熊本熊的日常

日常生活についての雑記

延長戦

2009年03月31日 | Weblog
閉店したはずのレストランのシェフから、次のテナントの入居が5月からに変更になたので、急遽1ヶ月間だけ営業を延長することになったとのメールが来た。終わったと思った試合が、延長戦入りしたようなもの、だろうか。

彼がいったい何人に向けて同様のメールを流したかは知らないが、閉店が決まったはずなのに急遽開けるといっても、果たして客は来るのだろうかと素朴に疑問を感じる。

いろいろ苦心や工夫を迫られているだろうが、やるからには最後の最後までこれまで通りであって欲しいと切に思う。延長10回裏、逆転ホームランなんていうのも無いとは限らない。ホームランの意味するところは立場により人それぞれなのだが。

ちなみにレストランは白金高輪駅の3番出口からすぐ、以下のサイトを参考にして頂きたい。
http://ameblo.jp/truffles/

ところで、またやるのだろうか? 閉店パーティー。

おもしろいということ

2009年03月30日 | Weblog
「ひとりよがりのものさし」を手にしたのは去年の4月22日のことだ。奥付けには平成15年11月20日発行とある。出版されてから5年近くも経っているというのに、なぜこれまで知らなかったのだろうと、自分にがっかりしたものだ。目次の次の頁には著者の坂田氏が自分の店の奥に笑顔で収まっている写真。こういう人相の人は頑固な人が多いんだよなぁと思いながら、なぜか緊張しつつ、暇さえあれば頁をめくって眺めている。購入してから1年弱だが、今のところはこれが一番のお気に入りの本だ。

今、書店の店頭に並んでいる芸術新潮の4月号は、その坂田氏が参加して「パリと骨董」という特集が組まれている。特集の後半は恵比寿でタミゼという骨董品店を経営されている吉田昌太郎氏の目を軸に構成されている。ご両人ともそれぞれに確固とした座標軸をお持ちのようなので、そこで紹介されている店や町の記事を読んでいるだけで愉快な気分になる。

この雑誌は「芸術」を誌名に冠しながら、既存の「芸術」的価値観を脱しようと奮闘しているかのような愉快な記事が多いので、定期購読をしている。社会の枠組みのなかで生きている限り、既存の価値観を再考するというのは、思考に習慣性がある限りなかなか容易なことではない。しかも出版元が大手であれば、なおさらのこと、新しいものを創造したり提示することには意識するとしないとにかかわらず自己規制が働いてしまったり、そもそも発想に限界があったりしてうまくいかないように思う。しかし、それでも敢えて挑戦している気概のようなものは伝わってくる。そこがいい。

隣の芝生は青く見えるという。ロンドンでの生活が、個人的ないくつかの不愉快な出来事とも相まって、あまり良い印象を受けるようなものではなかった所為もあり、一泊で2回だけしか訪れたことのないパリの印象が妙に良い。どこがどう良いということではない。全体としての印象が良いとしか言いようが無い。おそらく雑誌のなかで紹介されている人々の記事全体と、そのなかの食堂の店主の言葉が、その良さの何事かを象徴しているように思う。曰く「パリのよいところは、たとえほそぼそとでも、手をぬかずに、ほかではできない仕事をつづけていれば、かならずだれかがみとめてくれることです」。さて、東京はどうだろう?

この雑誌の81頁に自分が持っているのと似たような「手」の写真があった。私は骨董だの古道具だのという趣味はないので、私が持っているのは新品である。それに、写真の「手」とちがって、私が持っているのは全ての関節が動くようになっている。関節が動くようになっているのといないのとでは、指の佇まいが全く違うことが写真でわかる。写真の「手」は人差し指だけ第二関節が可動式になっていて他の指の関節は動くようにできていない。だから、関節の細工がある人差し指だけが義指のように見える。その佇まいのアンバランスが妙な存在感を醸し出しているように見える。ただ指の作りの違いはともかくとして、私は写真の「手」が欲しいと思った。なぜなら、それが左手だったから。私が持っているのは右手なので、左があれば一対になって楽しげな配置にして遊ぶことができそうだと思った。

