熊本熊的日常

日常生活についての雑記

「3時10分、決断のとき」(原題:3:10 to Yuma)

2009年08月29日 | Weblog
出来過ぎた話だと思う。こんなことあるわけないだろうと思ってしまうのは、それだけ私が邪悪であるということの証左なのだろうか。

命を賭けてやることとはどのようなことだろうか。少なくとも金のためということではないだろう。勿論、シニフィアンとしての金銭とそのシニイフィアとの対応は人により、状況によりさまざまであるので一概には語ることができない。本作で描かれているように、資金繰りに窮してやむにやまれず目先の儲け話に乗ることはあるだろう。きっかけは金儲けでも、そのことに関わるなかで自ずとリスクとのバランスとか、そのことに関わる意義のようなものを考えるようになるものだろう。あるいは、一旦動き出した事態の慣性に従うだけということもあるかもしれない。

主人公は南北戦争の時は北軍の狙撃兵だったが、戦争で脚を負傷して退役し、その後は不自由な脚を抱えながら小さな農場を経営している。その敷地が鉄道建設用地になることが内定し、そのことを彼よりも先に知った隣地の農場主が、自分の敷地から彼の敷地へ流れている川をせき止め、彼の農場が干上がるように工作をする。さらに手を回し、水を失って打撃を受けた主人公に高利で融資をして借金の形にその敷地を手に入れようとする。水攻めに遭い、その同じ敵に財布も握られ、家計は破綻寸前で、身体も思うように動かず、家族からは軽蔑される。うだつが上がらない、という言葉があるが、それどころではないのである。いよいよ破産、というときに囚人護送の話が降って沸いてくる。これに乗るのは、話の流れとしては、自然なことだろう。

しかし、その囚人というのは腕利きの強盗団の首領である。まだまだ法の秩序が未熟な開拓時代の米国で、強盗団の首領を捕まえた町の保安官たちには犯人を即座に射殺してしまうという選択肢もあった。それを敢えて裁判にかけることにしたのは、彼等の被害を何度も受けている鉄道会社の幹部が一罰百戒を意図して、見せしめとしての死刑を行いたいという、多少情緒的な要素も多分に含まれていた。囚人護送は、政治権力による法執行というより、民間企業の事業リスク低減を目的とした民事上の契約行為なのである。つまり、主人公は囚人護送という任務を完遂することで鉄道会社から報酬を得る、臨時雇用の警備員のような役割を担うのである。

勿論、報酬の200ドルというのは当時としては大金であり、数日間の仕事で数年分の所得を獲得し、借金を返済して生活の立て直しもできれば、命を賭ける価値はあるとの計算はあっただろう。それ以上に、家族、とりわけ自分に対して軽蔑の眼差しを向ける長男の認識を変えたいという動機も強く働いたのではないだろうか。

親というものを経験したことのない人には理解できないだろうが、人は自分の子供の視線というものを否応無く意識するものなのである。それは自分自身の倫理観や価値観をも左右するという点で、宗教にも似た強い意識だ。有り体に言えば、いいところを見せたい、ということなのだが、「いいところ」の意味するところは人により、状況により様々である。消費行動や薄っぺらな知識のひけらかしというようなわかり易い行動に走る人も少なくないだろうが、多少なりとも知性だの良識だのがあれば、部外者からは推し量り難いその人なりの論理が行動に体現されるものである。

本作の主人公は、200ドルという賞金も目的の主要なものなのだが、それ以上に、彼が考える人としての倫理観、人として生きる上での彼なりの矜持というものを全うしたかったのではないだろうか。本作では、家で留守を守るように言いつけられた長男が、その言いつけに反して主人公の後を追って囚人護送に加わってしまうので、結果として、物理的に主人公親子の物語性が強く出てしまっているが、私は息子をこのような形で登場させるのは話の深さを損なうことになると思う。主人公が孤独に、無様に、悲惨に最期を迎えることで、観客に主人公の心情を想像させ、わかる人にだけわかればいいというくらいの冷徹な描写に徹したほうが、作品としての深さが出たように思う。尤も、話をわかりやすくしないと興行収入があがらないということもあるので、このような中途半端さは許容しなければならないのだろう。

先日観た「ポー川のひかり」のように、この作品を観る際にも、キリスト教とか一神教といったものに根ざす倫理観をある程度は知っておいたほうがよいのかもしれない。本作は、日本では公開されたばかりだが、製作は2007年である。今という時代にこのような作品が米国で製作され、それがそこそこヒットするということが意味するところに興味深いものを感じないわけにはいかない。

