熊本熊的日常

日常生活についての雑記

読書月記 2016年2月

2016年02月29日 | Weblog

今月読んだ本は以下の通り。 

1 赤瀬川原平・藤森照信・南伸坊(編) 『路上觀察學入門』 ちくま文庫

先月読んだ「トマソン」続き。けっこう深い言葉があって、赤瀬川という人のものを何故もっと早くに読んでおかなかったのだろうと後悔する。

 

2 柳家小満ん 『小満んのご馳走 酒・肴・人・噺』 東京かわら版新書

昨年11月にイイノホールで「鰍沢」の会があって、そこのロビーで出演者関連の商品が売られていた。この本はそこで知ったのだが、家計管理上という個人的な理由で書籍類はなるべくアマゾンでの購入に集中させるようにしているので、会の後でアマゾンで検索した。ところが、あの品揃えのアマゾンにこの本は無かった。以来、ずっと気にしていたら、今年1月30日の「よってたかって新春らくご」の会場で販売されているのを見つけて購入した。

一時期、落語協会がネットで桃月庵白酒と春風亭ぴっかりをMCにした番組を流していて、そのタイトルを小満んが書いていた。そのタイトルは忘れてしまったのだが、検索しても引っかからないし、今から思えば放送終了の仕方も唐突だったので、たぶんまずいことがあったのだろう。その番組ではゲストがお土産を用意していて、視聴者が応募するということをやっていた。私は宝井琴調がゲストのときに応募して、講談かぶら矢会のCDボックスを割引価格で購入させていただいた。当選の礼状を琴調に書いたら、講談のチケットが送られてきて、大変嬉しかった。

それで小満んの本だが、山口瞳の『行きつけの店』のようなテイストだ。噺家や作家が生活のなかで何を大切にしているのか、別の言い方をすれば、どのような視線でものをみると創作が生まれるのか、ということがなんとなく伝わってくるような内容だった。

 

3 赤瀬川原平 『千利休 無言の前衛』 岩波新書

トマソン以来、赤瀬川の追っかけのようになっているのと、自分も裏千家の稽古をしたことがるので、読んでみた。読んで面白かったので、『利休』のDVDも買った。DVDのほうはまだ観ていない。

以下、備忘録。

見えないものを見える形で説明しようとするから面白いのである。しかもその説明しようとする人に確信があるから面白いのである。たしかに自分が出し入れできるものがあって、それがいま形でいうとスイカぐらいになっている。でもそれは形では見せられず、言葉にもならず、その見えない玉の大きさをなでてみせるしかない。お茶というものも、そのようなものではないか。(19頁)

路上観察は自己観察であった。新しい物件が、新しい感覚の皮をめくる。目玉を境界として、その外側世界と内側世界が等価なのだ。それが根底からの楽しさの原因である。(43頁)

要するに風土ということだろうが、無用となってなお存在する、そういう危うい、あいまいなものを見つめる空気というものが流れていない。ヨーロッパにはそういうあいまいさの余地がないのだ。もちろん生活のリズムの中で、町の中にも人々の感情の中にも、余裕というものは組み込まれている。しかしそれとはちょっと違う。解釈のつかぬままにそのものを楽しむ、その解釈の余地というものを温存するシステムがない。すべてが人々の意志に強くつながれて出来ているような気がする。
そのときはトマソンが日本的なものらしいとほんのり感じただけであったが、路上観察では、その日本的なるものの心臓部にいる利休に直接つながってしまったのである。(46頁) 

木が生えていると人は態度をはっきりさせない。木にごまかされて境界があいまいになる。木がなくなるといろんなものが見えて、理性的になってくる。砂漠に一人立てば、自己を強く意識し、主張することで生きていくほかはない。(63頁)

利休はその新しい価値のために、ある意味でその権威を利用していたということはあるかもしれない。じっさいのところ、創造力を含む感性というのは、そう何人も持ち合わせていないものだ。そこでその新しい価値を一般に認めさせるには、高い値段を示すほかはない。高額という経済上の権威に頼らざるを得ない。(99頁)

