熊本熊的日常

日常生活についての雑記

読書月記 2017年3月

2017年03月31日 | Weblog

土屋武之 『ビジュアル図鑑 鉄道のしくみ』(基礎編、新技術編) ネコ・パブリッシング

三省堂書店池袋店で購入。「ビジュアル図鑑」というくらいなので、図や写真ばかりで読むところがあまりない有難い本。小学生高学年の頃、『鉄道ファン』という雑誌を読んでいたが、中学以降はそういうものとの縁が切れてしまっていた。数年前に思い立って鉄道友の会に入会したが、専門分会がなんとなく敷居が高く結局一年でやめてしまった。それでもなんとなく気になっていて、気軽にぱらぱらと目を通すことのできるものがないかと思っていた。たまたま書店で手にとってこれがいいなと思い、ぱらぱらではなく一気に2冊読み通してしまった。読み終わってみるとかなり物足りない。どうしてこんなものを買ってしまったのか。

 

竹沢尚一郎 『西アフリカの王国を掘る 文化人類学から考古学へ』 臨川書店

みんぱくのフィールドワーク選書の10巻目。アフリカは人類のふるさとだ。人類が誕生した土地であるということは、たぶん文明も早い時期に生まれていただろう。今は「文明」というと「先進国」と呼ばれる地域での生活のイメージ、あるいは歴史の教科書に登場する四大河文明とか古代ギリシャ・ローマを思い浮かべる人が多いのかもしれない。しかし、文明というものが人間の知識や情報の蓄積の上に成り立つとすれば、当然に人類が長く暮らした土地に興るものだろう。ということはそれがアフリカ大陸であるであることになんの不思議もない。確かに四大河文明のひとつエジプト文明はアフリカ大陸のものだ。

アフリカの地図を見ると、国境線が不自然に直線であることに違和感を覚える。人が自他を区別するのは、自分の生活圏が自分自身の延長線上にあると意識されているからだろう。人の生活というものは自然環境のなかにおいて成立しているのだから、土地の地理や自然と密接に関係しているはずだ。とすれば、生活圏というものは地形や気候と適合したものであるはずであり、そういうものを無視して自他の区分などできるはずはないのである。ところが現に直線の国境が設定されている。そこで生活をしている人たちがそのような境界線を考えるはずはない。つまり、その国境はそこにいない人が決めたものである。

他人が勝手に決めた「自分」を押し付けられて生活しているのが、そういう土地の人たちだ。そういう状況が安定するはずがないのである。アフリカというところには行ったことがない。英国に留学していたときに暮らしていた寮の同じフロアにエジプトやエチオピアからそれぞれの国費で留学していた人たちがいて、そういう人たちと寮の廊下ですれ違ったり、たまに立ち話をする程度のことが私のささやかなアフリカ体験である。とてもそんなものからアフリカを語ることはできない。しかし、地図を一瞥しただけで血の臭いを感じるのは、断片的な情報が偏見をもたらしている所為だけではないだろう。

それで本書のことだが、「西アフリカの王国」というのはガオ王国のことで、ニジェール川流域に発展した国らしい。現在のマリ、ニジェールあたりのようで、どちらの国も直線国境だ。マリもニジェールも独立前は仏領西アフリカの構成地域だが、ニジェール川が大西洋に注ぐ河口はナイジェリアで、これは旧英国植民地。リビアのカダフィ独裁政権が崩壊してから、リビア軍として行動していたトゥアレグ人たちが軍備を抱えたままマリへやってきてガオやトンブクトゥを含むマリ北部の独立を宣言した。マリはそんな独立を認めるはずもなく、旧宗主国のフランスもトゥアレグ族の一方的な独立を非難し、軍事介入を実施。一応の治安の回復を見たが、遺蹟の発掘どころではない。ちなみに現在の我が国外務省ではマリに関する危険情報を出しており、その大部分の地域について退避勧告(レベル4)の指定となっている。

