熊本熊的日常

日常生活についての雑記

読書月記 2016年11月

2016年11月30日 | Weblog

鶴屋南北 『東海道四谷怪談』 岩波文庫

購入したのはそれほど前のことではないのだが、購入理由が思い出せない。たまたま、今年は歌舞伎の「忠臣蔵」を観劇する機会に恵まれ、先月と今月の2回の公演で大序から七段目までは観た。その関連として「四谷怪談」を手にすることになったので、恐らく購入時点よりは興味深く本書を楽しむことができたと思う。

「四谷怪談」は「忠臣蔵」のサイドストーリーとして作られている。岩波文庫版の解説によれば、「四谷怪談」は文政8年(1825年)7月に中村座に書きおろされたものだそうだ。上演に際しては「忠臣蔵」の一部のように構成されたという。第一日目に「忠臣蔵」大序から六段目までを出し、二番目狂言として「四谷怪談」の三幕目まで、第二日目に「忠臣蔵」七段目以下と「四谷怪談」三ー五幕目、最後に「忠臣蔵」討ち入り、という具合だそうだ。「四谷怪談」三幕目は両日にかかっていた。「四谷」の登場人物には主人公とも言える民谷伊右衛門が塩谷の浪人という設定だ。そういうわけで、歌舞伎のほうの「忠臣蔵」を思い浮かべながら読むことができた。

話としては、伊右衛門がトンデモナイ奴で、そのトンデモナイ分、彼に捨てられたお岩の幽霊に怖い目に遭わされる、というものだ。「四谷」といえばお岩なのだが、「忠臣蔵」との関連で見れば、「忠臣」とは言い難い伊右衛門が「忠臣」から排除される物語であるとも言える。つまり、「四谷」は「忠臣」四十七士の英雄としての純度を高めるサイドストーリーとして機能している、と思うのである。

伊右衛門は何故「忠臣」としてふさわしくないのか。伊右衛門は藩の御用金を横領したらしい。そういう噂があり、実際にお岩との婚礼に際して結納の帯代として贈った金子に塩谷の極印があったというのである。それで舅の四谷左門はその金子には手をつけずに伊右衛門へ返し、懐妊を機に実家に戻ったお岩も伊右衛門のもとへ帰さずに婚姻を破棄すると通告してきた。因みに、横領を許してしまった預かり方、早野三太夫は御用金紛失の責任を取って切腹する。三太夫の子が早野勘平。「忠臣蔵」の芝居では重要な役回りを演じる人物だ。というわけで、伊右衛門が「忠臣」としてふさわしくないのは、藩金横領の罪があることが理由のひとつである。

さらに伊右衛門は横領の事実を知った舅左門を殺害する。そうとは知らないお岩に対し伊右衛門は舅の仇を討とうと言ってお岩を取り戻す。そして男児を出産。しかし、お岩は産後の肥立ちが悪く床上げできない。浪人の伊右衛門は横領した金などとっくに使い果たし、困窮の度を深めてただでさえ薄い恒心を失う。そこへ隣家の伊藤喜兵衛から使いが来て、出産祝いの品々と「血の道の妙薬」という粉薬を持ってくる。伊藤喜兵衛は塩谷の仇である高師直の家臣、孫のお梅が伊右衛門に恋煩い、孫の思いを叶えてやりたい一心で伊右衛門を釣ろうというのである。「妙薬」は毒、お岩に飲ませて離縁に持ち込もうという魂胆だ。体調のすぐれぬお岩は隣家からの祝いの品のひとつとうこともあって「妙薬」を飲む。その所為で顔がああいうことになるのである。果たして、喜兵衛の思惑通り、伊右衛門はお岩と離縁してお梅と婚姻することに、それは高師直の家臣になることでもあった。

という話が「忠臣蔵」と一体となって演じられたわけである。「忠臣蔵」のほうは仇討ちありの、勘平おかるの恋話ありの、大河ドラマ。大衆演劇として盛り込めるものは全て盛り込んだ大エンターテインメントがここに現れるのである。今の時代に「忠臣蔵」だけを見れば、何故この作品がこれほど長い期間に亘って演じられるのか素直に理解できないのだが、現代のメディアが存在していなかった時代に現代のメディアで大衆の耳目を集める要素をてんこ盛りにした演劇がどれほどの熱狂で人々から迎えられたか、と考えると「忠臣蔵」の偉大さがよくわかる。逆に言えば、現代のエンターテインメントは専門組織によって企画されたものもSNSでの諸々も「忠臣蔵」を超えていないということでもある。改めて、人は変わらないものなのだとの思いを強くする。

 