日本では茶の湯もそうだし、俳句でもそうだし、ほんのわずかなもので多くを語ろうとしたがる民族なのだ。(150頁)

人々の思想にしても、それは風土が人間にもたらす意識表現にすぎないわけだ。(156頁)

形式の中に身を潜める快感というものを、人は基本的にもっているものなのである。(226頁)

お茶にしてもお花にしても、お稽古ごとといわれるもの一般が同じ構造を生きている。そこにある形式美に身を潜めることの快感があるのである。そうではない、本来の侘び茶というものは形式美ではなく、それを崩すことにあるのだ、それを打ち破って新しい気持ちのひらめきを見出すことにあるのだ、とマラソンの先頭ランナーが説いたとしても、それは後方集団では何のリアリティももたないのである。私たちはこれでいいの。決められた形が上手に出来ることが嬉しいわけ。あたなは早く前に戻って、先頭を走りなさいよ、となってしまうところが、前衛の悲哀というものかもしれない。(227頁)

考えてみれば、そもそもは自力創作の不毛を見たところから、他力の観察発見に転じているのである。だから路上の物件を見ても、それが無意識的に作られたものほど面白い。こちらに向けて作られたものは、おうおうにしてうるさい、暑くるしい、どうしても避けてしまう。
利休の言葉に、
「侘びたるは良し、侘ばしたるは悪し」
というのがある。それは路上観察をやっていればおのずからわかることだ。人の恣意を超えてあらわれるもの、そこにこそ得がたいものを感じる。利休の言葉もそれを指している。人の作為に対して自然の優位を説いているのだ。(238頁) 

 

4 河北秀也 『河北秀也のデザイン原論』 新曜社

以前に何年かに亘って「芸術新潮」という雑誌を購読していたことある。その裏表紙は大分の焼酎の広告になっていて、それが広告らしくなくて面白いと思っていた。たまたまその広告を作っているのが河北秀也氏であることを知り、何か書いたものでもあるかとアマゾンを検索してみたら何冊かヒットした。これがその一つである。

 

5 赤瀬川原平 『東京随筆』 毎日新聞社

新聞連載のエッセイをまとめたものなので、買うのをためらったのだが、筆力のある人の文章は短いものにおいてこそ発揮されるので、これまで読んだ数冊の実績に基づいて買う。期待は裏切られ無かった。ほっとする。

 

6 関容子 『日本の鶯 堀口大學聞書き』 岩波現代文庫

小満んの本のなかでしばしば言及されていたのが本書である。言葉の商売の人というのは、そもそも言葉に対する感受性の強い人なのだろう。堀口大學という人がどのような作品を残したのか、というようなことは全く知らない。それでもこの本を読んで、堀口大學よりもその師匠である与謝野晶子の作品に興味を覚えた。短歌や俳句が「すぐれている」というとき、なにがどう「すぐれている」のか知りたいと思うのである。


ほんとにうまい

2016年02月22日 | Weblog

鰍沢・身延から帰って、彼の地で買ってきた土産物を食べてみる。買うときに味見をさせていただいたものもあるのだが、特筆すべきは鰍沢の竹林堂の「甲州銘菓 塩饅頭」である。この店は菓子なら和菓子も洋菓子も駄菓子も扱っている。仕入商品もあるが自家製の商品もある。「塩饅頭」は自家製だ。なにがどうということではなしに、ほんとにうまいのである。とはいえ、饅頭なので、わざわざ取り寄せてまで食べようというほどのものではない。ただ、今回の旅行でここの饅頭を知ったことは、やはり貴重な経験であることに間違いはない。写真では店内にあふれんばかりの人だが、これはほぼ全員が今回の旅行の参加者で、おそらく普段は静かな店だと思う。しかし、仮にいつ行ってもこれくらい客がごった返していたとしても、私は驚かないだろう。それくらいうまい。