国民国家あるいは民族国家なら安定する、というような単純な話ではないことは承知しているつもりだが、自他の区別において「私」が安定するというのが社会の平穏とか個人の幸福感の基本であるのではないだろうか。

 

 秦秀雄 『やきものの鑑賞』 平凡社

『青花』の最新号で秦秀雄の特集が組まれており、それを読んで秦秀雄の書いたものが読んでみたくなった。あいにく、ほとんどの著作が絶版でブックオフでもこの本くらいしか手に入らなかった。本書に関する限り、柳宗悦の民芸に通じる内容であり、柳についての言及も少なくない。それ自体はすっと腹に収まる内容で、敢えて書くほどのことはなにもない。

 

白洲正子 『遊鬼 わが師 わが友』 新潮文庫

ブックオフでの送料無料化のために『やきものの鑑賞』とともに購入。アマゾンでもそうなのだが「秦秀雄」で検索をかけるとこの本もあがってくるのである。それは本書に「珍品堂主人 秦秀雄」という章があるからだろう。『やきものの鑑賞』のところで「敢えて書くほどのことはなにもない」と書いたのだが、秦秀雄というひとはトンデモナイひとであったらしいことが本書から知れるのである。そんなことよりも、著者の筆力の所為もあるのだろうが、本書に取り上げられている人々には例外なく惹かれてしまう。もう身の回りの整理をしないといけないと思いながら、ついアマゾンに小林秀雄や洲之内徹の著作を発注してしまった。

本書で取り上げられているのは登場順に並べると、青山二郎、秦秀雄、小林秀雄、柳原徳子、洲之内徹、龍神綾、鹿島清兵衛、福原麟太郎、田島隆夫、早川幾忠、菅原匠、高田倭男、梅原龍三郎、古澤万千子、そして最後に白洲次郎となる。これらの人々が章を超えて行き来するので、章のタイトルとは違う人のことが主題のように感じられるところもある。つまり、これらの人たち丸ごとで著者自身の世界観を語っているのだろう。

ところで秦秀雄だが、本書にこのような記述がある。
秦秀雄さんが亡くなった時、いくつかの雑誌社から、追悼のための座談会を頼まれた。秦さんは生前、とかくの噂のあった人であるが、何といっても骨董の世界では、独自の目を持った人物であり、私とは古い付合いであったから、むろん喜んでひきうけた。それは去年の秋のことだったが、いつまで経っても座談会は実現しない。ひきうけたのは私だけで、ほかの人々はみな敬遠して、逃げてしまったというのである。いずれも親しく付合っていた人たちだから、私は意外に感じるとともに、人の心の冷たさを見せつけられたように思ったが、人間にはそれぞれの立場というのものがあるのだろう。秦さん、と聞いただけで、コチンと来るものがあったに違いない。(26頁) 

時間というものは解毒剤のようなもので、時間の経過とともにドロドロしていた記憶が清らかに澄み渡っていくことが多いのではないか。「古き良き時代」という言葉を耳にすることがあるが、昔も今も人の世というのはたいした違いはないだろう。それが昔のほうが良かったと思えるのは、時間の経過のなかで今の自分に都合の良いように記憶が整理されるからだろう。秦秀雄が亡くなった直後に企画された特集がことごとく流れてしまったのに、今頃になってメジャー系出版社の雑誌に特集記事が組まれるというのは、つまりはそういうことなのだと思う。事は特定個人のことにとどまらず、凡そ歴史というものは今を生きる人々にとって都合の良いように解釈される。過ぎてしまって今となっては知る人もいないようなことが国を挙げての「歴史論争」になったりするのも、人の記憶というものがそういうふうにできているからだろう。自分にとって清らかなものが他人にとってはそうではない、というのは人がそれぞれの世界を生きているのだから当然なのである。それを論争したところで解決などできるはずはない。わかっちゃいるけどやめられない、というのが人間でもあるのだろう。

