熊本熊的日常

日常生活についての雑記

パリ1日目 Paris City Passport

2014年08月31日 | Weblog

朝早い時間に羽田を発つエールフランスでパリに到着。実際には12時間ほどの飛行だが時差の関係で昼過ぎには到着する。タクシーで宿に直行する。空港から市内までの高速道路は順調に進んだが、高速の出口で早速渋滞に嵌る。高速から一般道への合流地点は蚤の市で有名なClignancourt。来る前に読んだ芸術新潮の「パリと骨董」(2009年4月号)で見覚えのある風景が車窓に広がる。雑誌の記事では市のない日の写真だったので人影は疎らだが今日は日曜日。人も車もごった返している。記事を読んで出かけてみようかと連れと話していたのだが、この風景を見て絶対に足を踏み入れないことに決めた。なんとか渋滞を抜けたと思ったら、よりによって宿のある通りが通行止めになっていて、運転手は細い路地を使って迂回を図る。宿近くの交差点までたどり着いたところでタクシーを降りる。メーターは60ユーロ近かったが、渋滞脱出で見せた手に汗握る運転に敬意を表してチップを10ユーロはずんだ。宿のチェックインは14時からだったので、早く着きすぎてしまうのではないかと心配していたが、渋滞のおかげでちょうど良い時間になった。

日本の宿泊予約サイトで予約したので、本当に予約が入っているかどうか不安だったが、フロントで名前を告げると当たり前のように手続きが済んだ。カードキーを受け取り、ひとまず部屋に落ち着く。簡単に荷物の整理をして、予め予約しておいたParis City Passportを受け取りに観光案内所へ向かう。これはパリ市内の交通乗り放題券であるParis Visit (Zone 1-3)、パリの60の美術館や博物館の入場ができるParis Museum Pass (4 days)、セーヌ川遊覧船Bateaux Mouchesの乗船券、市内観光バスCar Rougesの1日券がセットになったものだ。セットになったからといって割引は殆どなく、バラで買ってもほぼ同じ価格である。しかし、フランス語ができないので、必要になりそうなものを予めまとめて入手しておいたほうが後々の手間がかからないと思い、セットで購入しておいた。

Paris City Passportを受け取るのは地下鉄Pyramides駅近くの観光案内所。Paris Visitは明日から使うことにして、今日はMobiLisを買って使う。前回2008年夏にパリを訪れた時は地下鉄の自動券売機はフランス語だけだったが、今はどの券売機も英語による表示がある。なかには欧州の複数の言語を表示できる機種もある。宿の最寄り駅、地下鉄4号線のChateau Rouge駅の券売機でMobiLisのZone 1-2を買って、遊園地の入口のような改札を通り、南行きの電車に乗る。Chateletで14号線に乗り換えてPyramidesで下車。地下鉄は均一料金なので、降り口には改札がない。駅構内に観光案内所への案内看板があり、その指示に従って地上へ出る。案内所はすぐにそれとわかった。日曜の昼下がりの所為なのか、案内状は空いていて、すぐにParis City Passportを受け取ることができた。係の人が中味をひとつひとつ噛んで含めるように英語で説明してくれた。

案内所はオペラ座とルーブルの中間にある。まずはオペラ座の建物まで行き、次にルーブルへ向かう。ルーブルの中は明日出かけるつもりなので、その敷地を通り抜け、セーヌ川のほとりに出る。ルーブルの裏手から学士院に伸びるPont des Artsは欄干の金網が南京錠で埋め尽くされている。恋人たちがここに南京錠をかけてその鍵を川に投げると永遠の愛が訪れるのだそうだ。どれほどの恋人たちが愛を願ったり誓ったりしたのか知らないが、愛というのは重いものらしく、金網がところどころ南京錠の重さで破れている。ベニヤ板で応急処置がなされているが、そのうち欄干が丸ごと落ちてしまうのではないかと思われるほどに鈴なりになっている。前回はこの南京錠に全く気がつかなかった。