季節

2009年08月26日 | Weblog
木工教室でゴミ箱を製作している。杉の細長い板を継いで幅広の板材にし、それを組み立てる、という手順で作業をしている。先週は大きいほうの側板を電動ヤスリで研磨した。磨いた表面は滑らかになり、手触りが良くなる。しかし、杉の場合、夏材と冬材では硬さが大きく異なるので、均一の負荷をかけて研磨すると夏材のほうが冬材よりも深く摩耗して、滑らかではあるけれど木目に合わせて波をうったようになる。今日は小さいほうの側板を磨いたのだが、手作業によって研磨し、平らになるように心がけた。

杉はひとつの素材のなかに夏材の柔らかいところと冬材の硬い部分とが同居しており、全体としては比較的柔らかく、加工は容易だが歪みも出易い。そうした性質の異なる部分が互い違いに並んでいるので、木目は鮮明で美しい。製作をしながら、研磨が終わった板を手に、眺め入ってしまうこともある。

季節の変化に応じて成長を続け、夏材、冬材と違ったテイストの素地を重ねていくが、夏も冬も毎年一様ではないので、木目は規則性を持ちながらも微妙に揺らぐ。その揺らぎがまた良い。これが等間隔で同じ夏材、冬材だったら、それはそれとして美しいかもしれないが、果たして心惹かれるものになるだろうかと疑問に思う。

去年の夏と今年の夏とは違うけれど、夏であることに違いはなく、去年の冬と今年の冬も、おそらく全く同じ冬ではないだろうが、それでも冬が巡ってくる。そのような予測可能性は安心感をもたらしているように思う。個人の生活という現場においては、一寸先は闇であり、不確実性のなかを不安を抱えながら、その不安を敢えて無視して生きているからこそ、微妙に揺らぎながらも規則性が現出することに心が落ちつくのではないだろうか。

杉の木目を眺めながらそんなことを思った。

年功序列

2009年08月23日 | Weblog
昨日、今日と落語を聴きに出かけてきた。昨日は桂歌丸と三遊亭好楽の二人会、今日は林家正蔵と柳家三三の二人会で、どちらも世代の異なる組み合わせである。

歌丸を聴くのは6月7日の小朝との二人会に次いで二回目、好楽は初めてだ。まず前座は三遊亭好の助で「寄合酒」、次に好楽が「親子酒」を演って仲入り。仲入り後は松野家扇鶴の音曲でトリが歌丸の「質屋庫」だ。「親子酒」は単純な噺なのだが、単純であるが故に落ちに至るまでの話に落語家の持ち味が存分に発揮される類のものだと思う。個人的にはYouTubeで聴いた10代目金原亭馬生が好きだが、「枝雀十八番」というDVDボックスに収められているのもいい。そうしたものに比べると、昨日の好楽はかなり端折った感じがして、物足りなさを感じた。歌丸は怪談系を得意にしているようで、このところ毎年夏に「牡丹灯籠」を演っている。「牡丹灯籠」は岩波文庫でも出ているが、本当によくできた話だと思う。全体としてひとつの物語になっているのは勿論のこと、どこをどう抜き出しても噺ができるようになっているのである。それはさておき、今日の「質屋庫」も歌丸らしい安心感のある噺だった。

問題は今日の正蔵と三三の二人会だ。前座は林家たこ平で「時そば」、次が正蔵で「番町皿屋敷」、三三が「小間物屋政談」で仲入り。仲入り後は三三、正蔵の順で「唐茄子屋政談」をリレー。年齢も落語家としてのキャリアも正蔵のほうが長いので、形の上では当然に正蔵が大トリとなる。しかし、この二人の噺は三三のほうが上手いと感じるのは私だけではあるまい。

芸というものは、それがどのようなものであれ、練習だけではどうにもならない要素というものがあると思う。代々落語家の家に生まれ、そうした人々に囲まれて成長すれば、それだけでも素養を養う上では大いに有利であろう。素養に恵まれ、精進を重ねれば、鬼に金棒、かもしれない。しかし、人間というものはそれほど単純に出来ているものなのだろうか。