赤瀬川原平 『新解さんの謎』 文春文庫

いつのまにか始まった自分のなかでの赤瀬川ブームに乗ってブックオフで購入。まだ読了していないが手元にサンキュータツオ著『国語辞典の遊び方』があるが、ここでは「オススメ辞書ガイド」の二番手に「新明解国語辞典」を挙げている。「新明解」が辞書の売り上げのトップであることを指摘しているが、『新解さんの謎』についての言及はない。サンキュー氏には考えがあってのことだろうが、「新明解」の売り上げと「新解さん」との関係がないわけはないだろうに、敢えて触れないのも不自然だ。ま、そんなことはどうでもよい。

文春文庫版の本書には表題の「新解さんの謎」と「紙がみの消息」が収載されている。「紙がみ」のほうは雑誌「諸君!」に「紙がみの横顔」として連載されていたのをまとめたものだそうだ。「新解さん」は辞書の楽しみ方とか、辞書という権威へのツッコミという視点が本書初出の頃は新鮮だったのだろう。今読んで陳腐な感じがするわけではないのだが、新鮮な印象はもはやない。時代が本書初出の頃に追いついたということかもしれない。むしろ「紙がみ」のほうが私には興味深かった。

「紙がみ」に取り上げられている「紙」はチラシ、紙幣、写真、おみくじ、鉄道の切符、郵便、紙吹雪、投票用紙、コピー用紙、名刺、年賀状、手帖、ペーパータオル、切手、などである。紙にまつわるものとして筆記用具、紙の余白、文字なども話題にしている。これらのなかには現在においては昔話の領域に入ってしまったものもあれば、今なお鮮度を保っているものもある。昔話になってしまった原因は、主としてテクノロジーの変化だ。

切符のところは「最近の電車の切符の変化は著しい」という書き出しだが、そこからさらに変化したのが今である。毎日のように通勤やらなんやかんやで鉄道を利用しているが、通勤定期はスイカで、ちょっとくらいの遠出はそのスイカで済んでしまう。自分が目にする駅の風景でも「ピッ」と改札を通過する人が多数派だ。つまり、そこに紙はもはや介在していないのである。航空券も昔はカーボン複写式の冊子だったが、今はネットでチェックインできるので、荷物がなければ空港の航空会社のカウンターをパスして搭乗できてしまう。新聞雑誌の購読者が減少して新聞社や出版社の経営を揺るがしているのは周知のことだし、年賀状が減っているというのはこのところ毎年のように言われている気がする。本書では年賀状についての章題が「正月一日に発表される紙のゴミ」だ。年賀状がネットでのやりとりに置き換わったという面もあるだろうが、より根本的には交通や通信の変化が社会や人間関係を変化させたということだろう。

紙とは何か、紙の本質を一言で表すとどうなるか、と考えたとき、私の回答は記憶媒体だ。テクノロジーの変化によって紙に代わる記憶媒体が普及したということが社会や人間を変化させているのではないだろうか。つまり、物事がことごとくデータ化されてやったりとったりされるようになったということなのだと私は理解している。人間というものがデータの塊と見れば、データの塊の生活は当然にデータ化が可能であり、世間丸ごとデータで表現できる、ということなのだと思う。切符やメディアから紙がなくなっていくのは、データ化が容易にできるものが紙に依存しなくなるということだ。ある人が何処へ行こうとしているのか、その人がそこへ行くのに足る費用を負担する能力があるのか、というようなことが一見して判別可能ならば、わざわざ紙に書いて所持する必要はないのである。行きたいところに行く電車なり飛行機なりに乗れば済むことだし、現金以外の決済方法で代金を支払うことができるなら紙幣や貨幣を所持しなくてもいいのである。メディアにしても、欲している情報つまりデータを得ることができればそれで用は済むわけで、そのデータが紙に書かれていなければならない理由などないのである。

では、さらにテクノロジーが変化して紙は不要になるのか?そんなことはわからない。どうしても紙に書かないといけないことというのはあるのではないか。紙に書かないと表現できないことがあるのではないか。私はあるような気がするのだが、そういう気がするのは単に思考が習慣に流されているだけのことかもしれない。人生の残り時間が少なくなってきたので、紙でなければならないようなことにこだわって生活してみたいと思っている。そのほうが面白そうだから。

 

 佐々木史郎 『シベリアで生命の暖かさを感じる』 臨川書店

今月の国立民族学博物館友の会の東京講演会は佐々木史郎先生が講師。本書と同じタイトルでの講演だ。それで講演会までに読んでおこうと思ったのだが、読了したのは講演会後数日経過していた。講演は私のような素人相手のものなので、そういう人が素朴に興味を持てるように極寒の人間の生活をおもしろおかしく語ったものだった。しかし、本書の内容はもっと深い。