今日は時差もあって疲れたので、ルーブル近くのスーパーですぐに食べられそうなものを買って宿に帰った。


ものがたり

2014年08月23日 | Weblog

東京国立博物館で「台北 國立故宮博物院」を観てきた。本展開催に際してはぎりぎりまで波乱があったようだが、無事に白菜の展示も予定通りに行われ、こうして白菜後も大勢の見学客を集めているのはなによりである。

中国が古い歴史を持っているのは周知のことだが、その歴史の割に残されている文物は少ない。王朝が交代する度に旧王朝の権威を象徴するものが悉く破壊されるということを繰り返してきたからだという。そうしたなかで本展にも比較的多くのスペースが割かれている清王朝時代のもの、殊に乾隆帝のコレクションとされるものが印象的だった。焚書坑儒から文化大革命に至るまで破壊蕩尽が歴史の王道ではないかと見紛うほどの歴史のなかでは珍しく温故知新を地でいくような文化政策を採った時代である。尤も、破壊蕩尽も温故知新も目的は同じで、国家統治の権威付けのためである。いかに自分の権威が正統であるかということを誇示するか、ということに対し、従前の権威を象徴する文物を消滅させるか、過去の権威を象徴する文物を残らず自己のものに取り込むか、という方法論の違いでしかない。

権威の象徴という意味を帯びた文物は、権威の内実を表現していなければならない。具体的には完成度の高さである。その物を製作するのにどれほどの知識、技術、労働力、稀少で高価な資源・原材料などを使っているかということがわからなければならないのである。それによって見る者を圧倒するようなものでなければならない。作った人の個人的な技量技能が注目されるのはまずい。そういう技能を持った人を数多く抱えている朕があればこその文物なのである。だから、そうした文物には作者名は間違っても出てこない。中国の美術芸術に作り手の個人名が登場するのは比較的最近のことだ。

ゲージュツカと呼ばれる人が威張って作ったものには、そう思って見る所為か、どことなく嫌らしさが漂っている。見る自分に我があれば、当然に他人の我を煩く感じるということなのだろう。権力が作らせた文物は、確かに技巧の精緻精密に圧倒されるのだが、そこから先が無いように感じる。「へぇ、すごいねぇ。それで?」と思ってしまうのである。結局、自分と対象物との距離感なのだろう。自分と対象物が何がしかの世界を共有していると感じられなければ、感心はしても感動はしないような気がする。人とモノ、人と人との距離は千差万別だし、同じ相手であってもいつも同じ距離感があるわけではない。人を動かすことがいかに難しいかというのは、そうした個人の日常を俯瞰しただけでもよくわかる。

だからこそ、盛者必衰なのである。権威や権力は必ず見捨てられ、忘れ去られるのである。人やモノに本当に普遍的な力があるのなら、それを破壊しようなどと思う人は現れないだろうし、なによりも世界はもっと平穏なはずだ。贅を尽くし、様々な背景を背負った文物が博物館だの美術館だのという特別堅牢な場所にケースのなかに収められて恭しく展示され、それを金を払って多くの人が見物にやってくるという事実は、人の世が本来的に不穏であることの証左なのではないか。

 


正義幻想

2014年08月22日 | Weblog

衆目の下で氷水をかぶることが流行っているらしい。氷水をかぶって寄付をして次に氷水をかぶる人を指名するのだそうだ。難病のひとつであるALSの研究資金集めキャンペーンなのだという。

私の職場の隣の席の人はALSと闘病中だ。去年、私が今の勤務先に入社するに際し、様々な事務手続きをしてくれた人だが、その時には病状が進行して在宅勤務だった。10月に入社した当初は在宅でも通常の時間の勤務だったが、やがて1日の勤務時間が短縮され、週5日勤務だったのが3日になり、2日になり、今年の3月からは休職状態となった。私が入社する1年前は杖をつきながらも普通に出勤していたそうだ。その人の席は今でも出勤していた頃と同じ状態になっている。いつ復職してもおそらく大丈夫だろう。職場に届く郵便物が机の上に置かれているが、よく見ると一昨年のクリスマス頃のものがある。たぶん、これらの郵便を宛名の当人が読むことはないのだろう。