二次元系・三次元系

2009年03月29日 | Weblog
まだ満開にはなっていないが、花見がてら子供と住処の周辺を散策した。染井霊園には桜の古木がいくつもあり、その木肌とは対照的な可憐な花をつけていた。天気には恵まれたものの、肌寒さと墓地という場所の所為なのか、人影は疎らで良い雰囲気だ。

霊園を抜けて六義園に着くと、普段は閉鎖されている入口が開かれ、そこから長い行列が伸びていた。正門のほうに回ってみたが、やはり行列。入場は諦め、小松庵で腹ごしらえをすることにした。ところが、小松庵の前にも行列。そのまま通りすぎ古河庭園まで足を伸ばす。六義園や有名蕎麦店には人が集まっているが、本郷通りの交通は閑散としている。日曜という所為もあるだろうが、これほど車が少ないのは、景気の所為もあるのだろう。

古河庭園は薔薇で有名だが、さすがに今は咲いていない。それでも、手入れの行き届いた庭園は、やはり日本の庭園だと感心する。大きな緑地ならロンドンのほうがはるかに身近だが、彼の地の公園は見せることに主眼が置かれているような気がする。対して此の地の公園は見えないところの手入れをきっちりすることで魅せるという姿勢を感じる。古河庭園を出て滝野川公園を抜けて線路伝いに飛鳥山へ。

飛鳥山は都内有数の桜の名所。たいへんな賑わいである。ここでようやく昼食にありつく。たまたま見つけたゴリノスという店で子供はカルツォーネ、私はミックス・ピザをいただく。ピッツァでもなければピザでもない、ピザパイに限りなく近いものだった。自分で作るものによく似ていて、なんとなくほっとする味だ。飛鳥山からは都電で庚申塚へ出ようかと思ったが、混んでいて乗れそうにないので、そのまま歩いてゲーテの小径から染井霊園に抜けた。

道々、子供の話を聞いていた。クラスのなかは仲良しグループに分かれるのだそうで、そのグループ分けの基準は、共有できる話題の種類によるのだという。この話題が、大きく分けると二次元系と三次元系に分類できるのだそうだ。二次元系というのはマンガとかアニメという、平面で表現されるもののことで、三次元系というのはアイドルタレントのように立体的存在として認識されるものだそうだ。この「二次元系・三次元系」というのが子供の通っている学校だけで使われている尺度なのか、世間一般に通用しているものなのか知らないが、少なくとも自分が中学生の頃には聞いたことがなかった。よくよく聞いていると、二次元系の人は概しておとなしく、揉め事を起こしたりすることが少ないのだそうだ。三次元系の人は自己主張が激しく、三次元系のグループどうしの対立もままあるのだという。安易に物事を類型分けするのはいかがなものかとも思うが、表現は面白い。クラスで数人はこうしたグループのどれにも入らない、あるいは入れない子がいるのだそうで、そのことを気にする向きもあるという。子供曰く、「そんなことは個人の問題であって、クラスの問題ではない。」全く同感である。

La vie continue !

2009年03月28日 | Weblog
どのようなことでも始まりがあれば、必ず終わりがやってくる。早く終わって欲しいことがなかなか終わらないこともあれば、いつまでも続いて欲しいことが呆気なく終わってしまうこともある。物事が生々流転するなかにあっては、どのような形であれ、始まったことは必ず終わるのが世の定めである。無数の始まりと無数の終わりが、無数に組み合わされて世の中は成り立っている。

縁のあったレストランが今日、最終営業日を迎えた。「営業日」としては前日が最終だったのだが、今日は関係者だけの立食パーティである。できることなら最後の「営業日」に出かけたかったのだが、仕事に区切りがついたのが午前2時半過ぎになってしまい、それはかなわなかった。帰りのタクシーの前には殆ど交通量のない幹線道路が伸び、車窓にはゴーストタウンのような街並が映る。時々、深夜営業のラーメン店や24時間営業のファミレスや牛丼チェーンの灯りが混じる。若い頃は東京は眠らない町だと思っていた。それが、給料日直後の金曜深夜だというのに、幹線道路にタクシーの姿さえ疎らにしかないのである。なんでもかんでも景気の所為というわけでもないだろう。東京の都市としての生活のリズムのようなものが、都市の寿命に合わせて変化しているのではないだろうか。東京も当り前のように眠るようになったということだ。

