熊本熊的日常

日常生活についての雑記

「熊田千佳慕の言葉」備忘録

2011年09月30日 | Weblog
過ぎ去ったことは置いておかないと、先へ進めない。36頁

新しい芽は、ゼロになって初めて生まれる 47頁

苦しむことが楽しいということ。これが芸のゆとりだ。
すらすらと何のためらいもなくすすむ仕事より、
苦しみながら一歩一歩すすめることに楽しさがあり、
心にゆとりがあればこそ、苦しみを楽しめる。60頁

ゆとりのない芸はおもしろ味も楽しさもない。全ての芸に言えることである。61頁

材料があり余るほどあって、何でも手に入るけれど、
最後は人の手だと思う。
手の感触を大事にしないとだめだと思います。
人の思いは手を通して伝わるものだから。66-67頁

下絵にとらわれないで又新しい気持ちで描くと、
そこに又新しいものが見えてくる。
「描く」とはこうういことで、
下図にこだわってはぬり絵と同じで、
自分の心が表現できない。69頁

僕が影を描かないのは、絵そのものが充実していればごらんになる方が影を感じてくださると思うからなんです。83頁

君の絵はキレイな色だ。だがまだ「色」になっている。
美しい色ではないという意。
自分の心を通して自然の色を感覚する、つまり自己主張する。
私のような生物画家にとっては、自然の色と自分の色との調和がとてもむずかしいことで、苦労する。85頁

あせっても春は来ないし
忘れていても春は来る
自然はきわめて自然である。94頁

人間は歳とったり、成功したりすると、
「何とかは何とかでなくちゃいけない」と覚えたい。
だけど、僕は今も何もわからないまま、今も結論が出ていない。
だから生きるんでしょ。150-151頁

以上、「熊田千佳慕うの言葉 私は虫である」(求龍堂)からの引用。こういうことを心から表明できるような人に憧れるし、自分もそうならなければ思う。

アメリカ

2011年09月29日 | Weblog
初めて絵というものを意識して眺めたのは、中学生のときに教科書に載っていたEdward Hopperの「Early Sunday Morning」に惹かれたときだっただろうか。それはそれだけで終わってしまい、特に美術とか芸術に関心を払うこともなく、ありきたりの高校、大学へと進み、ありきたりにサラリーマンになって、こうして人生の最後をどうしようかと苦悶することになっている。

今日は午前中に人間ドックがあり、内視鏡検査を受け、おまけに生検のサンプルを採取したので、昼食を摂るわけにもいかず、時間が空いてしまったので国立新美術館で開催中の「モダン・アート、アメリカン」を覗いてきた。改めて、国とかその歴史といったものを考えないわけにはいかなかった。

メディアでも日常の会話のなかでも無造作に「日本人」とか「アメリカ人」という言葉が使われている。日本に関しては、自分が生まれ育った国であり、日頃生活している東京には、皇居という、その昔は江戸城が建っていた場所とか古くから残る寺社があり、少し足を伸ばして京都や奈良を訪れれば、寺社仏閣類だけでなく、そこに1,000年以上も残る地名がある。日本人というもののルーツが何であるかはさておき、似たような外見で同じ言語を操る人間が1億人以上暮らしているのが日本という国である。

しかし、アメリカはどうであろうか。現在の人口は、ざっと日本の倍である。同じような外見で同じ言語を操る人達が2億人か、というとそうではない。西海岸から南西部にかけては、英語を話さない人達も多いらしい。外見に至ってはいろいろだ。例えば、オリンピックでは、同じ「アメリカ」の選手でありながら、競技によって登場する人種が違ったりする。それを目の当たりにしただけで、「国」と「人種」や「民族」とは関係がないということがわかる。1,000年前には「アメリカ」は存在していなかった。1492年にコロンブスがアメリカ大陸を発見した、あるいはそれ以前にノルマン人が10世紀末に発見した、あるいは15世紀初頭に明の鄭和が発見した、などというようにその土地が「発見」されたとされている。現在の「アメリカ合衆国」が成立したのは1776年7月4日だ。それも現在の姿ではなく東部13州に加えミシシッピ以東と五大湖以南を合わせたものだ。それが西部開拓やスペイン領フロリダ買収、メキシコ領テキサス併合、アラスカ購入、ハワイ併合、などと続いて今日の姿になる。黒船が日本にやって来るのも、そうした西進運動の一環だ。形の上では大英帝国からの独立だが、実体としては欧州列強の海外植民の結果と言えるだろう。人が生活を新天地に求める動機にはいかなるものがあるのか知らないが、それまでの生活を続けていけない事情があることは確かだろう。

今日、そのアメリカの絵画を眺めていて感じたのは、アメリカというもののアイデンティティだった。展示会場のはじめのほうでは、欧州の作品と同系列の作品が並んでいるが、ホッパーやオキーフのあたりから様相が変わってくる。そうしたなかには日本からの移民である国吉康雄の作品も存在感を放っている。それがさらに時代を下るとグランマ・モーゼスやジェイコブ・ローレンスといったものが登場し、戦後になるとジャクソン・ポロックやサム・フランシスといった抽象表現の先駆のような作品が並ぶ。ロスコの作品もあるが、ロスコらしくない小さなものだ。実は、病気に倒れて医師から大作の制作を止められ、こうした小品を描いていたのという。いずれにしても、20世紀絵画の代表のような作品と言えるだろう。

この間、何が変わったのかといえば、アメリカという国の世界のなかでの位置付けだ。絵画あるいは美術といったものが、単に個人の表現ということではなしに、その個人が属する国家の何事かを象徴しているとするなら、欧州作品の模倣から世界の動きを牽引するかのような作品に変容していくアメリカの絵画界の動向はアメリカという国そのものの変容の姿でもある。所謂「文化」を自然発生的なものと捉える向きも少なくないように感じているのだが、それは自然などではなく、政治や経済と密接に関連した人為的な現象なのだと思う。美も芸も、世間からそれと認められてこそのものである。美しいとはどのようなことか、という問いかけのないままに、自我を主張するのが「芸術」ということになっているかのように見える。こうして眺めると、自我というのは混沌としたえげつないものだ。我欲を執拗に発散し、それを世間に認めてもらうことに執着するのが「芸術」を生業とするということなのだろうか。誰に対して己を表現するのかといえば、その表現を換金してくれる相手ということだ。つまり、そこに権威の存在が不可欠なのである。その権威を支えるのは、結局のところ権力であり、それを支えるのは政治力や経済力である。所謂「抽象絵画」を私は美しいとは思えない。それは私が世間の権威や権力とは無縁であるということでもあるのだろう。それでかまわないと思っている。