現場検証

2016年02月21日 | Weblog

身延参りが登場する噺で現在も比較的頻繁に高座にかかるものには「鰍沢」の他にも「甲府い」がある。もっと広く法華が登場する噺となると「堀の内」や、ちらっと登場するだけだが上方の「宿替え」といったものもある。つまり、それだけ法華は落語の聴衆にとって一般的な存在だったということだろう。それで、せっかく鰍沢にまで来たのだから、ということで少し足を伸ばして身延山にもお参りをしてきた。噺の現場検証のようなものである。

昨日の落語会の後、旅行社の担当者に身延の宿坊のひとつ覚林坊まで車で送っていただいた。宿坊は本来、修行僧が寝泊まりする場所だが、なかには一般に開放されているところもある。若い頃に平泉の毛越寺や倉吉のなんとかという寺の宿坊にも泊まったことがある。毛越寺も倉吉の寺もユースホステルとして提供されていたので、今回の宿泊もそのときの印象に基づいた期待感を持って臨んだ。これは良い意味で期待外れだった。ちょっとした旅館のようなところで、食事がたいへん美味しかった。個人的に大豆やその加工食品が好物であるという事情があるにせよ、湯葉や豆腐をメインにした精進料理はどの品も美味しく、自家製だという納豆は我が家の自家製納豆の参考も兼ねて持ち帰り用に購入した。

昨日とは打って変わって好天に恵まれた。朝食を終えて午前8時過ぎに宿坊から久遠寺三門を目指して歩き始める。参詣や観光の時期ではないようで、静かな朝である。三門前の観光案内所で荷物を預かっていただき、山上の境内を目指す。が、三門を過ぎ見上げるような長い階段を前にして妻が無理だと言うので、少し引き返して女坂を行く。そのまま階段を登ると本堂正面に出るのだが、女坂を登りきったところにあるのは甘露門である。門を抜けて右手が身延山大学、正面が仏殿、仏殿に向かって左側に御真骨堂、報恩閣、祖師堂と続いて、本堂となる。本堂地下には宝物館入口があり、ここから本堂に入ることができる。

三門から階段を登りきったところ、本堂手前に五重塔があるが、これは2008年に竣工した3代目。建設を担当したのは大成建設だそうだ。一見して新しい。昨年秋に訪れた奈良の薬師寺西塔は1981年に竣工したものだが、こちらは「復興」であって、そもそもの形を再現しようとしたものである。だから、新築であっても新しい塔というわけではない。久遠寺のほうは寺院の五重塔という様式こそ踏襲しているのだろうが、どこか今風な雰囲気がある。この五重塔に象徴されるように、ここは長い歴史がある割にはさっぱりした印象だ。

本堂の中も拝見したが、たいへんきらびやかで、なんとなくカトリックの教会を連想した。本堂裏手からは奥の院へロープウェイが往来している。20分毎に発車するのだが、境内の様子から想像するよりは多くの客がいた。奥の院があるところが身延山の山頂で標高1,153mだ。ロープウェイの奥の院駅を出たところから富士山の上のほうがよく見える。不思議なもので、富士山を眺めると気持ちが晴れ晴れとする。

ロープウェイで久遠寺へ戻り、桶沢川沿いの道を下って武井坊の脇の道に入り御廟所や御草庵跡を詣でる。ここから三門はすぐだ。

観光案内所に寄って荷物を受け取り、参道を下る。昼時になったので、身延駅へ行くバスの停留所の近くの食堂で湯葉定食をいただき、バスで駅へ向かう。甲府へ向かう列車まで20分ほど時間があったので駅前の土産物屋を覗いてみる。身延から甲府までは各駅停車で1時間半近くかかる。途中、鰍沢を通るが、身延から鰍沢までが39分である。かなりの距離だ。噺の世界では皆この距離を歩くのである。ここだけではない。江戸からここまで歩いて往復したのである。鉄道を利用してすら遠いと感じる距離を、信仰信心のために時間と経費を費やして人々が徒歩で行き交った時代は、たぶん今より豊かだっただろう。少なくとも精神の面は。