そのレストランは、深夜帯を市場として狙っていた。深夜帯を狙うには、立地にやや難があったのは確かだろうし、もちろん景気の影響も受けただろう。細かいことを挙げればきりがないだろうが、一言で表現するなら、うまくハマるべきところにハマらなかったということになると思う。

レストランは終わってしまったが、そこを舞台に様々な人生が交錯していたはずであり、そこに関係している人たちの生活はこれからも続く。レストランと共に終わるものもあれば、そこから始まることもある。終わってしまったことは今更どうすることもできないが、生きている限りは前を向いて歩き続けなければならない。楽なことではないけれど、目の前にある現実からしか新しいことは始まらない。

個人的な希望としては、もし、このレストランが再起を図るのなら、今度は立地と器にもう少しこだわって欲しい。

朝起きられなかったのは

2009年03月26日 | Weblog
今日は資源ゴミの回収日だというのに、朝起きることができず、またもや段ボールを捨て損なってしまった。起きることができなかったのは、昨日のカイロの所為かもしれないし、昨夜「世界の料理ショー」のDVDに見入ってしまって夜更かしをした所為かもしれない。

予約しておいた「世界の料理ショー」DVD-Boxを手に入れた。なつかしい映像に釘付けになってしまった。自分がこの番組を観ていたのは中学生の頃なので1970年代後半ということになるのだが、製作されたのは1968年から71年にかけてのことだそうだ。番組終了はグラハム・カー氏が交通事故で全身麻痺になってしまった所為だということを知って、今ごろ衝撃を受けた。その後、回復されて活躍が続き、少なくとも2009年1月5日現在はお元気そうだ。この日に収録された約40分間の特典映像が8枚目のディスクに収められている。ここで語られていることの深さに感銘を受けた。封入されているブックレットの最後のほうにグラハム・カー氏直筆のメッセージがある。
“Dear Japanese Friends, Habits that harm can be resources that heal … God Bless you, Graham Kerr”
これだけ読んでも意味はわからないだろう。このメッセージの意味するところは、特典映像を観ればわかるようになっている。私は、この特典映像を観ただけで、このDVD-Boxを買って本当に良かったと思った。道を極めた人だけが語り得る含蓄に富んでいる。人は経験を超えて発想することはできないのだが、経験を積むことでこれほど豊かな発想ができるのだと励まされる思いがした。勿論、誰にとっても価値があるとは思わない。あくまで私にとって良かったということだ。

歪んでいる身体

2009年03月25日 | Weblog
近所のカイロプラクティックへ行って来た。かなり詳しく説明してくれる先生で、骨格模型まで使ってわかり易く話をして頂いた。結論から言えば、これまでマッサージなどで異口同音に聞かされてきたことと大きな違いはなかった。要するに、私の身体は、日常生活に支障は無いものの、健康体の範疇からは微妙に外れている、ということらしい。積年の習慣によって歪みが蓄積されているようなので、物理的な歪みを矯正する一方で、身体的習慣を変える必要があるようだ。歪みの矯正はともかくとして、習慣を変えるということが、今更できるものなのだろうか。

名前に負けない

2009年03月24日 | Weblog
日本では「ルーヴル」と名前のつく展覧会はとりあえず混雑するような印象がある。もちろん、ルーヴルの収蔵品はどれも吟味し尽くされたものなので、どんなものであれ、日本にいながらにして観ることができるのなら、観ておいて損はない。しかし、… と野暮な話は止めておく。

国立西洋美術館で開催中の「ルーヴル美術館展 17世紀ヨーロッパ絵画」を観て来た。チケットやカタログの表紙を飾るのはフェルメールの「レースを編む女」。フェルメールは寡作で知られる作家で、ルーヴルといえども2点しか収蔵していない。そのうちの1点を今回日本へよこしたのだから、そのことだけでもいかに日本の美術シーンを重要視しているかということがわかるだろう。そして、実際に会場に足を踏み入れれば、よくもこれほどの作品を貸し出してくれたものだと感心ししてしまうほどだ。

