熊本熊的日常

日常生活についての雑記

年季明け

2008年03月31日 | Weblog
今の仕事を始めて3年が経過した。自分の意識としては年季明けである。特別な根拠があるわけではないのだが、1つの仕事を3年単位で考えている。職場は特殊事情があって一度変更しているが、仕事の中身という意味ではひとつの仕事である。区切りがつくと晴れ晴れとした気分になる。時、恰も春である。

修道僧か囚人か

2008年03月30日 | Weblog
昨年9月に職場を変え、居住地もロンドンへ移した。以来、良く言えば修道僧のような、悪く言えば囚人のような日々を過ごしている。その所為か、健康に恵まれたいへん結構なことである。

朝は6時半から7時の間に起床する。パジャマ代わりのスエットから部屋着代わりのスエットに着替え、前の晩に洗って水を切った食器類を片付ける。やはり前の晩に使用して、毛髪や垢で汚れた浴槽を軽く掃除する。トイレで用を足し、ひげを剃った後、自己流の体操で身体をほぐす。そして朝食の仕度を始める。朝食の中身は毎日ほぼ同じである。冷凍庫からコーヒー豆を出し、20グラムほど計って、ハンドピックをし、粉に挽く。湯を沸かし、ベーグルをトーストする。シリアルを準備し、湯が沸いたらコーヒーを淹れる。リンゴの皮を剥く。食事が終われば、後片付けをし、歯を磨き、出勤の準備をする。メールのチェックをして、8時45分頃に家を出る。最寄りの地下鉄の駅まで徒歩約30分。地下鉄に乗っている時間は約3分。駅構内を歩いたり、電車を待ったり、職場のあるビルのなかを移動したりする時間もあるので、職場の自分の席に着くのは9時半頃になる。

職場では、まずパソコンを立ち上げ、仕事を始める。途中、昼時に手の空いた頃を見計らって食事を買いに階下の社員食堂へ行き、買って来たものを自分の席で食べながら仕事の続きをする。仕事は単調だ。多少の技が要求される局面が無いことも無いが、総じて単純作業の繰り返しである。午後5時から6時の間に仕事を終え、出勤とは逆の経路で帰宅する。途中、スーパーに立ち寄り、その日の夕食の食材を調達する。

帰宅するのは、職場を出て約1時間後だ。部屋着に着替え、夕食の仕度をし、食べ、後片付けをする。パソコンを開き、家計簿をつけ、メールをチェックする。そのままうだうだとネットを眺めていることもあれば、本や雑誌を読んだり、資格試験の勉強をすることもある。つい、うとうとしてしまうことも多い。午後11時頃にはシャワーを浴び、再び本や雑誌を読み、午前1時から2時の間に就寝する。

こんな毎日の繰り返しである。尤も、同じことの繰り返しが、必ずしも退屈ということではない。「同じこと」と書いたが、毎日の暮らしのなかで、同じことなど何も無い。日々刻々何かしら変化がある。天候、体調、気分、通勤途上で通りかかる工事現場の進捗、ガスタンクの高さ、草木の芽吹き、上空を行き交う航空機の飛行コース、その他諸々。同じことを繰り返していると、同じことが無いことに気付くのである。自分自身も変化しているということだ。修道僧の修行や囚人の懲役の意味が少し見えた気がする。

娘へのメール 先週のまとめ

2008年03月30日 | Weblog

お元気ですか? パソコンやカメラは毎日いじって、使いこなせるようにしましょう。カメラバックは応募しましたか? あれは便利だと思いますよ。

東京は、もう桜が盛りを過ぎようとしているようですが、こちらは、なかなか春らしい気候にはなりません。それでも、今日からサマータイムが始まりました。日本との時差は9時間から8時間へ、1時間だけ縮まります。