粋か野暮か

2016年02月20日 | Weblog

落語の舞台を訪ねる旅というものに参加した。お題は「鰍沢」。落語の「鰍沢」は知らなくても葛飾北斎の『富嶽三十六景』にある『甲州石班澤』は知っているという人は多いだろう。その鰍沢のある富士川町が「落語のまち」として町おこしをしようというのである。そういう事情を一切知ることなく、昨年イイノホールで聴いた「鰍沢」の会で手にしたチラシに引かれて今回の旅行を申し込んだ。

そのチラシには「第一回 落語『鰍沢』の舞台をめぐる旅」とあるが、この以前にきっかけとなる似たような試みやテストマーケティング的な企画を重ねてきたのだそうだ。きっかけに登場した噺家は今は亡き立川談志。このときは木戸銭500円という設定だったのを、「そんな半端な額を取るくらいならノーギャラでいいよ」ということで無料での開催となったそうだ。談志の声掛けで春風亭昇太が出演することになったとき、『鰍沢』はできない、とのことで急遽助っ人で柳家三三が共演し、それが縁で今日に続いているのだそうだ。

それで「第一回」というからには「第二回」「第三回」と続くのである。少なくとも「第五回」までは続けないといけないらしい。というのは、落語で町おこしという企画で国から補助金を取り、その期間が5年なのだそうだ。公の金を使う以上、なにをどのようにして、その結果なにがどうなった、という報告をしないといけないのである。大胆な試みだ。大胆なことをしないといけないくらい地方経済は逼迫しているということでもある。

今日は午前9時10分にJR身延線の鰍沢口駅前集合だった。この待ち合わせに間に合うには9時7分に鰍沢口に到着する特急ふじかわ4号に乗らないといけない。この特急は甲府を8時44分に発車する3両編成だったが、甲府駅のホームの風景には特に違和感を覚えるようなことはなかった。電車が鰍沢口に着いてみるとホームに法被を着て幟を持った人がいる。お寺がたくさんあるらしいとは聞いていたので、何か法華の団体でもあるのだろうと思った。ホームから階段を下り、線路の下を潜って工事中の駅舎のほうへ出ると同じように幟を持った人がいて法衣姿の人もいたのでなおさらそう思った。大型バスが停まっていて、その周りに大勢人がいる。自分たちが乗るバスもすぐに来るのかなと思いながらそういう風景を眺めていた。が、よく見るとそれは今回の落語の旅の人たちで、法衣姿の人と話をしているハンチングをかぶった人が三三師匠だった。今日の特急ふじかわ4号に甲府から乗車した客のほとんどがこの落語旅行の人たちだと、ようやく気がついた。つまり、こういうことがなければ、この特急はほとんど客がいないということだ。

この駅前の人だかりのなかにはNHKの取材の人たちもいて、今回の企画を番組で紹介するのだそうだ。バスに乗り込む直前、私にもマイクとカメラが向けられた。この時点ではこの企画が町おこしの一環であるとか、落語というソフトで町おこしをする比較的珍しい試みであるというようなことは一切知らなかった。それで「落語で町おこしをするというのを、どのようにお考えになりますか?」と尋ねられ、思い切りネガティブなコメントをしてしまった。たぶん、私のところは放送されない。

