熊本熊的日常

日常生活についての雑記

「潮騒」三島由紀夫

2009年09月30日 | Weblog
ギリシャ神話の「ダフニスとクロエ」を下敷きにした作品だそうだ。そう言われても読んだことがないので、だからどうこうと語ることもできない。また、三島の作品でこれ以外に読んだのは「金閣寺」だけなので、作品間の比較もできないし、ましてや、三島その人を語ることもできない。ただ、妙な作品だという印象だけが残った。

何が妙かと言えば、登場人物が善人ばかりなのである。小さな島の集落内での物語なので、互いに人となりや日常生活のあれこれについてよく知った仲であることが、ひとりひとりの行動に規制をかけているという面は、確かにあるだろう。しかし、人はそれほど単純ではなく、限られた中にあってさえ、多種多様な様相を見せるのが自然なのではないだろうか。ここに登場する人たちは、思考や行動が一貫し過ぎているように感じられるのである。

そして妙であることの最大の点は、出来過ぎた結論だ。あまりに出来過ぎていて、そこにかえって不穏なことの影のようなものが見え隠れしていると読んでしまうのは私だけだろうか。「嵐の前の静けさ」というが、この幸福感に満ちた物語のなかに、思わず不幸の種を探してしまう。それは、この作品を書いた作家のその後を知っているが故の先入観かもしれないし、作品自体の純粋さに対して自然に覚える違和感の所為かもしれない。なにより最後の段落が妙に意味ありげに思われるのである。

「少女の目には矜りがうかんだ。自分の写真が新治を守ったと考えたのである。しかしそのとき若者は眉を聳やかした。彼はあの冒険を切り抜けたのが自分の力であることを知っていた。」(新潮文庫 133刷 188頁)

このような単純に純粋な物語こそ、読者がそれぞれの経験や思考の習慣に応じて全く異質の想いを抱くのではないだろうか。素直にこの物語を受け容れることが出来ないのは、私のいかなる経験や思考に起因するのだろうか。読み終えたとき、呆気なさを感じると同時に、そう感じる自分の過去を検証してみたくなった。

5月28日付の本ブログで取り上げた「『こころ』は本当に名作か」という本のなかで、小谷野は「潮騒」を「通俗小説」という一言で片付けている。そして「通俗」になるのは、三島が男女の恋というものを実感をもって感じることができなかったからだとしている。確かに、恋愛小説のように見えながら、「潮騒」には男女がいない。しかし、それは「ダフニスとクロエ」をなぞるということによる制約の故かもしれないし、恋愛小説の形をとりながらも、現代絵画の幾何学模様のようなものを描こうとしたのかもしれないではないか。物事に評価を下し、自分にとっては価値を感じないものを切り捨ててしまうのは、あらゆるものを抱え込んで生きていくことのできない我々にとっては自然な営みではある。ただ、捨ててしまいながらも、なぜか気になるというようなものもあるだろう。尤も、私がこの作品を切り捨ててしまうことができないのは、私がそれだけ「通俗的」である所為かもしれない。

美術品の「価値」

2009年09月26日 | Weblog
以前にAFP(アフィリエイテッド・ファイナンシャル・プランナー)という資格を取ったのだが、資格維持のための講習や試験を受けずに放置しておいたら一昨年末に失効してしまった。今年末までに講習をいくつか受けて30単位取得すると資格を復活させることができるので、今ごろになって慌てて講習を受けている。先月までに20単位獲得して年内30単位達成がほぼ見えてきた。今日はその関連で、「画廊店主が語る美術品市場の見方と資産価値」という講座を受講してきた。これで3単位取得したので、30単位までは残り7単位となった。

テレビ番組の影響で、美術品の値段ばかりに衆目の注目が集まっている気がしないでもないのだが、世に「美術品」と称されるもののなかで価格の相場が決まっているものは、その一部に過ぎないのだそうだ。まずなによりも真贋の鑑定が可能であること、真贋が鑑定できたとして適正規模の需給が存在すること、それがオークションなどの市場で価格として表現されること、などが相場形成の条件だという。当然のことではないか、と思うかもしれないが、大前提となる真贋の鑑定ができる対象というのは相当に限定されるのである。日本の美術品に関しては、江戸時代以前の物に関しては鑑定可能な作品というのは極端に少なくなるのだそうだ。

現在、日本の作家で鑑定可能なのは約250名。これにオーソライズされた鑑定人や鑑定機関が存在しないが流通可能な作家が50名ほど、現存作家約300名を加えた約600名が、作品の相場が成り立つ作家の数なのだそうだ。今、日本で「画家」人口は3万人ほどだが、画業だけで生計を立てているのはその1割にも満たないのだという。

そのようにして選び抜かれた作家の作品については、その相場がほぼ日経平均に2-3ヶ月遅行しながら連動して動くらしい。こうして衆目に認められた美術品には資産の一形態という側面があるという、当然のことが確認される。こうして相場の透明性がある日本の美術品市場の規模は高々1,000億円程度に過ぎない。内訳はオークションの落札総額160億円、交換会や百貨店・画廊での販売が500億円、輸入が340億円とのことである。

要するに、美術品というのは、ごく限られた作品以外は、資産たりえないということだ。それぞれの作品にそれぞれの歴史があり、その誕生にそれぞれの想いが込められているものが、相場などという浅薄な尺度で規格化されてしまうようでは、人間の創造性が否定されるも同然だ。ある人にとっては100万円のものが、別の人にとっては100円にもならない、というのが本当に価値あるもののまっとうな姿だと思う。誰にでもわかるものは、要するに誰にも理解されていないということだ。わかる人にだけわかる、そういうものこそ、鑑賞したり所有したりすることで心の芯から喜びを与えてくれるのではないだろうか。そして、本当の喜びというのは貨幣価値などでは表現できないものなのではないだろうか。単一の尺度で全てを判断しようなどと考える有象無象とは一線を画してこその「美」があると思うのである。美術品の多くが、株式市場だの不動産市場だのといったものと同列の「市場」には属さないということを知って、妙に安心した。

