付いたと言える状態になった。

今月から裏千家の茶道を習い始めた。教室でご馳走になった茶釜の白湯がとてもおいしかったので、先日、鉄瓶を買ってきた。ちょうど東武百貨店の催事で「WAZA2009」というのがあり、全国の伝統的工芸品が集まっているところがあったので、そこを訪れ、鉄瓶を物色した。鋳物は岩手と山形から出品されており、それぞれのブースに製作を担当した当事者がいたので、実物を前に話を伺い、さんざん迷った末に、使いやすそうだった山形鋳物の鉄瓶を買い求めた。勘定を済ませて商品を受け取るとき、製作した人から「大事に育ててやってください」と言われた。よく鉄瓶は手入れが難しいと言われるが、手の入れ具合で、沸かすお湯の味も変われば鉄瓶の佇まいも変わる。大事に育てて美しくしたいものである。今日はその鉄瓶で湯を沸かして、子供にお茶でもいれてやるつもりだったが、そういうことができるほどには片付かなかった。

来月はまだ無理だが、そのうち子供と薄茶とか濃茶を頂くことができるようにしたいものである。

時そば

2009年02月27日 | Weblog
ほぼ毎日、山手線の終電を利用してる。たまに小腹が空くことがある。寝しなにものを口にするというのは身体によくないのは承知しているのだが、腹が空いていては眠れないので、駅前の立ち食いそば屋でかけそばを食べる。店の外にある食券の自動販売機に硬貨を入れる。「ひとつ、ふたつ、…、ななつ、やつ。おぅ、今なんどきだい?」「…」機械が返事をするわけもない。ひとりでニヤニヤしながら続けて硬貨を入れ、「かけそば・うどん」のボタンを押す。

外の券売機は店内の調理場に通じているので、店に入り「そばお願いします。」と言えば、天ぷらそばでも、とろろそばでもなく、かけそばが出てくるようになっている。

席に座り、それほど熱くもないのに大袈裟にそばをフーフー吹いてみる。「ズズッ、ズー」とそばをすすり、「ズ、ズ、ズッ」とスープもすすり、「ッアー」とやる。一杯1,000円以上もする老舗の蕎麦は、それはそれとして美味い。が、270円のかけそばも、それはそれとして旨いのである。どちらが、良いとか悪いということではなく、それぞれに美味かったり、旨かったりするということだ。

存在無価値

2009年02月25日 | Weblog
勤め先で初めて経費の精算をした。イントラネット上で所定の画面に必要事項を入力し、書類を作成して印刷する。そこに領収書を貼付けて沖縄にある事務委託先へファックスする一方、イントラ画面上でも事務処理を行う。数日後に最初の承認者から連絡がある。3人目の承認者から連絡のメールが来た後で、その3人目から承認者は日本人ではないので申請画面の手入力部分は英文で入力するようにとの指示が来た。全体が日本語で作成され、選択入力部分も日本語のものを、部分的に英文にしてどれほどの意味があるのだろうか? そもそも日本で発生する交通費の精算の承認作業を海外で行うこと自体に意味があるのだろうかと素朴に疑問に思う。例えば、東京から北千住へ深夜にタクシーで帰宅した時のタクシー代を勤務先に請求するのに、東京と北千住の位置関係や都内のタクシー料金の相場を知らない奴に承認作業ができるのだろうか。こんな馬鹿馬鹿しいことだらけの職場なのである。

入社する時、年俸を日本円で金額を決め、それをポンドに換算してロンドンでの給与とした。その時の換算レートは1ポンド=250円だった。今回、帰国に際して、そのポンドの金額を1ポンド=200円で換算して日本での年俸を算出した。入社時の条件交渉で決まった年俸は気がつけば20%削減されている。当初提示された円表示の条件は口約束であり、書類に記載されている金額はポンド表示である。円表示の条件を書類に残さなかったのは私の失敗だ。ここで揉めて雇用そのものを失ってはいけないので、仕方なく言われるままの条件で同意したが、これは詐欺行為だろう。それなりに付加価値のある仕事をしていれば、こういう時に強気で臨めるのだが、存在無価値な仕事しかしていないので、どうしても萎縮してしまう。

本来、仕事ととは世の中に価値を生み出す行為だ。本来的な行為をしていなければ、気持ちよく生きていくことはできないと改めて思う。

対面価値

2009年02月24日 | Weblog
パソコンはウインドウズとマックを使っているのだが、今の住処へ引っ越して以来、マックのMailからメールを送信することができなくなってしまった。それまでは、仮住まいのウィークリーマンションの部屋で問題なく機能していたのだが、引越してネット回線を開設してから、Mailの送信だけができないのである。