ル・ナン兄弟「農民の家族」は、本物の農民の生活をモデルにしながらも、それがあたかも別世界のものであるかのように止揚されている。おそらく実物よりはるかに清潔に人物や室内を描き、その表情に強さを与え、聖性を感じさせる光をあてることで、日常を描いているように見せながら日常を超越した世界を描いているように見える。このような作品を観ると、何故か心が洗われるような心地よさを感じてしまう。アドリアーン・コールテは日本では馴染みがないかもしれないが本展に出品されている「5つの貝殻」だけでも入場料を払って観る価値があると思う。実は、昨年の夏にルーヴルを訪れたときは、この作品は全く印象に残らなかった。ルーヴルではリシュリュウ翼の2階(日本式に数えれば3階)、エスカレーターを上がったところからオランダ・フランドルの17世紀絵画の展示が始まり、そこから見学を始めているので、観たとすれば、まだ疲労も始まっていない時間に観ているはずだ。ところが、今回、この作品を前にして、初めて対面するような心持ちがした。もったいないことをしたものだと思うと同時に、今こうして観ることができて本当によかったとも思う。

ジョルジュ・ラ・トゥール「大工ヨセフ」もいい。2005年に東京で「ラ・トゥール展」が開催されたときにも来日している作品なのかもしれないが、当時はまだ、絵画にそれほど興味がなかった。ましてや17世紀の絵画など関心の外だった。もちろんルーヴルにはまとまった数のラ・トゥールの作品が展示されており、自分にとっては「いかさま師」の存在感が圧倒的なものに感じられた。作品の大きさと配置の関係もあるのだが、やはり中央に座っている女性の目に射すくめられてしまう。ラ・トゥールの作品は人物の目に特徴があるように思う。「大工ヨセフ」でもヨセフの目が印象的だ。

ウィレム・ドロストの「バテシバ」にも目が離せない。尤も、目が離せないのは作品そのものというよりも、バテシバの美しい乳房かもしれない。同じモチーフでドロストの師であるレンブラントが描いた作品がルーヴルにある。こちらは裸婦像だが、個人的にはドロストの作品のほうが好きだ。それは、ドロストのバテシバのほうが美しいから。レンブラントのほうのバテシバのモデルはレンブラントの女中から後に愛人になったと言われる人物だそうだ。男女の関係は恋人、愛人、配偶者と様々だが、同じ相手で一連の関係を経験することもあれば、相手と関係性が固定されている場合もある。それぞれに相手に対する視線が違うのが一般的だろう。レンブラントのバテシバは、言われてみれば、なるほど愛人かなと思う。さて、ドロストのバテシバのモデルはどのような人だったのだろう?

きりがないので、これで擱筆するが、ルーヴル展は期待以上の内容だった。6月まで開催しているようなので、あと少なくとも1回は足を運ぶかもしれない。

無い袖は振れないが

2009年03月23日 | Weblog
金が無い。給料日が待ち遠しい。3月3日付「綱渡り」に書いたような状況なので、来月初旬の決済を越えないとクレジットカードが使えるようにならない。現金がないのでカードが使えないと消費活動ができない。食材を実家から調達し、多少の空腹は我慢することで日々の窮乏をしのいでいる。ちょうど良い機会なので、侘びの風情をじっくりと楽しむつもりである。

侘び茶というのは、応仁の乱に端を発する戦乱の世の中で疲弊した貴人や武人が、限られた物資をやりくりして茶の湯を楽しむ方便として発展したようだ。確かに、人の欲には際限が無いので華美を競えば財力に応じていくらでも贅を尽くすことはできるだろう。しかし、それが人をもてなすことにつながるだろうか。部分的に背伸びをしたり屈んだりしながらも全体として身の丈に合った無理の無い状態というのが心地よく感じるものなのではなかろうか。身の丈といっても、それは常に変化している。そうした変化を超えて普遍性を目指した先に、誰もを唸らせる美意識の発現があるように思う。

人の生活は多種多様の評価軸のなかで営まれている多元的世界だと思う。多様であるはずの価値観を貨幣価値という単一の尺度で表現することで、本来そこにあったはずの多元性が失われ、浅薄で窮屈な世界が現出することになったような気がする。もちろん、市場経済という生活の場の大前提を今更覆すわけにもいかないので、先立つものが無ければ生活はままならない。ただ、貨幣の呪縛から解放されることの快感というのも、追求してみると面白いのではないかと思うのである。

気がつけば過剰

2009年03月22日 | Weblog
終日住処で片付けなどをする。引越荷物が届いてもうすぐ1ヶ月。ようやく落ちついた。

片付けてみて明らかになったのは、ハンガーが必要以上にあることだ。ロンドンでも何本か購入しているし、帰国してからも数本購入している。買った時は必要だと思ったのだろうが、少なくとも3本は余計である。これは反省の材料だ。

