熊本熊的日常

日常生活についての雑記

『墨攻』考

2013年01月26日 | Weblog

新潮文庫版の113頁にこんなことが書いてある。 「結局、守禦術の極意は民心の統御なのである。民に不満を起こさせたり、疑惑を抱かせたりすることが敵より恐ろしい。そのためには信賞必罰を旨とし、決して不満を起こさせないようにする。つねに民の和合を計るように気を配る。民心の和合こそがいかなる守城設備よりも重要なものであった。これさえあれば土塁も堅城となり、城は不落の要塞と化す。」

これは戦術という技術の問題にとどまらず、様々な事に敷衍できるように思う。精神論だけに走って物量を軽視しては戦術以前に戦いというものが成立しないのだが、気持ちの問題が大きいことは確かだろう。それは組織においても個人においても同じことのように思う。ただ、組織となると価値観の異なる複数の人に対して同じ思考の方向性を与えるという無理難題がある。複数という場合、単に頭数で多数派を掌握すればよいということではなく、全体のツボとなるような個人や機能を押さえてこそ、組織を統御することができるものだ。

とはいえ、そのツボでさえ、全てを押さえるのは不可能に近いのではないだろうか。この小説の主人公は内なる敵によって倒されてしまう。それは、吃緊の重大事を目前にしてさえ、それを重大事とは認識しない者が権力中枢に存在していたからだ。大事を成すのに思い込みは必要だ。それによって道筋を想定することができ、道筋を想定することで具体的な対応策を練ることができるからだ。しかし、自分と似たような立場にあるものが皆同じように当座の目的を共有しているという思い込みは危険だ。人の心を無視して物事は進まないのだが、形の無いものをどうこうすることで成り立つものというのは、本来的に不安定だ。


Tacit Prediction

2013年01月19日 | Weblog

日本民藝館で「新館長と語り合う会」に参加する。昨年7月に館長に就任した深澤直人氏はいまさら説明の必要がない著名なデザイナーだ。今日はデザイナーという立場で民芸あるいは民藝館を見たらどうなのか、というような話だった。時間的には過半を占めていたが、前段としての話はデザインとは、というテーマ。これがたいへん興味深いものだった。

結局、デザインという仕事は、人とモノとそれらを取り巻く環境の間にある、目には見えない関係性に輪郭を与えることらしい。その輪郭が適切なものであれば、おそらくそれは美しいと感じられるのだろう。つまり、美とは調和の表現形ということになる。目には見えないこと、暗黙のことを見えるようにすることが、その世界にとっての価値であるとするなら、デザインの価値は美を見出すことの価値である。

人とモノと環境は常に変化している。だから、これらによって規定される美もまた常に変化する。同じものが、置かれる場によって美しくも見えれば、そうでもないこともある。環境というのは、そこにある人やモノが共有する経験や文化という「場」のことだ。形とは、そういう環境のなかにある人とモノとの関係を表現したもの。デザインあるいは美というのは、変動し続ける関係性のなかに普遍性を見出すという多体問題のような至難のことでもある。 この多体問題への取り組み方として、深澤氏はパズルのピースを例に語っていた。一つ一つのピースを追求するのか、ある程度出来上がったパズルの欠けたピースを探すのか。欠けているところにぴたりと嵌るピースを見つけることができれば、たぶんそれは美しいものになる。嵌らないものを無理矢理押し込めば、パズル全体が破綻するというのである。 この話を聴いて、今の時代の息苦しさは、嵌らないものを無理矢理押し込もうとする姿勢が自分にも世の中にも当たり前にあるからではないかと思った。なぜ無理矢理になるかといえば、おそらく環境が見えていないからだろう。環境は一目瞭然というわけにはいかない。その人なりの試行錯誤を重ねて漸くなんとなくイメージできるようになるものではなかろうか。しかし、そういう悠長なことが通りにくい、あるいは通りにくいと勝手に決め付けてしまいがちな時代になっているような気がする。


正月に散策

2013年01月03日 | Weblog

天気が良かったので、昨日今日と昼間は特にあてもなしに外出した。昔と違って、今は2日から営業をしている店が多いので、腹が減っても旨い店に入ることができるし、不意に思い出して入手しなければならないものがあっても、徒歩圏内でたいていのものは揃う。尤も、そうなると商売をしている人は休んでいられないということになる。節目の行事が軽くなるということは、それだけ忙しない時代ということでもある。