マックで困ったことがあるときは、素直にアップルストアのGenius Barを利用することにしている。今回もネットで予約をして、話を聞きに出かけてきた。状況を説明すると、よくある問題のようで、担当者はすぐに解決策を提示してくれた。これはプロバイダのセキュリティ設定に起因することらしい。Mailの設定で送信用ポートの番号を変更するだけで解決するとのことだった。

早速、帰宅してから教えてもらったとおりに環境設定を変更すると、メールを送信することができた。以前にもハードのことで問題を解決してもらったことがあり、このときはパソコンを持参して手を入れてもらった。今回も前回も無料での対応だ。やはり、生身の人間が対応してくれると、それだけで安心するものである。

人によっては、生身の人間を相手にするのが苦手という人もいるようだが、私は、特に年齢をかなり重ねてから、人と直接対話することが楽しいと思えるようになった。誰が相手でもよいというわけではないが、以前に比べれば間口も広がっていると感じる。その所為もあるのかもしれないが、アップルのGenius Barのサービスは、たまにしか利用しないのだが、それがあることがわかっているだけで心強く感じる。パソコンを2台必要とするような生活はしていないのだが、異なる種類のOSを持つことで、不測の障害が発生したときに代替手段の幅が広がることは事実である。たまに片方のパソコンを処分してしまおうかと考えることもないわけではないのだが、マックはなかなか手放す気にはなれない。

驚異のインスタント食品

2009年02月23日 | Weblog
先日、職場の同僚からサンプルだと言ってインスタントのジャンバラヤをもらった。これは中華の持ち帰り弁当のような形の紙容器にご飯と具とスープが別々の袋に入って収められている。箱の説明書きによると、一旦、これらをすべて外に出し、箱の内側にエンボス加工で引いてある線まで水を入れる。そこへ先ほど取り出したスープ、具、ご飯を入れてよくかき混ぜる。ふたを閉めて電子レンジで加熱。600Wなら4分半、500Wなら5分半が目安だという。加熱が終わってもすぐに箱を開けてはいけないらしい。蒸らす、という。蒸らし時間は書いてないが、水滴だらけになった電子レンジ内部を拭き終わってから箱を開いてみると、なかなか良い匂いがする。ここに添付の香味油を加えてさっとかきまぜる。そのまま食べてもよいのだが、箱が展開できるようになっていて、展開すると箱の内側が葉柄になっているので、あたかも葉の上にご飯をよそったように見える。よい景色だ。

ご飯はポン菓子のようだったのが、出来上がってみるとちゃんとご飯になっている。これだけでも感心する。歯ごたえがしっかりしていて、具材の味も満遍なく絡み、5分そこそこで出来上がったとは思えない味である。もちろん、店頭に並ぶまでに長い時間がかかっているのだろうし、開発から勘定すれば気の遠くなるような時間がかけられているのだろう。それでも売れなければ製造が中止されてしまう。開発する側にしてみれば、ひとつひとつの商品が真剣勝負だ。昔のインスタント食品をよく知っている年代なので、その進歩にただただ驚くばかりだ。

昔、インスタントに味など求めることはなかったように思う。それが、インスタントといいながらも手間をかけて時間をかけて、それなりのおいしいものがいただける時代になった。ありがたいことである。しかし、インスタント食品というのはお湯をかけるだけ、とかチンするだけ、という「するだけ」で食べることができるのが最大の価値だと思う。外箱に書かれた説明書きを読まなくてはおいしくいただけないというのでは、「インスタント」とは呼べないと思う。味を追求するのは勿論結構なことなのだが、肝心の価値の根幹を外してしまっては、市場に受け容れられないだろう。

ちなみに、今日頂いたのは日清食品の「GoFanスパイシージャンバラヤ」である。

遅く起きた日は

2009年02月22日 | Weblog
このところ気温の変化が大きい所為か、タクシー帰りが続いた所為か、この週末は何もする気が起らなかった。昨日も今日も起床したのは11時過ぎだ。それでも今日は、掃除機をかけたり、アイロンがけをしたり、押し入れの中を整理したりと、慌ただしく動き回った。今週金曜に引越荷物が届くので、それを収納する空間を確保しておかなければならない。

