熊本熊的日常

日常生活についての雑記

読書月記2019年11月

2019年11月30日 | Weblog

宮本常一『塩の道』講談社学術文庫

「塩の道」、「日本人と食べもの」、「暮らしの形と美」の三篇が収められている。もう何冊も宮本の著作を読んでいるので、改めて感じ入るほどのことはないのだが、古い時代からの人の往来の活発さには驚かされる。確かに人類が誕生したのはアフリカ大陸で、そこから「グレート・ジャーニー」と呼ばれる広がりを見せたというのが一応の常識だ。狩猟民であろうが農耕民であろうが、ひとところにずっととどまっているのではなく、自然や地政学上の変化に応じて移動してきたのである。そこに何の不思議もないのだが、その移動について語ったものを見聞すると驚いてしまうというのは、自分の思い描く「歴史」のスパンが狭いことの証左でもある。

塩は摂りすぎてもいけないが、塩がないと我々の生命は維持できない。ものを食べるときの旨味の一部である以上に、自分にとって貴重なものとの感覚が染みついているのだろう。日本では塩は海水から作る。しかし、海から遠い土地にも人は暮らしている。塩の製造と運搬という視点から日本の歴史を見ることができる。製造のほうは、道具の変遷が歴史を見る上で大きな示唆を与える。

我が家の梅干壺には塩が吹いている。釉薬をかけた壺なのだが、それでも嵌入から嵌入へと梅酢が染み、そのなかの水分が蒸発して塩が壺表面に残る。その昔、人が海水を土器に汲んで煮詰めて塩を取っていたようで、そういう土器が弥生時代の遺跡や平安の頃の遺構から出てくるのだそうだ。製塩土器は素焼で、繰り返し使用されるうちに器の壁の内部に塩分が蓄積され、やがてその圧力で土器が割れてしまう。つまり、製塩土器は消耗品だ。しかし、それでは個人レベルの需要は賄えても、海から遠いところの人々の需要までは満たすことができない。そこで塩田という大規模な製塩事業が興る。規模が大きければそれ相応の道具や装置が必要になる。

初期の塩田では、浜を粘土で固め、それだけでは干割れてしまうので、貝殻を焼いて砕いたものを混ぜて、土釜というものを拵えた。やがて、その釜が鉄製や石製のものに置き換わる。鉄釜を使ったのは東北や北陸に多く、今でも塩釜(塩竃)という地名があるし、岩手県の南部鉄器は塩田用の鉄釜の生産が起源とのはなしもある。北陸の鉄釜は近江産の鉄が使われたそうだ。かつて日本全国にあった木地屋が使う轆轤の刃は近江の鉄と関係があるらしい。木地屋は滋賀県永源寺町筒井と君ヶ畑の神社と結びついているという。

飛鳥には酒船石とか猿石が残るが、どれも花崗岩を加工したものだ。ところが、その後、花崗岩を加工した石造物のようなものは見られなくなるのだそうだ。鎌倉時代のはじめに東大寺が火災に遭い、その再建のために中国から招かれた職人が作ったもののなかに花崗岩を加工したものがあるという。鎌倉時代初期の花崗岩の石造仏は奈良から北に広く分布しているが、近江に入ると古い寺には必ず宝篋印塔があるのだそうだ。つまり、そこに石鑿の良いものがあったということだ。塩を作る上で鉄釜の欠点は錆が塩に混じることだという。そこで片麻岩を加工して作った石釜が使われることになるが、その製造には石鑿が必要だ。ここでやはり近江が関係してくる。

釜があれば燃料も必要になる。具体的には薪だ。最後まで塩田が続いた土地と、他地域から塩を購入することになった土地との差は、生産技術の比較優位と薪の有限性に拠るのだそうだ。また、塩を購入するとなると、そのための金銭を調達するための産業が必要になる。流通の仕組みも輸送路も必要だ。牛馬、舟運、問屋制、そうしたものが生命体の毛細血管のように国土に広がることになる。中央権力による街道整備以前に、生活の必要によって流通経路が自然に形成されたことは要注目だ。

おしまいに「塩の道」のしめくくりを引用しておきたい。

民衆が一つの道をたどっていくということは、今日のように便利ならば、あるいは地図があれば、これをどこへ行けばどうだということがわかっていますが、途中で人に聞くことができない細道の、その行く先を確かめ得たということは、人間の必然の叡智というものがそこに働いていたということであります。それを、あとから来る人たちも歩いては踏み固め、大きくして、やがて今日のような道になり、山間の文化をつくりあげていくようになったのだと思います。しかも今日では、すでに消えてしまった塩の道も少なくありません。われわれはそういう過去を、もし機会があったら、もう一度お互いに確かめ合っていきたいものだという気持ちを深くするものであります。(82頁)

 

『伊丹十三選集 二 好きと嫌い』岩波書店

伊丹の文章は聞き書きとかセリフが面白い。タクシーの運転手とのやりとりの後にこんな文章が続く。

道筋が変えられなくなってきたらーそれがタクシーの道筋であれ、散歩の道筋であれ、あるいは物事を考えたり行動したりする道筋であれですーそれが変えられなくなってきたならば、自分が老化しつつあると考えていいと思う。(161頁)

人生の後半にさしかかって思う。人生後半においては、これまで育んできた頑固さを、絶えずぶち壊すことが一番大きな仕事になるのではないか、と。(162頁)

本書の副題は「好きと嫌い」。「好き」と「嫌い」は必ずしも表裏の関係ではないのだが、それぞれを集めてみたときに、己の何が見えるのかというのは面白い。「好き」を集めてみたら、その集合体が嫌だったりする。しかし不思議と「嫌い」の集合体が好きとは思えない。そうすると、全部が嫌いということになる。どうしたらよいのだろう?