確かに、落語や歌舞伎をはじめとする芸事の世界には世襲のような雰囲気があるようだし、政治家や医者の世界でも二世三世は今や当り前である。しかし、華々しい家系がどこまで遡っても華々しいかというと甚だ疑問もある。勿論、天皇家のような特別な家系もあるのは事実だし、私のような氏素性のはっきりしないような野郎には想像もつかない世界があるということくらいは想像できる。ただ、歴史を振り返って眺めれば、氏素性に頼った世界がろくなことにはならないように見える、のは私だけだろうか。

年功序列という秩序は、年齢という明確な基準を尺度とする点において公正である。発想というものが経験に基づくものである限り、長い時間を生きているということには、それ自体に意味のあることでもあろう。しかし、人には得手不得手というものがあり、俗に「才能」と称されるものもあり、氏素性や年齢といった言語化できる要素だけでは人間というものを語ることができないのも、少なくとも私にとっては、経験的事実である。

落語の二人会というものがあり、どちらをトリに据えるか、ということについてあれこれ考えてみると、年功序列で素直に了解できることもあれば、微妙な違和感を覚えることもあった、ということだ。

親子の会話

2009年08月22日 | Weblog
先週、子供へのメールに「ポー川のひかり」のことを書いた。このブログに書いたこととほぼ同内容である。(8月11日付「ポー川のひかり」)すると返事が来た。本人の承諾は得ていないが、ここに引用しておく。

***以下引用***
「ポー川のひかり」面白そうですね。生きるという事は自分の欲を追求する事というお父さんの意見には賛成です。確かに何かをしたいという願望に従って行動を起こしますよね。世界を救いたいという発言に対し自分を救うだけという主人公の返答は確かにそうだろうと感じました。私は世界というのは割と主観的なものだと思います。自分が見ている景色や物事が世界そのものだと思うからです。この学生はそういった意味で言った訳ではなく色々な人々が暮らす国や地球といった世界という意味で言ったのでしょうが、それだとあまりに範囲が広すぎて自分が居るところの他は現物を知る事は出来ません。どこか遠くでおこった事を聞く事は出来てもそれは他人事でしかなく自分が感じている世界の外の話だと思います。
***以上引用***

これに対し、次のような返事を書いた。

***以下 私の返信***
世界は割と主観的、どころか主観そのものだと思います。

今、来週の衆議院選挙へ向けて日本は迷走状態にあるようですが、これなどは世の中が主観で成り立っている何よりの証左でしょう。平和な状態が長く続くと、個人の欲望や欲求は拡散し、誰もが望む世界というものを描くことが難しくなるものです。主観は人によって違うわけですから、誰もが解決を欲する深刻な事態が無ければ、各人各様の主観に従って、その望むところがばらばらになるのは当然です。だから、選挙のような国民の総意を問う状況が起ると、それぞれの選挙区という限られた地域のなかでさえ人々の間で課題となっていることが絞れないということになります。結果として、政治は単なるエンターテインメントの一形態ということになり、政治家はタレントの一種という状況になるわけです。政治が茶番になるのは、平和の必然的帰結とも言えるでしょう。

政治家というものが、一体どのような仕事をする人なのか知っていますか?私はさっぱり知りません。以前、新聞の政治面の片隅に毎日掲載されている「官邸動向」という首相のスケジュールを半年ほどの間、毎日スクラップしたことがあります。ある程度決まった場所で、ある程度決まった人たちと会っているということはよくわかりました。政治家というのは人と会う商売のようです。そして、そこで何を語り、何を決定し、どのような価値を生み出すのか、というところまではとうとうわからずに今日に至っています。

先週は、本も読まず、映画も観ませんでしたが、ブリヂストン美術館で…
(以下、省略)
***以上 私の返信***

今度の週末は子供と会うことになっている。

久闊を叙する

2009年08月21日 | Weblog
何年か前までは、真夏であってもスーツを着ている生活だったのだが、もう何年もスーツとは縁が無い。世間一般にも服装の基準が緩くなり、街でネクタイをしている人の絶対数が減少しているように感じられる。それでも、多少改まった席に顔を出すときは、ジャケットくらいは羽織るのが礼儀というものだろう。

そんなわけで、今日は久しぶりにジャケットを羽織って出かけた。何年かぶりに接待というものに招かれたのである。正確に言えば、接待の席に便乗を許された、ということだ。

接待といっても長年の顔見知りの集いなので、ある程度の礼節はわきまえるものの気楽なものである。かつての同業で、私だけがその業から離れてしまい、皆さんから御心配頂いていた。諸々経て、ようやく諸般落ちついた頃だろうというわけで、形の上では便乗者なのだが、実態としては私の近況報告のようなものになった。