たいした量ではないのだが、荷物のひとつひとつを事細かに記憶しているわけではない。どのようなものがどれほど届くか定かでないので、どれほどの空間を確保しておけばよいのか、いまひとつ詰めきれなかった。

人生の折り返しを過ぎて久しいというのに、身の回りは厄介なことばかりのように感じられる。困ったものである。

宿題

2009年02月21日 | Weblog
ロンドンで自然写真コンテストの入賞作品展を観た時、作品の説明書きのなかに出品者の連絡先も記載されていたのだが、殆どの出品者が独自のドメインを保有していた。日本でも写真を趣味にしている人は、自分のサイトを設けてそこで作品を紹介しているのだろうか。

私はこのブログの他に自分のサイトを一つ持っている。しかし、このブログはgooのブログサイトの一部でしかないし、もうひとつのほうはアップルのサイトの一部であって、自分のドメインではない。思うところがあって、最近になって自分のドメインを取得した。ホームページ作成用のソフトも購入した。だが、サイトの作成作業は全く捗らない。ドメインの維持にはそれなりの費用がかかるので、せめて内容のあるものを作りたいと考えている。

問題はその内容なのである。内容の無い人間が、果たして内容のあるものを作ることができるものなのだろうか?

妙心寺展

2009年02月20日 | Weblog
東京国立博物館で開催中の妙心寺展を観てきた。「悟る」という言葉をしばしば耳にするが、その意味がいまだにわからない。辞書などには迷妄を去った真理を知ること、などとあるが迷妄だの煩悩だのといったことを含めて、人のありようのすべてがこの世の真理なのではないのか。禅の世界では不立文字、すなわち言葉を超えたところに真理があるということらしい。なかには真理を求めて苦行を積んでみたりする人もあるようだが、それで得たものがあったとして、それがどうしたというのだろうか。日常生活のなかに真理を見ずして、どこに真理があるというのだろうか。

宗教は、それが何であれ、思考や行動の指針や尺度として人の心に作用する。禅は、坐禅に見られるように、誰もが自分自身の中に備えているとされる仏性を発見することで、真理を得ようとするものだそうだ。禅に限らず、思考という行為は極めて個人的なものである。それが、寺を形成し、宗派を形成し、一国の政治にまで影響を与えるようになることに、どこかまやかしのようなものを感じてしまう。「悟り」を得ることと、権力というものとが素直に結びつかないのである。

妙心寺は1337年、花園法皇が自らの離宮を禅寺としたことに始まったそうだ。今年は開山として迎えられた関山慧玄の650年遠諱を記念して、今回の展覧会が催されることになったとのことである。その関山慧玄の遺品も展示されているが、どれも質素なものばかりだ。それは彼がまさに禅僧であったことの証でもあろう。その高い人格に惹かれ多くの人がこの寺に詣でるようになったというのも説明がつく。そうした人々のなかには時の権力の座にあったり、あるいはそれに近い立場にいたり、豪商のような経済力に恵まれた人がいたとしても不思議ではない。しかし、そうした人々の心の問題と、政治や権力の問題とが絡み合うということは、やはり素直に理解できないのである。

尤も、宗教と政治権力の密接な関係というのは洋の東西を問わず広くみられることである。要するに、人が集まるところには政治が生まれ、心という不定形のものを扱う世界は政治の道具となりやすいということなのだろう。昨今、やはり宗教に絡んでの紛争は絶えることがない。不定形の問題として急速に存在感を増しているのが環境問題だ。これもそのうち政治の道具として世界に大きな波紋を投げかける時が来るのだろう。

ところで、本展の展示は美術品としても興味深いものばかりだった。とりわけ書が面白かった。書かれている文字は半分以上解読不可能なので、書かれている意味はさっぱりわからないのだが、単なる通信手段としての書状にまで、文字の佇まいとか文字列の美しさのようなものが溢れているということに、当時の貴人の美意識を見る思いがした。

「利休にたずねよ」

2009年02月19日 | Weblog
物事の締めの重要性を認識させられる。最後の「恋」と「夢のあとさき」での結末、そこに至る時間を遡ってエピソードをつなげていく流れが素晴らしい。途中のエピソードのなかには冗長さを感じるものもないわけではないのだが、その冗長さが最後の2章で見事に打ち消されていた。利休に象徴される首尾一貫した美意識が作品全体の根幹をなしていて、心地よい緊張感をかもし出している。作者の並々ならぬ集中力が伝わってくるようで、たいへんよい心持で読了することができた。