稲を刈る

2011年09月26日 | Weblog
稲を刈るのは流山市にある田圃。午前8時半に東武野田線の初石駅で待ち合わせである。巣鴨駅を7時38分に出る山手線外回りに乗り、日暮里と柏で乗り換えて、8時29分に初石駅に着く。天気は曇り。駅前で今回お世話になる農家の方々が車で出迎えてくれた。今回の現場は江戸川沿いに広がる農地の一角。といっても川は見えない。しかし、田圃の位置から川の方向を眺めると、常磐自動車道の流山インターに続く道路の向こう側に土手が見える。近くには運動グランドがあり、トイレはそこにあるものを使うとのことだった。

数日前の台風の所為で、稲刈りの田圃にしては水が深く、足を泥だらけにしながらの作業となった。稲刈りは初めてだったが、貸して頂いた鎌の切れ味がよく、思いの外順調に作業ができた。午前9時から12時まで取り組んで、それでも素人仕事なので、たいした量にはならない。当初は外で弁当という予定だったが、雨が降り出しそうな気配だったので、その農家にお邪魔して家のなかで弁当を食べることになった。農家のほうは野田線の反対側で、住宅地のなかにある。今は住宅地だが、近隣にはかつて農業用水であったと思われる小さな川があり、その農家の裏側には調整池であったという、少し低くなって草木に囲まれた平地がある。今でも行政上は「調整池」なのだそうで、その農家が管理を市から請け負っているのだそうだ。「池」でも水はなく、畑として利用されている。母屋の裏側、調整池に面したところに脱穀機が置いてあったり、鶏小屋があったりして、いかにも農家らしい懐かしい香りがする。

懐かしい、というのは、私が子供の頃、正確には小学6年生の11月までは似たような風景のなかで暮らしていたからだ。尤も、田畑が広がっていたのは小学校の低学年の頃までで、あれよあれよという間に開発が進み、引っ越す頃には住宅と倉庫ばかりの土地になっていた。そんなわけで、小学校時代の友人の多くは農家の子供たちで、しかも、そうやって土地を売って豊かになった家の子が多かった。それでも2年生くらいまでは、まだ農地が広がっていて、そういう友人の家に遊びに行くと、母屋があり、納屋があり、鶏小屋だの小動物を飼っている小屋があり、有機的な匂いが漂っていたのである。

ところで、初めて作った握り飯の弁当だが、握り飯だけというわけにもいくまいと思い、樹脂製の密閉容器に前日の夕食のおかずの残りと栗の渋皮煮を詰めて持参した。おかずは野菜の味噌炒めとカボチャの煮物である。自画自賛で恐縮だが、いままで食べた事が無いほど旨い握り飯だった。米を炊くとき、普段よりも長めに水につけておいたのと、炊きあがってからしっかり蒸らしたのがよかったのではないかと思う。

参考:弁当に使用した食材
米:魚沼産コシヒカリ 埼玉県戸田市内の日坂米店で精米済みのものを購入
  陶器製の鍋を使ってガスレンジで炊飯
梅干:有限会社古関商店(千葉県成田市)
塩:「黒潮源流塩」 与那国海塩有限会社(沖縄県八重山郡与那国町)
玉葱:北海道 たぶん富良野産
ピーマン:品種は「ちぐさ」茨城県産
茄子:茨城県産
しいたけ:茨城県産
シーフードミックス:冷凍品 協同水産流通株式会社(千葉県船橋市)
味噌:ささかみ農業協同組合(新潟県阿賀野市)
味醂:タイ産 輸入販売業者は株式会社サンフーズ(山梨県甲州市)
栗:熊本県産
砂糖:「黒砂糖」高知県幡多郡黒潮町 大方製糖生産組合
ベーキングパウダー:「Royal Baking Powder」米国産 輸入販売業者は株式会社鈴商(東京都新宿区)
水:東京都水道局の水道水を無印良品の浄水ポットで浄水したもの

塗りたて注意

2011年09月25日 | Weblog
金曜日に豊田の民芸学校で知り合った人から稲刈りのお誘いが届いた。月曜の午前中に流山の有機農業家が耕作している田圃の稲刈りがあるのだという。午前中に作業し、昼に弁当を皆で食べて解散だそうだ。つまり、弁当を持参しないといけない。弁当は今まで作ったことがなかったので、これも良い機会だろうと思い、まずは弁当箱を買いに行くことにした。

弁当箱は漆器と決めていた。それ以上の具体的なものはなかったが、扱いが厄介なひ弱なものではなく、使えば使うほど自分に馴染むようなしっかりとしたものが欲しかった。そういうものがどこに行けば手に入るのか見当がつかなかったので、とりあえず、池袋の伝統的工芸品センターへ行き、そこに無ければ若松町の備後屋でも覗いてみることにした。

伝統的工芸品センターでは静岡の特集展が開催されていて、レジ前の陳列台に井川メンパが並んでいた。「あ、これだ」と思ったが、他も見てみようと会場内をひとまわりし、階下の常設コーナーも見て、結局、井川メンパの小判型を購入した。店の人に購入の意思を伝えると、陳列台の下から紙箱入りの新品を出してくれた。それをレジで開いて内容確認の段になり、弁当箱のなかから製品の説明や取扱い上の注意などを書いた細長い緑色の紙と、検品を証明する小さな白い紙片が出てきた。その白い紙片の裏側にゴム印で日付が入った文章が押印されていた。
「注意 漆りたてに付き御使用は2011.10.10以後の事」
明日の弁当に、と思って買った弁当箱は明日は使えない。しかし、気に入ったものなので、そのまま会計を済ませた。

仕方がない。明日は握り飯だ。

理想郷

2011年09月24日 | Weblog
「日本人」というとき、日本という国の国民という意味と日本人という民族であるという意味を同じことと考える人が圧倒的に多いのではないだろうか。政治的あるいは地政学的な意味での人間の集団が民族的な意味での人間の集団と同一視されているのである。これは国民国家(”Nation-State”に対する訳語)であって、世界を見渡せばそのような単一民族によって構成される国のほうが少数派だろう。Nationというのは”a country considered as a group of people with the same language, culture and history, who live in a particular area under one government”(Oxford Advanced Learner’s Dictionary 6th edition)という意味で使われるのが一般的らしいが、この定義のなかの”who live in a particular area under one government”という部分は後から付いたもので、もともと地理的な限定はなかったらしい。Stateのほうの意味が”a country considered as an organized political community controlled by one government”(同上)なのだから、先の定義に従えばNation-Stateというのは意味の重複になってしまう。ちなみに同じ辞書でnation stateは”a group of people with the same culture, language, etc. who have formed an independent country”とある。