今日の面子の最初の出会いは1999年の台湾地震に遡る。もともと99年10月上旬に仕事で台湾の新竹を訪れる予定になっていた。それが9月21日に大地震があり、訪問予定先にも被害があり、どうしたものかということになったのだが、先方から復興作業で十分な対応はしかねるが被害状況を含めて現状を見て頂きたいとのお言葉を頂き、素直にお邪魔させて頂いたのである。その時の訪台メンバーが今日、こうして昼食の席を囲んでいる。

地震から10日ほど経過し、交通機関をはじめとするライフラインの復旧はほぼ完了し、訪問先企業の事業も再開へ向けて慌ただしく動いていたが、余震は続いており、滞在していたホテルのエレベーターも頻繁に使用制限がなされるというなかでの出張となった。そうした特殊な体験を共有した所為もあるのだろうが、この時の面子で、その後も仕事を共にする機会に恵まれ、こうして個人的にも親しくさせて頂いている。

あの時の訪台で見聞したことから多くを学んだのだが、それを事細かに書く事はしない。ひとつ言えることは、物事の大きな流れがあり、それが強く深いものであるならば、多少の障害が発生しても、その流れは障害を糧にますます強くなるということだ。ただし、そのためには流れを見抜く眼と、流れを支える力がなければならない。当時、自分はそれを観察者の眼で眺めていて、自分の人生に重ねるということにまでは思い至らなかった。あれから10年が経ち、今の自分は贔屓目に見ても満身創痍だが、こうして当時の見聞を思い起こせば、全く希望が無いというわけでもないと思えるようになる。

会話自体は他愛の無いものだったが、多くの事を想起させてくれる人間関係というのは貴重である。こうした縁に恵まれたことに感謝したい。

海 ささやかな幸福

2009年08月19日 | Weblog
海を描いた絵画作品は数限りないが、自分のなかで「海の絵」として真っ先に思い浮かぶのは青木繁の「海景(布良の海)」だ。遠景の水平線を形成する海の青が好きだ。その鯖の背のような青に惹かれてよくよく全体を眺めてみると、36.6X73.0cmの横長の画面に果てしなく深い奥行きが感じられるのである。遠くの、ところどこに白波の立つほどほどに動きのある深そうな海、中央の岩場を荒々しく洗う波、手前の浅瀬でゆらゆらと揺れる水面。その緩急のリズムが心地よい。

ブリヂストン美術館で開催中の「うみのいろ うみのかたち」はこの青木の絵で始まる。一昨年秋から昨年末にかけてロンドンに滞在していた時には、主だった美術館が入場無料であったこともあり、西洋の名立たる作家の大作を存分に楽しむことができた。東京には入場無料の大型美術館というものはなく、絵画自体も蒐集家の数が限られているので、ロンドンのようなわけにはいかない。ただ、他の都市については知らないが、少なくとも東京に関する限り、どの美術館も限られた数の作品をやりくりして、工夫を凝らした企画展を次から次と開催しているのはたいしたものだと思う。

自分が好きな海の絵には、以前にこのブログでも触れたモネの「熱海」(本当の題は「Antibes」)のようなものもある。これは「海景」とは違って穏やかな内海の風景だ。モネらしい光の表現に対するこだわりがあり、おそらくそれ故に心和む作品である。(2008年12月30日「花はなくとも」)

モネといえば、本展には「黄昏、ヴェネツィア」が出品されている。海の絵を集めた展覧会でこの作品を見て、改めてヴェネツィアが海に浮かぶ都市であることに気付かされた。海、と言っても、大海原もあれば街のなかに溶け込んでいる海もあるのだ。

藤島武二の「東海旭光」は題名が示唆する通り海から朝日が昇るところを描いたものだが、夕日にも見える。朝日と夕日は明らかに違うという感覚があるが、どのように違うのかということになると説明に窮してしまう。藤島は構図の単純化を指向していたそうだが、本作も一見すると海の絵だが、よくよく眺めると抽象画のように見えなくもない。

以前、出張先のリゾートで撮影した海に沈む夕日の写真を子供に見せて、それが朝日か夕日かと問うたことがある。子供はしばらく眺めてから「夕日」と断言した。そう考えた理由を尋ねると、「お父さんが早起きするわけないから」とのことだった。