自分の内に求めるか外に求めるか、という違いはあるにせよ、人にはそれぞれに価値観の基準がある。自分の内に確たる価値基準があれば、何が起ころうとも平然としていることができるものである。しかし、揺るぎない基準を設けるというのは容易なことではない。なによりも、そこに理がなければならない。

理というのは知識と経験によって構成される骨格のようなものである。理にかなっていれば、即ち合理的であれば容易に納得できるので、そこに思考や行動の反復が生じる。反復が回を重ねれば学習効果によって勘、あるいは暗黙知を習得するに至る。そうしたものの集大成が価値観であるので、すべてを言語化できるはずはない。

理を構成するのは知識だが、そのもとになる経験は行動することによってしか得ることができない。行動を起こせば、上手くいくこともあるだろうし、とんでもないことに陥ることもあるだろう。失敗を恐れて行動しないのであれば経験は得られない。生半可な知識だけに拠る理は、理と呼ぶにはあまりに脆弱だ。自分の価値観の根幹が脆弱であれば、不安に駆られて手近にある世間の風説にしがみつかざるを得ない。そうなれば常に目先のことに翻弄され心安らぐことがないのである。

利休が秀吉に切腹を命ぜられたとき、助命を請わなかったのは、既に何時死が訪れても不思議ではない年齢に達していたという事情もあったかもしれない。美にこだわりぬいた人ならば、己の死に様にも思うところがあったはずだ。それはさておき、時の権力に屈することなく己が生き方を曲げることがなかったのは、そこに強い自負心とそれを支える価値観があったからだ。その価値観の形成の重要な契機として一目惚れともいえるような或る女性との出会いを置いた着想が面白い。確かに、他人から見れば取るに足らないことが本人にとっては命を賭けることも厭わないほどの一大事、ということは現実にあると思う。人の心とは、それほどに緻密で微妙な造りになっているということだ。そして、そうした繊細なものの扱いの極意が茶の道ということなのだろう。

長旅

2009年02月18日 | Weblog
ロンドンから船便で送った引越荷物が到着したとの連絡が運送会社から入った。通関に1週間ほどかかるそうなので、手元に届くのは来週後半である。この荷物をロンドンから送り出したときのことは1月7日付「撤収」に書いた。それから代金の支払などのことで運送会社とのやりとりがあったのだが、少なくとも1週間ほどは英国のどこかに留まっていたようなので、実際の航海は30日前後かかったということなのだろう。30日間の船旅というものを自分でもいつかしてみたいと思う。

過去において船旅と呼べるほどのことは経験したことがない。せいぜい青函連絡船で青森と函館の間を往復したとか、フェリーで那覇と久米島を往復したとか、ドーバーとオステンドを往復したという程度だ。正直なところ、これらの経験から自分のなかでの船に対する印象はすこぶる悪い。那覇から久米島へ行くときはひどい悪天候で、小さなフェリーは荒波に翻弄されているようだった。「翻弄」という言葉の意味が体感できる経験だった。ドーバーからオステンドへ渡ったときもひどかった。が、大きく揺れる船内の食堂で、それがあたりまえであるかのように立ち働く人たちや乗客の姿に、ある種の感動を覚えた。海なのだから荒れることもある、という当然のことを「そりゃそうだよな」と実感したものである。しかし、向かい合わせに席が配置されている船室で、少し離れたところに座って窓の外を眺めていた老婦人が、突然、向かいに座っていた老紳士に向かって嘔吐したときも、荒れた海での航海では船酔いすることもあるという自然の摂理を感じたものである。ちなみに、このとき吐いた夫人は狼狽していたが、吐かれた紳士は一応相手を気遣うふりをしながらも、あからさまに不愉快そうにしており、紳士たることの困難をも感じた。

好天に恵まれて静かに横たわる海を前にすれば、そこに憧憬を覚えるだろうし、荒れ狂う海を見れば恐怖を感じるだろう。どちらも同じ海である。同じ海が状況によってその姿を正反対にして見せる。なにもそのようなことは海だけではないだろう。人の心も同じだ。ある場面だけを見て、その人となりを判断するのは困難だし、ましてや上手く付き合うなどということは至難である。結局は、例えばロンドンから東京へ荷物を送る、というような個別具体的な課題をひとつひとつ解決しながら航海なり運送なりの技術やノウハウを磨くように、ひとつひとつの場面での関係性を構築しながら相手を知り、自分を知るようになるのだろう。生きていくのは長旅の積み重ねのようだ。