生きている者は誰でも必ず死ぬのだが、死に方はひとそれぞれだ。できることなら安らかに死を迎えたい。しかし、それぞれの事情で必ずしもそうはならないこともある。誰もが安らかな死を迎えることができるようにするのは善いことであって、そのために皆が助け合おう、というのが氷水をかぶって寄付をすることの趣旨なのだろう。でも何故ALSの治療だけが対象になるのだろうか?難病は他にいくらもあるだろうし、天変地異で安らかな死を迎えることができない人も大勢いるだろう。なぜALSだけなのか。

 


四万十ドラマ

2014年08月19日 | Weblog

8月13日に「砂糖不安」というブログを書いた。そこにあるように8月12日に四万十ドラマという地元の物産を扱うサイトで菓子と野菜を注文した。ここは商品がいつ届くかわからないということを承知していたので、特にあてにもしておらず、注文したことすら忘れていた。今日、その四万十ドラマから商品の発送遅延を知らせるメールが届いた。その主たるところを引用すると以下の通りだ。

***以下引用***

この度は台風被害を受けましたが、

みなさまからのたくさんの応援メッセージやご注文に
大変元気づけられております。
ありがとうございます。

さて、商品の発送を順次させていただいておりますが、
予想を超える反響をいただき、
注文数が1,000件近くになったことと併せて
発送時期がお盆期間と重なったこともあり、
一部発送が遅れております。

皆様には大変ご迷惑をおかけしますが、
少しでも早くお届けできるように手配をさせていただいておりますので、
何卒ご了承のほどよろしくお願いします。
遅くともあと10日前後でお送りできる手配ができております。

***以上引用***

気になったのは、遅延理由に「お盆」を挙げていることだ。盆だの正月だのというのは毎年変わるものではない。盆であることを承知の上で販促をかけたはずである。それが遅延の理由になるというのは何故だろう?

12日に発注したものについて、1週間後の19日に上のような遅延連絡が届くというのもよくわからない。在庫管理という概念が存在しないのか、注文を受けてから商品を手配するということなのか。注文を受けて商品を手配するというのは、在庫リスクを取らないということであり、それはそれとしてひとつのやりかたであると思う。ただ、それならそれで最初からそういうやりかたで商売をしているということを客に告知するべきなのではないだろうか。発注を受けて1週間しても商品を発送することができない。あと10日以内になんとかする、というのは違和感を覚える。発注から1週間を経てなおも「遅くともあと10日前後」という漠然とした納期しか示すことができないというのは、ほのぼのとして結構なことではあるが、なんとなく釈然としないのである。勿論、代金は既にクレジットカードで決済されている。

しかし、考えてみると、世の中の商売の多くは売る側の都合で商品が流通している。ここは少し極端なので「ん?」と思うのだが、工業製品のように一定の規格で生産されたものは必ずしも自分の要求とは合っていない。それでも、機能として必要としていることがあり、その必要な機能を満足するなら他のことには目をつぶるということで成り立つ買い物が当たり前になっている。要するに社会を生きるということは自分の都合と相手の都合との妥協を図ることなのかもしれない。

わずかばかりの買い物だが、いろいろ考えるヒントをいただいた。四万十ドラマに感謝である。

 


古き良き時代

2014年08月18日 | Weblog

妻の実家からの帰りの新幹線で読んだ車内誌にイザベラ・バードのことが書かれていた。以前に江戸東京博物館で「明治のこころ」を観たときのことが思い出された。江戸の名残が濃厚であった頃の日本人の暮らしぶりが、バードやモースの眼には幸せそうな魅力あるものに見えたらしい。当の日本人が「文明開化」の掛け声とともに捨て去った暮らしが、「文明開化」の本家からは憧憬にも似た眼差しを受けていたということが面白い。以前、19世紀の欧州でアイヌ研究が流行ったのも急速な工業化や帝国主義戦争で社会に亀裂が目立つようになるなかで理想郷が求められたからだという話を聞いたことがある。そうした西洋世界のフロンティア探訪のなかで辺境ニッポンが注目されたということなのだろう。民芸であるとか道具類のようなモノへの関心だけで終ってしまうのではなく、それらを支えている価値観に対する様々な洞察が西洋から提示されたというのは、理想郷探訪がかなり本気だったということでもある。