シニャックの「コンカルノー港」は点描画だ。点は視覚世界の構成単位だとの考えによって、このような描画法を考え出したことは容易に想像がつくが、いかにも生産性は悪そうだし、労多くして効果の少ない描画だと思う。昨年夏に訪れたオルセーの区画45と46が点描画のコーナーになっていた。(2008年7月28日「備忘録 Paris 2日目」)そこで読んだ説明書きによれば、どの絵のことか記憶は定かでないのだが、1日中描いてコイン1枚分ほどの面積しか描けないとあった。「コンカルノー港」は点描画の歴史のなかでは、やや発展した時期のものだそうで、点の大きさや形状に工夫がある。それ以前に比べ点を大きくし、点の形も文字通りの点から長方形にしている。縦と横の長さを変えることで、その並べ方によって方向感を表現できるようになったのだそうだ。

芸術というのは常に新しいことを創造し続けるという使命を負うている。しかし、新しいものは容易に社会に受け入れられず、一方で、芸術家にも生活というものがある。創造のために自分の命をすり減らすことができるほど貪欲な自我を持った者だけが芸術の世界を支えることができるということなのかもしれない。

同じ点描でも、点の意味するところが変わると作品は全く違った様相となる。クレーの「島」は題名が無ければ海の絵には見えない。クレーは昨秋から今年5月にかけてK20のコレクションが名古屋、東京、神戸を巡回し、私も3月20日にBunkamuraで観たが、何故か温かい印象を受ける。彼は音楽家でもあったので、抽象画とはいえ、見る者の心を愛撫するような視覚的リズムや間を表現しているのかもしれない。(2009年3月21日「ピカソとクレーの生きた時代」)

ブリヂストン美術館の第2室で全27作品という小さな企画展だが、これだけで少なくとも1時間は楽しい時間を過ごすことができる。無料というわけにはいかないが、各種割引もあり、地の利と満足度の高さを考えれば、ほとんど無料に近いと思う。このような施設が自分の生活圏内にあることは幸福なことだ。ちなみに今回は「ぐるっとパス」を利用した。

「中国の陶俑」(出光美術館)

2009年08月13日 | Weblog
結局は何の役にも立たないことに、どれほどの富をつぎ込むことができるか、ということが文明の偉大というものなのだろう。

今から2,500年ほど前から、中国では時の権力者の埋葬に際し、副葬品として当時の技術の粋を集めて作られた陶製の人形が使われるようになったのだそうだ。人形、と言っても、人の姿もあれば家畜もあり、家屋もあれば調度品もある。それ以前は人形ではなく実物が殉葬されていたのだそうだ。

いくら技術や技巧の粋を集めたといっても実物には及ばないであろうが、それにしてもそうしたものが単に埋められるためだけに作られていたというのは、やはり驚異的なことだと思う。細かいことを言えば、素材の流通や技術・技巧の開発、技能者への報酬を通じて何がしかの波及効果はあっただろう。しかし、総じてみれば単なる消費蕩尽の域を出なかったのではないだろうか。注目すべきは、巨万の蕩尽を可能としていた権力が存在していたことだ。

今、こうして眺めれば陶製の人形でしかないのだが、均整のとれた造形や施釉の妙にただならぬものが感じられる。そう思って見る所為なのだろうが、時代を超えて美しいと評されるものには、どこか狂気じみたところがあるようにも見える。狂っていても美しいほうがよいのか、狂うくらいなら凡庸なほうがよいのか、狂っていると評されても自分で納得できるほうがよいのか、狂っていると言われるくらいなら不満を残しても自分を曲げるほうがよいのか。それこそ、正解の無いことだろう。

「ポー川のひかり」(原題:Cento Chiodi)

2009年08月11日 | Weblog
おそらく主人公はイエスに見立てられているのだろう。聖書の世界を現代を舞台に展開させると、この作品のような情景になるのかもしれない。

原題は「100本の釘」。その釘は、少なくとも私の頭の中の「釘」のイメージとは違った姿をしている。イタリアの金物屋で「釘をください」と言うと、当然のようにこの作品のなかで使われているようなものを出してくるものなのだろうか。ここに登場する釘は、西洋絵画でキリストの磔刑を描く時に、その手足に打ち込まれているものと同じ、四角い断面の、あまりきれいに成形されていない、黒い大きな釘である。冒頭の場面で、図書館の一室の床とテーブルと柱の一部に古い本がその釘で打ち付けられている。その釘の所為で、古い書物はキリストを連想させる。人々の罪を一身に背負ったキリストの姿を。