不安の空気

2009年02月16日 | Weblog
それほど人付き合いの良いほうではないのだが、1月に帰国してから毎日のように何かしら予定が入っている。いざ会ってみると特にどうこうという用件があるわけでもなく、なんとなく話がしたいという程度のことが殆どである。なんとなく自分と同世代の人たちは不安を感じていて、それを誰かと共有したいということなのかもしれない。事実、今年に入って比較的高い地位にあった友人が立て続けに失職した。今はそんなことが誰の身の回りでも起こっているのだろう。とりあえず話の通じる相手と世間話でもして気を紛らわせたいと思うのは自然なことだ。

今日も以前の職場の同僚と赤坂で蕎麦を食べ、その後ホテルのカフェで2時間ほど話をした。話が弾むわけでもなく、かといって沈黙が流れるわけでもなく、淡々と会話が続く。なんとなく不思議な感じだが、これも不安な時代の空気の所為かもしれない。

テンピュール

2009年02月15日 | Weblog
新居が決まり、ベッドはロンドンで使っていたものと同じにしたのですぐに決まったのだが、枕をどうしようかと考えていた。よく巷で「テンピュール」というロゴをよく見かけるので、どんなものか扱っている商店で話を伺ってみた。要するにポリウレタンフォームなのだが、セルの形状を工夫することにより使う人の体温と体重に反応するものらしい。「ポリウレタン」というと安っぽい響きがあるのだが、値段を見ると誤植ではないかと疑ってしまうような数字が並んでいる。商品の説明をしてくれた店員も自分で使っていて、たいへん具合が良いというので、思い切って購入することにした。

これは不思議な枕である。今の時期、室内の温度も低いので枕が硬い。かまわずに床に入ってしばらくすると枕に乗っている自分の頭が沈み込んでいく。体温と重量に反応して、頭のある部分だけが柔らかくなったのである。手を伸ばして枕の端のほうに触れてみるとなおも硬い。頭の位置をずらして硬いところにのせてみると、そこも柔らかくなる。こいつは面白いと2度3度と頭をずらしているうちに意識がなくなる。

これが本当に身体に良いものなのか、どうでもよいものなのか、まだ使い始めなのでわからないが、なかなか愉快な枕であることは確かである。枕やクッションを使ってみて、それが気に入ってベッドもテンピュールのものにしてしまう人が少なくないのだそうだ。私は、頭が沈むのはよいのだが、身体が沈むベッドというのは少し抵抗を感じる。どちらかといえば硬い寝床が好きなので、テンピュールは枕と、もし買うとすればせいぜいクッションくらいで終わりそうだ、と今は思う。

2009年02月14日 | Weblog
久しぶりに蕨の商店街を歩いた。西口駅前から国道17号に至る1車線の通りは、昔は賑やかだったと記憶していたのだが、それは自分のなかで作り上げられた幻想なのかもしれないし本当に賑やかだったのかもしれない。

日本各地で従来型の商店街が荒廃しているという話を耳にする。それぞれの土地にそれぞれの事情があるのだろうが、首都圏の場合は、鉄道の新線ができることで人の流れが都心に集中するようになったということだろう。また、市場経済の帰結として、同じ商品でも大量に仕入れることで売値を安くすることができる巨大商業資本が定価に近い価格で販売しないと利益を出すことができない中小零細商店を駆逐したということもあるだろう。

蕨の場合、子供の頃によく訪れた書店とか、親に付いて買い物に出かけた商店が比較的数多く残っていることに少し驚いた。もちろん、歯が抜けるように空き地になっていたり、営業しているのかいないのかわからないような店舗もあるのだが、そうしたものが思ったほどには多くないのである。それと建物が昔と変わらない、いかにも昭和風というのも多い。

昔の家並が残っているということは、バブル期を素通りしているということだろう。勿論、それぞれの人々にそれぞれのバブルは訪れたのだろうが、都心からの距離や利便性を考えれば、何事も無くあの時代を通り過ぎたはずは無い。妙に好奇心をくすぐられる不思議な街である。

加山又造展

2009年02月13日 | Weblog
神谷町で友人と待ち合わせ、東麻布の「あか羽」で昼食を共にした。友人と別れてから出勤まで時間があったので、六本木まで足を伸ばして加山又造展を観てきた。