当時の日本は果たしてそうした「理想郷」だったのか。その末裔である我々に「理想」の片鱗はあるのか。19世紀の日本に「理想」を観たのは西洋であって、現実を生きていた当事者にとってはなんのことかさっぱりわからなかっただろうが、今の日本を生きる我々にとってもさっぱりわからない。わからないままで終らせてしまうのも情けない。


備忘録 小林秀雄

2014年08月15日 | Weblog

『モオツァルト・無常という事』新潮文庫

何も彼も余り沢山なものを持ち過ぎたと気が付く人も、はじめから持っていなかったものには気が付かぬかもしれない。(p.21 「モオツァルト」)

美は人を沈黙させるとはよく言われる事だが、この事を徹底して考えている人は、意外に少ないものである。優れた芸術作品は、必ず言うに言われぬ或るものを表現していて、これに対しては学問上の言語も、実生活上の言語も為す処を知らず、僕等は止むなく口を噤むのであるが、一方、この沈黙は空虚ではなく感動に充ちているから、何かを語ろうとする衝動を抑え難く、而も、口を開けば嘘になるという意識を眠らせてはならぬ。… 美というものは、現実にある一つの抗し難い力であって、妙な言い方をする様だが、普通一般に考えられているよりも実は遥かに美しくもなく愉快でもないのである。(p.p.21-22 「モオツァルト」)

才能がある御蔭で仕事が楽なのは凡才に限るのである。(p.25 「モオツァルト」)

天才は寧ろ努力を発明する。凡才が容易と見る処に、何故、天才は難問を見るという事が屢々起こるのか。詮ずるところ、強い精神は、容易な事を嫌うからだという事になろう。(p.25 「モオツァルト」)

抵抗物のないところに創造という行為はない。これが、芸術に於ける形式の必然性の意味でもある。(p.26 「モオツァルト」)

人間は、皆それぞれのラプトゥスを持っていると簡単明瞭に考えているだけである。要するに数の問題だ。気違いと言われない為には、同類をふやせばよいだろう。(p.30 「モオツァルト」)

誰でも自分の眼を通してしか人生を見やしない。自分を一ぺんも疑ったり侮蔑したりした事のない人に、どうして人生を疑ったり侮蔑したりする事が出来ただろうか。(p.48 「モオツァルト」)

世阿弥が美というものをどういう風に考えたかを思い、其処に何んの疑わしいものがない事を確かめた。「物数を極めて、工夫を尽くして後、花の失せぬところをば知るべし」。美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない。(p.p.77-78 「当麻」)

解釈を拒絶して動じないものだけが美しい、これが宣長の抱いた一番強い思想だ。解釈だらけの現代には一番秘められた思想だ。(p.85 「無常という事」)

「生きている人間などというものは、どうも仕方のない代物だな。何を考えているのやら、何を言い出すのやら、仕出来すのやら、自分の事にせよ他人事にせよ、解った例しがあったのか。鑑賞にも観察にも堪えない。其処に行くと死んでしまった人間というものは大したものだ。何故、ああはっきりとしっかりとして来るんだろう。まさに人間の形をしているよ。してみると、生きている人間とは、人間になりつつある一種の動物かな」… 思い出となれば、みんな美しく見えるとよく言うが、その意味をみんなが間違えている。僕等が過去を飾り勝ちなのではない。過去の方で僕等に余計な思いをさせないだけなのである。思い出が、僕等を一種の動物である事から救うのだ。記憶するだけではいけないのだろう。思い出さなくてはいけないのだろう。多くの歴史家が、一種の動物に止まるのは、頭を記憶で一杯にしているので、心を虚しくして思い出すことが出来ないからではあるまいか。(p.86 「無常という事」)