それからスーツが余っている。以前にも書いた記憶があるが、2005年3月までは毎日スーツで出勤していたので、仕方がないところもある。身につけるものは、どうしても自分の身体や趣味が色濃く反映されるので売却できるものなのか心もとない。着られないわけではないので、自分で活用する方法を考えたほうがよさそうだ。スーツが余っているということは、ネクタイも余っているということだ。衣類は厄介だ。

ピカソとクレーの生きた時代

2009年03月21日 | Weblog
ドイツのノルトライン=ヴェストファーレン州立美術館の改装工事のおかげで、同館の主要コレクションを東京で観る機会に恵まれた。

この美術館がクレーのコレクションを蒐集するに至った理由が興味深い。クレーがデュッセルドルフで暮らしたのは1931年から1933年の間に過ぎないのだが、ここはクレーにとってはドイツでの暮らしに終止符を打った土地でもある。ナチス政権成立後に前衛芸術への弾圧が激化し、デュッセルドルフの美術学校で教授をしていたクレーは、ここから追い出されるように故郷スイスへ亡命を余儀なくされたのである。戦後、デュッセルドルフの人々のなかにはそんなクレーのために何か自分たちでできることはないかと考えていたという。たまたま1960年にクレーの作品がまとまった量で美術市場に登場し、州政府がそれを購入することを決断したのだそうだ。結果としてクレーをドイツから追い出すことになってしまったことへの償いの意図があったのだという。このクレーの作品を核のひとつに州立美術館が開設されることになったのである。

欧州の歴史を見れば、「激動」と呼べるほど頻繁に国境線が変化している。現在の状態に落ちついたのはコソボが独立を宣言した2008年2月のことである。コソボの独立にしても、それを承認しているのは国連加盟192カ国のうち日本を含む55カ国でしかない(2009年2月25日現在)。日本がコソボとの外交関係を正式に開設したのは先月25日のことである。日本が独立を承認したということは、欧米主要国も同様の判断を下しているということでもあるが、欧州連合内でもスペインやギリシャは承認していない。国連安全保障理事会においてもロシア、中国という拒否権保有国が承認を行っていない。スペインやギリシャが承認しないのは、これらの国々が自国内に少数民族による独立運動を抱えている所為でもある。欧州連合の行方も混沌としており、そうしたなかで今まさに未曾有の世界的な経済危機があり、予断を許さない状況といえる。

そうした激動の歴史のなかにあるが故に、欧州の人々には過去へのこだわりというものが強いように思われる。それは街並ひとつとってみても感じられることだ。それが良いとか悪いということではなく、現在の自分のありようが過去の歴史の積み重ねの上にあるという意識が激しい変化のなかで研ぎ澄まされたということなのかもしれない。

さて、「20世紀のはじまり ピカソとクレーの生きた時代」だが、会場入って最初の展示がマティス、ドラン、ブラックの小品3点だ。ほぼ同時代1904年から1907年にかけて描かれた風景画である。3点とも点画描法によるもので似た雰囲気がある。しかし、周知の通り、3人とも点画からそれぞれのスタイルへと変容していくのである。ある変化の出発点を示すものとして、まさに20世紀のはじめに描かれた3点の作品を並べるというのは上手いと思う。次がフランツ・マルクとアウグスト・マッケの作品。2人とも第一次世界大戦で戦死している。戦死した作家の作品を並べることで、戦争を描かずに戦争の影を表現している。20世紀は戦争の世紀でもある。

ピカソの偉大さは、その作品を観るだけで体感できる。やはり他の作家とは違う。ブリヂストン美術館にあるサルタンバンクだけでもその存在感は十分に感じ取ることができるが、今回展示されている「2人の座る裸婦」は強烈だ。オランジュリーにある「大きな浴女」と同時代同系列の作品だが、手足の表現に思わず惹き付けられてしまう。「鏡の前の女」と「肘掛け椅子に座る女」を同じ部屋で観ることができるのも良い。片や1937年の作、片や1941年。この4年の間に何があったのだろうと想像力を刺激される。