愛撫

2009年09月24日 | Weblog
昨日、木工教室から完成したゴミ箱を持ち帰ってきた。このゴミ箱については8月2日付「物欲」と8月26日付「季節」で触れており、これがこのブログでの3回目の登場である。思いの外に満足できる仕上がりで、こういうものを身近に置いて使う生活というのはつくづく良いものだと感じている。

勿論、素人が作ったのだから、難癖はいくらでもつけることができる。底板と側板との継ぎ目に隙間があるとか、製作中についた傷があるとか、接着剤の拭き取りが不十分なところがある、表面のヤスリがけに斑がある、など、数え上げればきりがない。しかし、そうした難点が一切取るに足りないものに思われるほど全体の佇まいが素晴らしい。

なんといっても杉の木目が美しい。この木目については8月26日の「季節」のなかで語っているので、ここではもう書かない。ただ、どうしても付け加えておきたいのは、肌触りの気持ち良さである。夏材と冬材との硬度の違いと、そのリズミカルな繰り返しによって、表面の撫でたときの感触が、まるで人肌のようなのである。こんな家具や雑貨が世の中に他にあるだろうかと思えるほどの素晴らしい感触だ。家具や調度品を撫でて愛でるというのは、あまり一般的なことではないだろうが、心惹かれるものを前にすれば、それに触れてみたくなるのは自然なことだろう。それは相手が静物であっても生物であっても同じことだ。

このゴミ箱の反省点としては、ヤスリがけの斑である。見た目にはわからないが、撫でたときに気になる。現在製作中の木工品は、自分が作った陶器を収める桐の箱である。これは表面にオイルや塗料を塗らないので、ヤスリがけだけで、持った時に気持ちのよいようなものにしたい。

「伊豆の踊子」川端康成

2009年09月23日 | Weblog
この作品も先日のBの会で話題にのぼったものである。改めて読んでみたら、今まで思い描いていたものとは全然違う話だった、ということを言う奴がいて、私が「行きずりの話だよね」と返すと「本当に読んだ?せめて袖刷りくらいの表現にして欲しいんだけど」と言われてしまった。さて、本当はどんな話だったのだろうと気になってしまい、「死の棘」の後に読み直してみた。

新潮文庫版の「伊豆の踊子」には表題作のほかに「温泉宿」、「叙情歌」、「禽獣」が収載されている。どれも同じようなテーマの物語であるようにおもわれた。そして、再読してみて、私もそれまで漠然と抱いていたこれらの作品群に対する認識が根底から覆った。

川端の美学の表現であるということは、以前も今回も変わらないのだが、美しさの対象に対する認識が、3年前に読んだ時と今とで大きく違う。「あ、そういうことだったのか」と了解されて、同時に同じ文庫に収められている4作品のつながりも理解されて、妙にほっとしたような、何故そんなことに思い至らなかったのかと3年前の自分の不明を恥じる気持ちとが入り交じり、複雑な気分である。

「伊豆の踊子」の舞台がいつ頃の時代なのか知らないが、発表されたのは1926年だそうだ。この時代に旅芸人であるということや一高の学生であるということの記号論的意味を推察すれば、この物語のなかで展開されているようなことは希有なことだったのではあるまいか。本来ならば超えることのない、生きる時代の世間によって規定されるところの、馬鹿馬鹿しくも確固とした自己の領域を超越して、人と人とが心通わせる瞬間、茶の湯で言うところの一期一会というもののなかにある美しさを描いているのだと思う。

「温泉宿」にしても、女中だの酌婦だのという当時の社会の底辺を生きる人々の力強さとか、一見すると猥雑な中にある矜持であるとか、どのような場においてもそこに必ず人の生の美しさを見ることができるというようなことが描かれているように思える。

「抒情歌」は前の2作が描くような普遍的な存在としての人を、その内面から眺めたような作品であるように思う。「死人にものいいかけるとは、なんという悲しい人間の習わしでありましょう。」で始まり、「そういたしますれば、悲しい人間の習わしにならって、こんな風に死人にものいいかけることもありますまいに。」で終わるこの作品は、その悲しさや儚さをはっきりとは述べていないのだが、書かれた時代の空気を想像すれば、なんとなく了解されるような気がする。

「禽獣」には、美しさというものを求めるエゴの醜さを感じる。美しいとか醜いと感じるのは自己である。人は世間を生きているように見えるが、実のところは自己の幻想の世界を浮遊しているだけだろう。一応の決まり事として善悪だの美醜だのという漠然とした共通言語風のものがあるが、それはその時々の時代の空気であるとか、権力者の意向というようなものによって、簡単に曲げられてしまう。美だの正義だのというものの本来的な胡散臭さが表現された作品なのではないだろうか。

川端は美というものにとことんこだわり抜いた人なのだそうだが、物語の内容もさることながら、文章に強く惹き付けられた。「死の棘」に続いて読んだ所為もあるのかもしれないが、読んでいて心洗われるような気分になった。