バスはまず昌福寺へ。ここは虫切りで有名なのだそうだ。ご住職に寺の縁起一通りを伺った後、境内と周囲の説明も伺う。このあたりから天気予報通りに雨が降り始める。次の見学地である法論石で説明を伺っている最中に雨脚が強くなり、これ以降はずっと降り通しとなった。雨の中、毒消しの護符で有名な小室山妙法寺に参詣。普段はあまり公開していない三門の中を拝見する。限りなく梯子に近い階段を上って楼上へあがると、十六羅漢像が並んでいた。鰍沢の街中に戻り、国本屋という旅館兼料理屋で店のオリジナルである「落語弁当」をいただく。この後、本来なら商店街を散策するはずだったが雨脚が強いので、要所要所間をバスで移動しながら、竹林堂というお菓子屋さん、写真美術館、酒蔵ギャラリーを見学して落語会となった。

本日の演目
「転宅」
 まくら:岐阜県関市善光寺 五郎丸のルーチンと同じ印形の大日如来像
     そのすぐ近くの曹洞宗の寺で落語会 三席 締めは「蒟蒻問答」
     開催地の寺の住職の父の感想「はらわたがにえくりかえった」
     怒られたのかとおもったら、腹がよじれるほどおもしろかったの意らしい 日本語はむずかしい
     日本語の上手な20代の韓国人の友人
     「日本語お上手ですね」ー「滅相もない」「右と左がわかりません」
     スーパーあずさの車中 電車が動きだす前に弁当を食べ始めた60代と思しき紳士
     食べるのが早い
     弁当の包装に「なるべくお早めにお召し上がりください」
     切符を買うときに販売機の前で顔をいじっている老婦人
     「しわをのばして入れてください」
     落語のまくらはマーケティングリサーチ
     今日はこれから泥棒の噺
     十両盗んで首が飛ぶ
     人気があったのは鼠小僧
     有名なのは石川五右衛門

「鰍沢」
 まくら:日曜昼席 中入りで帰ってしまう客がいる
     「笑点」を観るため
     「笑点」放送50年
     歌丸師匠 車椅子 見納め?
     陰陽 万物の理
     噺も陰陽がある
     宗旨にも陰陽がある 陰:南無阿弥陀仏 陽:南無妙法蓮華経
     江戸時代 身延山参りが流行
     富士川 日本三大急流 鰍沢の船「乗るも馬鹿 乗らぬも馬鹿」

開演 15:30  終演 17:00
会場 富士川町ケイパティオ


味噌を仕込む

2016年02月07日 | Weblog

初めて味噌を仕込んでみた。寒の内にやりたかったのだが、週末に何かと用が入ってしまって今日になった。作業自体はどうということはないのだが、大豆は茹でる前に水に浸けておかないといけないとか、大豆を潰したり塩きり麹を混ぜたりするのに多少の力と時間を要するとか、ちょっとした手間はかかる。そして出来上がるのは10ヶ月後だ。上手くできたら来年も仕込んでみようと思う。今回は越前焼の味噌甕を購入したが、次回は甕も自分で作ろうと思う。


読書月記 2016年1月

2016年02月01日 | Weblog

よく読書日記というものを目にするが、私は「日記」というものをつけることができるほどたくさんの本は読まないので月記とする。世間の読書日記は読んだ本の感想とか書評のようなものが多い印象だが、私はそういうものを書く才もなければ、そういうものが面白いとも思わないので、読んだ本を起点にして思いついたことと、何故その本の読んだのかという覚書を記そうと思う。先月読んだ本は以下の通り。

1 小島政二郎 『円朝(上下)』 河出文庫

昨年夏に圓朝祭とか圓朝コレクション展だとかにでかけたのを機に、圓朝関連の本も数冊買った。これはそのひとつで、圓朝の伝記のようなもの。いわゆる名人だとか達人というような人の仕事への異様な打ち込み様なものを見聞すると圧倒されてしまい、自分の何もなさ加減がいかに幸福なものかと安堵する。それでも落語は積み重ねた人生経験が芸の糧になるだろうから、自分の信じた世界をじっくりと探求できる余裕があるように思うのだが、スポーツや身体を使う芸事となると体力との相談ということもあるので無闇に時間をかけるわけにはいかない。だからどのような競技や芸であれ、プロと呼ばれる人たちに対しては無条件に尊敬してしまう。何を尊敬するかというと、若くしてその世界に浸りこむという決断をしたことだ。