モランディも不思議な作品を描く人だ。何の変哲もない静物画なのに、言いようの無い変哲を感じてしまう。変哲といえば、ルネ・マグリットは変哲の塊のような作品を描く。今回3点が展示されているが「とてつもない日々」はほんとうにとてつもない。現実とは何かということを問い続けた人であるように思う。

クレーの作品をこれほどまとめて観るのは初めてだ。本展チケットの図案にもなっている「リズミカルな森のラクダ」をはじめとして、抽象画でありながらどこか心安らぐものを感じさせる。気のせいかもしれないが、ナチス政権から迫害を受けた困難な時代の作品ほど、そうした傾向が強く表れているように見える。現実の中の困難から作品のなかに逃避、あるいは昇華させたということなのだろうか。人の生というのは、均衡の上に成り立つのだろう。そのバランスのとりかたは、各自各様だが、傍目にどれほど酷い状況に見えていても当人が自分の均衡を見出している限りは、いきいきとしていられるものなのかもしれない。逆に、どれほど華やかで順風満帆に見えても、当人が均衡を失っていては生きていることができなくなってしまうということなのだろう。

「いのちの戦場 アルジェリア1959」(原題:L’ENNEMI INTIME)

2009年03月20日 | Weblog
フランスの戦争映画を観るのはこれが初めてだ。アメリカの戦争映画は総じて白黒はっきりした構成でわかりやすい物語であることが多い。尤も、アメリカの映画は戦争映画に限らず、白黒はっきりさせたがる傾向が強いように感じられるのだが。このフランス作品は、最後まで謎めいた感じが拭えない、終わりの無いサスペンスのようだ。それは戦争がサスペンスだからではなく、人間の存在そのものにサスペンス性があるということなのだろう。

おそらくこの作品の要になるシーンのひとつだと思うが、フランス軍とゲリラとの戦闘の後、戦死した兵士を埋葬する場面がある。フランス軍、とは言いながら、こちらにもアルジェリア人が少なからずいる。フランス人の戦死者は生き残りのフランス人兵士がキリスト教式で埋葬している隣で、アルジェリア人兵士たちは亡くなったアルジェリア人兵士をイスラム教式で埋葬している。どちらも「フランス軍」として独立派のゲリラと戦っている。そして、アルジェリア人兵士にしてみれば、敵もまたアルジェリア人なのである。そして、アルジェリア人兵士のなかにはフランス軍と独立軍との間で頻繁に鞍替えをしている者もいるようだ。

独立派ゲリラ兵を捕虜としてつかまえたものの、その捕虜が脱走を図ったということにして殺してしまう場面がある。その捕虜は第二次大戦では当然フランス軍として枢軸国軍と戦っており、その時に与えられた勲章を持っていた。かなり高位の勲章らしく、それを目にした途端にフランス人軍曹の表情がさっと変化する。そして、そのままその捕虜を解放しようする。ところが軍曹の命令なしにその捕虜を射殺してしまう兵がいた。フランス側のアルジェリア人兵だ。その捕虜が自分の家族を殺した張本人だというのである。

戦争自体は独立を主張するアルジェリアとそれを阻止しようとするフランスの間のものである。しかし、フランス人のなかにもアルジェリアの独立は必然だと考える者もいて、アルジェリア人のなかにもフランス領にとどまることが自分たちの利益だと考える者もいる。アルジェリア人としてのアイデンティティを感じ、フランス軍に籍を置きながらも独立派ゲリラに内通行為を繰り返しておきながら、私情に任せて真の同胞であるはずのアルジェリア人ゲリラを射殺してしまうアルジェリア人もいる。

戦争とか国家といった世の中の枠組みを巡る世界と、自分自身の生活を巡る世界は、実は全く異質のものであることが、このような作品を観ていると見えてくる。突き詰めれば、自分とは何者か、ということを考えないではいられない。

自動車社会の未来

2009年03月19日 | Weblog
宇沢弘文の「自動車の社会的費用」が出版されたのは1974年だそうだ。あまりに有名な著作だが、私は読んでいない。それでも学生時代にエコロジー系サークルに籍を置いていたのだから、いい加減な人間の典型と言われそうだ。