この事件現場を前にした検事が言う。
「天才芸術家の作品という感じ」

芸術が、人々に未だ認識されていない世の中の「真実」を示すものであるとするなら、既製の知を象徴する古い権威ある書物が、由緒ある図書館の、そのまた特別な部屋のなかで磔刑のように釘で打ち抜かれているのは、確かに芸術だろう。イエスが磔刑になったのは、本当は何故なのか、イエスは何者で、神とは何なのか、そうしたことに対する製作者の洞察がこの作品を通じて提示されているようにも見える。

私はキリスト教どころか、宗教そのものと無縁に暮らしているのだが、それでもこの作品は監督であり脚本も担当しているエルマンノ・オルミが説教をしているかのように饒舌に感じられる。まるで近所の頑固ジジイの小言を聞きかされているようでもある。うんざりするのだが、不思議と心地よい。

人がどう在るべきか、何が善で何が悪なのか、というようなことに正解はないだろう。自然の一部でしかない人間が、まるで世の中の主であるかのように「在るべき」論を語ること自体、傲慢なことと言えなくもあるまい。ただ、自我というもの持って生きている限り、「私」を中心に世界を視るのも自然なことである。視点を変えれば「自然」も変わるということだ。

印象深い台詞があった。大学で宗教哲学を専門分野とする教授をしている主人公が夏休み前最後の講義を終えた後、図書館で仕事をしていると、講義に出席していたインド人の女子学生がやって来る。彼女は主人公に質問があって来るのだが、そのやりとりのなかでこのようなものがあった。
教授「なぜ宗教哲学を?」
学生「なぜか子供のころから世界を救いたいと」
教授「子供なら当然だ。やがて自分を救うだけになる」

生きるということは、どのように生きたいと思うかはさておき、結局のところは自分の欲望を追求し続けることなのではないだろうか。自我を膨らませ、自分にとって都合の良い世界を「在るべき世界」として他人に押しつけ合う。結果として均衡が保たれれば平和となり、均衡が破れれば紛争や独裁に陥る。生きる現実から遠いところに居る、例えば子供のような存在は、素朴に調和を信じることができるが、現実のなかで自分にとっては大きく傍目には些細な問題に関わり続けていれば、自我の膨張とともに自我に囚われて人間が矮小になっていく。

矮小な自分の眼に見えるものが世界の全てだと考えれば、世の中は恐ろしく窮屈で息苦しいものになってしまう。かといって、自分は実は何も知らないと自覚してしまえば、不安に苛まれて生きることが恐ろしくなってしまう。

主人公である新進気鋭の宗教哲学者は、神がこの世を救わなかったことに絶望したかのように見える。ところで、この世はそもそも救われるべきものなのだろうか。

安全地帯

2009年08月08日 | Weblog
昨日、渋谷で映画を観た帰り、高輪コミュニティぷらざ2階にあるキフキフというビストロで昼食を食べてから出勤した。

キフキフは高輪コミュニティぷらざという公共施設の職員用福利厚生施設という位置づけだそうだが、一般の人も利用できる。ここのシェフは今年の4月まで近くで営業していたトラッフルというレストランのオーナーシェフだった人だ。トラッフルはキッチンが客席から見えたのだが、ここは見えない。それでも入ってすぐに、わかる人には彼がいることがわかるのである。それは、メニューの書式とそこで使われているフォントがトラッフル時代と同じだからだ。料理の味ももちろん同じだ。

自分の交友範囲で彼以外には料理人がいないので、料理の味というものを意識したことがなかったが、そう思って食べる所為か、この店の料理は彼が作ったものだとはっきりとわかったのである。個性、と言ってしまえばそれまでだが、味とか盛り方にそれとわかるものが表れるものなのだと改めて感心した。

鰯とズッキーニとトマトのグラタン風を主菜にした定食とキャラメルのアイスクリームを頂いた。定食は850円でアイスクリームは300円。勘定を済ませて、奥の調理場に声をかけてみると、彼が出てきた。元気そうなのでよかった。この店は午後9時閉店だそうなので、私は昼にしか行くことができないのが残念なことではある。それでもこうして少し足を伸ばせば、舌に記憶された味に触れることができるというのは、自分の生活圏のなかに安全地帯をひとつ確保したように思われて、心強いことである。