詰める指

2009年09月22日 | Weblog
珍しくこのブログにコメントが付いたので、今日はそれに応えるようなことを書こうと思う。

何が嘘で何が本当なのか、ということはさておいて、頂いたコメントのなかで面白いと思ったのは指の話である。「死の棘」の主人公夫婦のやりとりのなかで、亭主が妻への隠し事などないということの証拠に指を切ろうと言い出す場面がある。当然の如くに、そこでは小指を詰める話になるのだが、それが仮に親指だとしたら、物語全体の世界が違ったものになるだろうと、まるちゃん氏はおっしゃるのである。なるほど、それはその通りだと思う。

指を詰めるとしたらどの指を選ぶのか、と考えた時、確かにまんなかの3本というのは切りにくいだろうから、両端から切るというのは自然なことだろう。親指と小指とを比較すると、切るほうから見ても、切られるほうから見ても、小指のほうが切り易いと考えるのも自然だと思う。だから、物語中盤での全体の流れのなかでの要のひとつでもある、この指詰めのエピソードで親指を詰めるという話だと、少しばかりエグ過ぎて、却ってそれまで持続してきた緊張感が途絶えてしまうかもしれない。

「死の棘」とは全く関係ないが、指詰めで思い出すのは松田優作の遺作となった「ブラックレイン」という映画だ。松田演じる新興組織の組長が上部組織と対立し、一旦は上部組織への恭順を偽装すべく新興組長が親分衆の集まりで指を詰める場面がある。この新興組長は少しエキセントリックに描かれているのだが、その狂った感じが、親分衆の会合という静かな場面で活きていたように思う。狂人をいかにも狂人のように表現したのでは狂気が表現できずに滑稽になってしまう。何事もないかのようなところに潜んでいる何事こそが恐ろしいのである。そういえば「ブラックレイン」の監督はリドリー・スコットだった。

2年ほど前、私は誤って左手親指の先端を鋏で切り落としてしまった。長さ1センチ、最大幅4ミリ、最大肉厚2ミリ程度だったが、たったそれほどでも完治までには数ヶ月を要し、不自由なことこの上なかった。ミニマリズムという言葉があるが、生き物の身体には不足も過剰もない、ということを以前に聞いたおぼえがある。たとえわずかでも失ってしまえば、それに順応するまでは難儀をする。おそらく、身体に限らず、自意識を形成している要素に大きな変動が生じれば、均衡回復までの間には精神も肉体も脆弱な状況に陥ってしまうのだろう。

ところで、「死の棘」の指詰めの場面で使われるのは植木鋏ではなく鉈である。植木鋏と鉈とでは切るときの絵姿にかなり大きな違いがあるので、親指と小指の違い以上に物語の世界が変わってしまうかもしれない。尤も、人によって気になることというのは違うので一概には言えないのだが。

「死の棘」島尾敏雄

2009年09月19日 | Weblog
先日のBの会でこの本のことが少しだけ話題にのぼった。私が、まだ読んだことが無い、と言うと、「読まなくていいよ」という意見と「俺はああいうのだめだけど、熊ちゃんは好きかも」という意見があり、気になったので読んでみた。

おそらく、善意というものを素直に信じることができて、家族とか夫婦というものが特別に親密な関係であるという幻想が成り立っていた時代においては、この作品は読者に強い衝撃を与えることができたのだろう。しかし、親子や夫婦の間で殺し合ったり傷つけ合ったりすることが日常の風景のなかに溶け込んでしまっていて、もはや異常なこととも思われなくなってしまっていると、この作品は純文学ではなくて大衆文学になってしまう。

デジタルカメラで撮影した写真をパソコンに取り込んで整理するとき、画像に加工を施そうとして、いろいろ調節しているうちに、自分のなかでイメージしているものから大きくかけ離れてしまうのはよくあることだ。結局、いろいろいじったものが気に入らなくてデフォルトに戻してしまう。しかし、デフォルト値と極端な値との間は連続していて、違和感のある映像とない映像との境目というのははっきりしていない。しかし、調整の微妙な違いによって同じ映像が全く違った様相を呈するのは、写真の世界に限ったことではない。

人間とか人間関係の正常と異常というのも確たる境目はない。自分の間尺に合わない相手を「変わりもの」とか「気違い」などと判断して、自分の「まとも」な世界を守るのは、いわば人としての当然の防衛反応であろう。結局のところ人は自分の間尺に合う相手としか、健全な関係を維持できないのである。その間尺は、生まれ持った部分もあるだろうし、経験に応じて伸びたり縮んだりもするだろう。親子兄弟姉妹配偶者といえども、重なる経験というのは思いの外小さいのではないか。それにもかかわらず、何故か社会のなかにはこれらの関係をそれ以外の人間関係とは区別して特別扱いをする傾向が強いように思う。その特別という意識と現実との断絶が、時に人を狂わせるのではないだろうか。

尤も、「特別な関係」というものがないと、人間の社会そのものが成り立たなくなってしまうので、類としての防衛反応として、社会というものの核となるような「特別」が無意識のなかに想定されれているのかもしれない。自分のなかでは自分こそが世界の全てだが、世界のなかではその全てであるはずの自分がものの数にも入らない。普段は意識されないけれど、時としてバックリと口を開くその世界との断絶を埋める意志の作用が生きることなのかもしれない。

本作のなかで、ミホが夫トシオの浮気を執拗に責めるのは、自分の世界と現実との断絶を埋め合わせる試みであり、つまり、それこそが彼女の生になっているのだろう。だから、その責めから逃れるようにトシオが自殺を図ろうとすると必死で止めるのである。トシオの死は埋めようとしている断絶が失われてしまうこと、彼女の生が否定されてしまうことだからである。一方のトシオがミホの死を怖れて彼女から眼を離すことができないのも同じ理由である。彼女の死は彼の「特別」が失われることだからだ。