 

宮本常一『絵巻物に見る日本庶民生活誌』中公新書

うんと古いことを考察する史料や資料はどうするのだろうという素朴な疑問がある。絵巻物と聞いてなるほどと思う。記録が歴史の全てであるはずはないが、歴史が妄想の組み合わせでよいはずもない。過去を振り返るとき、現在が出発点になるのは当然だが、現在のことに囚われすぎると過去は見えない。過去が見えなければ現在も見えないという道理になるので、結局何も見えていないことになる。囚われる現在とは何か?

日本の民衆は古くは裸を好んだ。(38頁)

この裸体習俗が禁止されるようになったのは幕末の開国以来のことである。とくに明治三十二年、外国との不平等条約が廃止されて平等条約が結ばれ、それまで居留地と称する一定の区域の中に住んでいた外国人が日本全土どこに住んでもよいことになったとき、この習俗は厳しく禁止され、裸形のまま屋外で行動するものはほとんどいなくなった。(38-39頁)

好まれていた習俗を変えた強制力は何だったのか?外の眼というものを無闇に有難がるという別の習俗か?この国では多くのものが外から伝来しているのは事実だろう。生活の基本になるようなものでも例外ではない。稲作とそれに関連した様々なものもが最たるものだろう。しかし、稲作と米食が生活の根幹にまでなったのは何故だろう?米を主食にする文化は日本だけではないが、米の調理方法は他所とは違うし、米の種類もジャポニカ米だ。そして米を大事にすることが、大事なものの扱い方に反映されている、らしい。

生命をつなぐ稲作をあらゆる災害から守るための高倉は、同時に神を守り、神をまつる場としても利用された。日本の神社の神殿のほとんどが高床式になっているのはそれを物語るものであり、伊勢神宮の神殿は高倉をかたどっている。このことは神殿をめぐる神庫と神殿とはほぼ同様の形式で建てられていることによって推定されるのである。高床の神殿の発達につれて、高床の住居も貴族社会に発達していく。(64頁)

たぶん、生産活動の安定化と身分制とか社会の階層化はシンクロするだろう。生産活動を工夫したり、それにまつわる知見を持っていたりする人々は余剰生産物を獲得したり、指導的役割を担ったりして階層上部を形成するようになり、そうでない人々は下層に取り残されるのだ。生産という社会の主流では存在感を発揮できなくても、神事的芸能や周辺にある細々としたことに長けている人々はその方面で活躍できただろう。しかし、それは生産の余剰がそうした周縁を養うに足る規模にあればこそではなかったか。あるいは、そうした唯物論的な見方は現実的ではないのか。

単純に人をあっと言わせるようなことがモノを言ったのかもしれない。職人的な仕事だ。鍛冶、大工、薬剤を扱う人、など。科学技術的なことはやはり大きなことだ。呪術的なことと科学的なこととが未分化な段階から、理屈で説明がついて再現ができることが分かれてくれば、人は納得できるものを重く見るようになるだろう。

尤も、そうした流れの先端には、ハッタリとか怪しげなものも入り込んでいただろう。しかし、想像を超えたものを受容する姿勢がなければ、狩猟採集に毛の生えた程度の生活を超えることはできなかっただろう。きっかけは何でもよいのである。嘘のつもりが本当に化ければ結果オーライだ。理にかなっていても実現しなければペテンと同じだ。

富というものは、清濁混合の中から生まれるものだと思う。理屈は後付けだ。納得しようとしてもできないものである。人の世とはそういうものだと思う。

 

岡田英弘『倭国 東アジア世界の中で』中公新書

学校教育を受けていた頃、何の疑問も抱かずに歴史という科目を勉強していた。歴史に限ったことではないが、今にして思えば私の学校教育というものは実にいい加減なものだった。

史実として遡ることができるのはいつ頃までなのだろうか。史料としては古文書や考古学上の遺跡といったものがあり、それらをつないでいくことで全体像が明らかになる、というのはその通りかもしれない。しかし、そうした断片をつなぐにはある程度はっきりした接合面が必要だろう。接点が十分に見いだせるのはいつ頃までなのだろう?人類の誕生と現在との間を埋めることは、そもそも可能なのだろうか?

本書の書きぶりは歯切れがよい。新書という制約もあるだろうが、論点がきれいに整理されていてわかりやすい。しかし、千男百年も前のことが、そんなにはっきりと語れるものだろうか?

 

南伸坊『おじいさんになったね』大和文庫

たまにこういうなんでもないものを誰かと雑談するような心持で読むとほっとする。本書の場合は、老化に伴う生活上の変化についてわかりやすく書かれているのもよい。眼鏡を忘れやすくなるとか、眩暈のこととか、噎せやすくなることとか、実際的で「そういうものか」と納得して心を平和に保つのに役立ちそうだ。しかし、こういう本はたまに読むからよいのであって、こういうものばかりというのは寂しい気がする。