どうしてこんなことを書き始めたかというと、パレスチナ自治区が国連加盟を申請したからではなく、今日、アイヌ文化についての講演を聴いたからだ。アイヌといえば北海道の土産物くらいしか思い浮かべることができなかったのだが、今日の講演で初めて知った興味深いことがいくらもあった。この講演は国立民族学博物館で来月から開催される「千島・樺太・北海道 アイヌのくらし ドイツコレクションを中心に」という特別展に因むもので同館の友の会会員を対象に行われた。この特別展の名称に「ドイツコレクション」とあるが、日独交流150周年記念事業のひとつである。まずは、なぜ、ドイツとアイヌが結びつくのか、ということにおおいに興味をそそられた。

日本でアイヌといえば北海道、北海道といえばアイヌ、と何の疑いも無く連想する人が多いのではないかと思う。民族と国家との関係については、これまでも大小様々な問題や論争があり、おそらくこれからも様々なことが続くのだろう。それで、ドイツとアイヌだが、今回の特別展にはライプツィヒ民族学博物館所蔵のアイヌ資料が多数展示される。現在確認されているだけでも欧州には1万点を超えるアイヌ資料が存在するそうだ。そのうち約4,500点はロシアにあるが、ロシアを除く欧州約20カ国に目録上は約6,800点、確認できているものでは約5,700点があり、その多くがドイツ語圏の博物館等に所蔵されている。欧州にあるアイヌ資料は、江戸時代後期に長崎出島経由で渡ったものもあるが、多くは明治から1930年前後にかけて欧州の国々がそれぞれに収集したものだ。

欧州の国境線が現在のような姿で確定したのはそれほど昔のことではない。私が生まれた後だけを取り上げても、ソ連の崩壊、ドイツ統一、ユーゴスラビアの分裂、といったものがあり、さらに過去100年まで遡っても2回の世界大戦とそれに伴う変動がある。日本で日本人として暮らしているとあまり意識することもないのだが、「最後の授業」のような風景というのは、欧州では身近なことと感じる人が多いのではないかと思う。要するに、欧州の歴史というのは戦争の歴史と言っても過言ではないような時代があったということだ。そうしたなかで、人間のあるべき姿として、自然と一体となり平和に暮らす「高貴なる野蛮人」を標榜するかのような考え方もあったようだ。例えば「啓蒙主義の時代」というものがある。17世紀後半にイギリスで起こり、18世紀に主流となってフランス革命にも影響を与えたと言われる。そのなかで理想郷として考えられたのがアイヌの社会であったというのである。やがて19世紀の帝国主義時代を迎える。欧州列強が世界中に植民地を持つようになり、自ずと自らを頂点とする思考を持つに至る。欧州世界が地球上で最も文明の進んだ地域であり、他は劣っている野蛮な世界なので、支配して教化してやらねばならない、ということだ。ユーラシア大陸にしても、もともとはコーカソイドが広く分布していたのに、野蛮なモンゴロイドに侵略を受け、アジアを放棄せざるをなくなってしまったが、気の毒なことにアイヌが極東に取り残されてしまった、という考え方があったのだそうだ。つまり、当時の欧州の人々はアイヌをコーカソイド、白人だと思っていたらしい。

そうしたなかで、1823年6月、シーボルトが長崎出島のオランダ商館の医師として来日する。彼は出島の中で開業するとともに、出島の外で鳴滝塾を開き日本人医師などに蘭学の教育を行う。オランダ商館長の江戸参勤にも同行し、その道中に日本の自然を観察、江戸では北方探査を行った最上徳内や高橋景保などと交流を持つ。そうしたなかで、アイヌ資料も入手して、欧州へ送っている。一方で、当時はロシアの流刑地だった樺太に流されてきた政治犯などのなかにアイヌ研究を行うものも現れていた。やがて19世紀後半に日本が開国をすると、アイヌ資料も活発に欧州へ渡るようになる。

1867年のパリ万国博覧会では日本も幕府、薩摩藩、佐賀藩が出展する。このとき、幕府の展示のなかにアイヌ資料もあったというのである。アイヌ資料の展示はこの後の万博の日本展示の定番となる。それは、日本側が見せたいと考えたというよりも、万博運営側から働きかけがあったのではないかとの説もあるらしい。そうなると、学術研究だけではなく骨董商もアイヌ資料の収集に乗り出すようになる。

つまり、欧州の人々にとっては、自分たちとルーツを共にする人々が極東の僻地で生き延びていて、野蛮ながらも平和で高貴に暮らしていた、という幻想を抱いて研究をしていたようなのである。

研究が進めば、アイヌがコーカソイドであるという説が怪しくなる。それとともに欧州でのアイヌに対する関心は薄らいでいくのである。第二次大戦後は欧州でアイヌの研究は行われなくなり、殆どの資料は退蔵され、資料の存在そのものが忘れ去られていくことになる。1980年代になって、ボン大学の研究チームが欧州の博物館にあるアイヌ資料の所在調査を行い、その量の膨大さに日本の研究者が驚愕するということになったのだそうだ。

自分が何者であるか、というようなことは逆境にあるときほど強く意識されるものなのではないだろうか。現実を厳しいものと感じるときほど、あるべき自分は高貴で美しいはずだと思いたくなるものなのではないだろうか。例えば、欧州列強が産業革命から重商主義、帝国主義の時代を迎え、世界中に植民地を持ち、繁栄を謳歌していたとき、極東の少数民族に興味を寄せる感覚には、勿論、世界の隅々まで支配しようという意図もあっただろう。しかし、啓蒙主義の時代に芽吹いた、人としてのあるべき姿を思い描いた思考の歴史が、その後の物質的繁栄の影でも依然として続いていたのではないだろうか。おそらく、人の欲望は無限だ。そのときどきで富とされるものを手段を尽くして手に入れ、他人のものをも収奪し、これ以上はないというところまでいったとしても、満足はできないものなのである。世に大小様々な争い事が絶えないというのは、結局のところは満足できない欲望の深さの所為だろう。わかっていてもやめられない、でも、足るを知り高貴な生活を送っている人が現実に存在しているとしたら、それはとてつもない大発見になるかもしれない。物質的繁栄を目指して人と人とが、国と国とが、鎬を削っているなかで、まったく異質の価値観に生きる人々が存在しているとすれば、それこそが求めるべき理想郷かもしれない、と考えることに不思議はないだろう。尤も、そういうところにこそ富が秘蔵されていると睨んで侵略の対象とすることにも不思議はないのだが。