加山又造をこれだけまとめて観るのは初めてのことである。国立近代美術館で観た「春秋波濤」やブリューゲルの「雪中の狩人」との対比でしばしば語られている「冬」は印象に刻み付けられているが、自分の中ではそれほど注目度が高い作家ではなかった。改めてこれだけ多くの作品を前にしてみると、自分の目指す何物かがあって、それを追い求め続けた苦悩のようなものが感じられる。「苦悩」というと語弊があろうかと思うが、求道者の姿勢とでもいうのだろうか。素晴らしい作品だとは思うのだが、表現者としての自我が勝ってしまい、それを素直に受け容れる人にとっては良いのだろうが、私は観ていて幸せな気分を感じない。単に相性が悪い、と言ってしまえば身も蓋もないのだが。

会場入り口直後に3つの大作「雪」「月」「花」が並ぶ。これはどれも好きだ。特に「雪」がいい。先月帰国の折に飛行機の上から見た、雪に覆われた大地に河が流れる風景を思い出した。それはちょうど日本海を横断して日本上空に差し掛かったところだった。なにはともあれ帰るべきところに帰ってきたという安堵の気持ちと雪に覆われた山河の風景が自分のなかで関連付けられ、その気分が「雪」という作品によって呼び覚まされたということもあるかもしれない。

「花」は速水御舟の作品を彷彿させる。会場奥の「夜桜」も似たような表現なのだが、花と炎を対比させているのが面白い。確かに花の咲き乱れる様には炎が踊る姿を連想させるものがある。他に牡丹を描いた作品もあったが、こちらは花そのものを強調している。そこにはオキーフの作品に通じるエロチシズムを見ることもできないわけではないだろう。裸婦像よりも官能的だ。

裸婦像は藤田嗣治のような肌で、構図は誰かの写真集で観たものを思わせる。図録の解説によれば、裸婦を描くことは加山にとってはひとつの転機をもたらしたそうだ。しかし、単に作品として観れば、絵画の割には理が勝ってしまって商業デザインのようだ。おそらく、加山という人は女性がそれほど好きではないのかもしれない。あるいは、裸婦を描くということそのものを妙に意識しすぎていたのかもしれない。

結局、加山の絵というのは自然の表現で最も活きるような気がする。勿論、私の勝手な言い分だが、「雪」「春秋波濤」「天の川」といった屏風絵にこの作家の持ち味が色濃く表れているように思う。

敗者復活戦

2009年02月12日 | Weblog
まだ必要な家具がいくつかあるのだが、無印良品に落胆したので、改めてあちこちの店を見て回ることにした。新品で気に入ったものとなると、とても手が出せるような価格ではないので、今日は古道具屋を訪ねてみた。都内の古道具屋としては屈指の規模と言われている店だが、さすがに古道具屋となると並んでいるのは玉石混交という感じがする。ちょっと良いなと思うと必ず「売約済み」の札が貼ってある。ということは、ここで気に入ったものを手に入れるには、ある程度の期間、通い続けなければならないということだ。それも楽しいかもしれないとは思う。しかし、残念ながらあと1ヶ月以内に調達したい家具があり、そう悠長なことも言っていられない。

古道具と言っても、由来が確かでそれなりの仕事なら「骨董」と名を変え、とんでもない値段になってしまう。世の中にはそうしたものを有り難がる人々が少なくないことは承知しているが、私は全く興味がない。きちんとした仕事がしてあれば、由来などどうでもよいと思う。刑務所の作業品も考えたのだが、配送が住所地までで屋内への設置作業等はして頂けないのだそうだ。誰か助っ人を頼んで、配送当日に待機するという手がないわけでもないのだが、平日昼間にそんなことを頼むことのできる相手がいない。休日は住処の前の通りが爺婆に占拠されていて配送のトラックが接近できない。人ごみを掻き分けて顧客のもとへ荷物を運ぶのが運送業者の仕事ではあるが、そこまでして頂くほどのものではない。そうなると、結局は新品の掘り出し物を探すことになる。

家具は自分でもこれまでにいろいろ使ってきたし、ロンドンで暮らしていた頃も、ビクトリア&アルバート博物館で家具のコーナーは念入りに何度も観察してきたつもりである。お手頃価格だけれども仕事はお手頃を超越している、そんなものがあればいいのにと思いつつ、結局は現実と折り合いをつけざるを得ないということになるのだろう。少なくとも、今度はがっかりしない買い物をしたいものである。