熊本熊的日常

日常生活についての雑記

しゃれにならない

2013年02月24日 | Weblog

所帯を持って住むところを探さないといけない。たまたま近所に東京R不動産が開発にかかわった賃貸物件があったので予約をして内見に行って来た。元国鉄の官舎だったというテラスハウスなのだが、内部は全部取っ替えに近いリノベーションが施されていた。中だけを見れば惚れ惚れとするような出来で、実際のところ殆どの区画が申し込み済みだった。しかし、地図で見ると明らかなのだが、この物件は鉄道のトンネルの真上にある。何棟か並ぶ一番北側のさらに北は小さな公園のようになっていて、その向こうに旧田端操車場が広がる。その視界の広がりは絶景と呼んでもよいほどだ。ということは、この物件は高台の端に位置するということでもある。その公園の直下がトンネルの出口。トンネルは元は貨物専用線だったが、今は湘南新宿ライナーも通る。直下を列車がひっきりなしに走り、当然に必要な地盤補強がなされているとはいいながらも崖っぷちだ。その状況を愉しむ余裕のある人にとっては即決したい物件だろうが、私は決める事ができなかった。私がそこに住むことになったら、人生の崖っぷちに立つ男が崖っぷちに建つ家に住むことになる。しゃれにならないではないか。


せいしんしゅうよう

2013年02月09日 | Weblog

今日、陶芸では、前週に挽いた2つの徳利と1つの碗の削り作業をした後、2回に分けて全部で7個の徳利を挽いた。1回目の土塊からは5個挽いて、2個目を挽いているときに先生からの指導を受けて、3個目からはまずまずかなという感じだった。5個目の徳利を挽いたところで土を使い果たしたので、時間の関係もあって1回目より量を減らした土を練って、それで挽き始めた。ところが、2個連続で失敗してお釈迦にし、そのあと2個挽いたが、全体として上手くいかなかった。 練りは大丈夫だったと思うのだが、轆轤の上での土殺しがいい加減だったかな、と反省。

作業のなかでは挽きは見た目には陶芸っぽくて華があるが、練りや土殺しはそれ自体何をしているのか本人にしかわからなくて、しかも気にし始めたら際限のないことでもある。しかし、そこをしっかりやっておかないと、その先がない。 そういうところをしっかりできるかできないかというのは、たぶん能力の問題ではなくて精神の問題だろう。外からわかないけれど肝心要のことというのは どんなことにもあって、たまたま陶芸という作業なかでそういうことに対する自分の姿勢が露見したような気がした。

そういうことがきちんとできるようにならなければ今の自分にとっては陶芸をやる意味は無い。 まだ小学校にあがる前に書道教室に通い始めた。先生が「しょどうはせいしんしゅうようです」とおっしゃったのを今でも覚えている。ただ、「せいしんしゅうよう」が何なのか5歳の自分にはさっぱりわからなかった。それが50歳の今ごろになって、ようやくおぼろげながら見えてきた気がする。