いつ死んでも不思議ではない年齢まで生きてみて思うのは、人はいかに決断しないで生きているかということだ。当たり前のように過去、現在、未来と相似形で連続すると思っている。そもそも明日があるかどうかすらわからないことなのに、今日とそれほど変わらない明日、そのさらに明日、また明日と続くことを前提にした仕組みのなかに身を置いて、それを当然のこととしている。それが不思議でしょうがない。

以下、本の備忘録。

モデルがその人のものになると言うことは、容易なことではない。結局、作者というものは、自分しか表現できないということだ。(上巻 338頁)

今日のお前の高座は、今日只今高座に上がるまでのお前の生活の総決算に外ならない。どんなにお前がジタバタしても、お前はお前の生活した以外のものを表現することは出来ないのだ。(上巻 339頁)

話が終わったとたんに来る拍手なんか、ありゃ拍手ではない。客の挨拶に過ぎない。(上巻 347頁)

芸術家は自分の生活を大事にしなければならない。生活がすべてのの芸術の母胎だ。生活を大事にするということは、まず妥協をしないこと。ウソをつかないこと。(上巻 359頁)

落語という家の中に、父や祖父の古物を残して置いてはならない。自分の身に付いたものを捨てるばかりでなしに、そういうものまで、捨てて掛からなければならないのだ。その代わり、一方では、自分自身のものを生み出し、作り出すことを忘れてはならない。(上巻 416頁)

禅は個性を尊ぶ。個性に則して悟ったのでなければ、意味をなさぬ。個性に則して悟る邪魔になるから書いて置かないのだそうだ。(下巻 23頁)

修行に限らず、なんでも骨を折った場合、人は何かいい報いを期待する。(略)ところが、禅の場合は、坐禅をしても、托鉢に出ても、その効果を期待しないのだ。(下巻 27頁)

「迷ふといふは、いかやうなることでござるぞとなれば、わが身のひいきのござるによつて迷ひまする」(下巻 301頁)

自分を否定して否定して否定し尽くしたところに残るものは、なにもなかった。無だ、虚無だ。人間、粘土の器。すべて空なり。いずれも皆、風の道のごとくならざるはなし。「だから、どうだと言うのだ?」どうと言うことはないのだ。それでいいのだ。そこに腰を据えていればそれでいいのだ。(下巻 308頁)

すぐれた人間の仕事ーすること、言ふこと、書くこと、なんでもいいが、それに触れるのは実に愉快なものだ。自分にも同じものがどこかにある、それを目ざまされる。精神がひきしまる。かうしてはゐられないと思ふ。仕事に対する意志を自身はつきり(あるひは漠然とでもいい)感ずる。この快感は特別なものだ。いい言葉でも、いい絵でも、いい小説でも、本当にいいものは必ずさういう作用を人に起す。(下巻 314頁)

 

2 桂米朝(編) 『四世 桂米團治 寄席随筆』 岩波書店

落語が好きなので、好きな噺家が書いたものがあれば読んでみる。昨年、米朝が亡くなった後、たまたま書店で「ユリイカ」が米朝の特集を組んでいるのを見つけて買って帰り、米朝に関するところを一気に読んだ。一気に読んだので内容が殆ど頭に残っていなかったのだが、米朝の師匠である四代目桂米團治の書いたものを米朝が編纂して岩波から出したということが妙に気になり、アマゾンで購入した。

以下、備忘録。

真の落語は、落語家自身が具に世の辛酸を嘗めた自己の体験によって、適宜に題材を消化して語るべきものである。(84頁)