昨日から今日にかけて、休暇を取って両親と伊豆へ旅行にでかけてきた。私も含めて皆年寄なので、歩行距離が少なくて済むように、レンタカーを使って東京と伊豆とを往復した。春の行楽シーズンとは言え平日の昼間なので、東京以外の道路は概ね順調だったが、都内の渋滞は景気とはあまり関係が無いように見えるほどひどいものだった。

渋滞は、勿論、事故や故障車、あるいは工事などが原因になることも少なくないだろうが、今回は事故渋滞にはまったのは伊豆に入ってからの1回だけで、都内での渋滞は悉く自然渋滞だった。首都高なら環状線への合流地点が渋滞の起点になっていることが殆どで、一般道も幹線道路どうしの交差点が起点になっていることが多かった。

自然に渋滞が発生するというのは、要するに道路の容量を超過した交通量が存在するということであろう。国内新車販売台数は登録車合計で1月が前年同月比27.9%減、2月は同32.4%減と、これまで聞いたことがないほどの落ち込みを示している。新車の販売数量が減少しているということと、自動車の交通量が減少するということは同義ではないが、少しくらい新車需要が減少しても、都内の交通量は道路の容量に対してなおも過剰であるということだろう。そもそも、景気の変動で3割も新車需要が変動するということは、需要そのものが不要不急なものをかなり含んでいるということでもある。

自動車産業は裾野が広く、しかも各部品や材料に高度な信頼性が要求される。それだけに、自動車産業の競争力は、その経済全体の工業力水準と密接に連動する。しかし経済の成熟化に伴い、その在り方も変化が求められるのは当然のことだろう。ひとりひとりが少しずつ不便を甘受することで、社会全体が暮らしやすくなるのかどうかはわからないが、国力の低下と高齢化の進展のなかで、少なくとも不便を甘受する覚悟はしておいたほうがよいかもしれない。

「シリアの花嫁」(原題:The Syrian Bride)

2009年03月16日 | Weblog
当り前だと思っていることの多くは、思いの外、当り前ではない。結婚式を舞台にした作品は数多いが、そこに人々の幸福そうな笑顔とか、高揚した雰囲気といったものが殆ど見られない作品というのは珍しいのではないだろうか。結婚式がおめでたいというのはオメデタイ人にとっての当り前なのかもしれない。

印象的な場面はたくさんあるのだが、例えば、帰省した長男のロシア人の妻が結婚披露宴の準備を手伝っているシーンがある。彼女はトマトを切っている。ごく当り前にサラダに添えられているように、半月型に切っている。それを、やはり手伝いをしている近所の女性たちが嘲笑する。「あの人はトマトの切り方も知らない」と。その地方ではトマトは賽の目に切るのが正解だ。果たしてトマトに「正しい」切り方というものがあるのだろうか?当り前の切り方というものがあるのだろうか?

そんな些細なことから、イスラムの教えや習慣、家族のしきたり、お役所仕事の決まり事、その他様々な「当り前」が作品のなかに溢れている。自分の「当り前」は必ずしも他人の「当り前」と一致するわけではない。そこに対立が生まれ、憎悪に発展することだってある。

当り前に流されているというのは、自分で考えていないということだ。考えの無いところに対立や紛争が生じ、無知無思考の度合いが深刻であるほど対立は激しさを増すように思う。

タイトルは「花嫁」だが、主役はその姉である。慣習に従って親が決めた相手と結婚したものの、夫との関係は破綻し、子供たちが成長して手がかからなくなった今、大学に入学して福祉の勉強を始めようとしている。こう書くと、日本人の目には何も変哲がないように見える。しかし、妻はひたすら家庭を守る、ということが当り前の社会では、途方も無い挑戦的な行為なのである。

そしてやはり写真でしか顔を知らない相手と結婚する花嫁は、結婚式に臨むために国境を越えようとしている。ウエディングドレスに身を包み、周囲に流されるように花婿が待つ国境までやってきたが、国境越えの事務手続きの不手際で待たされている間に、おそらく、いろいろなことを考えたのだろう。国境越えの手続きで周囲が右往左往しているなか、彼女は立ち上がり、花婿が待つ国境の向こう側へ向かって毅然として歩き出すのである。自分の人生の何事かを決断した、その後ろ姿が美しい。