傍目に崩壊している人間関係が、それでも継続していくのは、当事者の「世界」がそこにしか存在しないからだ。自分の世界というものを意識しない限り、そうした崩壊状態から逃れる道は無いのだが、それが容易でないのは、人が変化というものを怖れるからなのではなかろうか。「世界」は容易に変わるべきものではないのである。現実が不確実なものであるがゆえに、その現実と折り合いをつけながら生きていくには、確固とした軸のようなものが必要なのである。本作で描かれている世界は、その必要な軸を求め合う人の営みのように思える。当事者にとっては必死なのだが、傍目には滑稽ですら感じられることがあるのも、我々の実生活のなかにはよくあることのように思われた。

さて、Bの会での話に対する私の答えとしては「読まなくていいよ」に一票投じておきたい。

地球の中心

2009年09月17日 | Weblog
東京オペラシティアートギャラリーで開催中の鴻池朋子展を観てきた。この人がどのような人なのか全く知らなかったのだが、芸術新潮の最新号にこの個展が紹介されていて、その容姿が知人に似ていたのと、たまたま、期限間近のぐるっとパスも手元にあったので、ふらっと出かけてみたのである。

平日の昼間の、しかもそれほどメジャーな美術館とも思われない場所での展覧会の割には、観客が多いと感じた。そういえば、ロンドンでもテート・モダンが市内の美術館のなかでは最も客が多かった。現代美術が人を惹き付けるのは、作り手と客とが同じ時代の空気を呼吸しているから、そこになにかしら響き合うものがある所為ではないかと思う。

この展覧会のテーマは地球の奥深くを覗き見ること。客を誘うのは少女の下肢。それが虫や狼と一体となって、我々を地中の奥深くへと案内する。地中に地層が形成されているように、本展も深度に応じて相の転換が試みられている。相と相の間は身を屈めて潜るようになっている固定されたカーテンで仕切られているのだが、それは茶室の躙り口のようでもある。そういえば、茶室も異空間を象徴している。このあたりの感覚は、日本人として背負っている文化を反映しているのだろうか。

そして地球の核だが、それは赤ん坊の頭部の形をしたミラーボールだ。地球の中心に何を想像するかというのは、その人の想像力が試されているような緊張感を沸き立たせる問いのようにも思える。芸術新潮の記事のなかで鴻池は「地球の中心に<赤ん坊>がいるというのは、想像力の限界かもしれない」と語っていたが、少なくとも「無」のような手垢のついたものではない、意表をつくようなつまらなさ、というところに非凡なものを感じるのである。実際にこの展示会場に立てば、恐らく作者が想定していなかったであろう面白さを体験することができる。少なくとも私は体験した。

各展示区画にはひとりずつ監視員がいる。このミラーボールの部屋の片隅にもガードマンが律儀に直立しているのである。暗い部屋の片隅で、直立不動で地球の中心にあるとされている赤ん坊の頭部型ミラーボールが反射する光の粒を受けている姿が何より印象的だった。地球の核というのは自律的に活動しているものだと無意識に信じていたが、やはり人間に監視されていたのである。そこに我々の社会というものの本質を見る思いがした。

よほど、その監視員に「この現場は何分交代なんですか?」と尋ねてみようかと思ったのだが、やめておいた。

アナログの頃

2009年09月11日 | Weblog
予約しておいたビートルズ・ボックスをコンビニで受け取り、箱を開けてみた。各アルバムは紙ジャケで、中のCDは半透明のビニールに収められている。CDというメディアになってしまったけれど、可能な限りレコード時代の装丁に近づけようとする意志が感じられた。

音楽メディアはレコードからCDになり、さらにネット上での配信ということで脱パッケージ化している。音楽情報がデジタル化されて果たして音の品質はよくなったのかどうか、個人的には疑問を感じないこともないのだが、別にこだわりがあるわけではないし、以前にも何度かこのブログに書いているように音楽のセンスは全くないので語るべきこともない。ただ、同年代の友人と語らうと、音楽好きの奴に限って「レコードの頃のほうが音がよかった」などと言う。音の事はともかく、少なくともジャケットについては私もレコードの頃のほうが好きだ。あのLPサイズでこそジャケットのデザインが活きるように思われるのである。このCDボックスもそうなのだが、CDをプラスチックの箱から厚紙製のジャケットに変えたところで、大きさはCDサイズなのだからたいした違いはないように思う。しかし、店頭では同じタイトルがプラスチックケースのものより紙ジャケのほうが高い値段が付いて並んでいることが多いので、そうしたことへこだわりを持っている人も少なくないということなのだろう。

初めてビートルズのアルバムを手にしたのは中学1年生の時だった。当時、オーディオ再生装置は「ステレオ」と呼ばれていて、それなりに高価なものだった。それがテクニクスから「ユー・オー・ゼット」という初めて10万円を切るシステムコンポが発売され、それを買ってもらうことができたのである。それで聴くレコードのほうは、友人からビートルズとカーペンターズのアルバムを借りて聴いたのが最初だったと記憶している。その時のビートルズのアルバムは「オールディーズ」。初期のベスト盤だが、残念ながら未だにCD化されていない。カーペンターズのアルバムのほうは、タイトルは覚えていないが、赤い車が映ったジャケットだったような気がする。