 

白洲信哉(編)『小林秀雄 美と出会う旅』 新潮社

やはりブックオフでの送料無料化のために『やきものの鑑賞』とともに購入。この本も「秦秀雄」で検索するとヒットする。目次のなかに「やきものがとりもった眼敵との縁 秦秀雄」というのがあるからだろう。

編者は小林秀雄の長女の長男、つまり孫だ。小林秀雄の長女の息子ということは白洲次郎・正子の孫でもある。そういう人たちに囲まれて育つというのは幸せなようでもあり不幸なようでもある。自分には全く想像のつかないことでもあり、本人にしか語れないことでもあるのだが、この本には編者の言葉らしきものは殆どない。新潮社が小林秀雄コンテンツを使いまわして取りまとめ、そこに名義貸しをしたようなものに見える。それでもダイジェストとしては多少意味があるのかもしれない。


ふだんのちゃわん 最終日

2017年03月12日 | Weblog

土日は静かだ。階下のカフェが静かなのだから、ギャラリーのほうに客が来るわけがないのである。それでも娘が友達を連れてきてくれたり、前日に壺をお買い上げいただいたお客様が花を活けてみたらたいへんよかったとのことで追加に一輪挿しを買いにわざわざいらしてくださるというようなことがあった。ギャラリー関係者にも大皿などをお買い上げいただいた。昨日、別のギャラリー関係者が碗をお買い上げいただいた上に、この個展のことを写真付きでブログに書いてくださった。そして閉店間際に以前の勤務先でお世話になった方が来店してくださり、約30年ぶりの再会を果たした。商品が売れるのに越したことはないのだが、うつらうつらしながらぽつぽつとお客様の相手をさせていただくというのも楽しいものだ。毎年決まった時期にこうして店を出していたら、それでも何か生活に変化が出てくるかもしれないと思い、来年の今時分にこのギャラリーを仮予約した。というわけで次回の「ふだんのちゃわん」は2018年3月7日水曜日から11日日曜日まで。


ふだんのちゃわん 4日目

2017年03月11日 | Weblog

土曜日は平日に比べると総じて静かな印象。それでも来客数は初日7名、2日目9名、3日目12名、本日9名。購入客数は初日2名、2日目3名、3日目4名、本日6名。残す会期は明日だけだが、前回2011年1月と比較すると、総じて想定内の状況だ。今回は自分の陶芸作品に加えて妻の実家から提供を受けた木工品を展示販売しているのだが、初日にその木工品のなかの大物について打診をいただいている。これが売上になれば、想定外に売上が跳ね上がることになる。後日、そのお客様に連絡をさせていただくことになっているが、電話をするのが怖い。

前回は生涯最初の個展ということもあって、今から思えば妙に力が入っていた。デザイン事務所に注文して案内状を作成し、思いつくだけの友人知人はもとより、普段往来のない知人にまで個展の案内を出した。その割に、自分の作品の展示会場の店番をカフェの人たちに任せてしまって、個人的な所用に出かけてしまうという粗雑なところもあった。今回は妻の支援を受けている上に、会期中は原則として会場に詰めて来客に備えた。一方で、宣伝らしい宣伝はしなかった。案内状は前回の使い残しに、会期に関する部分だけシールで上書きしてギャラリーに置いていただいたり、妻が自分の交友範囲に配ったりした程度だ。結果としては前回とそれほど大きな違いは無いように思う。