やっぱり醤油を入れた方がよい

2011年09月23日 | Weblog
先日このブログに書いた通り、賞味期限を迎えた強力粉の在庫があるので、今日もパン生地を作って、冷凍庫に保存した。数日前に熊本産の無燻蒸処理の栗も250g届いており、今日はこれを使ってまた渋皮煮を作った。今回は前回入れ忘れた醤油を入れた。数日前に栗の渋皮煮を作ったときのブログには醤油を入れなくても旨いと書いたが、入れるともっと旨い。栗の量が前回は500gだったのに今回250gになったのは、注文が予定以上に入ったためだそうだ。旬のものは旬のうちにしっかり食べておくというのは健康的であるように思う。おいしいものに注文が殺到するのに何の不思議も無い。注文した量の半分しか届かないのは残念だが、天候不順で不作というのではなく注文が多すぎて納品が半分になるというのは、それだけこの美味しさを多くの人と分かち合っているような気分になって嬉しいものだ。この秋にあとどれくらい栗を食べることができるのかまだわからないが、次も渋皮煮にしようかと思っている。

手元にある来週発注締め切りのカタログには、残念ながら栗が無いが、その代わり柿が今年初登場だ。果物は何でも好きなのだが、柿も大好きなので注文すること自体が嬉しいことだ。あと、まだ無花果が出ているので、これも発注するつもりでいる。りんごは主流が「つがる」で「紅玉」が出始めたところだ。「つがる」はとりあえずパスなのだが、「紅玉」は迷うところだ。今年初登場のものには銀杏もある。昨日、上野公園で銀杏を拾い集めている人がいたが、これも今時分の食べ物だ。里芋もおいしい時期になった。茄子は夏の野菜だが、私は秋茄子のほうが好きだ。こんなことを書いていると際限がないので、もう寝る。

飾る 隠す

2011年09月22日 | Weblog
国立西洋美術館で開催中の古代ギリシャ展を観てきた。大英博物館の収蔵品135点を展示したものだが、ロンドンで暮らしている頃には殆ど観ていないものばかりだ。大英博物館には週に一度は出かけていたが、訪れるのはたいてい日本を含めた東洋美術のコーナーで、次が古代エジプト、その次くらいがギリシャ・ローマのエリアだった。今回の展覧会で目玉となっている「円盤投げ」は、たぶん目にしているはずなのだが、記憶があやふやだ。尤も、当時は今とは関心の所在が違っていたので、古代ギリシャやローマのところはそれほど熱心には見ていなかった。今も古代ギリシャに興味があるわけではないのだが、見た目にしっくりくる安定感はどのようなところに鍵があるものなのか、ということに興味があって本展に足を運んだ次第である。

陶芸では、今月は休講日が多いので茶碗などの小さいものを挽いたり、8月のスクーリングで制作したものの仕上げなどをしているが、7月以来の大きなテーマは壷を作ることである。まだ3つしか出来ていなくて、いずれも焼き上がりの高さ直径ともに20cmに満たない小さなものだ。轆轤で挽いているときに、どの程度の大きさまで土を延ばすことができるものか、まだ全然把握できていなくて、肉厚や基本となる円筒の高さを決めるのに、おっかなびっくりという情けない有様だ。参考にするのに、陶磁器を見て回るのは勿論なのだが、陶芸以外の立体造形にも目を向けなければと思い、壷類だけでなく彫刻類も注意深く眺めてきたつもりだ。

大理石の塊から像を彫りだすのだが、無理な力が加われば壊れてしまう。出来上がった当時は五体満足だったのだろうが、腕や首がもげてしまっているのが少なくないのは、そういうものの有り様の本来的な不安定を語っていると見ることもできるだろう。そういう像の残骸に、二足歩行の割に大きく重い頭を持ちながら、こうして地球上の繁殖している人類の不思議を見る思いがする。

ただ立っているというだけなら必要はないのだろうが、ポーズをつけたり付属品をつけたりするとバランスを取ることが難しくなるので、所々に構造を支えるための梁のようなものが残ることになる。それをどの位置に残すか、というのも作り手の工夫のしどころなのだろう。今日はその梁が気になって仕方がなかった。あの「円盤投げ」にしても、梁こそは無いものの、左大腿部から真下へかけて彫り残しがあるが、それが無いと立っていられそうにない。尤も、全体としてみれば、その彫り残したところを含め、二重螺旋のようになっていて、なるほど均整とはこういうことかと感心した。

小品はそうした構造の工夫といったものからは解放されているのだが、その分、よほど訴えるものがないと見たときに力を感じにくい。それが装飾ではないことは明らかで、おそらく技巧だけの問題ではないことを窺い知ることができる。ブランクーシも愛したという「後期スペドス型女性像」は説明書きを読まなくても、それが女性であることはわかる。しかも、所謂「女性美」を構成する要素を挙げることができないのに、どういうわけか愛おしく見える。顔は平面で顔の大きさに比して大きめな鼻があるだけ、乳房はそれとわかるかわからないかという程度の突起があるだけ、腰のくびれなどないし、八頭身でもない。それでも、顔の輪郭とか、腹をかかえるように組んだ腕であるとか、全体の雰囲気にそそるものが漂う。男性像は、自分が男なのでかえってよくわからないところもあるのかもしれないが、それでも「アイアス小像」はただものではないと感じてしまう。兜をかぶっただけの全裸の男性がまさに割腹せんとするところだが、像が小さい上に抽象化されている所為で一見したところは、それが何であるかわからない。兜というのも、そういう説明があるからそう見えるのであって、像だけを見ればおかっぱ頭のようにも見える。身体の大きさに比して大きな男根が勃起しているので、男性ということがわかるが、それがなければ人であることはわかるけれど性別までは判然としないほどに抽象化された像である。しかし、その像を手元に置けば、とんでもない幸運か、とんでもない災厄のどちらかに間違いなく遭遇すると思わせるような力を感じさせる。