「サンシャイン・クリーニング」(原題:Sunshine Cleaning)

2009年08月07日 | Weblog
「リトル・ミス・サンシャイン」が好きなので、その関連としてこの作品も観た。このところ「ディア・ドクター」、「扉をたたく人」、「湖のほとりで」といった完成度の高い作品が続いた所為かもしれないが、物足りなさは否めなかった。登場人物たちのキャラクターの掘り下げ、それに絡んでひとつひとつのサイドストーリーの作り込みが不充分であるように思われるのである。

生活に困窮した主人公が、あまり人のやりたがらない仕事に就くというのは「おくりびと」にも通じる発想だと思う。最初は嫌々ながらも、続けていくうちにそこに意義や喜びを見いだすというのも似たような流れではある。ただ、始めるきっかけが、片や新聞に掲載されていた求人記事への誤解であるのに対し、片や他人からの「金になる」という勧めというのが大きな違いだ。誤解から始まって、なんとなく辞めづらい雰囲気になって、ずるずると続けていくうちに、そこに自分の収まりどころを見つける、という流れが成り立つのは日本ならではなのだろうか。金のため、という割り切りで始めて、続けていくうちに、そこに自分の存在意義を見いだす、という流れを、わかり易いと感じながらも素直に了解できないのは私だけなのだろうか。

死というのは、誰もが必ず経験することではあるが、それに対する関わりかたというのは文化によって違いがあるように思う。端的には、葬送方法、墓地の有無や形式、集落での墓地の位置、といったものの在りように、そこで暮らす人々にとっての死の位置づけが垣間見えるように思う。ところで、人が生まれるのも死ぬのもそれぞれの事情がある。ましてや、自殺を罪とする倫理観のある社会で、敢えて自殺を選ぶ人には常人の理解を超越した事情があるように思うのだが、どうなのだろう。この作品は自殺の場面で始まる。主人公たちの母親も自殺している。自殺現場の清掃という場面もある。親が自殺したことの影のようなものを引き摺っていることはわかるのだが、それがそれだけで終わってしまっているように見える。物語のなかに自殺を散りばめるのなら、もう少しそこから物語を深めることができるように思うのだが、話の展開のテンポのほうが重視されているようで、隔靴掻痒の感を覚えてしまう。

出演者たちの役作りにも不満がないわけではないが、文句ばかり並べるのもの書いている私自身の気分が良くないので、ここでは書かない。

映画がビジネスであり、できるだけ多額の興行収入を得ることが第一の目的なら、議論の種となるようなことは避け、万人受けを狙った皮相な作りにするのが合理的な映画作りということかもしれない。また、興行上の成功を予感させなければ制作費の確保ができないという現実もあるだろう。タイトルの「sunshine」は、本作の製作チームが以前に手がけて成功した「Little Miss Sunshine」となにかしらの共通点があることを期待させる効果を狙っているのだろう。「リトル・ミス・サンシャイン」が自分の好きな作品のひとつであるだけに、本作に対する落胆もそれだけ大きくなってしまったかもしれない。

「湖のほとりで」(原題:La Ragazza Del Lago)

2009年08月03日 | Weblog
オーソドックスな物語を重ねてオーソドックスを止揚するという作品だ。主たる物語は住民が互いに顔見知りであるような小さな村で起きた殺人事件である。小さな村での事件は、密室での出来事のようなものだ。結局、事件はひねりらしいひねりもなく解決する。しかし、捜査の過程で明らかになるのは、事件と接点を持つ人々が抱える様々な事情。むしろそうしたサイドストーリーの絡み合いが変哲の無い事件に思いも寄らぬ影を与える。

顔見知りであるということと、その人を知っているということとは必ずしも同じではない。他人どうしなら勿論のこと、親子、夫婦、恋人どうしといった親密であると考えられがちな関係においても、人は相手を知らないものである。自分自身のことすら満足に知らないのだから他人を理解できないのは当然、と言ってしまえば身も蓋もない。しかし、わかっていないのに、考えたことすらないのに、わかったふりを続けることが生活の現実というものではないだろうか。