どのような場所にもそれぞれの個性というものがある。カフェにしろギャラリーにしろ、そこを日常的に訪れている人はそこが気に入っているからそうしているに過ぎない。何か強制を伴う事情があってやることは、その強制力がなくなれば継続しない。自然な流れや習慣によることが反復を呼ぶのであり、その自然は結局のところ好きか嫌いかという趣味趣向の問題ではないだろうか。今回の個展会場となっているギャラリーには常連客が当然にいる。その構成は前回の個展のときと同じではない。それぞれの人にそれぞれの生活があり人生があるのだから、それぞれの置かれた状況の変化に応じてギャラリーに関わる人々も出たり入ったりする。そうしたなかでも変わることのない芯のような空気感があるように思う。それはここに限ったことではなく、どのようなものにも人にも言えることだ。その雰囲気を乱すことなく入り込んでみて、その場の流れに乗ることができるなら、そこに何がしかの縁があるということだろう。縁があるなら、それを大事にすればよいだけのことだ。

何事かを成す努力というものは生きて行く上で必要なことだとは思うのだが、世界はジグソーパズルようなもので、形の違うピースを無理やり嵌め込もうとすれば、世界全体が崩れてしまう。かといってピースを探さなければ世界はできあがらない。人の行為は遍く自分の世界をつくりあげることに向かってこそ健康な生活を営むことができるのだと思う。


ふだんのちゃわん 3日目

2017年03月10日 | Weblog

このブログにここ数年毎年登場する「ボジョレーの頃」の主催者夫妻が昼前に来店。それを機に来客がぼちぼちと続くものの、お買い上げはそのご夫妻だけで今日は店じまいになるかという雰囲気だった。妻は家事があるので午後4時に家路につく。私も午後5時になったら帰り仕度を始めようかと思っていたら幼稚園の制服姿の男の子とその母親らしき人が来店。しばらく二人で展示を眺めていたが、そのうち男の子が展示に手を伸ばし始めた。ほどなくして、何事か二人の間で会話がなされた直後、男の子が「これ」といって中央の台のまんなかあたりに置かれていた品を手に取る。母親に促され、それを手に私のほうに近づいてきて「これおねがいします」と言うのである。私は「ありがとうございます」と言って受け取り梱包をして、「ありがとうございます。なかなか渋いですね」といって包装を彼に手渡す。母親のほうを向くと彼女は笑って「わたしもそう思います」とおっしゃる。彼が選んだのは伊羅保の茶碗だ。

家に帰って、その親子のことを妻に話すと、「いい日だったね」と言われる。確かに今日もいい日だった。


ふだんのちゃわん 2日目

2017年03月09日 | Weblog

今日からは搬入がないので、職場に出勤するように会場へ向かう。10時開店なので、世間一般の会社の出勤時間よりは遅い時間帯だと思っていたが、京王線は思いの外混んでいた。明日は少し早めに家を出て、各駅停車に乗ろうと思う。埼京線のほうはさすがに空いている。

昨日の来客は閉店前の1時間に集中したが、今日は午前中か昼過ぎにかけてに集中し、午後3時過ぎの来客はひとりも無かった。私も妻もお世話になっている整体師の先生が「研修のついで」と称して来店してくださった。「ついで」ではなくわざわざ遠方から寄って頂いたのは明白で、頭が下がる。このカフェ兼ギャラリーのオーナー夫妻も来店していただき、久しぶりにお話をさせていただいた。

前回は会場に自分の紹介とか挨拶文を掲示し、購入していただいたものには更にお礼の文章を付けて商品をお渡ししたのだが、今回はそういうものは無しにした。自分の領分は作ることと売ることで、そこから先のことは買った人の領分だ。あれこれ余計な能書きは野暮ではないか、と考えた。伝えたいものが伝わるように作るのが自分の仕事であって、それがうまく伝わらないとすれば自分にそれだけの力量がないというだけのことなのである。それをうだうだと語るのは見苦しい、そう思ったのである。前回と今回の間の社会の変化かもしれないし、自分のほうの変化や老化かもしれないのだが、世間が妙に喧しいと感じている。テレビや新聞雑誌の類は身の回りに置かず、世間一般よりは雑音の少ない生活だと思うのだが、それでも世の中が煩くなったと感じる。それは何故だろうかと考えると、いらんことを言う奴が多すぎるのではないかと思うのである。このブログも「いらんこと」なのだが、もっとツーカーでわかりあえるのが文化や歴史を共有するということであり、そのための教育なのではないかと思うのである。銭金ばかりに執着するしみったれた世の中になり、教育は職業訓練と同義に成り下がってしまったのが今という時代のような気がする。そうではなく、自分として当たり前に話が通じる世界を求める試みのひとつとして、ものを作って世に問うているのである。そこで能書きを垂れているようではいけない、と考えた。他人を喧しいと思うなら、まず自分が静かにするべきなのである。