隠すということについても考えさせられた。古代ギリシャのオリンピア競技祭では、選手は男性のみ、しかも全裸で競技をしたのだという。都市国家間の争いが絶えなかったと言われる古代ギリシャでは、運動競技は軍事教練の一部でもあったのだそうで、競技祭本番だけでなく練習も全裸で行われたという。肉体は道徳的内面を反映するとも信じられていて、肉体を鍛錬することは人格を高めることでもあったらしい。筋骨隆々とした姿を美しいとするのは、それを手に入れるのに鍛錬が必要だということと関係するのだろう。鍛錬したからには、その成果を披露したいというのは自然な欲求であるかもしれない。

では、その肉体を隠すのが一般的になるのはいつ頃からなのだろうか。おそらく、最初は「隠す」というよりも「飾る」という意識のもとで衣服を身につけるようになったのではなかろうか。服飾の技術が未発達であった頃は、服飾自体が富の象徴であったはずだ。そこに糸を紡ぐ、布を織る、糸や布を染める、糸や布で装飾を施す、という具合に布地や服飾の華美がその背後にある技術力や資本力といった力を象徴するようになったのではないだろうか。人に限らず、生きているものは、その生をアピールすることで生命を維持継承するという本能のようなものを持っているのだろう。それが装飾の背後にもあるということだと思う。

それにしても、今は全裸で往来を歩けば犯罪になる。裸体が衆目から隠されるべきものとなったのはいつの頃からなのだろうか。

台風に襲われて

2011年09月21日 | Weblog
あまり天気のことを意識して暮らしているわけではないのだが、1ヶ月の間に台風の直撃を2回受けるというのは、自分の長い人生のなかでは初めてのことのような気がする。ずっと東京にいれば、今月は15号だけなのだが、倉敷に行っていたときに、むこうで12号に襲われたので2回なのである。沖縄だとか西日本の太平洋岸なら台風が月に2回程度上陸することなど珍しくもないのだろうが、東京あるいはその周辺を長らく生活の場としていると、台風が来ることを前提にして物事を考えたりしない。地震とちがって、いつ、どれくらいの規模のものが来るのか、数日前から予測できるが、予測できるということが被害をおさえることには役立つとしても、被害から完全に免れるわけにはいかない。人間の力というのはその程度のものなのである。それでも、被害を少しでも軽くする工夫はあるように思う。個人とか地域でできることはそれぞれが考えて実行すればよいのだが、土砂災害のようなものは国の農林業に関する政策抜きに対応しようがない。これは山林をどのような姿にするか、ということと不可分だからだ。

日本の国土の約7割が山林で、その約6割は私有地だそうだ。山林が荒れているというのはかなり前から言われていることで、それがここ数年、盛んに売買されるようになっているというのも事実らしい。農地は農地法の規制があるので無闇に売買できないが、山林にはそうした規制がない。今のところは、売買されたからといって開発されるわけでもなく、相変わらず荒れたままのようだ。

山林は、適切に手入れを受け、山肌を一定の秩序に基づいて覆うことで、山林のエコシステムを活性化し、また、樹木が適切な密度で根を張り巡らせることで、その山地の保水力を高め、台風など気象の異常に対する抵抗力が増す。山林が荒れるのは、木材が売れないからだ。「売れない」というのは需要が無いということではなく、山林を手入れして、伐採した木材を出荷するのに要する費用を賄う価格では、需要が無いということだ。しかし、既存の流通経路から外れたところには、多少価格が高くともものによっては欲しいという声が無いわけでもないだろう。需要と供給の「ミスマッチ」などと言えば、わかったようなつもりになってしまうが、あるのに使えないというのは、ないから使えないということよりも深刻な問題であると思う。こういう現象は木材に限ったことではないのだが、資源の有無よりも、それを活用する能力をなんとかしないことには、それこそ宝の持ち腐れだ。腐るだけならまだしも、腐って荒廃が進めば、宝どころか人の生活に対する脅威になる。それは当たり前のことなのだが、東京のようなところで暮らしていると、その当たり前のことに疎くなる。そういう自分の無知や麻痺が容易に実感できないというのは、自分の生活の基本的なところに大きな欠陥があるということだろう。すぐにどうこうできるわけでもないのだが、なんとかしないといけないとは思っている。

味噌ピザ

2011年09月19日 | Weblog
今日はピザを焼く。ピザと言ってもチーズもなければピザソースというような気の利いたものがない。味噌を味醂で溶いたのを塗って、玉葱、ピーマン、しめじ、納豆をのせて焼いた。ピザをWikipediaで調べてみたら、
「ピザ、またはピッツァ(伊: Pizza)は、小麦粉、水、塩、イースト、砂糖、少量のオリーブ油をこねた後に発酵させて作った生地を丸く薄くのばし、その上に具を乗せ、オーブンや専用の竃などで焼いた食品である。イタリアで生まれ、世界的に広く食べられている料理である。」
とある。チーズやピザソースが無くても、「ピザ」と呼んでよいみたいだ。ピザソースに代わるものを何にしようかと冷蔵庫を覗いたとき、なんとなく五平餅が思い浮かんだので味噌を使うことにした。写真でも実物も見た目は今ひとつなのだが、なかなかいける味だった。余った生地は小分けして冷凍しておく。

ここで作り方のおさらい。その前に材料は以下の通り。
小麦粉(強力粉):300g
ドライイースト:6g
水:160cc
食塩:小さじ1
砂糖:小さじ2
オリーブオイル:大さじ1
バター:少し

1 水に食塩、砂糖、オリーブオイルを溶く。
2 強力粉とドライイーストをざっくりまぜる。
3 上記1と2を合わせて捏ねる。
4 ボールにバターを塗り、そこに丸めた生地(上記3)を入れ、ラップをかけて約2倍の大きさになるまで小一時間発酵させる。
5 膨らんだ生地を適当に小分けして丸める。
6 丸めたものをバットに並べ、ラップをかけて20分ほど放置。
7 円形に延ばす。
8 味噌を塗り、具をのせて、220度に加熱したオーブンで10分くらい焼く。

今回も材料の詳細を記載しておく。
小麦粉:日東富士製粉株式会社 北海道産小麦100% 輸入小麦を原料にしたものに比べてグルテン含有量が少ないので、水を少なめにしてある。輸入小麦原料の粉なら水は190cc程度にしたほうがよい、らしい。
ドライイースト:日清フーズ株式会社 「日清スーパーカメリヤ」
水:東京都水道局の水道水を無印良品のアクリル浄水ポットで浄化したもの
食塩:与那国海塩有限会社 「黒潮源流塩」
砂糖:いろいろ 外でコーヒーなどを飲んだときについてくる砂糖を使わずに持ち帰ったのを集めたもの。主にグラニュー糖。
オリーブオイル:日本オリーブ株式会社 「有機のオリーブ油 エキストラバージン」 有機認証(アラゴン州政府(スペイン)、有機農業認証協会(日本)) オリーブ生産国はスペイン、生産者はカランディーナ農協 酸価 1.6以下 オイレン酸含有量 70%以上
バター:よつ葉乳業株式会社 「北海道バター」