印象的だったのは主人公であるサンツィオ刑事の物語だ。彼は娘とふたりで暮らしている。妻は入院していて退院する見込みが無い。進行性の認知症なのである。彼女が登場する場面は2回ある。いずれも主人公が病院に面会に行くところだ。最初の場面では、既に娘が記憶から消えていて、夫と弟とが混同されている。数日置いて、次の面会の場面では、夫のことも認識できなくなっている。認知症でなくとも、存在感が希薄になれば記憶から消えていくものだろう。家族というのは特別で、それを忘れるというのは認知症のような特別な場合でもない限りあり得ないことだ、と果たして断言できるだろうか。

もうひとつ印象的だったのは、殺人事件の被害者アンナの父だ。家宅捜査で彼が撮影した彼女のビデオが押収される。父のカメラは執拗に娘を追う。ビデオには撮影されることを嫌がる娘の姿が映っている。それを父は娘に対する愛情だという。愛情とは何だろうか。

いくつかのサイドストーリーに共通しているのは、事件の捜査で明らかにされる事実を通じて、ひとりひとりがそれぞれに誰にも言えない秘密を抱えていることだ。家族の間でも、恋人同士の間でも、この事件の捜査をきっかけに初めて知る相手の事情が明かされるのである。人を知るということは、どのようなことなのだろうか。そもそも我々は誰かを知り、その人を理解することができるものなのだろうか。

この作品を観ていると、殺人事件そのものよりも、それに絡む人々のそれぞれのエピソードのほうへ関心が向いてくる。作品自体も事件の全てを明らかにすることなく終わってしまう。明らかにしないのではなく、観る者の知性と感性に任せているのだろう。劇的なことは何もないのに、重い衝撃のようなものが心に残る作品だ。

物欲

2009年08月02日 | Weblog
今、デジカメはGRの初代機を使っているのだが、今度その3代目が発売されるというので製品説明会に出かけてきた。

今使っているものに不満はなく、それどころかたいへん気に入っているのだが、新しいモデルは外見は同じでもレンズやCCDといった心臓部が刷新されるとのことなので、その変化がどのように体感されるものなのか興味があった。出来上がりの写真は、実際にいろいろな被写体を撮影してみないと違いがわからないが、メーカー側からの30分のプレゼンと実機をさわってみた感じでは、使い勝手が明らかに違う。なによりフォーカスの速さが段違いで、それだけ手ぶれのリスクも低減している。説明会が始まるまでは、どうせたいした違いはないだろうと思っていたのだが、実機に触れて多いに物欲が刺激された。

扱いにくいものを、あれこれ工夫して使うことで刺激されることもあるのだが、勝手がよくなることで、それまではできなかったことができるようになるということもある。その違いはささやかなものかもしれないが、新しい体験ができるというのは、大きな価値だ。

発売は8月5日だそうだが、説明会から帰るときには、いつヨドバシへ行こうかなどと考える自分がいた。

説明会の会場がある銀座から丸ノ内線で池袋に出た。池袋の東急ハンズで、今度の木工教室で使う材料を買うのである。最初の課題であるスツールが先週でほぼ完成し、あとは脚の接地部分の面取りなどわずかな仕上げ作業を残すだけとなったので、次の課題の材料を用意することになったのである。スツールの次はゴミ箱を作る。

今はスーパーのレジ袋を部屋の隅に置いて使っているのだが、さすがにこれはいかがなものかと思っている。もちろん、引っ越してきたときにあちこちの店でいろいろ探してみたのである。殆どはプラスチック製の、いかにもゴミ箱という感じのもので欲しいと思うものがなかった。中に入れるのはゴミでもゴミ箱自体は部屋に置く立派な家具なのだという発想が全く感じられない。ちょっとこだわり系の商品を集めた店にはそれなりのものがあるのだが、価格が高い。指物の素晴らしいゴミ箱もあるが、このレベルになると高いとか安いということを超越した価格になる。そこで、自分で作ることにした。

前回の教室で先生とおおまかな打ち合わせをして、どのような感じの材料を用意するかということまでは決めてある。次は実際の材料を前にして、それをどのように裁断して組むかということを決めて、それに従って加工を始めることになる。

本当は郊外のホームセンターのほうが安くて品数も豊富なのだろうが、住まいの近所にそのような店がない。最も近いのがハンズの池袋店なのである。細長い杉の板材を2枚買い求め、東池袋から都電で庚申塚へ出る。駅のホームに直結している御代家でやきそばとおはぎのセットで腹ごしらえをして、住処に戻った。

ミニマリズムを目指すなどと言いながら、けっこう物欲に正直に生きている。