休暇開け、最初の週は長く感じられました。こちらはイースターの休暇を楽しむ人が多く、職場は普段に比べると人が少なく感じられます。水曜日にロンドン勤務の日本人の集まりがあり、久しぶりに大勢で食卓を囲むという場に出かけてきました。ロンドンの社員数は約1万2千人ほどですが、そのなかで日本人はわずかに20数名です。そのうち日本語に堪能な中国人1人を含む9名が参加しました。話題は専ら現在準備中と見られるリストラ第二弾のことでした。9人の所属がばらばらなので、様々な部署での様子が伝えられますが、どこも悲惨な状況のようです。今月末発表説、というのがあったので、東京の同僚に、そんな話題があるようだけど、と、メールを出してみたところ、東京では5月9日説が流れているとのことでした。こんな陰気な時期こそ、投資には絶好の機会と、私の眼には映るのですが、先立つものが無いので残念な気分です。

先週は、東京で買った、青柳恵介「柳孝 骨董一代」(新潮社)を読みました。これは芸術新潮という月刊誌に連載されていた京都の古美術商、柳孝氏と彼が扱った名品と呼ばれる品々とのかかわりについてのエッセイをまとめたものです。写真が美しく、文章も読みやすいので、どこを開いても楽しく読むこと
ができます。今回の休暇の間、出光美術館で西行の墨跡を観たり、たまたま通りかかった骨董市をのぞいたり、益子を訪ねたりしましたが、骨董の世界というのはとても面白いものです。

どんなものであれ、物にはそれぞれの来歴というものがあります。そうした時空の蓄積の上に、目の前の物が存在しているのですが、そこにどような価値を見出すかは、見る人次第です。勿論、来歴が明確で、市場での評価が固まっているものなら、その価値は市場価格によって表現されます。しかし、一見して
価値が分かる物というのはむしろ稀で、骨董あるいは古美術と呼ばれるものの殆どは、単なるがガラクタと見分けがつかないものです。そこに、人の世界のいろいろな不思議が見えるような気がするのです。同じ来歴の茶碗でも、誰の所有物であったかによって、価値が違ってしまったり、作者の評価が変わるこ
とで、その作品の評価が変わってしまうことも当たり前です。物の美しさとか価値というものは、絶対的なものではなく、我々の社会のなかの関係性の上に成り立っているということがよく見えてきます。ようするに、物理的に明確な存在であるはずの物ですら、その価値に絶対的というものはなく、人の世界と
の関わりのなかでのみ位置づけられるということです。とすると、美しい、ということはなんと儚いことなのかと思わずにはいられません。おそらく、人の感性という個人的なものであるように見えるものも、関係性によって外部から規定されているのかもしれません。「私」というのは実在ではなくバーチャル
リアリティのようなものなのでしょう。

もうすぐ新学期が始まりますね。2年生の学習内容は1年生のものよりかなり難易度が高くなるはずです。しっかり勉強して下さい。そして、ものの価値をきちんと見分けることができるような人になってください。

カードを送ろうと思い、カードを買ったのですが、まだ書いていません。パソコンのことを書くつもりでいます。もう少し待ってください。

では、また来週。

 


夏時間

2008年03月29日 | Weblog
明日から夏時間である。一度、標準を決めておきながら、自分の都合に合わせて、その標準をずらしてしまうというのは、いかにも西洋的な感じがする。常に世界の中心に自分があり、その意に添わないものは力づくでねじ曲げてしまう。そのねじ曲げられたものこそが合理的であるとして、それが都合に合わなくなると、また変えてしまう。

かつて奴隷貿易で巨万の富を築きながら、今は人権やら民主主義の価値を真顔で語る。かつて工業化で自然を破壊し尽くしておきながら、今はエコロジーを語る。そういう節操の無さに人間性というものがあるらしい。

利用者不在

2008年03月28日 | Weblog
昨日、ヒースロー空港の新ターミナル(第5ターミナル)が開業した。BA専用の施設で、総工費43億ボンドをかけた最新鋭施設だそうだが、開業初日に荷物の運搬装置が機能せず、35便が欠航を余儀なくされた。応急措置として、BAは機内預け荷物の受け入れを制限し、7便は機内預け荷物をひとつも積まずに離陸したという。(以上、3月28日付けCITY A.M.紙に拠る)

空港運営会社BAA発行の”Terminal 5: Information”によれば、開業へ向けた予行演習は昨年9月に開始されている。荷物の搬送システムというこの施設の目玉とも言うべき設備が、入念な準備にもかかわらず、何故、機能しなかったのだろうか。