具のほうに使ったのは以下の通り。
味噌:ささかみ農業協同組合 「杉桶仕込 うめてば味噌」
味醂:株式会社サンフーズ 「純米本みりん」 原産国 タイ
玉葱:北海道 富良野産
ピーマン:茨城県 和郷園
しめじ:JAつくば市谷田部産直部会
納豆:株式会社カジノヤ 「小粒納豆」

ところで、パンを焼くことにしたのは強力粉の在庫があるからだ。以前にも書いた記憶があるのだが、私はパンが好きで、朝食はたいていパンなのである。3月の震災の後、例の買い占め騒ぎでパンが入手しにくいという馬鹿なことが起こったので、それなら自分で焼こうと思い、強力粉を2kgとライ麦粉を500g調達しておいた。その後、当然といえば当然だが、パンが普通に手に入るようになったので粉だけが残ってしまった。粉はいつまでも置いておけないので、この連休を機にパンを焼くことにした次第だ。パンを焼くのは久しぶりだ。子供が小さい頃は休日などに焼いて食べさせていた。その当時も今日作ったのと同じようなもので、バターロールのように卵だのバターだのを混ぜたりしなかった。こういうシンプルなものが好きなのである。今日はけっこう上手くできたので、今週末も残りの粉でパンを焼くことになりそうだ。

「女と銃と荒野の麺屋(原題:A Woman, A Gun and A Noodle Shop)」

2011年09月18日 | Weblog
評判の映画のようなものはあまり観ないのだが、チャン・イーモウの名前も耳にしたことはあるし、コーエン兄弟の作品もいくつかは観たことがある。しかし、「ブラッド・シンプル」は有名な作品だが観たことは無いし、チャン・イーモウの作品でこれまでに観たのは「単騎、千里を走る。」だけだ。それでも、この「女と銃と…」は観てみたいと思ったのである。

何年か前に映像翻訳の学校に通っていたことがある。たぶん2年近く通ったような気がするのだが、その頃は映画館でもレンタルでもかなり多くの映像作品を観たものだ。結論としては、やはり「アメリカ」とか「アメリカ人」というものには生理的に嫌悪感を覚えてしまう。個別具体的に何がどうということではないのだが、どういうわけか嫌悪と軽蔑が先に立ってしまう。それでもコーエン兄弟の作品で「バーバー(原題:The Man Who Wasn’t There)」や「ファーゴ(原題:Fargo)」は好きだし、自分のなかでの映画のスタンダードは「ローマの休日(原題:Roman Holiday)」だ。「恋愛小説家(原題:As Good As It Gets)」や「アバウト・シュミット(原題:About Schmidt)」も好きだし、「がんばれ!ベアーズ(原題:The Bad News Bears)」はDVDも持っている。映像作品以外でもアメリカは決して自分にとって疎遠ではない。ヘミングウェイやスタインベックの作品は日本語に翻訳されているものは全て読んだし、意識をして絵画を眺めるようになった最初の作家はエドワード・ホッパーだ。ところが、年齢を重ねる毎に自分のなかにある「アメリカ」というイメージに対しては嫌悪感が強くなる一方なのである。不思議なもので、「イギリス」に対してはそうした感情は無い。留学や仕事で通算すると3年半ほど生活をしていて、個別具体的に不愉快な思いをすることも少なく無かったのだが、何故かあそこに対しては否定的な感情が起こらない。自分のなかで最初の外国文化の体験がモンティ・パイソンやビートルズであったということも関係しているかもしれない。

さて、「女と銃と…」だが、期待を裏切らない作品だった。舞台設定や登場人物がシンプルになっている分、物語を現実の諸々のことに読み替えることができる。何に読み替えるかということは、その時々の社会や自分の置かれた状況によっても変わるであろうし、読み替えを事細かに記すのも野暮というものだ。逆に、どのように読み替えるかで、そのときに自分が置かれていると認識している状況を語ることもできるかもしれない。

この作品では、麺屋の主が象徴する財力と警察官が象徴する武力が非公式に結託する。一方で麺屋の主の妻という、全体のなかでは支配層に属しながら、亭主から虐待を受けているという点では被支配層の地位にある、両義的立場にあるものが、外国から来た商人という、これまた両義性を備えたものから拳銃という、それまでのその場には存在していなかったスーパーパワーを手に入れる。警察官は、立場としては権力の側にあるが薄給で使われているという点では被支配層とも言える。主だった登場人物はこれだけだ。他は、麺屋の妻と不倫関係にあることが権力の側にばれないかと怯えていたり、わずかばかりの給料の未払いに不満を募らせて金庫破りに及ぶ従業員たちがいるが、これらは小さなことで右往左往しているだけの愚衆の象徴で、風景の一部のようなものだろう。物語の展開の軸になるのは、権力でもなければ武力でもなく、ましてや不倫や虐待でもない。麺屋の地下、主の仕事部屋に鎮座する金庫、さらに言えばその中身を巡って、物語が展開するのである。もっと言えば、執拗にその金庫の中身を奪い取ろうとする警察官が物語の中核だ。

はじめは、警察官が麺屋の主から妻とその不倫相手の殺害を依頼される。報酬は10貫というオファーだ。彼はそれを交渉で15貫に引き上げ、さらに手付金としてそのうちの10貫をその場で手にする。しかし、金庫の中身を目にして、欲望が膨張するのである。彼は麺屋を殺害し、金庫をこじ開けようとするが、それで開いたら金庫とは言えない。その場は引き揚げ、以後、様々な道具を持ってきては金庫を開けようとするが、力づくでは開かない。金庫の鍵が算盤状の文字合わせ式で、ある計算をその算盤で行うと開くようになっている。大事なものを手に入れるためには、武力と知力が揃っていないといけないのである。