昨日は昼前に出かけて、駒込の小松庵で蕎麦をいただき、六義園を散策してから、旧古河庭園、飛鳥山公園を経て、王子稲荷にお参りをして、都電で戻って来た。たまにこの経路で散策をするが、正月で往来が閑散としている通りを歩くのも気分が良いものだ。

巣鴨駒込界隈は寺社仏閣が多い。巣鴨の住処から駒込へ向かう途中、本妙寺の前を通って染井霊園を抜けたのだが、どちらも著名人が眠る場所だ。本妙寺は遠山金四郎影元や千葉周作の墓があるほか、囲碁家元本因坊歴代の墓もある。遠山の金さんというのはいつの時代の人なのかと思っていたが、かなり幕末に近い時代と知った。また、この寺には明暦大火供養塔もある。明暦大火当時、この寺は本郷丸山、現在の文京区本郷5丁目にあったが、1910年に現在の場所へ移転している。明暦大火の火元として本郷にあったこの寺の名が挙がることがあるが、今となっては真相は藪の中だ。染井霊園は桜の名所でもあるが、岡倉天心や高村光雲・光太郎・知恵子、安岡正篤といった人たちが眠る場所でもある。

六義園から旧古河庭園を経て飛鳥山までは本郷通りを歩く。これは江戸時代の日光御成街道がもとになっている。御成街道というのはいわば将軍専用道路だが、将軍だけが通行を許されたというわけではなく、当たり前の街道として利用されてきた。旧古河庭園と飛鳥山の間に西ヶ原一里塚がある。ここは江戸を起点にすると本郷追分の次の一里塚。日本橋から約8キロということになる。道路の真中に榎が何本か植わっているほか、道端にも石垣を巡らした榎の植え込みがある。以前暮らしていた板橋にも、志村坂上に一里塚があったし、都内はけっこう残っている印象がある。

飛鳥山は桜の名所。花見の時期はたいへんな賑わいだが、普段も子供たちの遊び場として人気を集めている。また、ここには3つの博物館があり、なかでも紙の博物館は以前にもこのブログに書いたが、ボランティアの解説員の方の説明もわかりやすく、何時間でも過ごすことのできるところである。ちなみに年末年始は休館だ。

飛鳥山から本郷通りを離れて北へ少し行ったところに王子稲荷がある。ここは関八州の総稲荷。柳沢吉保がここを深く信仰したことが知られており、それと関係があるのかないのか知らないが出世のご利益があるとかで武士の信仰を集めたという。江戸日本橋からは距離にして約10km。江戸時代の人々にとっても少し足を伸ばして行楽するのに良い場所であったようで、広重の『名所江戸百景』にも取り上げられている。王子はここのほかに「王子不動之瀧」と「王子装束榎の木大晦日の狐火」が『名所江戸百景』に取り上げられている。不動之瀧は今は無いが、毎年大晦日には狐に扮した人々が行列を成して王子稲荷へ参る行事は今でもある。

今日はトレーディングポストのセールを覗きに行く。どうも靴との相性がよくない足のようで、快適に履くことのできる靴を入手するのに苦労してきた。この店のおかげで、ようやく靴で泣かされることがなくなった。特に買おうと思っているものがあるわけではなかったのだが、たまたま目が合った店員が、たまたま手にして勧めてくれたものが、冬の新潟市街あたりを歩くのに良さそうに見えたのでサイズを合わせてみた。これから新潟方面との往来ができるので、雪深いところは別途考えるとして、若干足場の良くないようなところを歩くのに適当な靴を用意しておかなければならないと思っていたのである。セールなので現品限りなのだが、サイズがぴったりだったので、その靴を買った。こういうモノとの出会いも縁のような気がする。

日没前に巣鴨に帰投するつもりでいたが、まだ時間に余裕があったので、絵画館に寄ってみた。有名な上に交通の便のよい立地の建物なのだが、いままで足を踏み入れたことがなかった。絵画そのものよりも、そこに並んでいる絵画が語っていることや、この建物の由来が興味深い。この先、何度も足を運ぶとも思えないのだが、いいものを見たという気になった。


『だから、僕らはこの働き方を選んだ』備忘録

2013年01月02日 | Weblog

「物事の多くは、ルールの設定次第で変わってくる。」103頁

「結局大事なことは、ビジョンだと思う。関わるみんながビジョンやテーマに共感し、前向きな気持ちで取り組んでいることこそが何よりも求心力になるはずだ。志を同じくする仲間たちが常に集まっていて、フェアに事が進む場をつくることが重要なはずだ。」112頁