日本は辺境の吹き溜まりのような土地で、だからこそ、神話的な時代から今日に至るまで連綿と歴史を紡ぎ続けることができたのではないだろうか。世に飢餓や絶えざる紛争に見舞われている人々は、それ以前は遊牧や移動の自由があって、自然の脅威には晒されていただろうが、それぞれの身の丈で生活をしていたのではないか。それがそれらの人々の外部に在る政治的な強権で移動の自由を失ったことで、身の丈のそれなりに安定した生活も失ってしまったのではないか。みんぱくの先生方が執筆された臨川書店のフィールドワーク選書を読むのは本書で9冊目になるが、読む毎に政治が人を不幸にしているとの思いが強くなる。本書の最初のほうにもこのような記述がある。

シベリアなどの寒冷地の現実は厳しい。その中で生き抜くためには、多くの困難を克服しなければならないのも事実である。しかし、そこで暮らす人々の間で同じ生活をしながら調査をしていると、そこで感じる厳しさ、冷たさは実は自然環境から生み出されるものではなく、人が作り上げたものであることに気づいてくる。しかもそこで暮らす人々が作り上げたものではなく、そこに住んでもいないのに、そこを支配し、その資源を収奪しようとする人々が作り上げたものである。(10頁)

日々の暮らしを守るだけなら、何かを過剰に消費することはない。だから過剰に生産したり狩猟採取する必要もない。必要なものを、多少の予備を加えた程度に生産する分には、何かを過剰に破壊したり他所のものを過激に奪おうとしたりしなくてもよいはずだ。身の丈を超えて消費するのは、結局のところは己の存在に対する不安にすぎないのではないか。あるいは、自分の身の丈がわからない所為だろう。なぜわからないかといえば、生活が自然から切り離されて身の丈を実感する経験に乏しくなってしまった所為もあるだろうし、身の丈を実感できないことからくる不安を抑えるべく際限のない消費蕩尽に固執する所為もあるだろう。身の丈、つまりは自他の距離がわからないのは、自分が空であるがために、そもそもそ自分の尺度を設定できないということではないか。自分のことすら自分で考えたり決めたりできない、その不安を克服するために、まるで中毒に罹ったように自分を飾るための所有に固執するのである。不安の原因は己の空にあるのだから、いくら他所からモノを集めたところで不安が解消するはずはないのだが、それがわからないのだからしかたがない。所有に固執し、右往左往し、つまらないことで他人と諍い、己の空が埋まらないまま、哀しく死ぬのである。

 

田中克彦 『ことばとは何か 言語学という冒険』 ちくま新書

田中先生の著書が『打ちのめされるようなすごい本』に紹介されていて、それをブックオフで買った折に、送料を無料にするために購入したのだと思う。今となっては、なぜこの本が自分の手元にあるのかわからない。しかし、 買っておいてよかったと思う。恥ずかしながら、いままで自分が使っていることばというものについて考えたことがなかった。田中先生の本を読むと、ことばというものを考えたことがなかったことに気づかされる。たぶん、田中先生の著作に出会うことがなければ、私は今よりももっと阿呆のまま生を終えてしまっただろう。阿呆に程度の差があるのかどうかわからないが、とりあえず多少はマシになったことに安堵する思いがする。かといって、もっと若い頃に読んでも素直に受け容れることができなかったかもしれない。ことばというものを考えてみて、どのようなことにはたと思い当たったのか、というようなことを書き連ねるだけの文章力は私にはない。ただ、読んでおいてよかったと思うのである。

以下、備忘録として少しだけ引用しておく。

自然とは、類推という、どの人間の心の中にも常に生きてはたらいている、ものごとを秩序づけようとする心理作用にもとづいているからである。こうした自然な心理作用に抗して、歴史的な形を残して行くには、慣習と規範の強制力を常にはたらかせ、それを維持して行く機構がなければならない。慣習とは社会的な制裁を伴っており、機構とは、たとえば学校である。(46頁)

文字という点では日本は特別な事情にある。まず漢字は外から受けとったものであり、かなは、それを日本語のために改造したものである。どちらが日本人の工夫を示したものかといえば、それは当然かなである。ところが漢字はしばしば「本字」と呼ばれて正統とされるのに対し、「かな」とは「仮りの名」であり、いずれは本字になおさねばならないという含みが入っている。ここには日本人の意識の伝統の底に流れる本家尊重、別のことばで言えば、日本で自前で作られたものにはすぐれたものはないという劣等意識がある。(82頁)

言語は、それを用いる人間がいなければ現れるはずのないものにもかかわらず、といって、人間の意志の思うがままに作りかえることができず、その点では、まるで人間とは別に、人間に依存せず、むしろ人間の外にあるかのようである。(160頁)

 