レコードの扱いは面倒だった。半透明のビニールに収められた上でジャケットに収納されているのだが、そのビニールから出すときに静電気の所為で埃を吸い付けるのである。それで、静電気除去スプレーをかけて、専用のクリーナーで表面を拭ってからターンテーブルに乗せるという手順を踏む。ターンテーブルのスイッチを入れて、回転が安定した頃に静かにアームを降ろすと、やや無音の時間があってから音楽が鳴り出す。その微妙な緊張感が今となってはなつかしい。とにかくレコードの盤面に傷をつけないように注意を払って大事に扱ったものである。だから、CDが登場したとき、そうした面倒を経ずに手軽に音楽を聴くことができるようになったことが革命的なことのように思われて、持っていたレコードを中古レコード屋に売って、CDに買い替えるということをしてしまった。おそらく、今、同じタイトルでレコードとCDを持っていれば、よほど気が向かない限りはCDのほうを聴くとは思うのだが、レコードも手元に置いておきたかったような残念な思いが無いわけでもない。

1988年6月に初めてロンドンを訪れた時、2番目に足を運んだ先はEMIの本社ビルだった。建物自体はごくありふれたオフィスビルなのだが、このビルの中で撮影されたビートルズの写真が、「プリーズ・プリーズ・ミー」と赤版と青版に使われているのである。その後、勿論、アビー・ロード・スタジオも見に行ったし、彼等がデッカ・レコードのオーディションを受けた時に宿泊したプレジデント・ホテルにも泊りに行ってみたし、マジカル・ミステリー・ツアーのバスの出発点であったという場所も訪れた。リバプールに出かけて観光局主催の「Magical History Tour」というビートルズ縁の地を巡るバスツアーにも参加するなどということも経験した。

ちなみに、ロンドンで最初に足を運んだ先はWaterloo Bridgeである。邦題「哀愁」というヴィヴィアン・リー主演の悲恋物語の原題が「Waterloo Bridge」だ。勿論、映画に登場するのは現在の橋の前の世代のものなので、そこに立ったところで映画の雰囲気など全くないのだが、「うぉーたーるー」という場所がどういうところなのか是非見てみたいと、特別な理由もなく思ったのである。

ところでCDの話だが、今は音楽CDが売れないという。面倒なレコードの時代にはオーディオ自体が趣味として一定の地位を占めており、オーディオ情報誌や機器メーカーも今よりは数が多かった。日本の電機メーカーはどこもオーディオ機器のブランドを持っていて、それぞれに特徴のある製品を出していたように思う。先ほど触れた「テクニクス」というのは松下電器産業(現:パナソニック)のブランドで、日立なら「ローディー」、東芝は「オーレクック」、三菱は「ダイヤトーン」といった具合だ。オーディオ専業メーカーは社名自体がブランドでもあったのでソニー、山水、ティアック、赤井、ナカミチ、マランツ、トリオ、パイオニアなど、それぞれに憧れの製品があったものだ。それが、デジタル化で音楽が手軽に聴けるようになるにつれて、ハードもソフトも売れなくなってしまうというのは皮肉なものである。

ビートルズ・ボックスは、とりあえず、ホワイトアルバムとパストマスターズを聴いてみた。

「意志の勝利」(原題:Triumph des Willens)

2009年09月10日 | Weblog

言わずと知れたレニ・リーフェンシュタール監督によるナチスの宣伝映画である。製作は彼女がヒトラーから直接要請を受け、170人のスタッフと当時の最新鋭機材を駆使し、1934年にニュルンベルクで開催されたナチス党大会を紹介する形式で作られている。本国ドイツでは未だに封印されているのだそうだ。ナチス・ドイツの戦争責任とかホロコーストに対する責任といったものを考えれば、軽々しく語るような作品ではないのだろうが、残虐行為や狂気と無縁の戦争というものがそもそも存在するのだろうかとも思う。

何の予備知識も持たずに観れば、新興宗教の大集会のようにも見えるし、国民的ヒーローとなった芸能人やスポーツ選手の凱旋イベントのようにも見える。それほどヒトラーのカリスマ性が活写されている。まず驚くのは、ヒトラーがニュルンベルク市内をオープンカーでパレードするシーンである。彼の乗った車両が車列を先導している。現代の常識なら、要人が乗っている車両の前後左右に警備車両が配されるだろう。そして、沿道にはお祭り騒ぎのように車列を迎える鈴なりの市民の姿がある。沿道、といっても地面だけではなく建物の窓やテラス、車列が進む道路の上に架かる橋の上にも見物人が溢れているのである。この行列は襲われる危険というものを想定していないかのようだ。

「党員集会」とはいいながら、そこには親衛隊や突撃隊といった実質的には軍隊と変わるところのない集団の姿もあり、この時既にヒトラーがドイツの首相に就任していたこともあって、国軍兵士も参加している。ところが、彼等は軍隊であり、軍装でありながら、銃を携行していない。閲兵の行進の場面ですら、彼等は丸腰なのである。当時のドイツがヴェルサイユ条約によって軍備制限下に置かれており、少なくとも公式には、そうした国際秩序を乱す意志は無いということを表現しているのだろう。ドイツがその条約を破棄し、再軍備宣言を行うのは、この映像が撮影された翌年、1935年3月16日のことである。

こうして無防備に群衆のなかにある姿というのが、かえってカリスマ性を際立たせているように見える。誰も彼に刃を向けることなど思いもよらないことだ、と雄弁に語っているように思われるのである。もちろん、現実はそうではなかったはずだ。このニュルンベルク党大会は1934年9月4日から6日間にわたって開催されているが、これに先立つ1934年6月30日には突撃隊幹部の粛清が行われている。ナチスの私兵組織であった突撃隊が国家の混乱とナチスの勢力拡大を背景に肥大化するなかで党執行部や国軍との対立が鮮明となり、ナチス政権にとって脅威となったことから、ヒトラーの盟友でもあった突撃隊幕僚長エルンスト・レームをはじめとする幹部隊員が、党内外の反ヒトラー勢力とともに粛清された。この映像作品のなかでのヒトラーの演説にも、「先頃の親衛隊と突撃隊との不幸なできごと」というような表現によって触れられている。これは粛清の実行部隊が親衛隊だったことによるものだ。