金庫を開くことができるのは主だけではなかった。従業員のひとりが、金庫の開け方を盗み見たのである。しかし、彼には主の部屋に忍び入って金庫を開けるという勇気はない。武力と知力と勇気も揃うと金が手に入るということになる。あるとき、800文の未払い給与がどうしても気になって、その従業員は勇気を奮い起こす。そして同僚を誘って夜中に金庫のある部屋に忍び込み、ふたりは未払い分を無事手にする。それで終わればよかったのだが、金庫の開け方を知っているほうの従業員は、金庫の中身を目の当たりにして、欲望が膨張する。後日、ひとりで忍び入って金庫の中身を全て手にしようとしたところで、そこに潜んでいた警察官に殺害され、金は警察官の手に落ちる。大事なものを手に入れるためには、武力と知力と勇気、それに運あるいは巡り合わせが揃っていないといけないのである。

それで終わればよかったのだが、…、という具合に物語が展開する。物語の起点となっていた金が最終的にどうなるのか、作品のなかでは語られない。興味深いのは、登場人物のなかで生き残るのは女性だけということだ。そこに何か意味があるのか、偶然そうなったのかは知らない。私が男だからそう思うのかもしれないが、生命力という漠然としたものは、どちらかといえば男よりも女の方により多く宿っているように思う。もうひとつ興味を引いたのは、拳銃だ。拳銃には3発の弾が入っていた。その3発は全て発砲され、全て命中した。ただ、同じ人物が3発撃ったのではない。3人が撃ち、このうち2発が同一人物に命中している。拳銃を買ったのは麺屋の妻。彼女は亭主を撃ち殺そうとして購入した。ところが、彼女が撃った相手は亭主ではない。3発の銃弾が1人に2発、もう1人に1発命中するという配分も示唆に富んでいるし、武力というものが必ずしも目的通りには執行されないというのも面白い。荒野のなかのにぽつんと建っている麺屋のなかで物語が展開するが、荒野の広大な風景と騒動が展開する狭い世界との対比にも大きな意味があるように思う。

2009年の作品だが、この10年ほどの間に世界で起こった様々なことの根幹の一端を語っているかのような印象も受けた。それを書き始めると際限がなくなってしまうので書かないが、権力とは何か、ということは社会生活を送る上で常に意識する必要があるように思う。

栗の渋皮煮

2011年09月17日 | Weblog
栗の渋皮煮を作る。作り方は単純だが手間は多少かかる。今回使った材料は栗500gくらい。ベーキングパウダー適量。砂糖160gくらい。以上。

1 まずは栗を一晩水につける。
2 水につけておいた栗の鬼皮だけむく。
3 鍋に鬼皮をむいた栗を入れ、栗がかぶるくらいの水を入れ、そこにベーキングパウダーをまく。今回参照した生協のカタログのなかのレシピでは重曹を使うことになっているが、何ヶ月か前にスコーンを焼くのに使ったベーキングパウダーが残っていたので代用する。そして強火で5分煮る。
4 湯を捨て、改めて水を入れ、やはり強火で5分煮る。これを5回繰り返す。
5 竹串などで栗の溝に食い込んだ渋皮をきれいに取る。
6 鍋に水380cc、砂糖160gくらい、それと栗を入れ、落としぶたをして中火で20分くらい煮る。そのまま冷まして味をしみ込ませる。生協のレシピには、ここで醤油を小さじ2杯入れることになっていたのだが、うっかり忘れてしまった。結論から言えば、醤油がなくても全く問題ない。

参考までに使ったものをもう少し詳しく列挙すると以下の通り。
栗:熊本県産 ブログで熊本熊を名乗っているから熊本県産を取り寄せた、というのではなくたまたま手にしたものがそうだったというだけ。無燻蒸 一般に店頭に並んでいる栗は、虫の被害を防止するため、収穫後に燻蒸処理をするらしい。今回使った栗はそういうことをしていないというもの。
ベーキングパウダー:Royal Baking Powder
砂糖:高知県幡多郡黒潮町 大方製糖生産組合が製造した黒砂糖 固形なので適当に手で割って栗と一緒に鍋の中に並べた。この砂糖を使うと、味に顕著な違いはないのだが、香りがなんとも言えなく良い。
水:東京都水道局の水道水を無印良品のアクリル浄水ポットで浄化したもの

このように書くと、なんだかこだわりの人みたいだが、何のこだわりもなく生きている、と自分では思っている。栗は普段利用している生協の宅配で届いたもの。ベーキングパウダーは職場のあるビルの中の成城石井で、勤務中に食べる夜食を調達するついでに購入したもの。黒砂糖は以前にこのブログに書いたと記憶しているが、梅原真の本を読んだときに、そこに紹介されていて、「どれどれ」と思って調達したもの。陶芸を習っているのが池袋西武のなかにある教室なので、日用雑貨はその帰りに同じ建物のなかにある無印良品で買うことが多い。浄水器はそこで購入した。生活しているのが巣鴨なので、水道水は必然的に東京都水道局の手になるものになる。

食べた感想:旨い。

SNS

2011年09月16日 | Weblog
近頃は携帯電話とメールのアカウントを持つのが当たり前になっているかの感がある。以前、携帯電話を買いに出かけたときのことをこのブログにも書いたが、そういうものを持っていないというと、なにか訳ありの人なのではないかと思われてしまうような雰囲気が世の中にあるように思う。それに加えてSNSのアカウントも社会生活の必需品のようになりつつあるように感じられる。

何度も書いているように、私はできることならそういうものを使わずに生活をしたいと思っている。なぜそう思うのかを語り始めると長くなるし、場合によっては厄介にもなるので書かない。そう思いながら、こんなふうにブログを書いたりしているのだから、しょうもない。

それでSNSだが、私もFacebookにアカウントがある。言い訳がましくなるが、自分から作ったのではなく、かつての職場の同僚から招待を受けたので、それに応える形でできたのである。その後、同窓会の掲示板にも加えられた。そうなると、掲示板上の連絡が更新される度にメールが届いてFacebookの画面を開くことになる。開いたついでに、自分の「友達」が他にどのような「友達」を持っているのか眺めてみたら、当然なのだろうが、仕事や職場で知り合った人たちの「友達」には、自分の「友達」には入れていないけれど見知っている人がごろごろいる。これを見て、ふと考えた。たまには連絡を取り合ってみたい人ならよいけれど、二度とかかわり合いたくないような人から「友達」申請が届いたらどうしたらよいのだろうか、と。