不細工

2009年03月14日 | Weblog
2週間前に引っ越し荷物が届いて以来、その整理を続けている。大雑把には到着翌日までに終えているのだが、細かい分類整理がなかなか納得のいくようにできない。いろいろ考えた末、腰の高さくらいの棚がひとつあると片付くという結論になり、いろいろ見て歩いたのだが気に入ったものがない。3月3日付「綱渡り」に書いたような家計の状況なので無茶もできない。そこで、板と棒材を買って自分で作ることにした。

車があれば郊外のホームセンターにでも行くのだろうが、そういう贅沢なものは縁が無いので、電車に乗って東急ハンズへ行く。DIYのコーナーには規則正しく刻みの入った棒材があり、一般規格の大きさに加工された板材もある。これらを組み合わせ木ネジでとめれば棚は簡単にできあがる、はずだ。事前に大きさを決めておいたので、それに一番近い完成品になるような組み合わせの材料を購入して住処に持ち帰った。

材料はどれも或る規格に基づいて加工されているのだが、組んでみると微妙にずれが生じるようで、多少のがたつきがある。これを修正すべく、力を込めて材料と材料を押さえ込んでみたり、向きを変えてみたりしながら30分ほどで一応できあがった。ふと手を見ると、右手親指にまめができ、それがつぶれていた。それまで何も感じていなかったのに、まめがつぶれているのを見ると急に痛みを感じる。

材質などにこだわらなければ、既製品を買ったほうが安上がりだ。しかし、機能だけが物の性能ではない。結果として同機能かそれ以下の手作り品を割高な費用で手に入れることになる。作るのは素人なのだから、棚という単純な形態のものであるにもかかわらず、どこかぎこちない感じが否めない。それでも、負け惜しみに聞こえるかもしれないが、化粧板でできたきれいな棚よりも、桐の不細工な棚のほうが、部屋に置いたときの雰囲気が好ましいものに感じられるのである。

「ツレがうつになりまして」

2009年03月13日 | Weblog
あるメディア企業のサイトの書評欄で見つけた。アマゾンのレビューにも目を通してみた。マンガというのは滅多に読まないのだが、評判が良いので読んでみることにした。書評やレビューにもあったが、病気の本人よりもその周囲の人々が一読すべき本だと思う。

1月26日付「君死にたもうことなかれ」にも書いたが毎日のように人身事故で鉄道に遅延が発生している。遅延で自分が迷惑を被ったのは帰国後2ヶ月間で3回ほどだが、「ほど」と言うには頻度が高すぎるように思う。鉄道の人身事故の全てが自殺によるものというわけではないだろう。しかし、これまで年1回の公表だった警察庁の自殺統計が今年1月分から月次の公表に切り替えられたことに象徴されるように、ここへきて自殺が増えていることは間違いない。自殺がすっかり日常の風景と化していることに何かしら異様なものを感じる。

今から思い返せば、自分もウツだった時期があったかもしれない。詳細を開示することは差し控えるが、端的な現象としては、家に帰ることができなくなったのである。仕事を終えて帰宅して、家の前まで来る。明かりが漏れていて中に家人の気配を感じると、そこから先に進めなくなるのである。家人は就寝時間が早い人だったので、そのまましばらく散歩をして時間をつぶし、戻ってみて家の明かりが消えていると中に入ることができるという具合だった。ちょうど自宅を購入したばかりの頃だった。自宅とは言え、そこにずっと住むつもりはなかったので、設計への関与も形だけのものだった。建てる意識としては2008年4月25日付「暮らしをデザインする」のなかでも触れた通りである。そうなれば、「自宅」といっても、ただの借金のかたまりでしかない。その頃、たまたま新聞記事で六本木ヒルズに深夜まで営業している会員制の図書室があることを知り、すぐに申し込んだ。それからは職場を出た後、この図書室に寄って本を読んだり勉強したり時間をつぶすことができるようになった。ここは単に図書室があるだけではなく、毎日のように様々なセミナーや講演会が開催されている。どれも面白そうなものばかりで、実際に参加してみるとハズレたものはひとつもなかった。時間をつぶすという消極的理由で会員になったのだが、かなり充実した時間を過ごすことができた。残念ながら、帰宅拒否症候群のほうは悪化の一途を辿り、晴れて離婚を迎えることになった。

今は引っ越してから1ヶ月しか経ていないという所為もあり、帰宅が嫌というようなことは全くない。それどころか、家の中で過ごす時間を大切にしたいと考えている。