ボジョレーの頃 4年目

2016年11月20日 | Weblog

2013年に初参加で、その後2014年、2015年、そして今年、妻の友人宅に泊まりがけてお邪魔してボジョレーヌーボーとご馳走と楽しいおしゃべりに興じた。このブログにも2014年2015年に書いている。今年は昨年と同じ面子だ。あいにく、私が勤務先の研修に参加をするため午前5時過ぎまで職場にいて帰宅が午前6時半を回ってしまい、それから11時頃まで軽い睡眠を取るというような状況で、晩餐でワインがいただける身体の余裕があるかどうか不安だった。しかし、そうした不安も結果的には杞憂だった。ホスト役がワイン通で少しくらい飲み過ぎてもどうこうなるような野暮な酒とは無縁だったこともあり、ただただ楽しく過ごすことができた。酒は百薬の長という。ちゃんと造られたものを適度に呑む分には何の障りもないのである。

ところで年齢を重ねるということだが、今年はホスト役のご主人が勤務先を定年退職となった。これで今回参加の6人のなかで統計上の「労働人口」に属するのは私たち夫婦だけになった。尤も、私たちの場合は統計上の分類がどうあろうと、現実に所得源となる仕事がいつまであるかということについてはまことに心もとない。このブログにも折に触れて「自立しなければ」と書いてきたが、いつまでたっても自立できないのはひとえに私の怠慢の所為だ。困ったことである。自立がままならないままに諸々始末を考えないといけない時期になってきた。それも折に触れて書いていることだ。昨年の今時分にも書いていた。ま、いいか。

今年は昨年に比べて滞在時間が短かったのと、スマホのカメラの調子が一月前あたりからおかしくなっていることもあって、自分では写真を撮らなかった。いつだったか忘れたが、このブログには必ず写真をつけると決めたので、今回は一昨年のボジョレー会のときに参加者全員で遊びに出かけた折にホスト役のご主人が撮影した紅葉の写真を載せておく。今年は紅葉が遅いので、こんな鮮やかな葉はまだ見られないが、本来はこういうものが目を楽しませてくれる季節だ。

 


マーマイト

2016年11月01日 | Weblog

『月刊みんぱく』の10月号の「味の根っこ」というコーナーにマーマイトが紹介されていた。イギリス発祥のペーストである。少し長くなるが記事の一部を引用する。

「この黒くねっとりとしたペースト、独特の匂いと味をもつ。あえていえば、醤油や味噌の濃度を限界まで上げ、そこに少しビールを加えた匂いだ。舐めてみると、かなり塩辛い。知らずに多量に口にすると、むせこんでしまう。そのため、イギリス人のあいだでも好き嫌いがはっきり分かれる。」

なんとなく悪意のある紹介の仕方のような印象を受けるのは私だけだろうか。さらにこのような記述もある。

「わたしが初めてマーマイトを目にしたのも、あるゲストハウスの朝食の席であった。容器からジャムの一種かと思ったわたしは、ふたを開けて、そのあまりの「臭さ」に絶句した。」

なんと大袈裟な書き方だろう。これを書いているのは大阪物療大学助教の河西瑛里子氏。私はイギリスで通算4年ほど暮らしたが、このマーマイトの存在に全く気がつかなかった。さっそく普段の生活動線のなかで探してみると、職場近くの明治屋でマーマイトのオーストラリア版ともいえるベジマイトを発見、通勤途上の成城石井でマーマイトを発見した。

この「みんぱく」の記事を読んで身構えていた所為もあるかもしれないが、「絶句」するほどのものとは感じなかった。尤も、五感にかかわること、殊に味覚にかかわることは個人差が大きいので、絶句してしまう人もいればそうではない人もいるというだけのことだ。マーマイトとベジマイトはどちらもビールの酒粕のようなものだが、ベジマイトのほうが練りが硬く、香りも「強力わかもと」とか「エビオス」といったビール酵母薬のような雰囲気がある。マーマイトのほうはベジマイトよりは自然な感じで練りも緩い。香りは京都の大徳寺納豆を連想させるようなものだ。

トーストに塗って食べているが、レタスとアボカドも一緒に乗せていただいている。「みんぱく」記事にカレーの隠し味に使ったという記述もあったので、カレーにいれてみたが、入れた量が少なかったのか、それで味がどうこうとは思わなかった。妻があれこれ用途開拓を試みているが、野菜スープの味付けにしたものは美味しかった。

余談だが、マーマイトもベジマイトもガラス容器に入っている。近頃こういうものの容器は樹脂製が主流になりつつあるようだが、やはり食品はガラスの容器に収まっていて欲しいものだ。容器のデザインも良い。中身も嫌いではないが、容器が気に入った。