現代人には、鎌倉時代の何処かのなま女房ほどにも、無常という事がわかっていない。常なるものを見失ったからである。(p.87 「無常という事」)

秀歌の生まれるのは、結局、自然とか歴史とかという僕等とは比較を絶した巨匠等との深い定かならぬ「えにし」による。(p.128 「実朝」)

本当によく自覚された孤独とは、世間との、他人との、自分以外の凡てとの、一種の微妙な平衡運動の如きものであろうと思われるが、聖徳太子にとっては、任那問題も、隋との外交も寺院建立等の文化政策も、そういう気味合いのものではなかったろうか、そして晩年に至り、思想が全く彼を夢殿に閉じ込めて了ったのではなかろうかと推察される。(p.157 「蘇我馬子の墓」)

画は、自分の志でないと言いたければ、言わせて置くがよいが、志などから嘗て何かが生まれた例しはない。屏風の註文がなかったら、鉄斎は自分に何が出来たかわからなかった筈である。(p.173 「鉄斎II」)

審美的経験には、何か礼拝的な性質があると言ったが、美術好きは皆偶像崇拝家だと言って差し支えない。凡ての原始宗教は、偶像崇拝で始まったが、凡ての大宗教は、これを否定する智慧から出発した様である。(p.210 「偶像崇拝」)

頭脳は、勝手な取捨選択をやる、用もない価値の高下を附ける。みんな言葉の世界の出来事だ、眼には、それぞれ愛すべきあらゆる物があるだけだ、何一つ棄てる理由がない。(p.216 「偶像崇拝」)

絵を見る楽しみとは、違ったヴィジョンを通じて、同じ物へ導かれるその楽しみではあるまいか。(p.217 「偶像崇拝」)

絵を見るとは、解っても解らなくても一向平気な一種の退屈に堪える練習である。練習して勝負に勝つのでもなければ、快楽を得るのでもない。理解する事とは全く別種な認識を得る練習だ。現代日本という文化国家は、文化を談じ乍ら、こういう寡黙な認識を全く侮蔑している。そしてそれに気附いていない。(p.218 「偶像崇拝」)

美しい物を所有したいのは人情の常であり、所有という行為に様々の悪徳がまつわるのは人生の常である。(p.224 「骨董」)

純粋美とは譬喩である。鑑賞も一種の創作だから、一流の商売人には癖の強い人が多いのである。(p.233 「真贋」)

裸茶碗やメクリの画にホン物はあるが、箱や極めのないニセ物なぞないのである。(p.p.237-238 「真贋」)

所謂仏教美術の世界は、物知りの講釈で持っている世界で、ベークライトの茶托が、東山時代の珍品にもなれば、デパートの火箸が、東大寺の釘にもなる。頼朝公三歳のしゃりこうべが拠って立つ心理的根柢はなかなか深いのである。(p.240 「真贋」)

以上


葬式の夢

2014年08月14日 | Weblog

葬式の夢を見た。誰の葬式なのか最初はわからなかったが、だんだん自分が高いところに昇っていって、たいして多くもない参列者がどんどん小さくなって見えなくなったところで目が覚めた。

一旦浮き上がってから沈むと言えば、6月に浸けた梅酒の梅は、最初は容器の底にあった。一ヶ月ほどするとそれが浮き上がり、今は再び底に並んでいる。妻と少しずつ飲んでいるが、飲む度に味が変わっていく。普段は酒を飲まないので、酒の味のことはよくわからないのだが、なんだか飲む度に旨くなっていくような気がする。もう少ししたら、今度はカリン酒を作ってみようと思っている。

今日は職場でネットワークのトラブルがあっていつも弁当を食べる時間まで自分の席の周囲に人がいたので、弁当の写真を撮らなかった。こちらが気にするほど周囲は気にしないのかもしれないが、そっと食べた。今日はビリヤーニだ。