この国で暮らして感じるのは、実際に使う人のことが考慮されているとは思えない施設が多いことである。毎日通勤で利用する地下鉄が、車両や信号の故障で頻繁に不通になることは以前にも書いたが、駅の構造も妙である。例えば、私の職場の最寄り駅では、プラットホームと改札階との連絡はエスカレーターとエレベーターだけで階段が無いのである。朝の通勤時間帯には、到着する列車から多くの客が吐き出されるが、その人たちがエスカレーターの乗り口に集中し、ホームは人で溢れかえる。万が一の事態があれば、エスカレーターに人が集中して、混乱が生じることは容易に想像がつく。ほかにもいろいろあるのだが、生活上の小さな不満は数限りない。

おそらく、問題の搬送システムも、作業員の操作の便を考慮していなかったのではないだろうか。この国の仕組みとして、手先を動かし、汗水を流すことへの敬意が無いように思う。メディアでは、人権がどうの、フェアトレードがどうのと賑やかな割に、差別意識は人一倍強く、地道な労苦を厭う傾向があるように感じられる。

幸か不幸か

2008年03月13日 | Weblog
若い頃は旅行が好きだったが、歳を取ると移動が億劫になる。今日はロンドンから12時間かけて東京までやって来た。休暇なので、当然エコノミークラスである。ところが、搭乗口の受付で、チェックインの時に指定された座席が変更になった。頼みもしないのに、エコノミーからプレミアムエコノミーへアップグレードされたのである。どの程度の違いがあるのか知らないが、取り敢えず幸運なことだと感じた。

搭乗してみると、プレミアムエコノミーというのは、シートピッチはエコノミーとたいして変わらないが、シートが大きめであるようだ。ところが、近くで赤ん坊の泣き声が聞こえる。私の席の斜め後方に、赤ん坊を抱いた東洋系の女性の姿があった。この赤ん坊、12時間の飛行時間のうち、約半分程度を泣いて過ごしていた。座席に置かれていたアメニティキットには耳栓もあったが、とにかく不快この上ない飛行だった。

飛行中の航空機内部はエンジン音が響き渡り、空気が極端に乾燥した過酷な環境である。どのような事情があるのか知らないが、そんなところに赤ん坊を長時間閉じ込めるというのは、可能な限り避けるべきではないかと思う。赤ん坊自身の健康にとっても決してよいことではないし、乗り合わせた乗客にも迷惑である。航空会社は2歳以下の人間を無料で搭乗させているが、逆に大人の倍の料金を徴収するなどして、赤ん坊と周囲の乗客の不幸を回避するべきではないかと思う。

お気に入りの場所

2008年03月01日 | Weblog
職場と家との往復だけの毎日なのだが、たまに寄り道をすることもあるので、最近はお気に入りの場所もできてきた。

いつもそこへ行くと思わずにんまりしてしまう場所がある。Victoria and Albert MuseumのSouth AsiaのコーナーにあるTippoo’s Tigerの前である。これは虎がイギリス兵を喰い殺す姿の像である。虎は牙を剥き、その牙がイギリス兵の首の付け根に刺さっている。イギリス兵は眼を剥き、その視線は宙を彷徨っている。18世紀の終わり頃にマイソールで作られたものだそうだ。これはただの像ではなく、虎の体内にオルゴールのような仕掛けが組み込まれていて、虎の肩から突き出ているハンドルを回すと音楽が奏でられるようになっているようだ。マイソールと言えば、イギリスの植民地支配に徹底的に抵抗した国であり、Tippooとはその最後の王である。彼は第四次マイソール戦争で戦死、マイソール王国はイギリス支配下に収められた。こんな像を作るほうも作るほうだが、それをこうして大切に保管するイギリスという国も度量の大きな国である。

ほかにNational Galleryも良い。ここはどこをどのように観ても良い。ここは毎週水曜日が夜遅くまで開館しているので、水曜は仕事帰りに立ち寄ることができる。夜の時間帯は閉鎖されている部屋も少なくないのだが、キュレータートークを聴くことのできる作品もある。広い美術館なので、まだ全容を把握していないが、足繁く通ってみようと思っている。