強さの表現というのは、直接的に力を感じさせるものよりは、むしろ、一見そうした意図を感じさせないものによるほうが潜在意識に強く訴えるものなのではないだろうか。それこそが「意志」なのだと思う。この作品の製作に際して、リーフェンシュタールは彼女の思う通りに自由に活動できるという約束のもとで引き受けたのだそうだ。映像のなかに何人ものナチス幹部が名前の字幕入りで登場しているのだが、それはあくまで映像構成上、場面に適した映像があったからそうなっているのであって、特別な意図があって人選されたわけではないらしい。しかし、その映像に漏れた幹部のなかには自分の映像を加えるようにとのクレームを出し、ヒトラーからも彼等の写真だけでも入れるようにとの圧力がかかったが、彼女はそれらを悉く拒絶し、作品自体は彼女の思う通りの仕上がりになっているという。ただひとつだけ彼女が変えることができなかったのは「意志の勝利」というタイトルだったのだそうだ。これはヒトラー本人が決めたものだという。このあたりの話が示唆するところのものに興味を覚える。

真の権力とは、人をして自働的に動かす漠然とした雰囲気のようなものなのではないか。もちろん、そこには主導的役割を果たす個人という存在があるだろう。しかし、それだけではあるまい。第一次大戦による国家経済の疲弊に加え、ヴェルサイユ条約に基づく賠償金の負担により、ナチスが創設された当時のドイツは想像もつかないほど困難な状況下にあったのだろう。国民の誰もが救世主のようなものを求めていたことは想像に難くない。そこに登場したのがヒトラーであり、ナチスだった。

例えば、突撃隊は1920年にナチスの演説会の整理要員として数名で創設されたが、1934年に幹部が粛清される頃には400万人にまで膨張している。これは要するに失業者の受け皿だったという、この組織の側面があるからなのである。それが可能だったのは、強力な支援者を抱えていたということでもある。つまり、ナチスは能書きを垂れるだけの政党ではなく、実効ある行動を起こす能力を備えた組織だったということがわかる。社会の混乱状況があったとは言いながら、10名にも満たない党員で始まった非合法組織が10年ほどの期間で政権党にまで登りつめることができたのは、個人の能力だけによるものではあるまい。時の運、と言ってしまえばそれまでだが、歴史というものには、無数の偶然が重なって必然を創り出すということもあるものだ。

それほどの組織が結局は崩壊してしまうのは、国民が望むものを与え続けて権力を維持するには、他国の利権を侵害してまでも組織を膨張させ続ける以外に方法がなかったということだろう。ねずみ講が急膨張して破綻する過程と似たところがあるように思う。繰り返しになるが、権力とは結局は雰囲気のようなものだ。確固とした基盤があるようでいて、実はそれを支えているのは移り気な個人の気分でしかない。選挙の度に思うのだが、自分は候補者個人のことは何も知らないし、その所属政党がどのような組織なのかも知らない。報道や日々の生活を通じてその存在を漠然と感じるだけだ。政治のことも経済のこともよくわからない。おそらく、これは私だけではあるまい。よくわからないままに、勝手な思い込みや気分で投票するのである。そうした票が集まって政治家を産み、それが国家を動かしている。衆議院選挙の時には同時に最高裁判所裁判官の国民審査も行われるが、最高裁の判事がどのような人かなど全くわからないのだから審査のしようがない。それでも投票が行われいるのである。わけもわからず民主主義が正義であるかのように喧伝されているが、つくづく恐ろしい社会を生きているものだと思う。


亀頭に亀

2009年09月09日 | Weblog
ヤフオク第1弾は6件出品して落札は1件だった。ビートルズの東京公演パンフが高値で売れることを前提に、今日発売のビートルズCDボックスを予約してしまったのだが、あてにしていた東京公演パンフの売却代金が手に入らなかったので、家計的にはかなり苦しい状況に陥ってしまった。

引き続き、出品第2弾を展開中で、今回の目玉商品は入れ墨の写真集である。20年ほど前に英国のマンチェスターという町で暮らしていた頃、地元の商店街にある大手書店チェーンのWaterstoneの美術書売場で見つけたものだ。出版社は米国のAbbeville Pressというのだが、ここがどのような出版社なのかは知らない。しかも、Printed in Hong Kongとなっていて、少し怪しい感じが無いわけでもない。写真を撮影したのはSandi Fellmanという女性写真家だ。モデルは日本人で、文字通り頭のてっぺんからつま先まで彫り物を施した人たちである。日本ポラロイドのスタジオで、ポラロイドの特製カメラを使って撮影されたと書いてある。

入れ墨というと、なんとなく引いてしまいがちだが、この写真集を見ていると、ひとつひとつの図柄にきちんとした意味があるようだ。全身くまなく彫るということは、それなりの覚悟というものがあったはずだと思う。日本人には入れ墨に関する様々な先入観があるので、そうした彫る側、彫られる側の心情とか意気といったものにまで考えが及ばないことが多いのではないだろうか。それで、そうした先入観なしに彫り物やその人自身と対面できる異文化の人々のほうが、こうした写真集を出しやすいのかもしれない。