同じ同窓会のメンバーであるというだけで、「友達」申請をしてきた人が3人いる。最初の人は、うっかり承認してしまったのだが、会ったこともない人と「友達」というのは妙だろうと思い、あとの2人からのものはそのままにしてある。Facebook上で「友達」になったからといって、実生活のなかでどうこうということは無いだろうが、相手によっては微妙な問題が生じないとも限らない。かつての職場の上司から「友達」申請が送られてきたとき、正直なところ、それを承認するかしないか迷った。自分の生活力に絶対の自信があれば、自分の気持ちに正直に対応できるのだろうが、どこでどうなるかわからないという不安が少しでもある限り、人との縁を粗末に扱うのは危険なことである。そうなると、「友達」というのは友だちと同義ではなくなる。逆に、自分がそうは思っていなくても、相手が自分のことを目上と感じているような場合で、しかもその相手と長らく交渉が途絶えている状況下で、その人に「友達」申請を出したら相手はどう思うか、ということも考える必要があるだろう。

実際の生活では、限られた行動圏と時間のなかで個別具体的な相手と長時間に亘って関わるというのは、同居家族以外にはそうあるものではない。だから付き合いの相手についてそれほど神経質になることも無いのだが、目の前に個別具体的な相手が提示されてその人との関係の是非を問われると、はたと考えてしまうこともないではない。ネット上の関係を生活と区別する考え方もあるだろうが、私は人と人との関係にリアルだのバーチャルだのという区別はあり得ないと思う。どちらであろうと、人の存在が関係性の上に成り立つものである限り、その関係性はその人そのものだ。

尤も、縁は自分が意識しているものが全てではない。自分が意識していなくても、自分の意識や行動が巡り巡って自分のところに回ってくるというのは当たり前にあることなのである。それを人は「神様」とか「おてんとうさま」などと便宜的に呼んだりする。あの世があるのかないのか行ったことがないので知らないが、要するに、ひとつひとつの因果関係をつないでいくと、人知を超えた規模になってしまうということだろう。規模が大きすぎてわけがわからないから「あの世」とか「神様」にお出ましいただいて、とりあえず収めておくというだけのことだ。そう考えると、宗教は多体問題に対する解答のひとつのありかたとも言える。「因果応報」という言葉もあるが、自分が良かれと思ってしたことが、必ずしも良い結果になるわけではないし、その逆も然りである。「因果応報」で片付くことばかりなら苦労などない。自分という関係性の有り様が自分で認識できることもできないことも含んでいるから、むしろ認識できないことのほうを多分に含んでいるから、自分というものを容易に理解することなどできないし、ましてや他人のことなどわからない。かといって、投げ出してしまっては、社会生活を送ることができない。生きることは多体問題に取り組むことであり、なるほど難儀なことなのである。

2011年09月14日 | Weblog
今年も落花生の季節がやってきた。自分の生活圏では今の時期にしか出回らない生の落花生を塩茹でにして食べるのが好きだ。落花生というと煎ったものが一般的だが、これは食べる側の都合というより流通の都合だろう。あと、今時分は北海道のとうもろこしも美味しい。今年は桃はハズレがなかったが、とうもろこしはがっかりするようなものが目立った印象だった。それが9月に入りようやく旨いものにあたるようになった。今年は無花果もおいしい。これも旬が短いものだが、野趣を感じる果物だ。これから栗の季節になる。去年はどこも不作に悩んだようだが、今年はどうなのだろう。

石川さんのコップ

2011年09月13日 | Weblog
日曜日に飯田さんの個展にお邪魔した後、深沢へ回って、久しぶりに而今禾に寄った。DMを頂いていて、それが偶然にも石川昌浩さんの企画展だった。石川さんは倉敷ガラスの小谷真三さんのお弟子だ。民藝学校の会場の展示即売コーナーにも石川さんの作品は並んでいたのだが、そこでは何も買わなかった。作家のところから直接、あるいはそれに近い形で購入するのもよいのだが、いろいろな人たちの手を経て自分のところに入ってきたとなると、それだけ多くの人と関わりを持つことができたような心持ちになる。わずかな違いでしかないが、手から手へというつながりが、その物の背後に広がるように思えて愉快なのである。

さっそく使ってみた。酒を飲む人なら、これで冷酒とかウィスキーのロックとかがよいのかもしれないが、あいにく私は下戸なので、水をいただく。器で味が変わるものではないが、空気は変わる。人の五感というのは自覚している以上に敏感なもので、ただの水でもおいしいなと思う。

三越で

2011年09月12日 | Weblog
昼過ぎに家を出て、所用を済ませてから日本橋三越で開催されている自分の陶芸の先生の個展にお邪魔し、ついでに院展も観てから出勤した。陶芸を習い始めたのは2006年10月で、ずっと同じ先生についている。その割に、先生の個展にお邪魔するというのは今回がまだ3回目だ。かなり怠慢な生徒である。会場には先生がおられたので、作品を拝見しながら、技法について事細かくご説明していただいた。陶磁器制作上の大きな特徴は焼成という作り手の側からすれば窯にまかせるしかない工程があることだ。作りたいと思う確たるイメージが強ければ強いほど、その自分ではどうにもならない部分をどうにかしてコントロールしなければならない。方法としては大きく二通りだろう。ひとつはそのブラックボックスを最短、つまり1回だけでおさえる。もうひとつは、イメージに近づくまで何度も繰り返す。ルーシー・リーなどは本焼きだけで作品を完成させていたが、私の先生の場合は後者のほうのようだ。
「これなんか6回くらい焼いたかな」
そうおっしゃって手にされた茶碗は、銀粉をちりばめた地の上を黒々とした漆のような釉が今まさに流れ落ちているかのような様子だ。「地」と書いたが、実際の制作では、胴の黒い釉のほうを先に焼いて銀粉をちりばめた部分は後から焼いている。釉薬をかけるということがどういうことなのかわかっていれば、それは想像がつくことなのだが、予備知識無しに見れば、後先は容易に判別し難い。見た目の印象と実際との間に乖離があるのは器に限ったことではないが、やはり印象だけで物事を語る危険というのはどのようなことにもついてまわるものだ。

院展もざっと眺めてきたのだが、世相を反映するものなのだろうか。暗い印象の作品が多いと感じた。震災をテーマにした作品も当然ある。人口が減少に転じるとか、景気が一向に良くならないとか、閉塞感が強くなる一方の状況のなかで、東日本では大震災があり、西日本では台風の被害に見舞われた。こういう時だからこそ、前を見据えるようなものが欲しいのだが、その手がかりが見つからないというのも現実ではある。ただ、院展のポスターやチケットに使われている「天水」という作品はすばらしいと思った。何がすばらしいかというと、視点だ。毎日あたりまえのように繰り返していることでも、思いもよらない角度から見れば、はっとするような美しさとか、「そういうことだったのか」と溜飲を下げるようなことを見いだすことができる。