「そもそも、組織というものは都市や街と一緒で、自然に、必然的に生まれた方が強いように思う。」114頁

「僕らは基本的に人は「やりたいこと」に一生懸命になるものだと思っている。」124頁

「そもそも論理的に考えて論理的に判断したら、みんな同じ結論になってしまい、結局他の人と同じことをやるはめになってしまう。」147頁

「たぶん、人が満足に至る構造はかなり直観的なものではないだろうか。考えてみれば恋愛もそうで、付き合う相手を「ロジカルシンキング」で決める人がいたら、相当嫌な感じだ。…(中略)… 論理的であることの怖さは、感覚的にずれていても、説得力があるから通ってしまうことだ。これは怖いことだ。」148頁

「そもそもできることより、できないことを説明するのにロジックは適しているのだ。」149頁

「人間が想像できることには意外と限りがあるから、本当の最高はちょっと考えて最適だと思えることとは違うところにある。」155頁

「人が幸せを感じるのは、何を持っているか、どんなポジションにいるか、といった絶対値とは関係ないと思う。昨日よりも進化している実感を持てたり、先に向けて希望があったり、仲間たちと共に目的に向かう前進にこそ充実感や幸せを感じると思う。」190頁

「人の可能性はもっと偶発的に開いていくものかもしれない。」191頁

 

以前に読んだダニエル・ピンクの『フリーエージェント社会の到来』を思い起こさせた。ダニエル・ピンクは確かゴア副大統領のスピーチライターだった人だと記憶している。日本で「フリーエージェント」なる働き方が一般化するのかどうか、それを読んだ当時は疑問に感じていたが、こうして東京R不動産というものを目の当たりにすると、そういう時代になっているのかもしれないと思う。

東京R不動産の物件は過去に3回内見させてもらったことがある。最初は房総の空き地だった。その物件自体は良かったのだが、周囲の交通に不安を覚えたので、見送った。道が狭い割に大型車両の交通量が多いと感じられたのである。残りの2回は昨年の今時分だ。勤め先を解雇されたとき、転居する場合には引っ越し費用を負担してもらえるとのことだったので、転居先を探したことがあった。たまたまこのサイトで面白そうな物件があったので見せてもらったのである。片方は申し込みをしたのだが、先客に決められてしまった。もう片方も悪くは無かったのだが、立地がしっくりこなかったので、こちらは見送りとさせていただいた。

この本を読んでいて、ふと、白隠の書を思い出した。

「動中工夫勝静中百千億倍」


蕎麦屋の出前

2013年01月01日 | Weblog

口先ばかりで実体が遅延している様子を称して「蕎麦屋の出前」と言うことがある。今の私がまさに蕎麦屋の出前のような状態だ。改めて宣言する。「今年こそは」と。

久しくこのブログが絶えているが、投稿頻度が落ちているのは前向きな事情の為なので、全く気にはしていない。書かなければいけない義理もなければ必要もない。もっぱら手慰なのだから、それが前向きな事情で滞るということは、むしろ喜ぶべきことだ。いけないのは、このブログの元旦の頁を過去に遡って読んでみると2008年からずっと同じことが書いてあることだ。これまでなにをぐずぐずしていたのだろうと、我ながら呆れてしまう。

「今年は、2001年以来、不本意な状況が続いている仕事を、望ましい状況に変えようと考えております。」(2008年)

「今年は日本に戻るので、具体的に行動を起こすつもりでいる。」(2009年)

「私も今年は年男ですのでそれなりにしっかりとしないといけないのではないか、などとつまらぬことを考えないでもありません。」(2010年)

「ここはひとつパルチザンのようになってでも、金兵衛を目指すことが我々ひとりひとりにとって必要な姿勢ではないだろうか。」(2012年)

2012年は、これだけではわかりにくいが、落語の「黄金餅」を題材にして語っている。2011年は実際に見た初夢の話で、今日の話題とは関係ない。

大まかには2008年以降、元旦に「今年こそは」と思っているが、思うだけで次の年の元旦を迎えているということなのである。 昨日、菅野さんを工場に訪ねた。いろいろ話をするなかで、自分の思考が整理されるのがわかった。改めて、世の中の仕組みの根本が見えたような気もした。見えたからといって、即、行動できるわけでもないのだが、見えなければ動きようがない。見えた、と思えただけでも大きな前進だと思う。今度こそ、ほんとうに出前ができるような気がしてきた。