ゆる体操

2009年09月06日 | Weblog
ゆる体操というものを体験してきた。「WEDGE」という雑誌の9月号にこの体操を考案した高岡英夫氏の記事があり、興味を覚えて受講してみたのである。参加者の平均年齢は思いの外低そうで、私などはどちらかというと平均を引き上げるほうの部類に属しているように感じられた。しかし、運動自体は初心者向けの説明会ということもある所為か、単純で無理が無く、それでいて終わった後に清々しさが残るというものだった。

30代の頃から自分の身体に興味があり、マッサージを受けてみたり、ヨガを始めてみたりしている。マッサージはともかく、ヨガはこれから加齢が進んでも続けることができるものなのか不安を感じ始めていた。勿論、自分の身体と相談しながら無理の無い範囲で続ければよいのだろうが、苦痛を感じるようになったら、それは身体のためにはならないということだろう。浮世の憂いから解放されるための運動なのに、それを続けることがストレスになってしまっては何のためにやっているのかわからない。やはり、そろそろ次の手を考え始める時期なのではないかと漠然と感じていたところに、偶然、雑誌の記事と出会ったのである。

ゆる体操の初心者向け説明会は2時間半にわたって、ひとつひとつの運動の意義を説明してもらいながら体験するというものだった。説明の内容は十分納得できるもので、なによりも身体に無理の無い運動であることが良いと思えた。これからはヨガを減らして、その分をゆる体操に置き換えようと考えている。

説明会の後、Fire Houseでアボカドバーガーを食べてから家路に就いた。ファーストフードとか回転寿司は、どういうわけか、食べた後に情けない気分になるのだが、この店のハンバーガーはそのようなことが無い。バンズもパテもとてもおいしいと思うし、店の雰囲気も開放的で好ましい。古道具屋から集めてきたようなインテリアも眺めていて愉快だ。生憎、自分の普段の生活動線からは外れているので、近くに来る用がないと食べる機会に恵まれないのだが、本郷三丁目に来ると、こうして立ち寄るのである。

尤も、おいしいと感じるのは、たまに頂く所為なのかもしれない。以前、子供を連れてこの店を訪れたことがある。
「どう? マックなんかと比べものにならないだろう?」
と尋ねると、子供が応えた。
「うん、おいしい。でも、マックのハンバーガーもあれはあれでおいしいと思うよ。」

Bの会 補足

2009年09月05日 | Weblog
今日はBの会があった。以前に比べれば更新頻度は落ちたが、それでもかなりの頻度で更新されているこのブログに絡んで、いかにも暇そうだと言わんばかりの指摘もあったが、確かに暇だ。映画も映画館へ足を運んで観ているし、月に一度くらいは落語にも出かけ、毎週のように陶芸と木工にも精を出している。

ふと気になって、今年になって、つまり帰国後、映画館で観た映画を数えてみたら25本もあった。

1/27 「そして私たちは愛に帰る」シネスイッチ銀座(東京・銀座)*
2/26 「小三治」神保町シアター(東京・神保町)
3/6 「PARIS」ル・シネマ(東京・渋谷)*
3/9 「ホルテンさんのはじめての冒険」ル・シネマ(東京・渋谷)*
3/16 「シリアの花嫁」岩波ホール(東京・神保町)*
3/20 「いのちの戦場」新宿武蔵野館(東京・新宿)*
4/6 「ダウト」ル・シネマ(東京・渋谷)*
4/28 「ニセ札」テアトル新宿(東京・新宿)*
4/29 「画家と庭師とカンパーニュ」ギンレイホール(東京・飯田橋)*
6/5 「ミルク」シネマライズ(東京・渋谷)*
6/12 「夏時間の庭」銀座テアトルシネマ(東京・銀座)*
6/26 「人生に乾杯」シネスイッチ銀座(東京・銀座)*
6/27 「希望ヶ丘夫婦戦争」ユーロスペース(東京・渋谷)
7/3 「ディア・ドクター」新宿武蔵野館(東京・新宿)*
7/10 「愛を読む人」シネマサンシャイン(東京・池袋)*
7/11 「平穏」ユーロスペース(東京・渋谷)*
7/12 「ふたりのベロニカ」ユーロスペース(東京・渋谷)
7/12 「スティル・アライブ」ユーロスペース(東京・渋谷)
7/17 「短い労働の日々」ユーロスペース(東京・渋谷)*
7/18 「美代子 阿佐ヶ谷気分」イメージフォーラム(東京・渋谷)*
7/24 「扉をたたくひと」恵比寿ガーデンシネマ(東京・恵比寿)*
8/3 「湖のほとりで」銀座テアトルシネマ(東京・銀座)*
8/7 「サンシャイン・クリーニング」シネクイント(東京・渋谷)*
8/11 「ポー川のひかり」岩波ホール(東京・神保町)*
8/29 「3時10分、決断のとき」新宿ピカデリー(東京・新宿)*

このうち、末尾に*を付けたものは、このブログの中で取り上げている。レンタルで数百円を使うのとは違い、映画館で観る場合は原則として1,800円なので、それなりに選んだ作品しか観ない。だから、どの作品も観た後に満足感があるのだが、なかには観たことを悔やむものが無いわけでもない。

今日の会では、映画のことがあまり話題にならなかったので、映画に関して少し話し足りないと感じたことについて、要点だけここで触れておく。

・ このなかでは「ディア・ドクター」が一番好きだ。
・ 岩波ホールで上映される映画にはハズレがないように思う。
・ 「人生に乾杯」に登場したチャイカというソ連製の自動車はかっこいい。
・ 「希望ヶ丘」は駄作だと思うが、上映前にトークショーがあり、さとう珠緒を生で観ることができたのでよしとする。
・ 「3時10分」はいい作品なのだが、西部劇というのは、日本ではやはり厳しいと思う。
・ 小三治の弟子の三三は師匠を超える予感がする。
・ 「ポー川のひかり」は説教臭い。
・ 「美代子」の町田マリーがいい。
・ 「サンシャイン」はキャスティングに問題があるような気がする。エイミー・アダムスの役作りはあれでいいのだろうか? それとも単に私のなかで「ダウト」での彼女の印象が強すぎるだけなのだろうか?
・ 八千草薫はやっぱり大女優だ。