ふだんのちゃわん 初日

2017年03月08日 | Weblog

前回と違って、会期初日に商品の搬入をしなければならないので朝からおおわらわだった。このあいだの日曜日に荷造りをしたら、りんごの段ボール箱で10個になった。その他に妻の実家から提供を受けた木工品があり、梱包資材などの準備も含め全部で12個である。箱の内容がこわれものであり、それを運ぶ我が身の老齢という事情があり、箱はひとつずつ運ぶことにした。

まず、それらの段ボール箱を自宅玄関に集めておく。予約しておいたレンタカーを借りに出かける。会場周辺が狭い路地だらけなので、車は軽自動車だ。午前8時半、車を自宅階下につける。エレベーターがないので、4階の自宅から下の車の間をひたすら往復する。汗びっしょりだ。

午前9時過ぎに自宅前を出発。甲州街道を都心方面に進むが、いきなり渋滞にはまる。環状8号線との交差点がネックだ。出発時にはカーナビに表示される到着予定時刻が10時23分だったが、渋滞を抜ける頃にはこれが10時35分になっていた。甲州街道から環状7号線に入り、しばらくは順調だったが大和陸橋のあたりから軽い渋滞。野方駅前に抜ける側道入口付近に警察や消防の車両が固まっていた。その後は順調に進み、会場のギャラリーには10時半に到着。

会場に陳列台をしつらえ、荷ほどきをした商品をざっと並べる。だいたいの配置が決まったところで、とりあえずその後の作業を妻に託して、レンタカーを返却に行く。会場から車で5分ほどの営業所に車を返却して、赤羽駅から埼京線で十条駅へ、会場へ、と往復約30分。この間に商品の陳列は進み、開梱した段ボールなどを片付け、なんとか案内状に告知した開場時間の13時頃には様子が整う。レンタカーを返却に出かけようとした時に、妻の弟から花が届く。返却にでかけている最中に妻の友人3名連名で花が届く。ありがたいことである。

前回2011年1月に開催した頒布会での経験から平日昼間には来客が数えるほどしかないことは予想できていた。無事に開場を迎えると暇になる。妻と代わる代わる階下のカフェで昼食を済ませて腹の皮が緩む。朝からばたばたしていたので、ほっとするとまどろみたくなる。ついうとうとする。前回はギャラリーの営業時間が21時までだったので、勤め帰りの自分の友人知人が立ち寄ってくれたりしたが、今回は18時までなのでカフェの営業が終わる17時を過ぎると訪れる人もないだろう。そう思うと15時を回ってますます瞼が重くなる。

階下のカフェが賑やかになって目がさめる。「じゃ、ちょっと2階を覗いてこようかな」という声が聞こえたかと思うと、階段を昇ってくる人の気配。軽く緊張する。と、婦人の顧客。尋ねられるままに商品の説明などをする。「じゃ、これとこれね」と碗を3つと壺を一つお買い上げ頂いた上に、参考商品として展示してある絡繰箱の注文を頂く。

カフェ閉店後、カフェの営業を担当している人が展示を見に来る。やはり商品を前に雑談に興じていると、「このお皿をいただけますか」と青磁をかけて還元焼成をした大皿をお買い上げいただく。ギャラリー閉店間際の1時間ほどでポンポンと売り上げが立つ。嬉しい。

会場は埼京線十条駅から徒歩5分ほどのところにあるCafe & Gallery FIND。