米一升が四十円ないし五十円、砂糖一斤百円というのが現在の相場である。これは闇取り引きの値段だから本当の価ではないというのは当たらない。公定価格など政略の都合上無理に定めた嘘の相場だ。だから公定の価格では一物も買えないのは当然である。政府は闇取り引きを罪悪なりとして非常にやかましくいい、かなり重い罰を課したりするが一向改まらない。改まらないのが当然である。これが本当の相場なんだから。いったいこの物資の欠乏した世の中にむやみに紙幣を発行すれば、金と物資とのバランスが取れなくなって、物価の高くなるのは知れきった話ではないか。己れがその因を作っておきながら、その結果を責めるとは何という愚かな事だろう。軍当局といえどもこのくらいの理屈は解っていないはずはない。それでも軍需品生産を急ぐのあまり、やむをえずこの手段を取ったというのなれば、それは無茶というものだ。あまり元手の掛からぬ不換紙幣で欲ばった工業家の面を張れば、なるほど一時の急場には間に合わせ得るかもしれないが、遂には現在の如く紙幣の氾濫に伴う物価暴騰を来しかえって生産力を著しく阻害する。国民は物資不足の上に悪性インフレのために二重の苦しみを味わわなければならぬ。戦時だから多少無理な政事もいたし方がないという事は絶対にない。戦時なればこそかかる暴政は断じて許されざるものとするのが、至当である。昭和二十年五月三日 (169-170頁)

位階勲等などという子ども欺しはもういい加減に廃止されても良さそうに思う。国または人類に対する奉公の行為に等級などあり得るべきではない。勲一等功一級はそれで良いとして、二等二級以下は名誉の表彰なのか、侮蔑なのか解らない。昭和二十年五月三十日 (171頁)

昭和二十年八月十五日、好戦国日本遂に亡ぶ。
国民としては悲涙を禁じ得ないが、大きく人類の幸福という観点より見れば、確かに慶賀すべき事態である。これが逆に日本の勝利に帰していたなればされでだに専横極まりなき軍閥にますます勢力が加わり、内は国民を奴隷化し、外はいよいよ侵略的野望を露呈して世界の平和を撹乱するであろうことは思うだに戦慄ものである。
それにしてもこの降伏のあまりに晩きに失したため、国民に与えた損害の、必要よりはるかに超えた大きさであった事は、遺憾極まる。
軍事には全然門外漢である自分等ごときにさえ、この終結の見通しは大略ついていたのであるから、専門家たる軍人に解らなかったはずはない。原子爆弾は武器としても比を見ざる威力を発揮したが、さらに日本軍閥をして降伏の止むなきに至った事を、国民に得心させる好口実を提供した事に大いに役立った。この新兵器の出現はなくとも日本に勝算は全然なかったはずである。軍閥は国民に対して何かの口実を得るため、あるいは国民がさらにさらに疲れ切り厭戦気分が満ち満ちてくるまで待って、それを口実として降伏し、責の大半を国民に転嫁しようと謀っていたとも取れる。
良鉄は釘に適せずとは、能くも喝破したるもの哉。
軍人というものは誠に卑劣なものである事を、今度こそまざまざと見せつけられた。昭和二十年九月八日 (173頁)

落語は永遠に未完成である。自分の枝が一尺進めば、前方を見る視力が二尺強くなる。だから己れが上達すればするほど落語の難しさが解ってくる。そこで終点に達しようとする望みは捨てなければならぬ。果てなき途を歩み続ける、これが活きた芸である。歩みを止めた瞬間にその芸は死物と化してしまう。目的を達せんがために歩んでいるのでなく、歩む事自体が目的なのである。(200頁)

 

3 赤瀬川原平 『超芸術トマソン』 ちくま文庫

この本の存在は以前から知っていたが、国立近代美術館の売店でたまたま手にとって、思わず買ってしまった。どうしてこんなに面白い本を今まで読まなかったのだろうと不思議になるほど愉快な内容だった。表紙の写真についての記載もあるが、読んでいて小便をちびりそうになった。