久々にオークション出品

2009年09月02日 | Weblog
何年かぶりにヤフオクに出品してみた。いざ出品しようとすると、有料会員にならなくてはいけなかったり、そのために本人確認のようなことをしなければならなかったり、時流とはいいながらも、面倒なことが増えた。そうした諸々を済ませて、出品する品々の写真を撮影し、画面の指示に従って手続きを進め、晴れて出品が完了する。

写真がきれいに撮れているもののほうが高い値段がつく、という話を聞いたことがあり、撮影用の小道具も用意した。商品撮影用ミニスタジオのようなものがカメラ用品店で売っているが、とんでもない値段なので、100円ショップで入手可能なもので済ませるよう心がけた。それでも、やはりライティングがどうしても思うようにいかない。不満を残しながらも、とりあえず見切り発車である。

余談だが、100円ショップの大型店の品揃えには驚嘆した。今暮らしている地域の店舗は、いかにも100円ショップ風の店構えなのだが、たまたま訪れた新宿PePeにあるキャンドゥは、よくぞここまで揃えたと賞賛したくなるほど品数が豊富である。豊富な割に買いたいものはそれほどないのが100円ショップというものだということはひとまず置いておき、今度は時間をかけて店内を探索してみたいと思う。

このようにそれなりに気合いを入れて準備をして、先月末に6点の商品を出品した。
雑誌:「話の特集」完全復刻版 ビートルズ・レポート
ビートルズ 東京公演のパンフレット
雑誌:芸術新潮 2008年4月号 ヴィーナス100選
雑誌:東京人 さよなら交通博物館
展覧会カタログ:マーオリ 楽園の神々 展
鉄道関連グッズ:東海道新幹線 実物レール文鎮

間もなくビートルズのCDボックスが発売になるので、ビートルズ関連商品への注目度が上がり、東京公演のパンフレットなどは結構な値段がつくのではないかと期待したのだが、全くの空振りだった。唯一、現時点で入札者がいるのは東海道新幹線に使われたレールを1cm厚に切断したものだけだ。しかも、入札者は1人なので、値段は最初にこちらから提示した500円。1972年の鉄道開通百周年の記念グッズなので、いくらで買ったのかなどそもそも記憶にない。レールを使ったこの手の商品は珍しくもないので、売れないだろうと思っていたのだが、そういうものだけに買い手がついたというのは、嬉しくはあるが、手放しでは喜ぶことができない、複雑な心境である。同時に、撮影用具に過大な投資をせずによかったと安堵もしている。

引き続き、しばらくの間、手持ちのものを出品し続ける予定である。

渚のシンドバッド

2009年09月01日 | Weblog
外国為替証拠金取引というものを始めた。職を失ったかつての仲間が復帰したという話を殆ど聞かないので、よほど貯えがあるのだろうと思っていたら、「FXで食いつないでいるらしい」ということを小耳に挟んだ。これで億単位の売買益を得ながら申告せずに追徴課税を食らった主婦の話とか、豪ドル相場を動かすほどの存在となった「ミセス・ワタナベ」といった話はあまりに有名なので、新聞やテレビに無縁な私でもさすがに知っている。しかし、具体的なことは何も知らなかったので、先週火曜日にある業者の説明会に参加してみたのである。そして昨日から取引を始めてみた。

最初はパソコン画面の設定に手間取ってしまった。決済系の画面はほぼ問題なく動作するのだが、情報系の画面がエラーメッセージが出るなどして動かないのである。業者のヘルプデスクに連絡してみたり、プロバイダのサポートに連絡してみたりしたが、問題の解決には至らなかった。尤も、不自由なのはチャートの表示ということくらいで、その程度ならいくらでも代替手段はある。気をつけなければならないのは、その問題の背後に深刻なものがあるのかないのかということだ。これは実際に動かしてみないことにはわからないので、おっかなびっくり、ちまちまとしたポジションで取引を始めてみた。

結局のところ、相場というのは波乗りのようなものだと思う。後講釈でわかったようなことを言う人はいくらでもあるのだが、その時々の値段の動きというのは、市場参加者の心理によるものだ。ファンダメンタルズだのテクニカルだのというのは、その心理を動かす要因のひとつでしかないと思う。様々な要因が人を動かし、それが波のようになって、相場を動かすのだろう。

改めて知って驚いたのだが、相場の動きというのは時間軸の単位の取り方によって全く違って見えるのである。例えば1分単位、5分単位、10分単位でかなり違うし、日足、週足、月足となると、そもそもトレンドが違う。これは当然のことなのだが、実際に自分でわずかばかりではあってもポジションを持ち、それなりの真剣さで相場を眺めると、その違いには、やはり驚くのである。

同じものが見方を変えれば違って見える、というのはよく聞くことであるし、それはそうだろうとは思う。しかし、自分自身の経験として、そうした見方の違いというものと向き合うと、もう少し、その違いというやつを探求してみたくなるものだ。

月が変わって、今まで気にもとめなかった経済指標や相場概況を気にするようになったのは、極短期のことなのか、長いトレンドの変わり目なのか、まだわからない。